幼馴染と友人と 2
「ふい~…食った食った」
大の字になって仰向けになりながら氷蓮は腹を抑え、とても心地よい満腹感に包まれて幸せを感じていた。
仁乃と黄美の両者が作った料理はとても美味であり、テーブルの上に置いてあった料理は全て綺麗に平らげられた後であった。
横になる氷蓮を見ながら加江須が呟く。
「しかし…まさか全部食べるとはな…」
満足そうに笑っている氷蓮を見ながら加江須は彼女の食べた分を改めて思い返す。
黄美と仁乃の二人が作った食事は単純に通常の量の倍はあり、テーブルの上に料理を並べ終えた後になってようやく量が多すぎる事に気付いた加江須。いくらなんでも食べきれないと思っていたが、そんな彼の不安を拭うかのように氷蓮が通常なら余ってしまう量の食事を自分の胃袋へと詰め込んだのだ。
「(ここに来る前にハンバーグステーキ食べていたのによく入ったな…)」
氷蓮の大食漢ぶりに少し驚いた後、今度は視線を台所の方へと向ける。
台所では食べ終わった食器を洗っている黄美と仁乃の二人が並んで立っていた。
食事を作ってもらったのだから後片付けは自分がやると言ったのだが、そこで黄美が加江須は休んでいてと言って半ば強引に座らされてしまった。しかし黄美が加江須とやり取りをしている中、仁乃が先んじて食器を持って洗い始め、それに対抗するよう黄美も台所へと詰め寄った。
「「………」」
無言のまま並んで食器を洗う黄美と仁乃。
口こそは開いてはいないが隣の存在に対して二人は無言で圧力を送り合っている。
「こっちは終わり…」
「私もこれで拭き終わったわ…」
台所が綺麗に片付け終わると二人はそれぞれ相手をしばし見つめると、互いにふんっと顔を背けながら台所を出た。
「じゃあカエちゃん、食事も作り終わったから私はそろそろ帰るね。他の二人の伊藤さんと氷蓮さんももう帰るんでしょ?」
「あ、いやそれは…」
「ええそうね。氷蓮、私たちもお暇させてもらいましょう」
そう言って仁乃は寝ている氷蓮の肩を叩く。
しかし帰ると言っても自分は今日はこの家に泊まるつもりだ。そう言おうとした氷蓮だが、何やら彼女の耳元で仁乃が囁くとしぶしぶ立ち上がった。
「あ、おい…」
黄美と一緒に家を出ようとする氷蓮に加江須が声を掛けようとするが、仁乃は今度は加江須の耳元で黄美には聴こえぬように小さな声で囁く。
「あの愛野さんが帰ったらまた戻って来るわよ。氷蓮が泊まり込むなんて知ったら面倒ごとになるでしょ」
「ああ、そういう事…」
仁乃とは違い黄美は氷蓮が今日この家に泊まる事を知らない。だから黄美と一緒に帰るフリをしてまた戻ってくるつもりらしい。
玄関まで移動する加江須たち。仁乃と氷蓮はまたこの家に戻ってくるつもりらしいが、一応形だけでも見送る方が良いと思い加江須も見送りの為に玄関まで来た。
「今日はわざわざありがとうな黄美、仁乃。お前たちのお陰で美味しい夕食を食べれたよ」
加江須がそう言うと黄美と仁乃は二人そろって嬉しそうな顔をする。ただし仁乃はすぐにハッとなりだらしない表情を引き締め直す。しかし黄美は嬉しそうな顔のまま加江須に笑顔を向けて言った。
「また来てほしいときは遠慮なく言ってねカエちゃん。これぐらいならいつでも私が力になるからね」
「あ、ああ。ありがとう。じぁあおやすみ…」
「うん、おやすみ」
つい少し前までは突き刺す様な瞳しか向けてこなかった黄美であったが、今は眩しいほどの笑顔を向けるようになった。そのあまりのギャプの変化に未だ少し慣れない加江須。
加江須に別れの挨拶を交わした後、黄美は玄関を出て外に出るがその際に仁乃に話しかける。
「伊藤さん…少しいいかしら?」
「…ええ」
黄美に続いて外に出る仁乃。そして最後に残った氷蓮は黄美が完全に外へ出た事を確認してからそっと加江須に耳打ちをする。
「とりあえず俺はあの幼馴染が帰るまでは外をブラブラしてるわ」
「ああ、なんだか悪いなわざわざ」
「バカ、食事もらって寝床として使わせてもらえんだ。お前が謝るなよ」
そう言って氷蓮も玄関を出て外へと出て行った。
残った加江須は心配で一緒に外に出ようと思ったが、自分が原因でこじれかねないと思い大人しく玄関で氷蓮と仁乃を待つことにした。
◆◆◆
外に出ると辺りはもう完全に暗闇に包まれており、風も吹いていて少し肌寒い。
氷蓮は加江須に話していた通り、その辺を散歩して適当に時間をつぶすことにした。食後の運動にもなるので都合もいいだろう。
「じぁあなお前ら。今日はありがとよ」
一応は演技で別れの挨拶をしてから夜空の下での散歩を始める氷蓮。
氷蓮が居なくなった後、その場に残ったのは仁乃と黄美の二人だけとなり、先程に玄関で自分に何やら話しがある素振りを黄美は見せていたので二人だけとなった仁乃が黄美に声を掛けた。
「それで愛野さん。私に何の用なの?」
仁乃が話を聞こうとすると、黄美は加江須と話していた時とは違い目を鋭く尖らせて彼女に問いかける。
「伊藤さん、あなたは加江須の友達…そう言っていたわよね」
「ええそうよ。それは加江須からも直接聞いていたはずだけど…今更何かしら?」
「ええそうね。カエちゃんは確かにそう言っていたしあなたを友達と認識している。でも――あなたはどうなの?」
「……どういう意味?」
黄美に投げかけられた疑問は漠然としており、いまいち彼女が自分に訊きたい事を把握できない。しかし続けて彼女は質問の意味を明白にする問いを投げて来た。
「じゃあもう少しだけ詳しく言うわ。あなた…カエちゃんを本当に〝ただの友達〟として見ているの?」
この質問を聞いた仁乃の体が一瞬硬直する。
自分のこの質問に対して一瞬だが反応を示した仁乃のその変化を黄美は見過ごしはしなかった。
この瞬間から黄美の目付きがさらに変化した。今まではただ鋭いだけであったが今は明らかに仁乃に対して敵意に近い物を瞳の奥底に宿している。
「ただの友達…だなんて思っていないでしょ。その反応を見れば察せれるわよ」
そう言うと黄美は腕組をして仁乃の事を睨み続ける。
刺す様な視線に貫かれる仁乃であるが、しかし彼女もこのまま黙っている性格ではない。同じように腕を組んで黄美を睨み返しながら自分の言いたいことを言ってやる。
「仮に私があいつの事をどう思っていようとあなたには関係ないでしょ。それとも加江須と仲良くなるにはあなたの許可を取る必要があるとでも?」
「……」
仁乃の言っている事は何もおかしくはないが、しかし黄美は明らかに納得していない表情を仮面の様に貼りつけながら口を開いて言い返す。
「別にそうは言ってないわ。でもこれだけは覚えていてほしいの。カエちゃんは〝私の幼馴染〟である事を……」
そのセリフを聞いた瞬間、仁乃の中の感情が大きく波立った。
出来る限り平常心を意識していた彼女ではあったが、彼女の強調した〝私の幼馴染〟というワードは彼女の中の感情の波を大きくうねらせ、波は大きく渦巻き始める。
――そして彼女の中の何かがプツン…と切れる音が聞こえた気がする。
「いい加減にしなさいよ…」
彼女の口から出た言葉はかすれる様に小さかった。しかしそれは仁乃の中の怒りが限界を超えたが故であった。
それに気付いていない黄美は仁乃が何を言ったのか分からず普通に聞き返してきた。
「何? もう少し大きな声で……」
「いい加減にしろと言っているのよ!!! 一体アンタは何様のつもりなのよ!!!」
人の気配の無い静かな夜の町に仁乃の怒声が鳴り響く。
「加江須は自分の幼馴染、幼馴染、幼馴染!! それを他人に強く言う資格がアンタにあるの!? 加江須を長い間苦しめていたアンタが!!!」
「ッ…カエちゃんとは和解したわ!!! だから今の私にはソレを言う資格は十分にあるはずよ!!!」
仁乃に負けるとも劣らない黄美の声も同じように周囲へと響き渡った。
二人の少女はこの叫びを機に完全に感情のタガが外れてしまい、それぞれが自分の中の眠っている言葉をぶつけ合い始める。
「加江須は…加江須はアンタにつらく当たられ続けて苦しみ続けていた。アンタは知らないだろうけどあいつ…あいつは泣いていたのよ。恥も外聞も気にする余裕すらないほどに私に縋り付いて泣いて…見ているだけで私ですら苦しくなった……痛くなったわ……見て…いられなかった」
そう言って仁乃は自分の胸を押さえ、あの日の自分に泣きつく加江須の顔を思い出す。
本当に苦しく、どうすれば良いか分からず途方に暮れていた彼を思い出すと仁乃の瞳からは涙が零れ落ちた。
「あいつは長い時間ショックを受け続けていた。その痛みを与え続けていた超本人であるアンタに対して私は心の片隅で怒りを感じていたわ。そんな奴が…そんな奴があいつの幼馴染であることを自分から強調するな!!!」
我ながら矛盾した事を自分は宣っていると仁乃は自身で感じていた。
加江須と目の前の少女の和解の後押しをしたくせに…それなのに今は目の前の少女が加江須の幼馴染を名乗る事が苛立たしく感じてしまう。
今まで散々アイツを罵倒したくせに…和解した直後からカエちゃんカエちゃんと馴れ馴れしくなって……。目の前の少女からは今まで彼を苦しめて来た後悔の気持ちも、懺悔の気持ちも感じられなかった。まるで今まで自分の彼にして来た事が無かったかの様に振舞うその姿勢に仁乃は我慢が出来なかったのだ。
自分の大好きな人を苦しめていながら、彼に今までの謝罪の念すら感じないように接する黄美がどうにも我慢できず、そして今はもうその我慢を解き放ってしまった。しかし彼女の中には後悔の念はまるで何もない。だって……。
「だって私は――加江須が大好きなんだから……」
心の中の声が感情に押されて口から零れ落ちる仁乃。
仁乃の加江須に対する本当の気持ちを聞いた黄美は唇を震わせるが、すぐにキュッと引き締め仁乃と同じように自分の心の内を口から曝け出す。
「私だって…私だって自分のして来た事に関して何も感じていない訳じゃないのよ!! 素直になれず…思いもしていない言葉で彼の心を傷つけて来た。何度も…何度も……」
黄美は自分の手を固く握りしめる。爪の先が皮膚を傷つけたらしく、微かだが血が滲んでいた。
「でも…カエちゃんに幼馴染として縁を切ると言われてからやっと気付いたわ。自分の取って来た愚かな行為に……」
言葉を連ねるうちに黄美の脳裏にはあの日の記憶が蘇って来た。
いつもの様に彼に対して酷い事を言った。でもその日の彼はそんな自分に対して冷めた態度を取り、そしてハッキリと彼に言われた。
――『俺にとってお前はもう――どうでもいい他人同然だ』
あの言葉を聞いた時、自分の中の思考が止まった。そしてその後――想像すらしないほどの悲しみと後悔に心が覆われ、そして浸食されていった。
「カエちゃんに見放されてからやっと気付いた。自分のして来た事が間違いであったと言う事に…そして彼の痛みも理解できた…」
「理解できた? 本気でそう思っているの? 本気でそう言っているの!?」
仁乃はそう言って黄美に詰め寄り、彼女の両肩を掴んで怒りの灯る瞳で見つめる。
「私にはアンタが加江須の受けた痛みを分かち合えたとは思えないわ! あんな無遠慮にまるで何もなかったかの様に加江須にズケズケと迫っておいて…」
「ええそうよ! ズケズケと自分のして来た事を棚に上げて私は和解後からカエちゃんに接し始めたわ! そうでもしないともう昔の様な彼との関係に戻れないと思ったから!!!」
仁乃が非常識だと思っていた黄美の態度、それは黄美自身も理解した上で取り続けていたのだ。そうすることで昔の彼との関係に戻れると信じ、そうしなければ不安で不安で仕方が無かったから……。
「もう彼との関係を壊したくなかった。だから…だから私は……」
気が付けば黄美の瞳からも涙が零れ始めていた。
「だからああして出来る限り無遠慮でもカエちゃんに自分をぶつけるしかなかった。そうでもしないと私…不安で仕方が無かったのよぉ…ぐぅ…ぐすっ…」
「………」
仁乃は黄美の肩から手を離すと、彼女の目を見て彼女に対して自分なりに忠告を入れる。
「加江須はあなたの変化に戸惑っているわ。確かにあなたの気持ちもわかる。好きな人にまた嫌われたくないと言う気持ちは痛いほどに分かる。でも…でもなりふり構わずあのバカに接していてもあいつがそれでなびくとは思えないわ…」
「……分かってる。分かってるわよぉ……」
◆◆◆
「……なんか予想以上に拗れてんなぁ」
加江須の家の周辺を散歩していた氷蓮は加江須の家の近くまで戻ってきたが、仁乃と黄美が未だに家の前でたむろっていたので物陰に隠れて耳を澄まし、何を話しているのか途中から聞いていたのだ。
「たくっ…恋する乙女は色々とめんどーだな」
このまま放置しておこうかとも考えた氷蓮であったが、しかし何となく見て見ぬふりをするのは気が引けてしまい……。
「はぁ…しゃーねーなー。1つ貸しだぜ仁乃さんよぉ」
そう言うと彼女はその場を一度離れて行った。
◆◆◆
玄関で氷蓮と仁乃の帰りを待っていた加江須であったが、中々戻ってこない二人に少し不安を感じ始めていた。
「いくら何でも遅くないか…」
玄関に置いてある時計を見てそう呟く加江須。あれからもう15分近く時間が経過していた。ただ黄美の姿が見えなくなるまで外で過ごすだけでここまで時間が経つのは不自然だ。
「ハッ! まさかゲダツが出たんじゃ…」
もしかしたらゲダツが出現してどこかで戦っているのかと思った加江須であるが、もしそうならゲダツの気配を自分も感じ取れるだろうし、それに仁乃か氷蓮のどちらかから連絡位は来ると思う。
しかしこのまま待ち続けるのも不安になり、加江須も一緒に外へ出て様子を確かめようと靴を履き始める。
――コンッコンッ…。
「え…? 居間の方から…?」
居間の方から何か硬い物を叩く音が聴こえてきて首を傾げる加江須。
履きかけていた靴を脱いで居間の方へと移動する。
「…何の音だ?」
見たところ居間には誰も居らずただの気のせいかと思うが、再び先程と同じ音が聴こえて来た。どうやら自分の気のせいではなく、よく聴くとガラスを叩いている様な音だ。
居間に設置されている窓の外を見てみるとそこには氷蓮が立っており、手の甲でコンッコンッと窓ガラスをノックしていた。
「氷蓮? 何やってるんだよ…」
早く開けろと未だ叩かれている窓を開き、何をしているのかと加江須が首を傾げた。
「何でこんな所から…普通に玄関から入ればいいのに…」
「しょうがねぇんだよ。入り口ではあの二人が言い争っているからよ」
「なっ! まさか仁乃と黄美が揉めているのか!?」
加江須が氷蓮に状況を尋ねると、彼女は加江須の手を掴んで外へと引っ張り出そうとする。
「説明するよりお前が直接見てみろよ。あの二人はオメーの事で揉めてんだからよ」
「ちょ、靴ぐらい履かせろよ」
「いいから来いよ。足の裏が汚れるくらい大した事はねーだろ」
そう言うと氷蓮は居間の窓から加江須を引っ張り出し、仁乃と黄美の近くまで彼を連れて行くのであった。




