拒絶と平手打ち
新在間学園の屋上では加江須たちがいつもの様に集まって昼食を取っていた。だが空気はどこか重苦しく、その輪の中には一人の少女の姿が見当たらなかった。
「……今日も黄美さんとはまともに会話できなかったわね」
仁乃が弁当箱のウインナーを箸で摘まみながらそうぼやく。
彼女のその言葉に対して加江須と愛理は何も言わず無言のままだ。いや何も言えないと言った方が正しいのかもしれない。
少し前にこの学園の近くには形奈が半ゲダツ達と共に攻め入ろうとしていた。しかしその真の狙いは加江須の無力化であった。そのせいで黄美は形奈の手によって人質となってしまい、加江須たちは窮地に陥りかけた。だが何とか余羽の奇襲によって形奈たちを撃退することが出来たのだがその日以降から黄美の様子が急変した。
「あの日から黄美とはまともに会話をしていないな」
そう言いながら加江須は覇気のない声で呟き、自分の指にはめてある指輪を眺める。
彼の指にはめられている指輪は黄美が持っていた神具である。彼女はイザナミから渡されたこの指輪を自分へと突き返したのだ。
「なあ愛理、クラスでは黄美はどんな感じなんだ?」
「知らないよあんな娘!」
加江須の質問に対して愛理は持参した弁当の中身をドカ食いする。
この中で愛理は黄美とクラスが同じために必然的に3人の中で一番顔を合わせる機会が多い。
加江須に別れ話をして辛辣な態度を取った事を知った愛理は黄美に詰め寄った。だが必死の形相の愛理に対して黄美はただ一言だけこう言った。
――『別に、もう危ない目に遭いたくないから別れたのよ。あんたも所詮は一般人なんだからアイツとはもう別れたら?』
彼女がそう言った時には愛理は思いっきり彼女を引っぱたいてやろうとすら思ったらしい。だが予想以上に怒りは大きく手を出す気すらも通り越してしまったらしい。
その日以降は同じクラスでありながら親友である二人は会話すらしていないらしい。
「信じられないよ黄美のやつ! あれだけ大好きだって言っていた加江須君をあんな小さな理由で……!」
加江須の事を真剣に好いている愛理からすれば黄美のあの発言は到底許せるものではなかった。勿論それは愛理だけでなく、仁乃だって怒りを感じてしまった。だが冷静に考えるとやはり解せないのだ。
「ねえ加江須、あんたは黄美さんが本気で自分を嫌っていると思う?」
これまでずっと一緒に居たから仁乃には良く分かっていた。あの黄美が心から加江須に対して情愛を抱いている事に。それにかつては一度彼女は加江須に対して幼馴染としての縁を切られかけて心底絶望していた。そんな彼女が自分から、しかもこんな形で加江須との関係を断つとは考えれなかったのだ。
そしてそれは加江須本人も同じ思いであった。もしかしたら自惚れかと思われても仕方がないかもしれないが黄美が自分を本当に嫌いになったのかと思えなかった。もし仮に嫌われたとしてもあんな辛辣な言い方をするだろうか?
「……やっぱりもう一度黄美と話し合ってみようと思う」
空になった弁当箱を見つめながら加江須はそう呟いた。
彼女に別れ話をされた後に加江須は黄美と直接会話をしていない。クラスが違うと言うのもあるが、今の様な昼休み時など時間がある時でも彼女は明らかにこちらとの接触を避けて姿を隠しているのだ。
直接自宅まで押しかけてみようかとも考えたが、別れ話を切り出した際に見せた彼女のあの冷たい瞳が頭の中から消えてくれなかった。もしまた拒絶されたらどうしようと、そんな情けない考えがこべりついて離れてくれなかったのだ。それ故にあれから数日間は積極的に家まで押しかけようと思えなかったのだ。
「……だからっていつまでもこのままでいい訳がないよな」
そう言うと加江須は弁当箱を仕舞い込んで立ち上がった。
「今から黄美に会いに行くよ。もし彼女が俺を嫌いになったとしてもちゃんと理由が知りたい。あの時に俺に危険な目に遭いたくないから、なんて言ったがそれが本当の理由とは思えないからな」
そう言うと加江須は二人を置いて屋上を出て行く。
青空の下に取り残された仁乃と愛理は互いに顔を見合わせ一度頷くとこっそりと彼の後を追った。
◆◆◆
加江須たちが屋上に居る間は黄美は図書室で本を読んでいた。
物静かに読書をしているその姿はとても絵になっており、周りの男子はその出で立ちに見惚れていた。
机に座ってから一度も席を立たなかった彼女であるが、壁に掛けてある時計を見てそろそろ午後の授業が始まる事を確認すると席を立ち読んでいた本を本棚へと仕舞った。
図書室を出てクラスまで戻ろうとする彼女であるが、歩いている廊下の通路の先には今会いたくなかった男子生徒が立っていた。
「黄美……」
「……」
目の前に現れたのはかつての恋人であり、しばし無言で見つめていた彼女であるが背を向けて大回りしてでも別方向から自分のクラスへと行こうとする。
だが目の前から立ち去ろうとする彼女の事を加江須は引き留める。
「待ってくれ黄美。お前とはきちんと話がしたいんだ」
「……何?」
どこか不機嫌そうな低い声で返事は返してくれた。だがこちらへと向ける目は明らかに関わりたくないと言う色が強く出ており、その瞳を見て思わず声が喉元で詰まりそうになってしまう。とても少し前まではカエちゃんと甘えてくれた人物とは同一とは思えなかった。しかし怯んでなどいられない。ちゃんと真実を訊かなければ納得など出来ない気持ちが彼の中で勝った。
「この間の別れ話の事で話をしたいんだ。何で急にあんな風に別れ話を切って来たのか…」
「あんたも女々しい男ね。あんたとの関係を終わらせた理由なんてもう説明したでしょ」
そのことについて話す事なんて何もないと言う黄美。
もちろん加江須だって別れる際の理由は憶えている。だがやはりあんな理由で彼女が自分の元から離れたとは思えなかった。
だから彼は改めてちゃんと理由を教えてくれと懇願する。
「もし黄美が俺の事を本気で嫌いになったと言うならそれでもいいんだ。好きでもない男にいつまでも付きまとわれるのも嫌だろうし。でも…でも俺にはあの時にお前が俺と別れる為に口にした言葉が真実とは思えないんだ。だから真実を述べて欲しい……」
そう言いながら黄美の凍える様な瞳を恐れず怯まずに真髄に向かい合う。
「……ぷっ」
加江須の強い瞳と言葉をぶつけられた彼女はしばし無言であったが、次の瞬間には小さく吹き出し――そして最後には腹を抱えて笑い出したのだ。
「あははははは! 何を言い出すかと思えば私の言葉が真実だとは思えない? あははは、あんた如きがなにを私をちゃんと理解しているかのように言っているのよ?」
眼の端に涙を溜め、完全に自分を馬鹿にしているとしか思えない態度、そして嘲笑うかのような笑い声は加江須の心を少しずつガリガリと削って行く。そしてやがて笑い終えた彼女は口元を大きく歪ませて自分を責め始めて来た。
「あんたさぁ、さも自分が恋人の事を何でもかんでも分かっていますって顔して話しているけどさぁ、複数人の恋人をたぶらかしている現状についてはどう思っている訳?」
「え、それは…」
黄美の口から投げかけられた質問は加江須の心に動揺を与え、いつの間にか質問していた側の彼が問い詰められるかのような形となっていた。
「あんたは私の事を全て理解しているつもりでさっきから話を進めているけど実際に本当に私の全てを把握している? 心の底から理解できている? 複数人の女性と恋仲関係を持っておきながら……」
「それは……」
そこを言われてしまうと加江須はもう何も言えなくなってしまった。確かに黄美の言う事も分かる気がする。複数の女性と結びつきを持って偉そうに黄美の全てを分かっていますと言う顔をするのはお門違いなのかもしれない。
ちゃんと話を聞こうとしていた彼の中の決心は揺らいでいき、そんな不安定に陥りかけている彼を更に黄美は追い込んでいく。
「それは? ねえ、それは…の後に何を言おうとしたの? もしかして『それは黄美がみんなを恋人にしてしまえば万事解決だって言ったから…』そう言おうとでもしたのかしら?」
「ち、違う! 確かに黄美も俺がみんなを彼女にすることは賛成していたがそれは関係ない! 皆を平等に愛すると誓ったのは俺の意思だ!」
加江須は決して黄美にも責任があるだなんて考えていない。しかしそう訴えても彼女は小さく溜め息を吐いて睨みつけて来た。
「黄美も賛成していたが……そう考えている時点で私の言葉が切っ掛けだったと言っている様にしか聞こえないわね。まあでも、遅かれ早かれ私はあんたと別れるべきかと考えていたわ。だってそうでしょう? 女性関係にこうまでだらしない男にいつまでも付いて行けないわ」
そう言うと彼女は加江須の顔に自身の顔を近づけ、吐息がかかる距離まで近づいた状態で囁くように言葉をぶつける。
「どちらにせよもう私はあんたとはこの先は赤の他人でいたいの。節操無しの男がこれ以上気安く話しかけてこないで。もう私の事は遠慮なく恋人はおろか幼馴染として見なくてもいいから」
そう言って黄美はもうこれ以上は話す事は無いと言わんばかりの態度を見せてこの場を離れようとする。
だがやはり納得しきれない加江須はもう一度黄泉へと手を伸ばした。
「待ってくれ黄美。俺はまだ……」
――バシンッ!
気が付けば自分の頬には激しい衝撃が走り、ジンジンと熱が帯びてある。
「気安く名前で呼ばないで女誑し」
そう言って今度こそ立ち去ろうとした彼女であったが、ここで第三者が彼女を止めに入って来た。
「何やってんのよ馬鹿黄美!!」
声の方へと振り返るとそこにはこちらを睨みつける愛理と仁乃が怒気を漂わせて立っていた。




