黄美がああなった原因、加江須君にもあるんじゃない?
もう一度黄美ときちんと話をしてみると言って彼女を捜し出しに行った加江須。
仁乃と愛理はそんな彼の後をこっそりとつけていた。それが少し卑しい行為である事は二人も自覚している、だが胸の内に嫌な残留物が留まり続けているかのような感覚が消えてくれなかったのだ。
「あ…図書室から黄美が出て来た…」
廊下の曲がり角の陰に隠れて様子を窺っていた愛理が図書室から出て来た黄美の姿を見つける。いつも昼休み時には姿をくらましていたがあんな所で時間を潰していたみたいだ。当然彼女の存在には加江須も気付いており、そのまま向き合って対峙する形となっている。だが黄美はしばし加江須と見つめ合ったと思えばそのまま立ち去ろうとしてしまった。
そんな彼女を慌てて引き留める加江須であるが、その後に繰り広げられる会話はハッキリ言って聞くに堪えない物であった。何故なら黄美は質問にきちんと答えるどころか逆に加江須を一方的に責め続けているのだから。
「………」
仁乃は思わず飛び出しそうになってしまう自分を必死に抑制する。それは愛理も同じであり、彼女も歯を食いしばってあの場に飛び込む事を堪えているのは表情を見れば明白だ。
だがそんな二人の忍耐も次に目に入った黄美の行動で完全に抑えが効かなくなった。
「なっ、黄美のヤツ…!」
なんと黄美は加江須の頬を思いっきり引っぱたいたのだ。何一つ落ち度などない筈の加江須の事を一方的にだ。
気が付いた時には仁乃と愛理の二人は同時に物陰から飛び出して黄美の名前を呼んでいた。
「何やってんのよ馬鹿黄美!」
愛理の叫びに反応して背を向けて立ち去ろうとしていた黄美がこちらへと視線を向けた。
そのまま睨み合うような形となり、数秒間視線が交錯した後に仁乃が一歩前に出て黄美へと話し掛けた。
「一体どういう事かちゃんとした説明はあるのかしら黄美? そうまでして加江須を拒む理由があるんでしょうね?」
「……」
愛理と違って声を荒げこそはしていない、していないがやはり怒りが彼女の内から滲み出ていた。その証拠にいつの間にか仁乃の彼女への呼び方が『黄美さん』から『黄美』と呼び捨てとなっているのだ。しかもぶら下げている腕の先の拳はブルブルと小刻みに震えていた。
当然だが黄美だって二人が自分の行動に対して怒りが込み上げている事は重々承知だ。それでも彼女は不敵に笑うと今度は仁乃と愛理の方に攻撃する標的を移したのだ。
「あんたたちこそ何でそこまでコイツに執着している訳? 冷静に考えてみればこの男は複数の恋人を侍らせているお調子乗りの節操無し男よ。私はただ目が覚めただけ」
今まであれだけ愛情を向けていた相手に信じられない程の侮辱を浴びせる黄美。
まるで刃物でザクザクと胸を抉られている気分になり加江須の表情は目に見えて暗く沈んでいる。そんな大好きな彼の悲痛な表情をこれ以上見たくなかった仁乃はもう1歩前進して黄美に掴みかかろうとした。
だがそれよりも先に愛理がすでに手を出していた。
「もうそれ以上は何も喋んな!!」
――パァンッ……。
乾いた音が廊下へと響き、先程の加江須と同じように今度は愛理が黄美の頬を引っぱたいていた。それも叩かれた頬が少し赤みを帯びる程に強くだ。
だが叩かれた黄美はと言うと怯む様子もなく、そのまま愛理の頬をお返しと言わんばかりに叩き返して来た。
「ぐっ…この!」
「……ッ!」
とうとう平手打ちでは留まらずに二人は互いの制服をガッチリと掴み合う程の大事へと発展した。
「あんたは、あんたは加江須君の事を誰よりも好いていたと思っていた! だって彼と幼馴染としての縁を切られたときに死にそうな顔をしていたじゃない! それがどうしてこうまで手の平返しみたいな真似が出来るんだよ!?」
「あんたには関係ない! 久利加江須に限った話じゃないのよ! 私はもうあの節操無し男だけじゃなくてアンタ等とも絡む気なんてないのよ!!」
互いに髪の毛を掴み合って激しく揉み合い続け、気が付けば遠巻きに何人かの生徒が不安げに様子を窺っていた。
次第に人が集まって来た事に怒りの他に焦りの感情が湧いて来る仁乃。このままでは最悪教師まで出張って来そうだと思っているとある人物がこの騒動を止めてくれた。
「もうそこまでにしろ二人とも」
本気で掴み合っている愛理と黄美の間に加江須が割って入り喧嘩を強引に中断させる。
無理矢理引き剥がされた二人はまだ息は荒く、特に黄美に至っては加江須に対して睨んですらいるのだ。その彼に対する態度がまたしても彼女の中で怒りをメラメラとわかせるのだが、加江須は再び激昂する愛理の口元を手で隠してもう何も言わなくていいと仕草で伝える。
「……黄美、もう分かったよ」
加江須はどこか悲しそうな眼で黄美の事を見つめてそう言った。
「例えどんな理由であっても俺はお前に嫌われる事をしてしまった。だから俺と別れたいと言うならその意思は尊重するよ」
「なっ、加江……!」
加江須の言葉に愛理が口を挟もうとするが、その口を背後に立っていた仁乃が手で覆って黙らせる。
「今まで楽しかったよ…さようなら……」
そう言うと加江須は愛理と仁乃の二人へと目配せをし、こうして3人はその場から立ち去って行った。
その後ろ姿を見つめていた黄美は3人の姿を依然と冷たいままの瞳で睨みつけていたが、その姿が廊下の角を曲がり消えた途端に悲しそうな瞳へと一気に変わった。
「………」
口元を震わせて必死に何かを堪えているかのような態度をいきなり表情に曝け出し、目元を制服の袖でゴシゴシと擦りながら自分のクラスへと反対方向から戻って行った。
「ごめんなさい…ごめんなさい……」
◆◆◆
放課後となり帰路へとついている加江須たち。そこには当然であるが黄美の姿はなく、今日の学園での昼休憩の時以上に暗い雰囲気が漂っていた。
そんな空気の中で愛理は悔しそうな顔をしながら黄美に対しての怒りをぶつけていた。
「信じられない…どうしてあそこまで酷い事が言えるのアイツは? 今までずっと一緒に居た私たちに対して……」
愛理にとって黄美は親友であった。だからこそ彼女に対して今抱いている怒りは仁乃は勿論、もしかしたら加江須よりも大きかったのかもしれない。
少なくともあれだけの事を言ってきたのだ。とてもではないがもう今までの様な親友と言う関係を保ち続ける事など出来ないと愛理は思っていた。それは仁乃も同様であり、あそこまで露骨に拒否されてしまった以上は今まで通りの関係に戻す事は出来ない、自分たちと彼女の間の溝は深まり過ぎて修復不可能だとすら考えていた。
だがこの二人とは違い、加江須だけはまだ黄美の事を見限ってなどいなかった。
「とりあえず今はそっとしておこう。もしもまた彼女が話したい事があると言うならその時にでもちゃんと訳を尋ねるとしよう」
「……本気で言っている?」
加江須の言葉に対して愛理が納得いかないと言った顔でそう言って来た。
「加江須君はさぁ悔しくないの? いくら恋人とは言え、幼馴染とは言えああまで自分の事を理不尽気味に貶して来た相手を受け入れられるの?」
「確かに…確かに正直な事を言えば傷ついたさ。でもやっぱり俺にはあいつが本気であんな事を言っているとは思いきれないんだ」
正直に言えば今の黄美は無理をしてあんなセリフを自分にぶつけて来たと思えて仕方がなかった。そう思う理由は彼女が自分を嫌った具体的な理由をちゃんと述べていない点だ。自分と一緒に居ると平穏に生きていけない、確かにそれが理由で自分の元から去る事もあり得るだろう。でもだとするなら普通にその事を言えばいいのではないだろうか。あそこまで過剰に罵声を浴びせなくてもいい筈だ。あれではまるで適当な理由で別れを告げ、そして自分を嫌って欲しくてわざと怒らせるかの様に仕向けている気がしてならないのだ。
そんな彼の言い分は仁乃には少し理解できた。こうまでいきなり極端になれば何か事情があるのではないかと彼女も考えていた。まあだからと言って彼女のあの乱暴な態度を許せる気にはなれないが。
だが加江須の言葉に愛理は苦虫を噛み潰したかのような顔をして物言いを始めた。
「ねえ加江須君…何か事情があるって言っているけどその証拠はどこにあるの?」
そう言われてしまうと何も言い返せない。実際に自分のこの考えが間違いないと言える決定的証拠があるわけではない。それに当の本人も理由を述べているのであれば猶の事だ。
「こういう事はあまり言いたくないけど…加江須君って昔の黄美に色々と本音を隠した照れ隠しで色々と今日みたいに罵声をぶつけられていたんだよね? その事を全く見抜けなかった君が何を根拠として黄美のあの暴言が嘘偽りだって確証を持てるの?」
「そ、それは……」
愛理の口から出て来たこの言葉はかなり痛手だった。
そう、その通りなのだ。過去の自分は照れ隠しの黄美の言葉を真に受けてしまった。本当の彼女を見抜くことが出来なかった。そんな自分が黄美のあの暴言の数々が本当か嘘か見極められるかと言われれば甚だ疑問に思われるだろう。
愛理の鋭すぎる指摘で完全に言葉を失ってしまう加江須。そこへ愛理は意識してか知らずかは分からないが更に彼を追い詰めてしまう。
「加江須君って私たちを大切にしてくれている。それはちゃんと伝わるけどさ……真剣に向きあってくれているの? ただ相手が大好き、その心を持ち続ける事だけで彼氏なんて言えるのかな?」
「ちょっと愛理それは……」
「……今の加江須君にはこれ言うの酷かもだけど……黄美があそこまで攻撃的な部分を持つようになった原因はさ、断言できないけど長い間彼女を叱らずただ幼馴染として優しくしていただけの加江須君にもあるんじゃないのかな……」
「!!??」
愛理のその言葉は加江須にとってはこの上なく衝撃的だった。
確かに俺は……ずっと長い間黄美の幼馴染として近くに居ながら何も言わずただ傍に居ようとしただけだ。そして結果的には一度は彼女の口から出て来た言葉を真実と受け止め中身を見ずに縁すら切ろうとした。
あれ……あれ……何だこれは? これじゃあまるで…黄美があんな性格になった元凶はかつての自分にあるみたいじゃないか……!!!




