幼馴染との電話
「………」
自分の部屋の虚空を見つめながら虚ろな瞳をしている少女が居た。そう、加江須の幼馴染である黄美である。
ベッドの上で体育座りをし、学校から帰って来たにもかかわらず、未だに制服を着替える事もなく自分の部屋に戻って座り続ける黄美。彼女は座り続けてからそのまま人形の様にほとんど身動きを見せなかった。一定の間隔で行われる呼吸やまばたき程度の動きしか見せない少女は自分のかつての記憶を思い返していた。
「カエちゃん…」
今まで黙り込んでいた黄美はかすれる様な声で幼馴染の名を呼んだ。
「分かってるよ。これは私の自業自得なんだよねカエちゃん…」
彼に対して散々な態度を取り続けて来たのだ。それなのに今更自分は彼に対して必死になり話をしようとする。言葉を交わそうなどとしている。普通に考えればどの面を下げて、と思うだろう。いや、実際カエちゃんだってそう思っているに違いない。
本当は大好きだった。まだ小さな頃の自分はあんなにも素直に彼に接していられたはずなのに、どこでどう自分はこんなに嫌な女になってしまったのだろう。もしも変わり始めた自分が目の前に現れたのなら引っぱたいて非難したい気持ちだ。
「いまさら何を考えてるんだろう。きっともう…何もかも手遅れなのに……」
最近は友人である愛理が自分を心配して接してくる回数が増えた。
こんな個人的な事で迷惑を掛けたくないと思い、何でもないと誤魔化してはいるが様子がおかしい事はもうバレているようだ。
――ポタ……。
気が付けば黄美の瞳から一筋の涙がこぼれ、それがベッドのシーツの上に落ちた。
その後もしばしの間、ベッドの上から動かずただひたすら時が無駄に流れて行く。
気が付けば彼女はもう2時間以上もの間、ベッドの上から降りもせずに座り込み続けていた。ただ、座る前とは違い彼女の座っているベッドシーツの上には点々と小さな染みが出来ていた。
彼女が無言のまま座り込んでいると、机の上に置いてある彼女のスマホが鳴り始める。
「………」
悲しみに暮れる自分の心情などお構いなしにスマホは着信音を鳴らし続ける。
あまり動く気になれずしばしベッドの上で座り続けていたが、いつまでも鳴りやまないので仕方なく電話に出ようとベッドを降り、億劫な気持ちでスマホを手に取る。
「……もしもし?」
覇気がまるで籠っていない、力の抜けた声で電話に応じる黄美。
だが、生気を感じない彼女の様子はスマホ越しから聴こえて来た声で一変する。
『……もしもし?』
「!?」
まだ名前を名乗ってもいないにも関わらずに相手が誰なのかを理解する黄美。
電話に出る際に彼女はスマホの画面を見ていなかったので慌ててスマホに出ている電話の相手の名前を確認する。
スマホの画面に映っていた名前、それは自分が今一番話をしたかったある少年の名前であった。
「カ、カエちゃん?」
震えながら相手の名前を確認する黄美。
「カエちゃんだよね。そ、そこに居るのは…」
『…ああそうだ。俺だよ…』
電話の向こうで加江須が肯定の返事を返すと、黄美は半ば取り乱したように態度を豹変して加江須に話し掛ける。
「もしもしカエちゃん! ごめ、ごめんなさい!! 今までずっと傷つけてきて本当にごめんなさい!! 信じてもらえないかもしれないけど心から反省してるの! だから…だからこのままもっとあなたと話をさせて。 もっと…もっとあなたと一緒の時間を過ごさせてください……うっ…うう……」
『……黄美』
電話越しでは加江須は息をのんでいたが、それは黄美の嗚咽によってかき消された。
「私…今とても嬉しいよ。カエちゃんの方から…うぅ…カエちゃんの方から電話をくれて嬉しい。私にはあなたと会話する喜びを嚙みしめる資格なんてきっとないんだろうけど……うれ…しい…」
『そうか…。なあ黄美、少しお前と話がしたいんだ』
加江須のその言葉に黄美は心底嬉しそうな顔をし、何度も何度もその場で頷きながら彼の言葉を喜んだ。
「うん、うんうんうん! 私も話がしたい! もっともっとカエちゃんと話がしたい!!!」
自分の持っているスマホを強く握りしめながら、涙声で必死に自分の意思を彼に伝える黄美。
彼女は大粒の涙を流しながらスマホの向こう側に居る加江須に必死に話しかける。涙は手元に零れ落ち、スマホの画面にも点々と雫が落ちて濡らしていた。
『黄美、もし俺と話をする機会をくれると言うなら明日の放課後、学園の屋上へと来てほしい』
「明日なんて言わなくてもいい! 今、ここであなたと話をし続けたいの! カエちゃんが私に言いたいことがあるなら全部言って!! これまでの私の行動に怒っているならその怒りを全部私にぶつけて!!!」
いきつく暇もないほどに黄美は必死に電話の向こうに居る加江須へと言葉を送り続ける。
矢継ぎ早にしゃべられ続ける黄美の言葉を加江須は無言で聞き続け、彼女の言葉が一度区切らると今度は加江須が話しかける。
『電話越じゃない、直接顔と顔を合わせて話し合いたいんだ。それじゃ嫌か?』
「嫌じゃない嫌じゃない! 私だって電話よりもカエちゃんと顔を合わせてちゃんと話し合いたいよ!!」
『そうか…じゃあ明日の放課後に屋上で……』
「うん! 絶対に放課後すぐに向かうから!!」
黄美が必死にそう言って加江須に約束をする。
彼女からの約束を聞いて加江須が電話を切ろうとするが、その前に最後に1つだけ彼は今すぐ確認したいことがあり、通話を切る前に1つだけ質問をする。
『なあ黄美…お前は俺と出会った事が人生の汚点だと思うか?』
かつて転生前の彼女に加江須は自分と出会った事を汚点と罵られた。しかしそれは転生前の彼女に言われたのであり、この電話をしている黄美に言われたわけではない。だがそれでも…黄美の口から答えを聞きたかった。
加江須に質問を投げかけられた黄美は迷う事もなく即答で答えを伝える。
「そんな事微塵も思ってないよ!! カエちゃんと出会えた事をそんな風に思うなんて絶対にありえない!!!」
『……そうか』
加江須は短くそう答えると、一言『おやすみ』と言って電話を切った。
通話の切れたスマホを眺めながら黄美は少しの間とは言え加江須と話をできた事に安堵をした。もう二度と彼とはまともな会話なんて出来ないのではないかとすら思っていたのだ。しかしまだ彼が完全に自分を見放していないと知って安心から腰まで抜ける。
「カエちゃん、まだ私を見てくれていた。明日の放課後、今までの事を全部謝って、カエちゃんの言葉を一言たりとも聞き逃さないようにして…それから、それから……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔をしながら黄美は明日、自分がなすべきことを指を折りながら一つ一つ確認をし始めた。
夕暮れ空はすっかり暗くなり、電気もつけずに薄暗い部屋で黄美は明日の放課後の事だけを考え続けるのであった。
◆◆◆
黄美との通話が終わった後、加江須は彼女が自分に必死に縋り付くように言葉を送り続けていた事を思い返していた。
スマホを通して聴こえて来た黄美の声は始終震えており、涙交じりに自分と必死になって話をしていた。話し早々に彼女の方から求めていた訳でもない謝罪をし、まるで半狂乱になったように取り乱しながら必死に自分との会話を続けようとしていた。
改めてそんな彼女の事を考えると、転生前に自分が見ていた黄美とはまるで別人としか思えなかった。
「いや…それとも今までの冷酷な黄美の方が借り物だったという事か……」
交通事故で瀕死の自分の事を懸命に呼びかけていた時の彼女も声は聞こえずともひどく取り乱し、そして自分の手を握り涙ながらに心配そうな眼で見ていた。
もしもあの姿こそが黄美の本当の自分だとするのであれば、蘇ってから自分が彼女に取っていた態度はそうとう彼女の心に苦痛を与えたのかもしれない。
「……つまり俺は黄美に対して同じ事をしていたという訳か。自分が散々苦しめられた事を知らずの内とはいえ俺自身がしていたなんて……」
仁乃に後押しをされなければ今日だって彼女に電話を掛ける事もなかった。いや、究極的に言ってしまえばこの先もう彼女とまともに話す事すらせずにいたかもしれない。それはつまり、自分の受けた苦痛をこの先の学園生活が終わるまでずっと彼女に与え続ける事になったという訳だ。
「もう一度…もう一度黄美とちゃんと話し合うぞ加江須。彼女の罵倒がただの照れ隠しなら、それを誤解して真実だと思い続けるわけにはいかないからな」
自分にそうやって言い聞かせる加江須。
しかしやはり緊張しているのか彼の手は少し震えており、両手で自分の手を強く握り震えをこらえながら改めて口にする。
「大丈夫だ……何も怖がる事はないぞ加江須」
◆◆◆
加江須と黄美が連絡を取り合っている頃、その二人に話すきっかけを作った仁乃は入浴中であり、浴槽の中に浸かりながら今日の出来事を思い返していた。
「加江須…大丈夫かしら…」
彼女は不安そうな声色で加江須の事を心配していたのだ。
恐らく明日にでも彼は幼馴染と話し合う場でも設けるのかもしれない。だが、今日の子供の様な涙を流していた姿を思い出すとどうしても不安が消えないのだ。
「う~……それにしても余計な事しちゃったかなぁ~……」
しかし冷静になって考えてみれば自分は加江須の事が好きなのに、彼がかつて好きだった幼馴染との仲を取り持つ様な真似をするなどどうかしている。恐らくだが彼の幼馴染は加江須に対して好意を抱いていると思う。そうなれば自分の行為は敵に塩を送ってるようなものだ。
「まあ…いいかな…」
湯船に口元まで体を沈め、ブクブクと泡を吹きながら困り顔で笑う仁乃。
もしもこれで加江須とあの黄美という娘が結ばれたときは潔くあきらめよう。もちろん自分も彼の事が好きではあるが、加江須が誰を選ぶかは彼の決める事だ。
「失恋でもしたときは日乃に愚痴でも聞いてもらおうかな…あはは…」
そうな事を言いながら仁乃は思いっ切り湯船の中に潜り、頭のてっぺんまで湯に浸かった。いつの間にか潤んでいた自分の瞳を拭う為に……。




