クラス内の不気味な女
神正学園の広々とした体育館では1人の少年が死んだ目をしながら体を動かしていた。
現在の時間は体育、そして今はとあるクラスの男子生徒達が5対5に分かれてバスケの試合を行っていた。そのコートの中では片方のAチームの男子達は汗だくとなり疲労困憊と言える様子であった。しかしそれに対してもう片方、Bチームの男子達は全員が涼しい顔をしていた。本来であれば体を激しく動かし続けるスポーツであるにも関わらずにだ。
その理由は単純、Bチームの強さがAチームとは月と鼈とも言える程に圧倒的だからだ。
だがBチームの内の4人はAチームの男子達とはほとんど運動神経に差は無いと言えるだろう。ただ一人、Bチームの方についている化け物が相手チームを一人で無双しているのだ。
「くそっ、これ以上は点を入れさせるな!」
Aチームのバスケ部の男子が汗だくになりながら相手チームの男子、玖寂河琉をマークしながら叫んだ。そんな真剣な眼差しをぶつけてくる彼とは正反対に河琉は欠伸を噛み殺してやる気のない顔でボールをドリブルしている。
「(くそ…何でコイツこんなに強いんだよ!? 少し前までは運動なんてまるで出来ないヤツがどうして?)」
まるで本気を出していないかの様な表情を向けられてイラッとするのも無理は無いだろう。しかもその相手が今まで歯牙にもかけていなかったチビ相手ならば尚更だ。
チラリとコートから少し離れている場所に置いてある得点版には――Aチーム0点・Bチーム24点と圧倒的な差を示していた。
現役のバスケット部の部員としてはこんな恥晒しな事は無いだろう。帰宅部である自分よりもチビにいい様に弄ばれているのだから。
「よっと」
「くそ、抜かれた!」
気の抜けた声と共に現役バスケ部をあっさりと抜き去って行く。だが他の4人も一斉に河琉の事を囲んでボールを奪おうとする。普通に考えれば5人全員で1人を囲むなどあまりにも馬鹿な戦術だ。そのマークされている河琉がチームの誰かにパスをしてしまえば対応できないのだから。
だが彼は5人全員にマークをされてもまるで意に返さない。まるですり抜けるかのように全員を突破してゴールまでドリブルで走り、そしてそのまま流れ作業の様にダンクを決める。
河琉がスーパープレイを披露すると試合を眺めている女性陣が色めき立つ。
「キャーッ! 凄い凄い河琉くーん!」
「カッコイイよー!」
女性受けの良い彼が他の男子を蹴散らす光景、それはクラスの女子達からの熱視線を集めるが河琉は特に反応もせずクールを貫く。しかし相手チームの男子達はイライラとした顔つきで河琉の事を睨みつけている。
だが不快な思いをしているのは相手チームだけでなく味方チームの男子たちにも言える事であった。
何しろこの試合の得点は全て河琉が一人で奪い取ったものだ。つまり味方は一切活躍させてもらえていないのだ。当然彼らからしても面白くはない。しかもそのせいで観戦しているクラスメイト達からはクスクスと笑われている。
「情っさけないわねー。河琉君しか活躍してないわよ」
「もっとやる気出せばいいのにねぇ」
確かに周りが言うように目立った活躍どころかほとんどボールに触れてすらいないが……。
「ぐっ…こんな事なら俺もあっち側に居れば良かった…」
Bチームの男子の1人がコートの端の方で見学している男子陣を見つめる。
一度にクラスメイト全員で試合は出来ない為に前半と後半に分けて試合は行われている。今の自分たちの試合が終わればローテーションで次の男子達がコートに立って試合を行う。出来る事なら自分も今の面白くない試合ではなく次の試合に出たかった。そうすれば自分だって活躍できたし女子連中からクスクスと失笑される事も無かっただろう。現にこの後に試合を行う男子陣は全員どこかホッとした顔をしている。
何もしなくても勝利確定のBチームの男子がそう考えているとまたしても女子達から黄色い声が出て来る。
河琉の方へと目を向けるとゴールへと華麗にダンクを決めていた。
◆◆◆
「ねえねえねえ河琉君。どうして急にそんなスーパーマンになった訳?」
「さっき凄かったねー。私あの…ダンク? とか言うのテレビでしか見たことないよ」
「ボクシング部にも試合で完封したって本当?」
昼休みになると河琉の席にはクラスの女子が群がって話しかけて来る。
河琉としては果てしなくうっとおしいが、しかしもう学校に来るたびに頻繁に起こる現象なので気にしない様にした。適当な相槌を打ちながらめんどくさそうな顔で受け答えを続ける。いかにも話しかけて来るなと言う顔で相手などすれば普通は相手の気分を害するのだろうが、しかし顔が整っているのは本当に得だ。彼のそんな面倒と言った表情など女子連中は気にも留めない。これがフツメンならばなんだアイツ、とでも思われて白けるのだろうが。
しかし河琉にとっては白けられる方がハッキリ言って有難い。別に彼には周囲からチヤホヤされたいなどと言う願望は無いのだから。
「ごめん、オレ購買行ってくるから」
そう言いながら群がっている女子連中を掻き分けて購買へと向かおうと教室を出る。
彼が出て行った後の教室では女子達はどこかクールな雰囲気を纏う彼の事で勝手に盛り上がっていた。
「あー…あの大人びた雰囲気の河琉君もやっぱりいいなぁ」
「わかるわかる。可愛い外見と正反対のどことなく冷たい雰囲気、相反している所がまた魅力的って言うか―」
本人を差し置いて勝手に盛り上がるクラス内の女子達であるが、彼女達とは正反対に男子達は心底つまらなさそうな顔でひそひそと話し合っている。
「くそ、毎日毎日うぜーよな。あんなチビのどこが良いってんだよ?」
「はっ、どうでも良いだろ。別にクラスの女子にモテているからってどうだってんだよ? そもそも俺は恋愛とかに興味ねぇし…」
「お、俺だってそうだよ。見た目だけで人を判断する頭の軽い女に好かれても嬉しくねぇし……いや、まあアイツは運動も出来るかもだけどよ。でも大事なのはハートだからな…」
口ではどうでも良いなどと言ってはいるが明らかに羨ましがっている男子達。
クラス内ではいい意味でも悪い意味でも河琉の事で持ち切りであった。しかし教室内に残っているクラスメイトの中に1人だけ河琉に対しては微塵も興味を示していない生徒も居た。
「……ふふ」
その生徒はクラスで窓際の一番端の方の席に座って居る女子、猪錠刹那であった。
彼女は今話題となっている河琉の事など気にも留めず、手元のスマートフォンを見てニマニマと笑っている。
「うわ…またスマホ見て笑ってるよ猪錠さん」
「ねー…ちょっと怖いよねあの娘…」
クラスの女子達は席に座って一人でニヤニヤと笑っている刹那を見て薄気味悪がっている。それは男子達にも言える事で、基本的にこのクラスで自分から好き好んで彼女に近づく者は居ない。
外見だけで言うのであればそれなりに整っており、もしも普通の女の子の様な屈託のない笑みの1つでも見せれば受け入れてもらえるだろう。だが同じクラスとなってからは彼女はいつも他の人間とは一線を画す得体の知れない雰囲気を醸し出していた。どこかこう…理由がないなら積極的に関わり合いを持ちたくない感じが本能的にしたのだ。そして誰も関わってほしくない、それは刹那の方からも無言で圧を掛けて来ていた気がする。
だが高校生というのはストレスが溜まりやすく、そして悪知恵なども身に付いてきている年頃の生き物だ。ほんの些細な切っ掛け1つで自分の欲求の為に他者を平然と傷つけられるものだ。
この猪錠刹那は夏休みに入る少し前までイジメを受けていた。
だが彼女がイジメられていた相手はこのクラス内の人間ではない。他のクラスの複数人の女子からイジメられていたのだ。相手の方も同じクラスよりも他のクラスの人間を標的にした方が犯行が発覚する可能性も低くなると思ったからだ。仮にバレたとしても証拠さえ残さなければ大事にはならないと高を括っていた。
刹那をイジメていた相手の犯行動機は分からない。だがそこまで大きな理由ではないだろう。きっと日頃の中で溜まって行った鬱憤を晴らす為だと思われる。
クラス内の人間達は刹那が多分誰かからイジメを受けていると察してはいた。時々制服に足跡が付いていたり、頭から水でも被ったのか髪が湿っていた現場を目撃しているからだ。だがクラスメイト達はその事を追及したりなどしなかった。面倒ごとに巻き込まれるのは誰だって嫌だろう。ましてや相手が特に親しくも無ければ、むしろ煙たがっている相手ならば猶の事だ。そして信じられないことに担任の教師ですら何も言わなかった。刹那がイジメを受けていると何となく察していながらだ。まあ今時の教師は一昔前の様な熱血溢れるタイプも少ない。生徒の為でなく自分の保身を最優先的に考える教師の方が多いだろう。
だがある日、刹那に対する嫌がらせは突然終わった。
別に本人から誰も聞いたわけではないが、今まで度々見かけていた彼女のイジメを受けていた制服などの被害の痕跡などもいつの間にかなくなっていたからだ。
だがその際にこのクラスの男子の1人が偶々廊下で彼女とすれ違った際にこんなセリフを聞いたらしい。
――『アイツ等…今度は爪だけじゃなくて目を抉ってやる……』
自分の耳に聴こえて来たその物騒すぎるセリフにその男子は思わず金縛りにあったかのようにしばし廊下のど真ん中で動けなくなったらしい。
もちろん自分の聞き間違えかもしれない。彼女のこのセリフが自分をイジメ続けて来た相手に向けているかすらも分からないのだ。
だがこの日にこの男子は改めて良く理解できた。あの女には決して関わりを持ってはいけないと……。
触らぬ神に祟りなし、同じクラスとは言え会話すらしたことが無い相手であるならば今後も関わらなければいい。勿論自分が聞いたかもしれないこの話も誰にもしなくても良い。今まで通り見て見ぬふりをし続けようとこの男子は心から誓った。




