黒い雷
河琉が得た情報から二人は大元であるゲダツの潜伏先たる廃ビルの前まで到着していた。
どうやらこの周辺には人が生活している気配が少ない。恐らくだが一般人を手先として使っていた輩だ。出来る限り人気の少ない場所を選んでこの場所を選択したのだろう。
人の賑わう声が辺りにないためにどこか物寂しい気配を強烈に感じる。だがそれ以上にこの空きビルの中から放たれる気配の方が遥かに気になって仕方がなかった。
「すげぇな。殺気に濃さがあの不健康そうな顔していた半ゲダツの比じゃねぇな。この中から放たれる黒幕の気配はここまでのもんかよ……」
河琉の言う通り廃ビルの入り口からはまるで冷気の様な薄ら寒い気配が漂って来ている。思わず冬でもあるまいしブルリと体が小さく震えてしまう。
「これがゲダツの気配…」
愛理だって決してゲダツと戦う事が初めてではない。現につい1時間ほど前には半ゲダツと戦闘を行っていた訳だ。だがこの圧力は次元が違う。思えば上級ゲダツと向き合う事はこれが初めてだ。ディザイアは一応は味方だったし、それに形奈は転生戦士だった。
思わず全身の産毛が逆立つ感覚に陥っていると、自分の隣では河琉が小刻みに震えていた。
「だ、大丈夫? なんか震えているけど…」
やはりこの強烈な圧は彼の様な実力者でも肝が冷えたのかと思っていたが、視線を上げて顔を見てみるとギョッとした。
何故なら彼女の眼に映ったのはとても嬉しそうな顔をした河琉の顔が映し出されていたからだ。
「いいねぇこの氷の様な冷たい殺気。凄いゾクゾクするぜ…」
愛理は知らないだろうがこの河琉と言う少年は戦闘狂とも言える程に少しネジが外れている部分があるのだ。本来の彼はとても穏やかで争いごとなど好まない人畜無害の性格であったが、ある日を境に彼の気性は一変した。無論そんな事情など愛理が知る由もないが。
彼が震えていたのは恐ろしいからではない。これから始まる戦いに興奮のあまり体から出て来た武者震いだ。
「さて…向こうも待ち構えてくれているようだし行きますか?」
愛理に問いかけるかのような口調でそう言うと返事も聞かずに真正面から廃ビルの中へと堂々と入って行く。
ズンズンと恐れを知らず歩を進めていく彼の後姿をしばし眺め、2、3度の深呼吸の後に彼に続いて愛理も廃ビルの中の死地へと踏み込んでいったのであった。これより先は生きて帰れる保証もない。そう考えると彼女は無意識に拳を固く握りしめていた。
「流石は捨てられたビルだな。中は荒れたい放題じゃないかよ」
床に散在している元々このビル内に置いてあった色々な物を踏みつけながら進んでいくと激しい閃光の様な光、その直後に凄まじい轟音と共に二人のすぐ近くに何かが叩きつけられる衝撃と共に周囲の窓ガラスが割れ床が黒くコゲる。
「ッ!?」
いきなり砲撃の様な轟音に思わず耳に手を当てて塞いでしまう愛理。
それに対して河琉は特に竦む様子も見せなければ耳も塞がず、ただ黙ってこちらにゆっくりと近付いて来る人物を見据えていた。
「そっちの娘はいい反応してくれたねぇ。それに引き換えそっちの男の子はあんまり期待した反応をしてくれなくてざーんねん」
そんな軽口を叩きながら現れたのは男を魅了する程のスタイルに美貌を兼ね備えている一人のショートボブの女性。だがその魅惑的な姿とは裏腹に彼女から漂って来ている気配はとても不快感を感じさせるものであった。
それだけでもう愛理も河琉も目の前の〝アレ〟の正体を看破していた。
「まさかここまで馬鹿正直に出て来てくれるとは思わなかったぜゲダツさん?」
「ふふ…そう言うあなた達は転生戦士かしら? なんてやりとりはやめておきましょうか。私の正体を知ったうえでそんな余裕の表情を張り付けているんだから転生戦士でないなら何だと言う話になるからね。でも自己紹介だけはしておこうかしら。私の名前はフォックスよ。そちらの二人はなんてお名前?」
軽い自己紹介を口にしながら彼女は指先からバチバチと火花を散らせて見せた。
彼女の見せたその現象は愛理に動揺を与える。先程の閃光の様な光に轟音と共に床を黒コゲにした現象。そして指先から放たれる火花、間違いなくあのゲダツは自分と同じ雷を操る力を持っているのだろう。
いや…悔しいがデモンストレーションで床に叩き落とした落雷の威力からして自分以上の力の持ち主である事は明白だ。
「おやおやぁ? そっちの娘はやっぱり私が怖いのかな?」
そう言いながら愛理の方へと目を向くてクスクスと笑い出すフォックス。
だがこの程度の事で気圧されてなるものかとキッとフォックスの顔を睨みつけてやった。するとフォックスは少し残念そうに呟いた。
「あら多少は怖がってくれているけどそれよりもやる気に満ちている目ね。残念だなぁ。私は恐怖に慄いている姿を見るのが大好きなのに。それに恐怖を最大限に溜めこんでいる方が食事の質も上がるのに……」
「ハッ、食事の質ねぇ。つまりはオレたちをビビらせて一番美味く召し上がる下ごしらえのつもりだったのかよ」
河琉はどこか皮肉気にそう言うとフォックスはこれまで食して来た食事について思い出したのか勝手に語り始めた。
「ええそうね。人間に恐怖を植え込み、すり込み最大限まで絶望を与えたお肉はとっても美味しいのよね。特に……子供の小さなお肉は柔らかくて特に…ね…♪」
フォックスのそのセリフに愛理の肩がビクッと震えた。
「……ねえ、ちょっと聞いていいかしら?」
「んん、なーに?」
顔を俯かせながら愛理は唇をわなわなと震わせながら歯をカチカチと鳴らす。
……分かっていたわよ。多くの子供が誘拐されているのに事件にならなかったのはゲダツに…コイツに喰われていたせいであると分かっているつもりだったわよ。
恐らく今から自分がこの女に尋ねようとしている質問は全くの無意味なのだろう。それでも…それでもコイツの口からちゃんと聞いて確かめたい。
「アンタは何で子供を食べるのよ? どうせ人間を食べるなら救いようのない悪党でも攫えば良いじゃない。どうして何も知らない小さな子供ばかりを狙うのよ?」
もちろん相手が悪党だからと言ってイコール食していい訳ではない。それでも…それでもまだまだ人生がこれからである子供を殺すなんて受け入れがたかった。
そんな彼女の質問に対してフォックスはしばしキョトンとした表情の後、堪え切れなくなり口元に手を当てて必死に大声で笑わぬように可笑しそうに笑って答える。
「な、何を言うのかと思えば…ぷぷっ…私は人の悪感情から生まれた存在なのよ。そんな私が無垢な子供を食べる事を責められても困るわ。あなたたち人間だって牛や豚を解体してそのお肉を食べて生きているじゃない。あとホラ、人肉を食べる風習とかもどこぞの部族とかではあるんじゃない?」
その答えを聞いて愛理はやはり質問するだけ無駄であったと悟る。
この女にとって子供の悲鳴も命乞いの懇願もただの食欲をより一層そそるスパイスに過ぎない。
「よく分かったわ。アンタが野放しにしておくには危険すぎる生き物だって事がね!」
そう言うと愛理は指輪の力をフルに発揮して雷撃の槍を飛ばしてやった。半ゲダツとの戦いで消耗した体力も大分回復していたので彼女の攻撃力は調子を取り戻していた。
自分と同じタイプの能力を持っていると知ったフォックスは少し驚いたが、すぐに余裕の笑みを取り戻すと向かってくる雷撃をなんと片手で弾いたのだ。
「なっ、素手で弾いた!?」
「……いや違うな。よく見てみろ」
まさか素手で雷撃を弾くとは思わず声を上げて驚く愛理だが、隣で見ていた河琉はすぐにカラクリを見抜いた。
よく見ると愛理の雷撃を弾いたフォックスの手には黒い雷を纏っていたのだ。つまりは同じ属性の力を纏わせ愛理の雷撃を弾いたと言う事なのだろう。
「中々悪くない出力ね。でも――これぐらいの雷撃の槍なんて私だって出せれるわよ」
そう言うと彼女の全身から黒い稲妻が駆け巡り、そのまま愛理と同じように雷撃で形成された槍を飛ばして来た。だがその威力と速度は段違いだ。
「ぐっ…う、ああ!?」
フォックスが自分の雷に干渉できるのならば自分だって、そう思い両手に雷を纏わせて飛んでくる槍を止めようと試みた。だが受け止めた瞬間に凄まじい激痛が走り、そのまま衝撃と共にゴロゴロと吹き飛ばされてしまう。
「あづ…くぅ~……!」
無様に転がりつつも両手に息を吹きかける愛理。
今の攻撃を受け止めた彼女の手の平からはプスプスと煙が立っており、更には赤く腫れていた。
「な…なんて威力なのよ」
明らかに同じ系統でも威力が段違いすぎる。しかしそんな彼女を更に突き落とすかのようにフォックスはクスクスと笑いながら口を開いた。
「褒めてくれているところ申し訳ないんだけどぉ。今のは軽い挨拶みたいなものよ。もしも本気で撃っていたら今頃あなたは黒コゲのバーベキューよ?」
「ぐっ……!」
悔しいがあの余裕のある表情から察するにハッタリではないのだろう。アイツの力は完全に自分の上位互換であると悟り早くも彼女の顔に影が差す。
だが逆にもう一人の彼はその力に興奮していた。
「良いじゃないか。噂では聞いていたがやっぱり人型のゲダツはかなりやるねぇ」
「あら、あなたは俄然イイ貌になっているじゃない」
「ああ、それじゃあ――殺ろうか?」
河琉の口から出たその言葉が開戦の合図となった。
両者は同時にそれぞれ床がへこむ程に踏み込んで互いに相手目掛けて飛び出していた。
「さあオレを愉しませてくれよ!!」
「あなたは大分成長してるけどとても美味しく頂けそうよ!!」
二人の神力と雷を纏わせた拳がぶつかった瞬間、周辺にはまるで台風の様な暴風が吹き荒れたのであった。




