廃校での戦闘 自分の命と仲間の命を天秤に…
巨大な糸の塊で真上から潰されたかのように見えたゲダツであったが、周囲に巻き上がった煙が明けるとその場には潰れたゲダツは居らず、完全に姿をくらましていた。
「ちッ、逃げられたわ!」
仁乃が悔し気に吐き捨てながらそう言うと周囲を警戒する。
しかし向こうも気配を殺しているようで、今まで感じていたへばりつく様な嫌な気配は今は感じられない。
「どこにもあの女のどす黒い気配が感じられないわ。まさか…逃げられた…?」
仁乃が取り逃がしてしまったのではないかと焦るが、それを否定するのは加江須であった。
「いや、微かだがあの女の嫌な気配は今も感じている。恐らくまだこの廃校内に留まって様子を窺っているんだと思う」
加江須がそう言うと他の二人が彼の言葉を頼りに周囲を警戒し続ける。
「正直、加江須が居てくれて助かったぜ。俺もあのゲダツの気配を見失ってしまったからな。今回の戦いでは今までで一番頼りにさせてもらうぜ」
ポンポンと加江須の背中を軽く叩いて頼らせてもらうと言う氷蓮。
背中を軽く氷蓮に叩かれつつ、加江須の視線は天井を向いており上の階に注意を傾けていた。
「微かではあるがゲダツの気配は上の階から感じ……!?」
最後まで言い切る前に加江須の言葉が途切れた。
「どうしたの加江須?」
「いや…上の階から感じていた気配が複数に増えた。くそっ、大方あの女がさっき見たゲダツをいくつも生み出したんだろうな…」
加江須の予想通り、自分の気配をカモフラージュする為に転生者を喰らい得た能力を使い大量のゲダツを上の階で女は展開していた。そのうえに自身の気配を最大限まで抑え込んだため、生み出したゲダツと自身の気配を織り交ぜて加江須達を惑わせる。
「上の階に居る事は分かるが正確な位置が大量に生み出されたゲダツのせいで分からない。こりゃ手間がかかりそうだな…」
「言ってても仕方ねぇぜ。とりあえず上の階に上がろうぜ」
氷蓮が先頭を歩きながら加江須と仁乃にそう言うと、二人も頷いて後に続き三人は2階へと歩き出し始めた。
◆◆◆
2階に逃げたゲダツを追いかけるべく同じく上の階へと赴く加江須達であるが、彼等3人よりも先に上の階へと姿を忍ばせていた不良達は空き教室の1つで身を潜めていた。
「どうすんだよ…結局またガッコ―の中に戻って来ちまったじゃねぇかよ」
不良の1人が変色したカーテンの隙間から校庭の様子を窺う。
カーテン越しから見えた眼下の景色は最悪であった。
「うぷっ…」
込み上げる吐き気を堪えながら外の様子を窺う。
校庭には先程の狼の様な化け物がウロウロと動いており、その近くでは赤い染みをまき散らしている肉の塊が2つ転がっている。散らかされている肉塊は辛うじて人の形を保っており、ソレがより一層胃を刺激して口の端から涎が零れる。
「うえ…」
とてもじゃないが長くは見ていられずカーテンと自らの口を閉じる不良。
「校庭ではさっきの狼がウロウロとたむろっているぜ。マジでどう逃げんだよ…?」
絶望的なこの状況、普段は自身の学校や親などに高圧的な態度を取っている4人の不良は皆一様に怯えを顔に浮かべていた。それも無理はないだろう。半分以上の仲間が殺され、自分たちの命だって今もなお危険に晒され風前の灯火の様な状態なのだ。
胸の内に溜まり込んだ不安や恐怖はいつしか自分の周りに居る仲間達にそれぞれが怒りとしてぶつけ始める。
「そもそも誰だよこの廃校に来ようなんて言ったバカはよぉ! 下らねぇ冒険心なんて持ったせいでこの有様だ!!」
「俺じゃねぇよ言ったのは!! ここに来ようッて最初に提案したバカは校庭で食い殺されたアイツだよ!!」
「俺はお前に半ば強引に誘われたとこもあんだぞ!! それについてはどう責任取ってくれんだよ!?」
お互いに責任を擦り付けるかのような醜い言い争いを始める不良達。しばし言い争いが続いたが、その内の1人が怒り任せに壁を殴りつけ、空き教室の入り口まで歩いて行く。
突然入り口付近まで歩き出す仲間に他の青年は何のつもりなのかと声を掛ける。
「どこ行くんだよお前!」
「ああっ? んなもん決まってんだろ! 今すぐこの廃校から逃げんだよ!!」
そう言って壊れている教室のドアを掴んで教室を出ようとする不良の1人。
「バカ、今出て行ったらまたあの女に狙われるぞ!!」
「馬鹿はてめぇらの方だ!! このままここに居ても死を待つだけじゃねぇか!! それならイチかバチかにかけた方がマシだ!!」
そう言うと壊れかけのドアをガタガタと揺らして廊下へと飛び出す不良。
そのまま彼は教室から遠ざかって行き、残りの3人はこの場に留まるべきか否かを相談し合う。
「ど、どうするよ? アイツの言う通りこのままここに居てもいつかは……」
「だからって外に出てもあの狼に追い掛け回されて食い殺されかねないだろうが」
3人は今出て行った不良とは違い踏ん切りがつかず、それぞれ意見を色々と出し合っていても結局は空き教室に固まったように留まり続けるのであった。
◆◆◆
空き教室を出た青年、名は洋理と言い彼は1階を目指して階段を下りていた。
加江須達が上っている階段とは離れた階段を利用しており、もし彼がもう少し先の離れた階段を下りていれば加江須達と合流して生き残れる可能性が上がっていたかもしれないが、そんな事に当の本人は気付かずまずは下の階を目指す。
「とにかく玄関は危ねぇ…。それなら別の場所から逃げりゃいいだけだ…」
何も律儀に門を通ってこの廃校から離れなければいけないわけではないのだ。1階の廊下に出て近くの窓から抜け出し裏から抜け道を探せばいい。この廃校はぐるっと塀で囲まれているが、探せば別の脱出口を見つけられるはずだ。
「何であの時は馬鹿正直に全員揃って門から出ようとしていたんだか……」
あの時は目の前で何人も仲間が殺され、冷静な状況判断が出来ずに真面目に玄関から出て行こうとしたが、緊張している事は変わらずとも多少は冷静さを取り戻せた今ならばまだ逃げ切れるかもしれない。そんな淡い希望と共に1階に降りるとすぐに一番近くにある窓まで駆け寄り、そこから抜け出そうとする。
「あらあら、そんな所から出て行こうだなんてはしたないわよ?」
しかしそんな彼をあざ笑うかのように彼の背後にはいつの間にかあの女が立っていた。
「ひいっ!?」
窓の縁に置いていた手を離し、急いでその場から逃げ出そうとするが、彼が逃げようとする前方には校庭で見た狼が立っていた。
「んぐっ!? な…ななな……」
前には涎を垂らし牙をむき出しに唸る狼、そして背後には人の形をなした人ならざる存在。
二つの異形に挟まれた青年、洋理はガタガタと膝を震わせ呼吸が一気に荒くなり始める。
「あらあら震えて可愛らしい。ふふふ……」
自分の指先をチロリと舐めながら女はゆっくりと近づいてくる。
その姿はとても妖艶で、もし先程に自分の仲間を殺している場面をこの目で見ていなければ思わず鼻の下を伸ばしていたかもしれない。だが、あの笑みと共に人を粘土の様に壊していた姿が瞳の奥底に焼き付いている洋理は恐怖のあまり腰を抜かし、その場に座り込んでしまう。
「た、たす…助けて。助けてください…」
両手を合わせて必死の形相で懇願する洋理。
そんな彼のすぐ近くまで歩いてきた女はニッコリとほほ笑んだ後、膝を曲げて彼と目線を合わせて言った。
「ダメよ。アナタは今から死ぬのよ」
そう言って彼の頭を撫でながら、まるで聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように残酷な死刑宣告を告げる悪魔。
その残酷な言葉は洋理の心をぐしゃぐしゃに潰し、そこから溢れ出る恐怖感情は涙となって外へと漏れだす。
「あらあら、まるで子供みたい泣いて。なんだか少し気の毒になって来たわね…。う~ん……」
しゃがみ込んでいる体制から再び立ち上がり、顎に手をやり何かを考え込む女。
今のうちに逃げようかと思った洋理であるが、いつの間にかすぐ真後ろまで狼は近づいてきており、立ち上がろうとした瞬間に低いうなり声を出し彼の動きを強制的に止めてしまう。
恐ろしい異形に至近距離で前後を挟まれ、洋理はとうとう耐え切れずにその場で嘔吐し始めた。地面にまき散らされる吐しゃ物は自分の服やズボンにもかかって汚した。しかし今の彼には自分の衣服の汚れをいちいち気にしている余裕などあるはずが無い。
目の前で吐いている洋理の事など構わずに考え事を続ける女。やがて彼女は何かをひらめいたらしく、ポンっと自分の手のひらを叩いた。
「ねえアナタ、助かるチャンスを上げてもいいわよ?」
「え…チャ、チャンス?」
洋理は恐怖から生気の抜けた顔をしていたが、女のこのセリフで絶望色の瞳に僅かだが希望が灯り始める。もう確実に死ぬしかないと思っていたところに垂らされた1本の救いの糸、それを決して手放さぬように彼女の話を聞く姿勢を見せる。
「お、お願いします!! どうか、どうかチャンスを恵んでください!!!」
汚れている床にグリグリと額を擦り付け、涙や鼻水を垂らしながら浅ましく懇願をする洋理。
そんな彼を見て女はまるであやすかのように彼の頭に手を置き、優しく撫でながら言った。
「今から10分以内にこの廃校に残っているアナタのお友達を全員…アナタのその手で殺して見せなさい。その覚悟を見せればアナタを助けてあ・げ・る♪」
「お、俺の手で……」
「ええそう。殺害手段の為にその子を貸してあげるわ」
そう言って女は洋理のすぐ傍で待機しているゲダツを指差した。
「今からその子はアナタの命令に従ってくれるわ。ソレを使ってお友達を殺しなさい」
そう言いながら女は満面の笑みを向けて洋理に覚悟を問う。
「生きるために他を殺す。アナタに出来るかしら?」
女が楽し気にそう訊くと、洋理はガタガタと震える膝を押さえつけながら立ち上がると、残酷な提案をして来た悪魔の目を見て答えを述べる。
「できる……できるさ!! 生きるためならアイツ等を殺してやる!!」
その答えを聞き、女はこれまでで一番嬉しそうな顔を洋理へと向けるのであった……。




