転生してから遅刻の危機と発揮される身体能力
闇の中に沈んでいた加江須の意識は次第に浮上し始め、そして眠りから覚める。
「……んん?」
瞼を持ち上げ、寝ぼけたような声を漏らしながら横になっている肉体を起こす加江須。
周囲を見渡すとそこは自分の良く知っている場所、自分の勉強机、自分の漫画本、自分のタンス、自分のベッド――つまりは自分の部屋であった。
「えー…っとぉ?」
ベッドの上で上半身を左右に軽く動かし、まだ完全に覚醒しきっていない頭も一緒に左右に軽く振り自分の脳の中の記憶を思い返してみる。
――俺は確か事故に遭って…そのまま死んで…そして……。
まず初めに交通事故に遭った記憶がフラッシュバックし、同時にその時に自分の手を掴んで泣いていた黄泉の顔まで浮かんできた。冷血な幼馴染の顔が脳裏に浮かび苛立ちが湧き上がり、さらにその怒りは声になり口から放たれそうになるが何とか嚥下する。
「(誰もいない空間であの女の怒りを吐き出しても虚しいだけだ)」
気を取り直して記憶の糸をたどり続け、そして全てを思い出した。
「ああそうだ。俺は事故に遭って死んだ。そして……イザナミと出会いもう一度生き返ったんだ」
そう言うと加江須はその事実を確かめるためにイザナミから与えられた能力を使えるかを確かめる。
右手を持ち上げ顔の前までもっていき、その拳に炎が宿るイメージをする。
――加江須がイメージした瞬間、メラメラと赤い炎が拳を包み込む。
「どうやら夢の出来事じゃないようだ。ちゃんと炎を操れる」
自分の記憶の中の出来事がただの夢物語ならばこんな風に炎を操れるわけがない。この力が使えるという事は自分は一度死んでおり、そして再びイザナミに転生させられたという事だ。
とりあえず今までの事が現実の出来事である事を確認できた加江須は炎を消す。
「…ん、何だこれ? 置手紙見たいだけど…」
自分の勉強机の上に何やら1枚の紙きれが置かれている事に気づき手に取る。少なくとも自分はこんな物を机の上に置いておいた記憶はない。
その紙には何やら文章が綴られており筆跡からして自分の文字でない事は明らかであった。
「イザナミからのメッセージみたいだな。なになに?」
――『加江須さん、無事に転生完了しました。事前に話していた通り1週間前の世界へと加江須の事を送り出しました。混乱を避けるために加江須さんの自宅へと送り出しているはずですが…ちゃんと送り届けられていますよね? あの…この紙は加江須さんの近くに配達していますのでこの手紙を読み終わった後、この紙をやぶいてくれませんか? そうすれば今の加江須さんの状況がこちらにも伝わるので……も、もし転生先に問題があればすぐにでもご自宅へと送らせていただきますので!! 転生後までその…手間をかけてしまい本当に申し訳ありません!! で、ですがこの手紙を破てもらえれば貴方の状況も知れるので…お、お願いしますですハイ…すいません……』
「……何だこの手紙。なんで別にミスをしたわけでもないのに謝っているんだよこの女神様はよ……」
呆れ気味でそう言いつつ読み終わった手紙をビリッと破く。これで今の自分の状況も伝わっているだろう。
クシャクシャに丸めた手紙を机の近くに置いてあるゴミ箱へと捨て、充電してあるスマホを手に取り電源を付ける。
――今日の日付は5月の10日、月曜日と出ていた。
「5月10日…俺が死んだ日から確かに1週間前に時間が巻き戻っているな」
時間が確かに巻き戻っている事を確認した加江須であったが、ここで何か忘れているのではないかと思い改めてスマホを見直しぎょっとする。
「月曜日…今日は学校があるじゃねぇか!?」
スマホの時計を見ると今の時間は朝の7時45分。いつもは7時30分にはもう家を出ている。にも拘わらず今の自分は呑気に自室でベッドの上に座り込んでスマホの画面を覗いている。
「なんて呑気に状況を確認している場合じゃねぇ! とにかく今は学校だ!!」
ダッシュで着替え部屋を出る加江須。
両親は二人そろって仕事に出ているのですでに家には居らず、玄関を出て急いで鍵をかけ、そして外に出て学校のある方角を見つめる。
「…今からじゃ間に合わないぞ。くそ、あの神様…生き返らせる曜日や時間も考えろよ。俺は学生なんだぜ。月曜の学校開始時間ギリギリに生き返らせやがって」
自分を送り届けたイザナミに対して不満を口にする加江須。こんな事ならばあの手紙に苦情の一つでも書き記してから破き捨てるべきだった。
天を見上げて舌打ちをかませる。そんな彼の心情とは裏腹に空はキラキラと光り輝き、頭上では太陽が意気揚々と地上を照らしている。
「文句言っていても仕方ないな。とにかくダッシュするか」
今から走っても確実に遅刻は確定ではあるが、遅刻するにしてもできうる限り早く学校に到着した方が良いだろう。お説教は確実だがそこは覚悟しよう。
そう思い勢いよく地面を蹴りつけ全力で走り抜けようとする加江須であるが――地面を蹴りつけた加江須はその勢いのまま走るのではなく一気に跳躍していた。
「うおっ!? なんだこれ!」
軽く地面を踏みつけただけで凄まじい跳躍で前方を跳んだ加江須。
軽い混乱をしている加江須であったが、今の自分が常人離れした身体能力の持ち主である事を思い出した。
「(そういや神力とやらが俺の中に与えられたんだよな)」
そう考え加江須は一気に跳躍して自分の家の屋根の上へと飛び移った。
そのまま一番近い距離の家を確認し、助走をつけてその家の屋根へと飛び乗ろうと跳躍をする。しかし今度は力を入れて跳んだため、目的の家よりさらにもう一軒離れている別の家の屋根の上へと飛び乗った。
「こりゃ凄いな、地面を走らずこの方法で行けば間に合うぞ」
そう考えると加江須は次々に常人離れした跳躍で色々な建物の屋根を飛び移って行き学校を目指して移動する。まるで忍者の様に次々と屋根を飛び移って行き目的地へと目指して進む。高く跳躍して空中に飛び出るたびにとても気持ちの良い風を感じる。
勢いに乗って一際高い跳躍をすると空を飛んでいた小鳥が加江須の姿を見て慌ててその場を離れる。
「まるで鳥にでもなったようだ。なんて言っている間にもうすぐ学校に到着するぞ」
地上ではなく空中から学校を視認してそう呟く。
このままのペースで行けば30秒もかからず学校の屋上にでも飛び乗っている事だろう。
「と言うか視覚能力も上がっているな。元々視力あまり良くなかったのにな…」
改めて自分が超人になった事を理解した。
このまま勢いを殺さず学校に突っ込んでいこうかと考えた加江須であったが、それでは間違いなく注目を浴びてしまうだろう。
一度地面に降り立ち、そのまま残りは歩いて登校しようと考える。想像以上速く学校まで跳んで来たため遅刻どころか時間に余裕すら出来た。
空中から人気の無い場所を探してそのまま地面へと降り立つ加江須。
「よし、ここからは歩いて登校だ」
そう言って物陰から出てきて普通に歩いて登校している学生達に混ざり一緒に学校を目指し始める。
自分と同じ制服を着た同じ学校の生徒達は加江須の様に1人で登校している者もいれば、友達同士で仲良く話をしながら歩いている連中もいる。
――すると加江須の耳には友人同士で話をしている学生たちの声が聴こえてきた。
「(うおマジか! けっこー距離あるのにあそこで話している奴等の会話が微かに聴こえてくるぞ!)」
まるで耳元でボソボソと声をかけられているかのように離れた人間同士の会話が聴こえてくる加江須。普通の人間ならば過剰な大声でもない限りあの距離の会話を拾う事など出来はしないだろう。つくづく身体機能が強化された事を実感する。
――その時、背後から聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「(この声は……)」
ゆっくりと振り向きその声の主を探る加江須。
――その視線の先には自身の幼馴染である黄美が友達と会話をしている姿が確認できた。
「あの…野郎…」
その姿を見ただけでギリッと歯を噛みしめる加江須。
自分の存在を否定し、罵倒し、踏みにじりつけた忌まわしい女の姿を見て加江須の中の血液は沸騰する。しかも無意識のうちなのか強く握った拳から微かに炎が零れる。
視線の先の黄美は楽しそうな笑顔をしながら友達と会話に花を咲かせている。その表情は自分に対しては決して向ける事の無い笑顔。それがますます加江須の苛立ちを募らせる。
「くっ…ふっ…!」
怒りを爆発しそうになるがそれを必死に押し殺し黄美から視線を切る加江須。
朝一から胸糞悪い顔を見てしまったと思いながら速足で学校を目指し歩いて行く。その際に歩きスマホをしている学生の1人を追い抜いていく。
「うわっ! え…あの人の足はやぁ~…」
前方に居た生徒を追い抜き速足で歩き去っていく加江須。
追い抜かれた生徒は彼の足の速さに少し呆気にとられ、思わず手に持っていたスマホを落としそうになってしまう。
◆◆◆
加江須の存在に気づかず友達と仲良く会話をしている黄美。とても楽しそうな笑顔を浮かべながら友人と会話をしている黄美であったが、ここで友人が振ってきた話題で態度が変わる。
「そういえば黄美ぃ、あんた、幼馴染とはどうなったのよ?」
「…はあ? 別にどうもないけど…」
今まで楽しそうに話していた彼女だったが、その表情は険しくなる。
黄美のその反応を見て友人である紬愛理はヤレヤレと言った感じで首を横に振る。水色のショートヘア―の髪が小さく揺れる。
「本当に素直になれない子だなぁあんたは。もう少し幼馴染クンに優しさを向けたら?」
「はあ? どうして私があんな愚図に優しくしないといけないわけ……そんな気色の悪い事、する訳がないでしょ」
そう言って愛理から視線を外しそっぽを向く黄美であったが、彼女の頬は僅かであるが赤く染まっていた。
「(本当にツンデレさんだなこの子は。こりゃ幼馴染クンも苦労しそうだねぇ)」
実際のところ愛理は黄美とは仲良くしているが彼女の幼馴染の加江須に関してはほとんど何も知らない。クラスも違えば直接話をしたことすらないのだ。だが友人の黄美の性格は熟知しているつもりだ。
彼女は絵に描いたようなツンデレである。普段は普通の女の子であるが幼馴染である加江須の話題を出すと露骨に態度が急変する。しかし加江須の事を悪く言うくせその表情は恋する少女なのだ。
「(はやく素直になって告白すればいいのになぁ~。そうすれば案外うまくいく気もするけど……)」
「ちょっと愛理聞いているの? とにかく私はあんな奴の事なんてどうでもいいと思っているんだからね」
「はいはい、分かりましたよ~っと」
「何よその適当な返事の仕方。本当に分かってくれている?」
ガミガミと頬を赤く染めながら愛理に噛み付く黄美。そんな彼女の事をあやしながら歩いていると、いつの間にか2人はもう学園の校門前まで辿り着いていた。