巡り合う二人は涙を流す
『………ここは?』
気が付けばディザイアはいつの間にか暗闇の中に立っていた。周りを見渡しても無限に闇が広がっているだけ。ただどう言う訳か一面が暗闇に包まれているにもかかわらず自分の姿だけはこの闇の中でも確認できた。
終わりなき常闇の世界を当てもなく歩き突けながらディザイアは少しずつ記憶が蘇って来た。
『そうだったわね。私はあの隻眼の転生戦士に…』
あの忌々しい隻眼の女に自分は腹を切り裂かれて致命傷を受けていた筈だ。いくらゲダツとは言えあの深手で助かるとは思えない。そして次に意識を取り戻すと自分は見知らぬ闇の中。この状況はつまり……。
――そうか…自分は死んだんだ……。
彼女が人でなくゲダツだからか、それとも今更喚いてもどうしようもないからか、この状況を不思議と自分は受け入れる事が出来た。恐らくここは地獄なのだろうか?
『まあ私も色々悪どい事をしてきたし。地獄行きと言う末路も頷けるけど…』
このまま自分は地獄の釜にでも落とされるのだろうかとぼんやり考えていた時だ。
突如として暗闇の世界に眩い光が広がり、その光が納まるとそこには一人の艶のある黒髪の女性が立っていた。その女性は自分同様暗闇の中でも姿を視認出来た。
『初めましてディザイアさん。私の名前はヤソマガツヒノカミっス。そして…あんたにとっては天敵である神様っスよ』
『へえ…神様ねぇ……』
目の前の現れた女性の正体を聞きディザイアは不思議と落ち着いていた。別に目の前の女性が嘘をついているとは思っていない。そもそも今のこの不可解な状況を察するに自分が死後の世界に居る事は何となく理解できる。
『それでわざわざ神様が私のような下賤な輩に何の様かしら? もしかして罰を与えにでも来た? それに此処はどこかしら? もしかして此処が俗にいう地獄なのかしら?』
もしかしたら自分の悪行を彼女が捌きに来たのかと思ったがその予想は外れる。
『そう身構えないでくださいよ。心配しなくても私は別にあんたに制裁を下しに来た訳じゃないっスよ。あと此処は地獄ではないっスよ。と言うよりもゲダツであるあんた方が死んでも、いやまあ死ぬと言う表現が正しいのかは疑問っスけど…とにかくゲダツであるあんた方が消失したら天国だの地獄だのそんな場所にはいかないっスよ。勿論私たち神々に捌かれる事もなくそのまま消えてなくなるんスよ』
どうやら人間の死とゲダツの死は全く異なるものらしい。人間が死んだ場合は審判の間とやらに肉体から抜け出た魂が呼び寄せられ、そしてその者の生前の行いを神に見返されてそれまで積んで来た徳、犯して来た罪の内容や大きさにより魂の浄化後は生前の善行によってそのランクに見合った生命体に生まれ変わるらしい。もしも罪を犯し続けて死んだのならば虫なんかの害虫などに生まれ変わる事もあるらしい。
だがゲダツにはそのような検分作業は存在しない。何故ならそもそも生まれ変わる事が無いのだから。ゲダツは人々の悪感情の集合体。ゲダツの罪は人々の罪であり、望まず生まれて来たゲダツは死後はそのまま生まれ変わることなく抹消するとの事だ。
『なるほどねぇ。まあでも有難い配慮ね。もしも私が人間ならかなりの咎人だろうしね。生まれ変わってもまともな生命体にはなれはしないだろうし。プランクトンみたいな浮遊生物にされていたかもしれないんだから』
『ゲダツは基本的には罪を犯すことが基本っス。でもそれは人間が腹のうちにどす黒い感情を持つからこそあんた達も罪を犯すことに抵抗を感じないんっスよ。そう考えればあんた達だって被害者とも言えるっスから……だから人間の死後のルールに則らせるのはあんまりだと言う意見が神々の間にあったみたいっス』
それは本当に有難い配慮だ。ヒノカミの言う通り私たちゲダツは罪の象徴、そんな化け物が一切の罪を犯さず生きる事の方が難しいだろう。もしもゲダツである自分たちがその審判の間とやらに呼ばれれば九分九厘悲惨な生まれ変わりを果たすだろう。そんな惨めな次の人生を歩まされるくらいなら消滅させてもらった方が遥かに温情ある裁きだ。
だがヒノカミの言う通りならば自分はもう完全に消滅して消え去っている筈だ。それなのに何故自分は今こんな暗闇の中に居る? どうして自分はこうやって物事を考える事が出来ている? そんな疑念が頭の中で渦を巻いているとヒノカミは本題に入り始める。
『さて…あんたは本来であればもう意識すら消え去り完全に存在が抹消している筈っス。でもあなたがこの世から完全に消え去る前に私がこの空間にその魂を呼び寄せたんっスよ』
ゲダツにも混ぜ物とは言え魂とも呼べるモノは存在するらしい。まあだからこそゲダツにも考えたり、人を食べたりする事が出来るんだろうが。
まあ自分たちに魂があるか否かはどうだっていい。それよりも自分をこの場に呼び寄せた理由の方が気になる。
『実はあんたをこの場所に呼び寄せたのは私を含め一部の神様による完全な独断行動なんっスよ。だから他の神様方に勘付かれたら不味いんっスよねぇ』
ヒノカミの言葉を聞いて益々意味が分らなかった。何か神々の間で思惑があるのならばまだしも、目の前の神様は自分たちの独断でこの場所にディザイアを呼び出したらしいがそんな事をしてどうなると言うのだ?
彼女がヒノカミの行動に対して首を傾げているとまたしても暗闇の中に一際大きな光が発生した。
『もう…何なのよ?』
また別の神様がこの場所に現れたのかと思ったが、やがて光が納まると一人の女性が立っていた。
『………え?』
新たにこの場に現れた人物に目を向けるとディザイアの思考が停止しかけた。
『あ…ああ…ああああ……』
今まで余裕を浮かべていた彼女の表情がドンドンと崩れていく。視界はどんどんと涙で潤んでいき、手足がガタガタと震える。唇も震えて目の前に立っている女性の名前を口にしようとするが震えて名前が出てこない。
『うそ…うそ……』
ふらふらと力なくその女性の元へと1歩、また1歩と歩み寄る。
まるで小鹿の様に震えて近づいて来るディザイアに対し、女性は少し苦笑気味に笑みを零した。
『もう…なんて顔をしているのよディザイア』
そう言いながら自分に伸ばされる手を優しく掴むとそのまま彼女を抱きしめてあげる。
『また逢えたわね。ディザイア…』
『ええ。ずっと…ずっとあなたともう一度巡り合いたかったわ……綱木』
ディザイアはもう感情が溢れ出してしまい涙を零して目の前の綱木を力いっぱい抱きしめた。そんな震える彼女の体を綱木は抱き返して優しく頭を撫でて上げる。
自分の頭に触れてくれる手、そして抱きしめて伝わる体温、自分が都合の良い幻覚を見ている訳ではない。確かに今ここに自分がずっと再開を心待ちにしていた相棒が目の前に居る。
『うぅ…う、う……』
『もう落ち着きなさいってディザイア。私の知っているあなたはそんな泣き虫だったかしら?』
『余計な、お世話よ。この…飲んだくれ…』
嗚咽交じりに強がってやるディザイアであるがやはり感情を抑え切れずに涙が溢れ続ける。それからしばしの間、ディザイアは子供の様に嗚咽を漏らし続けていた。
それから時間も経過しようやく落ち着きを取り戻したディザイアが何故この場に綱木が居るのかを尋ねた。
『それでどうしたあなたが此処に居るの? と言うよりヒノカミの話だとあなたはもう審判の間とやらに連れていかれたんじゃないの?』
さきほどヒノカミから聞かされた話だと人間の死者は審判の間にその魂を連れていかれるのではなかったのだろうか? それとも転生戦士は死んだ後にも特別な対応をされるのだろうか?
彼女が疑問を抱いているとヒノカミがその答えを教えてくれた。
『実はヒノカミさんの2度目の死後、彼女の審判の担当をしていた神様が気を利かせてくれたらしいんスよ』
ヒノカミの話によれば彼女と仲の良い神がもしもディザイアが現世から消失した場合、ほんのわずかの間でいいから彼女と逢わせてくれないかと綱木から頼み込まれたらしい。本来であればそんな願いは聞き入れてはもらえない。だが綱木はこれまで転生戦士として世界に貢献して来たと言う事もあり、特別に彼女とディザイアの最後の別れの時間を与える事をその神は独断で許可したようだ。だから彼女はディザイアと出会うまで生まれ変わりを後送りにされていたらしい。
自分のために神様にまで直談判してそんな頼みをしていたと思うとディザイアの眼の端にまた涙が浮かぶ。
『何よ…わざわざ私が来るまで待っていたの? ほんと…馬鹿なんだから』
『うん。でも…やっぱりあなたともう一度触れ合いたかった』
そう言うと今まで堪えていた綱木の感情も遂に溢れ出て、そのまま濁流の様に止めどなく流れた。
『ごめんなさいディザイア! あなたを独りぼっちにしてしまって!! わたし…わたしちゃんと生まれ変わる前に謝りたかった!!』
そう言いながらディザイアの胸元に寄り掛かりわんわんと泣き出し、それに釣られてディザイアも彼女を抱きしめて泣きじゃくる。そんな二人の涙を流し続ける光景にヒノカミは背を向けていた。よく見れば彼女は後ろを向きながらぐしっと目元を擦っていた。
『わたし…わたし一杯罪を犯したわ。あなたを助けたくて間違いを何度も犯した。そんな…そんな私をずっと待っていたの?』
『待つわよ。待つに決まっているわよ。たとえあなたがどれだけ間違えようとも私は…私はあなたの相棒なんだから……』
実は綱木は地上でディザイアが犯して来た過ちを把握していた。自分を生き返らせる為に半ゲダツを生み出し、多くの人を利用し、そんな自身を汚していく彼女の現状を知るたびに胸が痛んだ。だから綱木も謝りたいと思っていた。自分が目の前で悲しみだけ植え付けて勝手に死んでしまってごめんなさいと伝えたかった。
相棒を独りだけ取り残して勝手に死んでいった綱木。
相棒に独りだけ取り残されて罪を犯し続けたディザイア。
悲しみを植え付けた罪に押しつぶされる人間と過ちを何度も犯して来たゲダツ。だがこの瞬間に二人はようやく心の底から救われたのだった。




