幼馴染と友人と
日も沈んで空が少しづつ暗闇に染まりつつあり、多くの家が照明をつけて家の中から外に漏れた明かりが薄暗い外の世界に点々とほのかな光を灯し始める。
夜になれば昼間は空、もしくは家事を行っている主婦しかいない家々の中からも賑やかな笑い声も外へと漏れ始める。日中に家の外で活動している学生や仕事をしている者達が今の時間は大体が自分の帰りを待っている家へと戻っているからだ。
しかし必ずしも明かりの灯っている家の中から楽し気な笑い声や会話が聞こえてくる訳でもない。
新在間学園に所属している加江須の自宅では、この家の住人である加江須が気まずそうに座っている。
そんな彼の視線の先、居間の中央に置いてあるテーブルには3人の女性がそれぞれ向かい合って座っていた。
「「「………」」」
無言のままテーブルを挟んで座っている3人の女性、1人は加江須の幼馴染である黄美、1人は同じ転生者である仁乃、そして1人は今日寝床として家に泊まりに来た氷蓮であった。
しかしこの中で氷蓮だけは視線を下に向けており、他の2人はそれぞれ睨み合っている状態であった。
「(き、気まじぃ…。何で俺までこんな胸の内が重くなる思いしなきゃなんねぇんだ。やってられっか!!)」
3人の中で氷蓮は息苦しさからその場を離れて離脱し、加江須の隣まで移動して避難する。
「たくっ…おい何とかしろよ加江須。あの黄美って女、お前の幼馴染なんだろ?」
「そうしたいが…あの二人の間に入る勇気が起きない。情けない事だが……」
「ほんと情けねぇな。まあでも…今のあの二人には近づきがたいのは分かるけどよぉ…」
そう言う彼女の視線の先では未だに黄美と仁乃が火花を散らし合いながら睨み合っていた。
氷蓮が加江須の隣まで避難した数十秒後、最初に口を開いたのは黄美の方であった。
「えっと…伊藤さんだったわね。あなた、カエちゃんと一体どういう関係なのかしら?」
そう言って黄美は口元だけ笑みを作り、光を宿していない瞳を向けて加江須との関係を尋ねる。
薄暗い瞳を向けられながら質問をされる仁乃。だが彼女は不気味さを感じる視線で貫かれつつも堂々としており、自分のツインテールの毛先をいじりながら返答する。
「加江須とは友人よ。クラスは違うけど少し前から知り合ってそれなりに仲良くしているわ」
「そう…。それなりに…ね…」
仁乃のそれなりと言う言葉にクスリと笑う黄美。
彼女の反応にピクッと眉が一瞬だけ動く仁乃。その後にすかさず加江須とこれまでしてきた事を話し始めた。
「加江須とは知り合ってから休日に遊びに行ったり、それにファミレスで一緒に食事もしたかしらね。まああなたには関係ないけど一応私とあいつがどういう関係か知りたがっているみたいだからね、あいつとこれまでして来た事を話しておくわ」
仁乃が早口で話し終えると今度は黄美の眉がピクッと動いた。
「へぇ…随分とカエちゃんと仲良くしてるみたいね。あくまで〝友達〟として」
友達と言う部分だけ若干声量を上げて言う黄美。
その後、再び静寂に包まれ無言のまま相手を見つめる、いや少し睨みつけている様にも見える。
周囲の空気がより一層ピリピリとし、流石にこれ以上は不味いと思った加江須がここに来てようやく二人の間に割って入る。
「ま、まあまあ二人とも落ち着いてくれ。黄美、彼女自身が言っていた通り仁乃は俺の友人だ。あんまり邪険に扱わないでくれ」
加江須がそう言うと、今まで黒い雰囲気を纏っていた黄美は注意されてしゅんとなる。一方で仁乃も仁乃で少し大人げないと思ったのか今まで纏っていた威圧感を解放した。
二人の少女の睨み合いによって生み出されていた険悪な空気が一度払拭してくれたおかげでようやく氷蓮も胸をなでおろす。
「ごめんなさいカエちゃん。少し周りが見えなくなっていたみたい」
そう言って黄美は仁乃にではなく加江須に頭を下げる。
完全に加江須の事しか見てないその態度に仁乃の中にまた苛立ちが芽生え始めるが、たった今諫められたばかりでまた食い掛れば加江須にも迷惑がかかると思いこらえる。
「(何よ…今まで加江須に対して散々な態度取っていたくせにカエちゃんなんて……)」
加江須に幼馴染である彼女ともう一度話し合ってみるべきだと自分は後押しをした立場ではあるが、自分たちの事をまるで見ようとしていない振る舞い方はどうにも気に入らない。
そんな彼女の不満などに気付かず、黄美は持ってきた食材を入れた買い物袋を手に取ると加江須に言った。
「じゃあ今からご飯作るからねカエちゃん♪ 少し待ってて……」
しかし黄美よりも先に仁乃は自分が家から持ってきた食材の入った袋を手に取ると、先に台所へと向かっていく。
「じゃあ加江須、台所借りるわよ。わざわざ家から食材持ってきて料理してあげるんだから感謝しなさいよ」
「! …ちょっと待ってよ。それは私の役目なんだけどッ」
自分の食材を持って同じように台所へと駆け込む黄美。
二人は再び火花を散らし合いながらそれぞれが急いで調理に取り掛かる。
「あら無理しなくてもいいのよ愛野さん。加江須に料理なら私が作ってあげるんだから」
ジャガイモの皮を高速で向きながら仁乃が引っ込んでいろと目で訴える。
「あなたこそくつろいで待っていていいのよ。カエちゃんには幼馴染たる私が料理を作るから」
そう言いながら黄美はキャベツの皮をむき、包丁でキャベツを一定の幅で切っていく。
二人はそれぞれ隣の相手に対抗意識を燃やしながら器用に料理をこなしていく。
その光景を見ていた氷蓮は調理中の二人と加江須の事を交互に見ながら小さな声で呟いた。
「一人の男の胃袋を掴もうと必死だな…」
「え? 今何か言ったか?」
普段ならば聞き取れるのだが、今は黄美と仁乃の二人が心配で意識をそっちに集中していたため氷蓮の漏らした言葉を聞き流してしまう。それに対して氷蓮は『何でもねーよ』と言って床に寝転がり始める。
「とにかく今は料理が出来るまで大人しくしているこった。下手にお前が何か言うとかえって刺激しかねねぇからな」
欠伸交じりにそう言うと氷蓮はそのまま横になってしまう。
流石に同じように寝転がる事は出来ないが、今自分がする事もないので大人しく座って待つことにする加江須。その隣では今しがた横になった氷蓮が可愛らしいイビキをかいていた。
「(この空気の中で良く寝れるなこいつ。ある意味では大物だぞ…)」
◆◆◆
黄美と仁乃の調理中眠っていた氷蓮は夢を見ていた。
それはかつての自分の送っていた生活――まだ家族が〝生きていた〟頃の生活を送っていた時の自分の記憶……。
きちんと屋根のある自分の住んでいた家で父と母と自分、三人で食卓を囲み、ありふれた家族同士の会話をしていた。学校であった事を父や母に楽しそうに話し、笑顔で食卓を囲んでいた頃の自分の笑顔が映し出された。
――『何で今更こんな夢見てんだよ俺は。もうとうに捨て去った過去の情景が映し出されるなんて……最悪の夢……いや悪夢だぜ』
楽しそうに笑う三人に怒りすら感じ始めるが、目の前で映し出されている光景が徐々に消えて行き、そしてどこか遠くから自分を呼ぶ声が聴こえる。
――『この声…加江須か?』
どこからともなく聴こえて来た声の主が分かると同時に夢の世界から氷蓮の思考が消えた。
◆◆◆
「おーい起きろ氷蓮。もう食事が出来たぞ」
横になって寝ている氷蓮の体を揺すりながら寝ている彼女を起こす加江須。
しばらく揺さぶっていると、口をムニムニと動かした後、けだるげに瞼を上げて加江須の方へと視線を動かす。
「ん…あー…」
まだ半分眠っている意識を徐々に覚醒させつつ周囲を確認する氷蓮。そのまま体を起こすと何やら美味そうな臭いが鼻孔をくすぐり、半ボケの意識が一瞬で覚醒した。
「うおっ、美味そうじゃねぇの!」
テーブルの上に並べられている彩とりどりの料理に目を奪われる氷蓮。
机に皿を並べていた仁乃が食べ物を見て一瞬で目覚めた事に対して思わず呆れてしまう。
「ファミレスでも思ったけど食に対して貪欲なのねあんた…」
「いいだろ別に。それにしてもこれ半分はお前が作ったんだよな? 料理上手なんだなお前…」
「どういう意味よそれ! そういう事言うならあんたには食べさせないわよ!」
そう言って仁乃は自分の作った料理の一品の皿を持ち上げて自分の手元に寄せる仕草をすると、まるでお預けを喰らった犬の様に氷蓮が慌て始める。
「ああ悪かったって! 謝るから俺にも食わせてくれ!!」
「たくっ…初めからそう素直な事だけ言いなさいよ」
普段は口喧嘩ばかりしている二人だが、今だけは何だか母親と娘の様に見えて何だか微笑ましく思えてしまう加江須。
そんな二人の事を放っておき、黄美は加江須の元まで行くと座る場所を誘導する。
「カエちゃんほら座って。さあさあ」
そう言いながら黄美はちゃっかり加江須と並んでテーブルに着くと、先を越されたと仁乃が少しショックそうな表情を見せる。
「愛野さん、二人で並んで座ると狭いんじゃないかしら? 丁度4人なんだからそれぞれが対面になるよう座った方がいいんじゃないかしら?」
「心配しなくても二人分位のスペースは確保できるわ。それとも私とカエちゃんが並んで座ったら何か不味いのかしら?」
そう言って黄美はまるで見せつけるように加江須に更に密着して挑発的な笑みを浮かべる。すると仁乃は食器を全て並べた後、加江須の右隣に座っている黄美とは逆に加江須の左方向に移動しそのまま何食わぬ顔で座った。
「……伊藤さん、流石に三人横並びで座るときつい気がするんだけど?」
「あらそう? 私は全然窮屈に感じないけど…気になるなら愛野さんが他に移ったらどうかしら?」
「(俺を真ん中に挟んで言い合いをしないでくれよ…)」
再び黄美と仁乃が互いに敵意をむき出しにして睨み合う。その中央に居る加江須は食事前だと言うのに胃がキリキリと痛み、思わず氷蓮に助け舟を求めて彼女を見た。
しかし氷蓮の視線はテーブルの上の料理に釘付けとなっており、加江須の助けを求める視線にそもそも気づいていなかった。




