氷蓮の願いとは?
旋利律市での激闘を終えた加江須はすっかりと気が抜け始めていた。
「くあ……」
休日の昼間に欠伸交じりに散歩を兼ねて町中をパトロールしている加江須。
あのラスボ達との戦いは日数にすれば2日間であったが体感的にはその数倍の時間戦い続けていたように錯覚してしまうほどの苛烈極まる激戦であった。
神々の間で問題視されていたラスボを無事に討伐できた事で無事に黄美は生き返った。そして生前の彼女に関するいざこざも無事に修復されて今は元の関係へと戻れた。ただやはり黄美自身はまだ自分を完全には許しきれていないのか少し遠慮がちな部分が垣間見える気がする。
まあ他のみんなも黄美の事をさり気なくフォローしているから時間が経てば大丈夫だとは思うけど……。
恋人の事も少し気掛かりではあるがそれ以上に加江須には少し頭の片隅から離れない出来事があった。それはラスボを倒してから後の出来事であった。
自宅で就寝しようとする直前に加江須は再び転生の間へとヒノカミから呼び出しを受けたのだ。その際にイザナミを泣かせたら承知しないと釘を刺されはしたがそれはさておき、転生戦士に対しての報酬制度が変化する可能性があると言う話だったのだ。
今までは一定数のゲダツを討伐すればその見返りとして願いを神によって叶えられる。そう言う制度であったがその働きに対する対価に問題があるのではないかと神界では疑問視されつつあるのだ。現に転生戦士とゲダツが共闘して願いを叶える権利をあろうことかゲダツが使用しようとしていた実例もある。しかしだからと言って無償で今後も全ての転生戦士がゲダツを討伐してくれるとも思えない。神々だってそんな善行を対価無しで実行する割合が少ない事は承知している。となれば代わりとなる見返りも必要だ。
ヒノカミの話ではそれなりの対価を用意する準備を検討しているそうだが……。
「だけど願いを叶える権利が消失してしまえば……」
ここで加江須にはひとつだけ気掛かりな事があった。それはもしも願いを叶える権利が消失してしまった際には叶えたい願いを持って戦って来た者達の想いはどうなるのか? と言う点だ。
「……氷蓮だって納得するのかな?」
もしかしたら仁乃はもう忘れているかもしれないが初めて氷蓮と出会った時、彼女には何やら叶えたい願いがあったはずだ。その願いの内容が何かは知らないがその為に彼女は自分と手を組んだのだから。
ヒノカミから聞かされたこの話は全ての転生戦士に神々が連絡しているらしい。と言う事はつまり氷蓮にもこの話は既に行き渡っている事だろう。
「連絡…してみるか?」
ポケットからスマホを取り出して氷蓮に連絡を取ろうと考えたが、電話したところで自分にどうこう出来る次元の話ではない。願いを叶えるのは自分でもなければ報酬制度を決めるのも自分ではない。全ては神々の仕事だ。
それにしても氷蓮は一体どんな願いを叶えようとしていたんだ?
よくよく考えてみれば氷蓮は確か家出中と言っていたがご両親は今はどうしているのだろうか? 普通は自分の娘が長期間家に帰って来なければ捜索願いを出されていたり、ニュースになる事だって考えられると思うのだが……。
こうして改めて考えてみると自分は恋人の事で知らないことがまだまだあるんだなと実感する。
「ん…あれは……」
加江須が氷蓮の事を考えながら歩いていると視線の先に映る一人の少女が目に留まった。それはまさしく自分が今の今まで考えていた少女であった。
「おーい氷蓮!」
「ん? ああ加江須か……」
いきなり背後から声を掛けられ少し訝しんでいる様な顔をしていたが彼女だが、声を掛けて来た人物が愛しの彼氏様だったのですぐに表情を綻ばせる。
合流するとどうやら彼女もちょうど暇していたそうでそのまま二人は並んで仲良く歩く。
「しっかしこうして歩いていると俺たちがこの町で何度も命懸けの戦いを繰り返している事を思わず忘れてしまいそうだな」
「確かになぁ。一見すればマジで平和でただの少しレトロな街並みだもんなぁ」
そう言いながら氷蓮はチラチラと隣を歩いている加江須の手を盗み見するように視線を繰り返し送っていた。やがて決心がついたのか適当な話を口にしながら彼女はするりと自然な感じで加江須の手をしっかりと握る。
緊張からなのか僅かに手汗が出ている事に気付いて別の意味で恥ずかしくなる氷蓮。
「なんだ今更手つなぎデートくらいで緊張しているのか?」
「う、うるせぇ。そんな緊張なんてしてねぇし別にデートでもねぇだろ。だ、大体お前は何でそんなに余裕なんだよ?」
何だが一方的に自分だけが羞恥心を感じている現状に少し不満そうに唸る恋人。決して口にはしないがそんな恥ずかしがる彼女が可愛いと思ったのは秘密だ。氷蓮の性格を考えるとそんな事を言えばギャーギャーと噛み付くのが目に見えているので言わないでおく事にする。それにしてもこうして恋人同士での手つなぎで歩く、中々に思春期の男子からすれば嬉しい状況だ。そんな幸福に今更恥ずかしくなったのか遅れて加江須の頬も少し赤色に染まっていた。
「オメーだって顔赤くなってんじゃん…」
「んぐ…そ、そう言えばお前に訊きたい事があるんだけど…」
「んー?」
自分の頬が紅くなって恥ずかしがっている様子を誤魔化そうと加江須は適当な話題を振る事にする。
「お前って確か叶えたい願いがあったんだよな。それってどんな願いなんだ?」
加江須としては先程は連絡してまで訊く事でもないと思ってはいたがやはり一度気にし出すとモヤモヤするものだ。せっかく目の前に張本人が居るなら尋ねてみようと思い質問するとそれまで恥ずかしがっていた彼女の表情が一変する。一気に沈んだ表情になった彼女を見て思わず地雷を踏んでしまったかと目に見えて焦り始める加江須。
そこから氷蓮は沈黙し出し、その雰囲気の重さから加江須も次の言葉が出ては来ずどうしたもんかと頭を悩ませる。
しばらく無言のまま手を繋いで歩いていると氷蓮がポツリと小声で口にした。
「……両親を生き返らせたかったんだよ」
「え……」
彼女の口から出て来た言葉は予想以上に重く加江須は思わず言葉が出てこなかった。
無言で自分の事を見つめ続ける加江須に対して更に言葉を紡いでいき氷蓮は自分の過去を語り始めた。
「ほら、俺が家出だってお前や仁乃に話していたことがあったろ。あれさ、ぶっちゃけると嘘なんだわ」
正直に言えば加江須も初めて彼女が家出少女だと言った時には少し違和感はあった。だがあの時はここまで彼女と深い関係になるとは思わず追求する必要もないと思ったから何も言わないでいた。それが今は恋人関係になっているのだから世の中分からないもんだ。
そんな事を考えつつも彼女の言葉の続きを聞く加江須。
「実は俺…もう両親がこの世に存在しないんだよ。ざっくりいうならもう死んじまっているんだよ」
氷蓮の口から出て来た事実は加江須にとっても凄まじく驚愕なもので思わず息をのんでしまう。話している自分以上に深刻そうな顔をしている加江須に思わずクスッと笑う氷蓮。
「何でお前がそんなショックそうな顔してんだよ?」
「あ、いや…別に…」
「たくっ、そんな顔すんなって!」
そう言いながら氷蓮は彼の背中をバンバンと少し力を籠めて叩いてやった。
だがクヨクヨするなと言いつつも彼女の顔には影が差している。むしろ自分が苦しんでいる事を誤魔化すために空元気を振舞っている様にすら見えて痛々しい。
どこか痛々しい彼女が見てられないのか続きを聞いていいものか悩んで加江須から話を打ち切ろうとするがそれを彼女が止める。
「別に気にしなくても良いって。ちょうどいい機会だし俺の昔話でもしてやるよ」
そう言うと彼女は自分の過去を口にし始める。
今は余羽のマンションで居候生活だが元々は家族と共に慎ましくも幸せを感じられる日常を送り続けていた。母親も父親も娘に対して愛情をきちんと注いでくれて何一つ不満の無い生活を送っていたがそんな日常がある日唐突に打ち壊された。
彼女の家に強盗目的で不法侵入して来たたった一人の男の手によってぶち壊されたのだ。
もう皆が寝静まった頃に氷蓮はふと目が覚めて自分の部屋から階下へと降りて台所まで行こうとしていた。水でも1杯飲んでから改めてベッドに潜ろうと考えていた。だが下の階に降りようとする直前にその近くの両親の寝室の扉が半開きになっていた事に気付いたのだ。
彼女はそのドアを閉めようとした、だが部屋の扉に手を掛けると同時に室内から『うわっ』と言う男の驚く声が聴こえて来たのだ。
部屋の中から聴こえて来た、それも聞き覚えの無い父親とは違う男性の声が聴こえて来たのだから当然焦る。
慌てて部屋を開けて電気を点けて室内を明るくした彼女は目の前が真っ黒となった。
「あの時の光景は今でも忘れられねぇよ。部屋の電気を点けた瞬間にそれぞれ腹から血を流している両親の姿はよ……」
そう言いながらもっとも最悪な過去を思い出すと思わず吐き気が込み上げてきてしまう。
「おいもう話さなくてもいいぞ!」
恋人の苦しそうな表情を見ていられなくなってそれ以上は何も喋らなくてもいいと促すが大丈夫だと手で制する。
「ここまで言ったんだから最後まで言わせてくれよ」
そう言いながら彼女はその後の話を口にし出す。
部屋の中で血みどろで倒れている両親、そんな二人に慌てて駆け寄ろうとする氷蓮だが彼女は両親を抱き起すよりも早くその不審者に腹部を刃物で突き刺されてしまったらしいのだ。
「もしかしてその不審者に殺されてお前は転生戦士になったのか…?」
加江須の確認を取ろうとするその言葉に対して彼女は曖昧な返答をして来た。
「確かにそれは間違いねぇな。でも俺が死んだのはその時じゃねぇんだよ」
過去のトラウマに嫌な汗をじんわりと流しつつも彼女は更に自身の過去について鮮明に語ってくれた。




