口約束なんて守られないもの
目の前で醜悪極まりない笑顔を向けながら死を宣告して来た蔵嗚に花宮は肝を冷やしていた。
いつもクラスで縮こまっている彼とは似ても似つかない迫力に完全に気圧されていた。しかも今の蔵嗚は完全に頭のネジが外れていると言えるだろう。何食わぬ顔をしながらクラスメイトの片目を潰すなんてまともな神経の人間に出来る事ではない。
そしてこのままでは自分と真瀬も五十里の様な凄惨な目に遭わされるかもしれない。
「ま、待て。待ってちょうだいよ一翔。少し落ち着ていて話し合いましょう」
何とか話し合って場を治めようと考える花宮は出来うる限り蔵嗚の事を刺激しない様言葉を選んで話し掛ける。何か一つでも機嫌を損ねる事を口にしてしまえばその瞬間にどんな悲惨な目に遭わされるか分からないからだ。
だが事を穏便にしようとする花宮と違い恋人を傷つけられた真瀬は怒りの咆哮を蔵嗚へと叩きつける。
「よくも、よくも私の成田を!! 許さない、お前だけは許さない!!」
「身動きが取れない状態で随分と吠えるじゃないか。まるで狂犬だな」
怒りと悔しさから涙を零しながら慟哭をぶつける彼女に対して蔵嗚はケラケラと指を差して嘲笑う。そんな彼の姿に真瀬はギリギリと歯ぎしりをする事しか出来なかった。
「チクショウ…ねえモモっち…アンタもコイツと同じ思いなの?」
「わ…私は……」
親友だと思っていた筈の桃香はこの状況でも蔵嗚の暴虐を止めようとしない。友人である自分の恋人が傷つけられているにもかかわらず彼女はただ傍観しているだけ、いや自分と花宮の助けを求める声を無視している以上は敵と言っても過言ではない。
「マジでさいっあく…! 私も花宮もアンタの事を仲の良い親友だと思っていたのに……」
「ッ……」
酷い裏切りを受けた気分に陥った真瀬は桃香に対して射殺さんばかりの敵意をぶつけてやる。
何も答える事も出来ず気まずそうに視線を逸らす桃香を見た真瀬、もうこの女は自分たちの完全な敵であると認識する。これまでコイツと一緒に笑い合っていた思い出すらも吐き気がする。今すぐにでも彼女との思い出を消去したくすらなる。
桃香に裏切られた事に対して真瀬が予想以上に憤りを抱いていたので意外そうな顔をする蔵嗚。
「へえ…お前は桃香の事を親友だと思っていたのか?」
「当り前じゃん。いつも教室で楽しくおしゃべりをして…一緒に机を並べてお弁当食べて…カラオケにだって皆でよく足を運んでもいた。でも…その思い出全てがもう完全に私にとっては反吐が出そうな程に最低最悪の記憶に改変されたよ…! この裏切り者……!!」
まるで吐き捨てるかのように彼女は蔵嗚ではなくその背後で俯いている桃香に嫌味ったらしく呪詛の様に吐き出してやる。
涙を流しながら下唇を噛んでいる彼女の姿を見て蔵嗚は過去の自分を重ねていた。
なるほどなぁ……。親友に裏切られる苦しみは俺も理解している。ありゃ下手な肉体的な痛みなんぞ比較にならない程に苦しいよなぁ。
今の真瀬と同じように自分だってもっとも信頼していた幼馴染の二人に裏切られた。最高の親友と最愛の恋人だと信じて疑っていなかった。だがそんな自分の信頼は一方的で騙され続けていたと知った時は足元が崩れる程のショックを感じた。
情けない話だが二人に裏切られた日の事を鮮明に思い返そうとすると今でも吐き気が込み上げてくる。実際に一週間近くは家に戻ると洗面台で吐き戻していたくらいだ。
あの絶望に染まっていた日々は何も信じられない自分であったが、いざその裏切りが自分の憎らしい相手が味わっていると思うと心底心地よかった。
さて…だがまだコイツの殺害を行うには早い。死の前に更に大きな絶望を真瀬には骨の髄まで味わってもらおうか。
「おい真瀬、仲の良かった桃香に裏切られた事にショックを受けている所悪いがまだお前は真の絶望を味わっていない」
「はあ? これ以上私をどう追い詰めようって言うのさ…アンタが拷問でもすんの?」
半ばやけくそ気味になりながら皮肉気に笑っている真瀬。
この状況でもまだ口元に脆弱ながらも笑みを浮かべられるのは余裕が残っている証だろう。だがすぐにその表情は崩れる事になる。
「お前は桃香に裏切られたと思っているが……まさかコイツだけしかお前を裏切っていないと思っているのか?」
蔵嗚からの問いに彼女は眉を寄せる。その言い方ではまるで桃香以外にもまだ自分を裏切っている人物が居る様ではないか。
訳も分からず黙り込んでいるとここで今までぐったりとしていた五十里の意識も戻り始める。
「う…うん……?」
「せ、成田!!」
呻き声と共に体を起こし始める恋人に思わず真瀬の表情が綻びかける。
「よお、おはよう五十里君」
「ひっ……」
目覚めて最初に視界に入ったのは自分の片目と片脚を潰した男の顔だった。
目の前で薄く笑っている男の顔を見て五十里はガタガタと震える。だがそんな彼に対して蔵嗚は慈悲を与えて来たのだ。
「なあ五十里、今から俺の質問に正直に答えれば命だけは助けてやる」
「な、何だ? 何だってガチで答えるから……」
自分に垂らされた救いの糸を掴むことに必死となり彼には後ろで縛られている恋人の姿すら見えなかった。潰された片目と脚の痛みすらも気にならない程に彼の言葉に意識を傾けて必ず助かるんだと言う生への執念を見せつける。
そして蔵嗚が口を開こうとするが真瀬からの横やりが飛んできた。
「ねえ助けて成田! コイツをやっつけてよ!!」
自分を助けて欲しいと恋人である彼に懇願するがその願いを彼は一蹴した。
「五月蠅い! お前なんかに構っていられるか!!」
返って来た想像もしていない言葉に真瀬は悲しげな顔をして固まってしまう。
後ろでギャーギャーと騒いでいる真瀬を黙らせると彼は蔵嗚に向き直り質問に答える姿勢を見せる。
「よっぽど助かりたいんだなお前。まあいい、それならこの質問にも躊躇いなく答えられるよな?」
そう言うと彼はさっそく本題を叩きつけてやる。
「なあ五十里、お前ってそこに居る真瀬以外にも付き合っている女が居るよな? つまり浮気しているよな?」
実は蔵嗚は休日に偶然にも彼が真瀬とは完全に別人である他の女性と仲睦まじく歩いている現場を目撃したのだ。しかしあの時は学園で悪人に仕立て上げられていてとても他の人間の浮気を詮索する気力などなかった。まさかあの時偶然目撃したこの事実がこの場所で真瀬をより一層苦しめる材料となるとは当初は考えてもいなかった。
あの時に自分の見た光景が本当に浮気か否か、それをこの場で五十里の口から真実を告げてもらおうじゃないか。
蔵嗚のぶつけたこの質問に一番動揺を見せたのは張本人の五十里ではなく恋人である真瀬であった。
「え…? 何言ってんのよ? 成田は私の恋人よ。他に付き合っている人間なんているはずないわ……」
そう言いながら涙で濡れた瞳に半笑いの口元、まるで壊れかけの人形の様な彼女が蔵嗚の言葉を否定してやった。だがその直後、自分の最愛の人が信じられない暴露をし始める。
「はいその通りです。俺は真瀬以外にも時々複数人の女性と密会していました」
「え…え…? 何を言っているの成田? 分からない…全然わからないよ?」
半笑いを浮かべたまま何かの間違いだと縋るような眼で彼を見る真瀬であるがそんな恋人など放っておいて五十里は自分の全てを赤裸々に語りつくす。そうしなければ生き残れないのだから。
「正直な話ここに居る真瀬だけじゃ物足りなかったんです! だから俺は時折刺激欲しさに他の女と淫らな関係を築いていました! 他にも知りたい事があれば何でも訊いて下さい!! 全てを包み隠さずに答えますのでどうか命だけは!!」
その場で土下座をしながら五十里は助かりたいがためにベラベラと自分の秘め事を口にする。
あまりにも浅ましいその姿を見ている花宮は軽蔑の籠った視線を向けており、逆に蔵嗚はそんな惨めな彼を見て愉快そうに笑っている。
そして親友に引き続いて恋人にまで、しかも知らない間に何度も裏切られた事実を突きつけられた彼女はもう笑う事しか出来なかった。
「はは…ハハハ……アハハハハハハ……」
まるで壊れたラジオをのように乾いた笑い声を出し続ける事しか出来なくなる真瀬。
「ちょっとしっかりしなさいよ真瀬!!」
「えー…? あはは……?」
もう正常に思考が纏まらなくなった彼女は花宮の言葉も上手く理解できずに笑い続ける。もう完全に壊れた彼女を見て蔵嗚が少しばかりの後悔をする。
「何だよ…コイツ完全に精神がぶっ壊れて終わったぞ。つまらないな…」
本来の目的であれば心を限界まで擦切らせた後に殺そうと考えていた蔵嗚であったが、まさか自分が手を下す前に完全に壊れてしまった事を残念そうにしながら彼女の頭部を鷲掴みにしてやった。
そして彼が能力を発動すると次の瞬間には彼女の全身に神力が流れ込み、その結果彼女の肉体は肉眼で捕える事も出来ない程に細かく分解されてしまう。
「な、何なのこれは!?」
素粒子レベルで分解されてしまった友人を見て花宮が混乱に陥る。
まるでテレビで見慣れているマジシャンの様に人を消してしまい桃香以外の二人は目を白黒させている。
そんな二人の反応を愉しみつつ今度は土下座の体制を取っている五十里の頭部に手を置いた。
「あ、あの…何をしているのでしょうか?」
「ん? お前も恋人みたいに塵にするんだよ?」
「ど、どうしてですか!? ちゃんと質問にも嘘偽りなく答えたじゃないですか!!」
助かりたいがために恋人の前でも全てをぶちまけたのにこれでは約束が違うと訴える五十里だが、そんな彼に対して蔵嗚は醜悪な笑みをぶつけてこう口にする。
「バーカ、テメェとの約束なんて守るわきゃねえだろ」
「そんな…お願いします。助けてくだ……」
彼が最後まで言い切る前に蔵嗚は容赦なく能力を発動して彼も恋人同様に分解してしまったのだった。
残り復讐者の人数――23人。




