これが俺の過去だよ
氷蓮の口から語られた過去は加江須が想像していた以上に苛烈なものであった。
最初は家出と言う事で複雑な家庭環境なのかとも考えていたがそんな生易しい話ではない。まさか実の両親がもう殺されていたとは……。
加江須は恋人が想像以上に凄惨な過去を打ち明けたので下手に口を挟むことも出来ずにただ聞き入る事しか出来なかった。
「…続き話しても良いか?」
それまで自分の過去を口にしていた彼女がここで加江須の様子を窺うかのように覗き込んできた。どうやら無意識のうちに自分はしかめっ面の様な顔をしていたようだ。
加江須としては氷蓮がこれ以上過去話をすることで傷口を掘り返されると言うのは御免だ。それならもう話さなくても良いと思っている。だが当の本人はここまで話したのなら最後まで聞いて欲しいと訴えているのでそれを無下には出来ない。
それになんだかんだ言い訳をしても結局は加江須だって彼女の過去は知っておきたいと言う気持ちはあるのだ。
「悪い…続きを聞かせてくれてもいいか?」
結局は話の続きを耳にする方を選んだ加江須。
そして彼女の口から話の続きが再開される。だがそこから続く話の内容は更に酷い物で全てを聞き終わった加江須は怒りに顔を歪めることになる。そもそもの過去話をするような流れを作った自分自身を叱責すらした。
途中で話を切る前、氷蓮は深夜に押し入って来た強盗に両親を殺されしかも彼女まで腹部を刃物で刺されたと言っていた。
腹部を強盗の手によって刃傷された氷蓮はそのまま意識を失い、次に目が覚めた時には病院のベッドの上だった。
真っ白な布団をはぐって体を起こして周囲を確認すると衛生感が漂う白が強調されている室内に居た。ここが病室である事は瞬時に理解した氷蓮であるが一体誰が自分をここに運んだのかと言う疑問が頭に浮かぶ。だがその疑問が頭の中を占めていたのはほんの数十秒程度、本当に自分が今考えなければならない疑問が一気に頭の中に浮かんでくる。
――寝室内で真っ赤な体液を流しながら真っ青な顔をしていた両親の姿だった。
あの絶望一色の光景を思い返して半ば錯乱したかのようにナースコールのボタンを押す。するとあっという間に二人の人間が自分の病室へとやって来た。
部屋へと踏み込んで来た人物のうち1人は言うまでもなく看護婦、そしてもう1人は身に着けている制服から警察である事が一目でわかった。
慌てている自分を見てすぐに看護婦はあまり騒いではいけないと注意を入れて来る。だがそんな看護婦の言葉よりも警察がこの場に居る事の方が氷蓮にとっては重要だ。
彼女が何故この場に警察が居るのか、そう尋ねるよりも先に相手の方が自分から事情を説明し出す。ついでに自分がどうして病院に居るのかについても含めてだ。
あの夜に氷蓮は眠っていて気付かなかったが寝室では何やら言い争いが起きていたそうだ。十中八九あの強盗と両親が争っていた際の声だろう。その言い争いを隣の家で夜更かしをしていた住人が偶然にも聴いていたそうだ。しかもその後に悲鳴まで聴こえて来たので警察に通報していたそうだ。
その人物が警察に連絡をしていた頃に氷蓮が刺されそのすぐ後に警察が駆けつけて来たそうだ。そして家内へと踏み込み大量に失血している彼女と両親を見つけ病院に通報したそうだ。
そこまで話を聞いて彼女はもっとも自分の知りたい事を警察や看護師に質問する。
「両親はどうなったんですか……?」
これこそがもっとも彼女の知りたかった事である。
彼女のこの問いに対して警察と看護婦の二人は気まずそうに目を伏せた。その仕草一つで言葉にせずとも彼女には全てが伝わって来た。だがそれでも…それでもまだ口にしていないのでギリギリの狭間で理性を保っていられた。だが――警察の男性は残酷すぎる事実をありのまま伝えた。
「残念ながらご両親の方は出血が多すぎて病院に来た時には既に……」
それ以上は何も言わなくても察せられるはずなので直接的に死んだとまでは口にしない警察。
その後に警察は色々と話していたが全て一方的な感じで氷蓮はロクに受け答えなど出来なかった。少し前まで普通に笑っていた家族がもうこの世には居ない。その事実は彼女の心を砕くには十分過ぎたから……。
警察の話では犯人の男は逃走中で未だ捕まっていないとか、犯人の顔などを目撃したかとかそんな感じで事情聴取を受ける事になるが彼女は呆然とし続ける事しか出来なかった。何よりも相手の男はフードを被っていてマスクにサングラス、顔なんて見てはいなかった。ただ目印としてはサングラスの下から見えた大きな泣きぼくろが3つあった事だろうが、当時はその事を話す気力も無かった。
警察や看護師が立ち去った後にポツンと独りきりとなった病室でようやく我に返った彼女は今更ながらに遅れて大号泣した。
決して信じたくなどなかった。絶対に受け入れたくなどなかった。どうして自分の両親が死ななきゃならなかったんだ。
ここまでの話を顔に影を差しながら話をしていた氷蓮だがこの辺りで表情に悲しみが濃くなってきている。
かつての胸が張り裂けそうな病室での心情を深く思い出して苦しんでいる恋人が見ていられず思わず道端である事も忘れて彼女を抱きしめていた。抱きしめてみると彼女の体は少し震えておりもうこれ以上は何も言わなくても良いと加江須は口にした。
「ごめん氷蓮。お前にとってもっとも苦しい過去を無神経に尋ねたりして本当にごめんな。もう何も話さなくてもいいから…」
「いやここまで口にした以上は頼むから言わせてくれ。それによ、独りで抱え込むってのは中々に辛くてよ……出来る事ならもっとも信頼しているお前に愚痴りてぇんだよ……」
彼女のこの過去に関しては居候先の余羽にすら話した事はない。確かに余羽にも過去を尋ねられた事はあるがはぐらかしてしまった。
だが辛い過去を胸に仕舞い込み続ける事もかなり精神的には気苦労があるものだ。もちろん過去を知られたくないと思う者も居る。だがその逆に自分の苦しみを吐き出して受け止めて欲しいと言う願望を持つ者も居る。前者と後者で言うのであれば氷蓮は後者だろう。
今まで秘密にし続けていたこの苦しみを加江須に受け止めて欲しいと女々しいと感じつつも氷蓮は望んでいた。
そんな彼女の胸の内を察っせれたから加江須はしばし抱きしめ続けた後に彼女の体を離し、そして続きを話すかどうかを彼女に委ねる。
加江須は何も言わない。決して催促はしない。まだ自分の苦しみを聞いて欲しいなら聞く。逆にもう話したくないならこれ以上は何も聞かない。その姿勢で彼女の瞳を見つめ続ける。
「……俺はしばらく入院した後に退院してさ、それで家に戻ったんだよ」
どうやら氷蓮はまだ話を続行して自分の苦しい過去を全て打ち明けるつもりみたいだ。
半ば呆然となりつつある状態で家に戻った彼女は静寂に包まれている家に戻るとまた涙がぶり返して来た。まだ中学生であった氷蓮にいきなりの家族消失など簡単に受け入れられる次元の話ではない。それからは祖父が援助してくれたがその祖父もかなりの高齢で数か月後には天寿を全うした。
父親と母親は身勝手な理由で奪われ、父親の祖父と祖母は旅立った。そして母親の方の祖父母は既に事故死で他界しており彼女は中学と言う若さで完全に天涯孤独になってしまっていた。いや、正確に言えば天涯孤独ではないとも言える。
彼女の父親の弟、つまりは叔父の存在がまだあったのだ。だがその叔父と言うのは一言で言うなら人間の屑とも言える。まだ父親が生きている頃には自宅に数度金の無心をしていた男だ。しかも家に来るたび自分に汚れた眼を向けられたこともあって苦手、いやそれを通り越して嫌悪すらしていた。
そして家族を全て喪った彼女の元にその叔父がやって来たのだ。間違いなく自分に遺産相続された金が目当てだろう。面倒な父が他界した事でその叔父は氷蓮の家まで押しかけて来たのだ。挙句にはその家に居座ろうとして来たので彼女は追い出そうとする。だが逆らった彼女には叔父からの鉄拳制裁が加えられ最後には言いなりとなってしまったのだ。
今の氷蓮ならば叔父など一捻りだろう。だが当時の中学時代の彼女には抗いようがなかった。ましてや家族を失った悲しみが抜け切っていないのであれば……。
「だから俺はそんな生活が嫌だから家を出たんだよ、高校も辞退してな。叔父のヤツもベタベタ色々触って来てキモかったし…」
「………」
「アイツには遺産も家もくれてやるからもう俺の前に顔出さないでくれって言ったら納得してくれたよ。元々は金が一番の目当てで近寄って来たクズだったしなぁ」
氷蓮が力なく笑いながらそう言うと加江須は怒りを表情に滲ませる。
ふざけるな、家族を全て奪われて孤独にさいなまれている彼女に金をせびる? 同じ男としてあまりにも見るに堪えない所業に拳を爪が喰い込むまで握りしめていた。
「それからは色々アルバイト掛け持ちしたりして生きて来てよ、でも独り立ちしてからしばらくたって俺は死んだ」
氷蓮がそう言うと加江須は思わず息が出来なくなる程のショックを受けた。だが彼女が転生戦士である以上は一度死んでいる事は間違いない事だ。だが気になるのは彼女は確か親を殺した強盗に殺されたと言っていたが……。
「俺が夜間のバイトしていた時だ。人気の無い夜道を迂闊にも歩いていた俺は背後から刃物で刺された。背中に灼熱の痛みを感じた時にはもう手遅れだったよ。前のめりに倒れて身動きが取れなくなっている俺の鞄が漁られてよ……フードの中に隠れていた顔が見えた」
必死の形相で自分の鞄を開いて中身をぶちまき金目の物を物色している男を見て彼女は大層驚いた。それは警察によって素顔を公開された自分の家族殺しの男だったのだから。まさか自分の家族を殺した逃走中の男が自分を刺し殺す未来なんて予想も出来るはずなかった。
自分の親を殺した時同様にただ金銭目当ての犯行で命を落としてしまった。しかもその犯人はあろうことか自分の家族を奪った同一人物だったのだから最悪な死に様だ。ここまで悔しい死に方も無いだろう。
「これが……俺の人には大っぴらに話せねぇ最低なエピソードだよ」
全てを話し終えた彼女はいつもの自信家を連想させるような覇気のある表情ではなく、悲しみに彩られた悲痛な表情であった。




