過去に囚われず前を見ろ
「いや…いやいやいやいや……」
突然の求婚にしばし頭の中が真っ白となっていた河琉は意識が覚醒すると同時に手をブンブンと左右に振って話を整理しようとする。
「えーっと…オレは確か2つ目の戦いたい理由を訊いていた筈だよな? それがどうして結婚という話の流れになっているんだ?」
「だから言っただろう! 私は将来の伴侶は自分よりも強い男だと決めていたと! そして君は私に勝利したんだ! だからこうしてプロポーズしようと決意した!」
何やら一人で勝手に盛り上がっている烈火であるが河琉からすれば黙って受け入れる訳にもいかない。だって自分はただ同じ転生戦士と戦ってみたかっただけなのだ。戦いの最中欲していたのは栄光の勝利であり、花嫁探しをしていたつもりはない。
「…というかさぁ、強い男と結婚したいなんて願望があるなら何で帰宅部なんだよ? 運動関連の部活に参加して相手を見つければ良かったじゃないか。それこそ袴田の様なインターハイに出ていた男に告白でもすりゃいいじゃん」
至極まっとうな事を河琉としては口にしたつもりだ。だって学園には大勢の男子が居るのだ。自分でなくても強い男と言える存在は探せばいくらでも大勢いるだろう。まあ神力を操れる自分よりも強い男は居ないかもしれない。それでも人一倍腕っ節が立つ、喧嘩が強い、そんなタイプの男ぐらい居ると思うが。
「私よりも強い男でないと駄目なんだ。そうでなければ私はまた……」
先程まで少々興奮すらしていた彼女が急転直下し覇気のない声でそう言った。
そこからは彼女は自分の過去について河琉へと語り始める。
中学時代では烈火は総合格闘技部に入部していた。多種多様の格闘技を幅広く練習をする部活であり、その目的には自らの身を守る為に護身も含まれていた。
多くの入部者が集まる中で烈火もその一人であった。総合格闘と言うだけあり練習もキツく毎日苦しい思いをしていたがとてもやりがいもある部活であった。
そしてその部活の中で彼女は自分ととても気の合う恋人が出来たのだ。
「彼は私と同じ様に毎日真面目に部活動に勤しんでいた。激しい練習に私が弱音を吐きそうになると励ましてくれる事もしばしあった。自分も今にも死にそうな顔をしながらな…」
かつての少し甘酸っぱい思い出を懐かしみながら苦笑をする烈火。
彼と交際が始まってから部活に顔を出す楽しみが増え、いつしか部活動中に苦しいと思う事もなくなった。
「だが彼と交際を始めてからだ。少しずつ私は周辺の者達とかけ離れ始めていったんだ」
最初は苦しそうな顔をして行っていたトレーニングをいつからか笑顔で行えるようになっていた。その隣では恋人である彼は自分とは対照的に苦し気な顔をしていた。練習試合では先輩相手でもいつからか苦戦すらせず勝利を得る事も出来るようになり、そして大会でも好成績をもぎ取った。
一方で烈火の恋人である彼は彼女ほどの才能は無く、大会に出た事も無ければ他の部員達と同じく特に目立つ事も無く何かしらの成績を収める事もなかった。
二人の間に大きな力の差が出始めた頃からだ。彼は烈火と話すときにどこか居心地の悪そうな顔を時折見せるようになったのは。
そしてこの二人の関係が二つに分断される出来事が起きる。
「部活動が終わりその帰り道の事だ。私と恋人はガラの悪い連中に絡まれてね。まあカツアゲ紛いの事を私たちにしてこようとしてきたわけさ。その際に私たちは当然だが抵抗した。この時の為に護身を身に着けていたわけだしな」
相手は複数人で武器も持っていた為に彼女の恋人は身に着けた護身を活かす事も出来ず地面にねじ伏せられた。だが逆に烈火はいともたやすくその連中を倒してのけたのだ。
彼女としては恋人を守りたい一心で戦ったに過ぎない。だが彼氏からすれば女に守られる自分はこの上なく情けなくて仕方が無かったのだろう。
だから…そんな守られるだけの自分に嫌気がさした彼は烈火に……。
――『烈火…俺たち別れよう…』
――『な…ど、どうしてだ! 私の何が不満なんだ! ちゃんと説明をしてくれ!! 君を怒らせるようなことをしたなら謝るよ!!』
突然の別れ話に動揺を隠せない烈火。
そんな慌てている彼女とは正反対に彼はどこまでも冷静な声色で言った。
――『正直…君と一緒に居ると俺が惨めなんだよ。普通は男である俺が女の子の君を守ってあげなきゃならない。それが実際は真逆、俺の方が君に守られ続けている』
――『そ、それが何だと言うんだ!!』
何故それが別れ話に繋がるのかまるで分らない烈火は焦りを見せる。恋人同士、どちらがどちらを守るのかなどとこだわるのは重要だとは思っていなかった。大事なのは互いに守り合うと思える心を持つ事だと思っているからだ。
だが虚しくも烈火のそんな思いは残念ながら彼には通じなかった。
――『才能が開花して誰でも守れる君は気付いていない。一方的に守られる人間の気持ちなんて……ただ守られるだけの情けない男の気持ちなんて……』
――『な…そ、そんな事は……』
烈火は一度も彼の事を情けの無い男だなんて微塵も考えた事は無い。とても優しく、思いやりの溢れる素晴らしい恋人だと思っていた。
しかし彼はどこか悲痛そうな眼をしながら背を向けながらこう言った。
――『悪いけど君の様に凄い女性と身の丈を合わせるのはもう苦痛でしかないんだ。さようなら……』
そう恋人に告げられて烈火の恋はアッサリと破綻した。
この出来事から彼女はもう自分よりも弱い男とは必要以上に関わらない。ましてや恋はしないと決めた。今回の失恋の理由は彼女からすれば全くと言っていいほどに納得できないものであった。もしもまた自分が誰かを好きになり、そして恋人が出来たとしても今回の様な男のメンツ? プライド? などと言う彼女からすれば理解できない理由から一方的に別れを切り出されようものなら男性不信にすらなりかねない。
この失恋から彼女は部活動に集中し、皮肉にもより格闘の才能を開花させる。その結果、彼女の周りに居る男達は烈火が凄すぎるあまり誰も彼も自分には釣り合わないと勝手に内心で思ってしまうようになった。そして同時に烈火の方も男と言う生き物に対して失望感を抱き始めていた。
自分の周りに居る男達は誰も彼もが身も心も弱く、いつしか自分よりも強い男と出逢ってみたいと言う願望が胸の内に湧き上がって行った。もし自分よりも強い男性と出逢えればこの胸の内に抱え込んでいる苛立ちや不快感、そして失望の気持ちも消えてくれると思ったからだ。
「日に日に男性に対して軟弱な生き物と言う思想が深層心理に根付いていた気がする。だからこそ尚更強い男と出会いたいと思うようになった。そうすれば私は以前の様に……恋を取り戻せると思ったからだ……」
「ふ~ん……」
どうやらこの烈火と言う少女は失恋のトラウマから自分よりも強い男と出逢い、そしてかつての自分の様に異性に対して恋を抱けるようになりたかったのだろう。
高校では中学時代とは異なり敢えて運動関連の部活には所属しなかった。中学時代の時の様に変に活躍して男性から畏怖の眼で見られるのはもう御免だったからだそうだ。もちろん部活には所属していないが鍛錬については今でも家で自己鍛錬を行っている。
そしてつい最近では転生戦士となりより一層強い女になってしまった。そのせいでこの学園の男子生徒達は誰も彼も弱々しく儚い存在に見えてしまっていた。
「だから私と同じ転生戦士、それも私より強い男が現れたと思うと嬉しくてな。私はずっと君の様な自分を打ち負かしてくれる存在を待ち望んでいたぞ!」
そう言いながら嬉しそうに笑う烈火であるが、逆に河琉は呆れ果てていた。
「……狭い」
「え…?」
河琉の口からボソリと出て来た言葉に首を傾げる烈火。
「かつての失恋理由からお前が自分よりも強い男と出逢ってみたいと思う気持ちは理解した。だがな、自分よりも強い男に求婚するのはおかしい事とは思わないのか?」
「えっと…」
「別にお前が誰を好きになるかは自由だ。だがな、少なくともお前が中学時代に好いていた恋人はお前よりも弱かったはずだ。つまりその人間の心根に惚れたんだろ?」
そう言いながら河琉はゆっくりと立ち上がるとその場を立ち去って行く。そして去り際に顔を向けることなく背を向けたまま最後にこう言い残した。
「かつてのトラウマをいつまでも引きずるなよ。そのせいでお前の視野は狭くなっている。別にお前より強かろうが弱かろうが本当に好きになった相手に今の様に求婚しろ。過去ばかり引きずっても良いことなんかねぇぞ」
正直彼は自分がとてもらしくない事を言っている自覚は十分ある。しかし過去の出来事を引きずっても良いことなど1つもない事は彼はよく理解している。だから臭いセリフと思いつつもアドバイス感覚で烈火に諭す様な事を言っていた。
実際にかつてクラスメイトからイジメを受けていた弱い自分を河琉はもう忘れようとしていた。
「そうさ…過去ばかり見ても意味なんかない。昔のオレは…もう一人のオレは前を見ようとせずウジウジしてばかり……大事なのは今この瞬間なんだよ……」
最後に出て来たこの言葉は烈火ではなく自分自身に言い聞かせるつもりで河琉は口にした。
だが転生戦士となった烈火の聴覚は彼のこの言葉がしっかりと耳に届いており、彼が居なくなり一人となった河川敷で河琉の言っていた言葉を口にして繰り返した。
「大事なのは今この瞬間…か……」
彼が言っていたこのセリフはハッキリ言ってありきたりで珍しくもなんともない。しかし過去の失恋を引きずっていた彼女からすればとても衝撃を受けていた。
「ふふ…我ながら暴走していたようだ。自分より強い男に逢いたい、その願いがいつの間にか自分の伴侶を探す理由にすげ変わっていたとは……」
頭を冷やして考えれば自分よりも強ければ相手の中身など見ないでもいいと割り切っていた事になる。自分の隣に立つべき相手をそんな理由で選んでいいはずが無いのに。成程、視野が狭いと言われるわけだ。
「感謝するよ玖寂河琉君。きみのお陰で人生の大切なパートナー選びを疎かにするところだった。そして……」
彼女はもう姿が見えなくなった河琉の方へと顔を向けると拳を握り大きな声で改めて彼に対する想いを述べる。
「ただ強いだけでない。私に大切な事を教えてくれた君に改めて惚れ直したぞ! 待っていろ河琉君! 今の私はまだまだこの想いを君に告げる資格は無いだろう! だがいずれ今度は自分の正真証明の告白をぶつけるから待っているがいい!!」
気が付けば彼女の過去のトラウマは彼のお陰で消え去っており、本当の恋に気付いた、否、思い出した彼女は戦いの前よりも生き生きとした憑き物が落ちた様な爽やかな表情を浮かべていた。




