積み上げて来たものは後輩の手で崩されて…
河琉が転生戦士としての力を大人げなく使いボクシング部を圧倒した翌日、その出来事は瞬く間に学園内に広まっていた。
河琉の所属しているクラス内でもその話題で持ち切りであり、皆が全員その事で盛り上がっていた。
「ねーねー聞いた? 昨日の放課後での河琉君がボクシング部の連中と戦かったって話し…」
「聞いた聞いた。でも何だか信じられないよねぇ。あの大人しそうな河琉君がねぇ……」
クラス内の人間達は大部分がその噂を信じてなどいなかった。それもそのはず、どう考えても運動、ましてやボクシングの様な拳のやり合いなどとは無縁そうな彼が殴り合いの集団を圧倒するなど信じられないのだ。だがクラスメイト達はこの噂が真実かどうかは判らないが、それでも彼が夏休み明けからどこか様子が変化していた事を感じ取っていた。
「でも夏休み明けの河琉君ってどこか雰囲気が変わっていたのも事実だよね。どこか大人びていると言うか……」
「あ~…それは分かるかも」
クラス内で生徒達が話し合っていると教室のドアが開いた。
そして教室内に入って来たのはまさに今話題となっている張本人の河琉であった。
「くぁ……」
欠伸をしながら教室へと入って行くと女子連中が彼の元へと集まって早速噂の審議を確かめようとしてきた。
「ねえねえ河琉君。昨日の放課後にボクシング部で戦って圧勝したって本当?」
朝一から囲まれてめんどくさそうな顔をする河琉は『ああそうだよ』と短く一言だけ言っておいた。
当の本人が肯定した事で周りの生徒達は本当だったのかと思ったが、それでも信用できない生徒はまだ大勢いた。
「嘘に決まっているだろ。ソイツが殴り合いなんてするタイプに見えるか?」
男子の1人が嘘に決まっていると口にする。
普段であれば女子達が河琉の事を庇い立てするが、しかし今回はいくら本人が嘘でないと言っても体格的に信じられない気持ちが拭いきれず困り果てる。
そして調子づいたその男子は河琉の目の前までやって来てこんな事を言い始める。
「お前なんかが運動部の連中に勝てるかよ。ほれ、試しに俺と腕相撲でもしてみるか?」
どうせ断るに決まっていると思っていた男子であるが、河琉は面倒だと言う表情をしながらも肘を机に乗せて相手になると態度で示す。別に周りがどう反応しようと興味はない、だがこうして直接因縁を付けて来た相手に付け上がられるのも気分が悪い。
「へえ…おもしろいじゃねぇか…」
河琉と同様に肘を付いてガッチリと手を握り合う。互いに肘を支点として腕相撲がスタートした。
「オラァッ!!」
腹の底から声を出して普段は女子に寄り添われている気に入らないクラスメイトを思い知らせようとする男子であるが、全力で筋肉を酷使しているにも関わらずまるで岩の様に河琉の腕はスタート位置の中央から微動だにしない。
「ぐぎ…ぐぐぐ……ッ!?」
目を血走らせて歯を食いしばり必死の形相を浮かべている。それに対して河琉の表情はまだ朝の眠気が抜け切っていない様な顔をしておりまるで苦戦している様子がない。
そしてそのまま彼は一瞬だけ力を入れて対戦相手の腕を机へと叩きつけた。
「な…あ…」
勝負の結果に信じられないと言った顔をする男子、いやクラスに居る全員が同じような顔をしていた。
「ま…マジかよ…」
「わざと負けたんじゃねぇの? だって明らかに玖寂のヤツやる気無さそうな顔していたぞ」
「でもアイツから勝負売って来たんだぞ。負ける理由だってないだろうし…」
ざわつき始めるクラスの様子などお構いなしに河琉はふああっと女の子の様な気の抜けた顔で欠伸をすると担任の教師が来るまで寝て過ごそうと机に突っ伏した。
◆◆◆
「くそ…あんな結果認めねぇぞ…」
3年生のとある教室内では1人の男子生徒が親指の爪を噛みながら怒りに満ち溢れていた。周りに居る生徒達はその男子の怒気に恐れて距離を置いている。
その男子は昨日に河琉に見事に返り討ちにされてしまったボクシング部エースの袴田であった。
「あんなのただの偶然に決まっている。俺があんなヤツに負けるなんて……」
昨日のスパーリングでの勝敗に彼は納得いっていなかった。今まで学園内では敵なしであった自分があんなヒョロそうなもやしみたいな後輩に負けた、とてもじゃないが受け入れられる結果ではない。
だが彼が負けた噂はもう学園内に広まっており、クラスの連中は自分の事について陰でコソコソと話している。
「アイツ1年に負けたって本当かよ?」
「俺もその話聞いたぜ。たくっ…普段偉そうな態度している癖に大した事ねぇじゃん」
「ダサいよねー。ちょっとイイ感じの男子だと思っていたのに幻滅って言うか~…」
今まで大会でも好成績を残して普通の生徒よりももてはやされていた彼であったが、昨日の1件で完全に周りからは失望されていた。彼自身も自分に対して少し過剰に自画自賛していた傾向もあったせいで尚更だろう。
勝てば官軍負ければ賊軍と言うことわざがある。まさに今の彼に言えることだ。今までは調子のよかった自分の勢いに酔いしれてそれを包み隠さず誰にでも自慢していた、だが後輩の帰宅部の人間に負けたとなればこれまでの輝きも失われてしまう。
「くそ…許せねぇ……」
自分の周りからの賞賛を奪い去ったあの玖寂河琉が恨めしくて仕方がなかった。
それにボクシング部の連中の事も気に喰わなかった。何故なら彼等はあの玖寂を正式にウチの部に入部出来ないかを考えているのだ。あれだけ恥をかかせた相手を入部させるなど袴田からすれば納得できる筈も無かった。
当然だが袴田はあんなヤツを自分たちの部へと誘うなんてどうかしていると訴えた。だが周りは態度はともかく実力は本物である事を評価して聞く耳を持たなかった。
「(何だよアイツ等は。これまで俺の言う事に背くなんてした事ないのに……)」
これまでは自分の言う事に背くヤツなんて基本は居なかった。だがそれは彼が最強の部員だったからこそだ。だが彼以上に有望な人材を見つければ極端なもので今までの様に自分に尊敬を念を向けられなくなってしまった。
自分の積み上げて来たものを全ておじゃんにされてしまった彼は机の下で自慢の拳を固く握りしめた。
絶対に許しておけるか。自分の全てを奪い去っておきながら今ものうのうと学園で平穏に生きているあの玖寂河琉が許せない! 許せない許せない許せない!!!
その想いと共に彼の形相は般若の様に変化しており、その鬼が宿った顔を見たクラスメイト達はますます彼から距離を置いて遠巻きに震えていた。
◆◆◆
放課後となると河琉は校舎裏へと足を運んでいた。
本当であればすぐにでも直帰したいところではあるが下駄箱に1つの手紙が入っていた。一瞬自分で言うのもなんであるがラブレターの類かと思っていたが、封筒の端には『袴田』と言う名前が入っていたのだ。
「まだ何かオレに用があるのか? もし勧誘だったら無視して帰ってやるからな」
昨日の約束の件でもうボクシング部とは関わり合いはないだろうと思っていたが、まさかそのボクシング部のエースから呼び出される事になるとは。だが気になるのはわざわざ手紙を名指しで下駄箱に入れていた点だ。部への勧誘ならこんな回りくどい方法を取って来るとも思えない。となれば部全体ではなく袴田個人から何か話があるのではないかと考え呼び出しに応じる事にしたのだ。
校舎裏へとたどり着くとそこには呼び出し人である袴田本人が立っていた。しかし他には誰も居らず、やはり彼個人として自分に用があったようだ。
「何の用だ? わざわざこんな物まで下駄箱に入れて」
相変わらず先輩相手でも敬語を使わない不遜な態度。
昨日はそんな彼の態度に僅かに癇に障る程度で済んだ、だが今の袴田にはその後輩らしからぬ態度だけでも怒りがこみあげて来る。
「おい何なんだその態度は? 仮にも先輩だぞ、敬語くらい使えや」
苛立ち気味に乱暴な口調で咎めて来た袴田に一瞬驚く河琉であるが、すぐに失笑気味に笑った。
「昨日は特に咎めなかったじゃないか。昨日の負けっぷりが癪に障るから今更そんな事で注意なんて入れちゃって…」
その言葉に袴田は一気に頭の中が沸騰してこちらへと目掛けて走り込んで来た。しかも両の拳を固く握りしめた状態でだ。明らかに殴る気満々と言った感じに呆れる河琉。当然そんな直情に任せた拳など当たってやる義理は無い。
紙一重でひょいっと避けてやる。しかもその際に足を引っ掛けて派手に転ばせる。
「おいおいこんな所を部員や顧問に見られたら不味いんじゃないのか? まあだから人気の無い校舎裏に呼んだんだろうけど」
「ぐ、うるせぇ! てめぇのせいで俺の築き上げたモンが何もかも台無しだ!! どう落とし前付けてくれんだよ!!」
袴田は唾を飛ばして喚きながら剥き出しの拳を血が滲む程に握りしめて顔面へと放つ。
風を切って顔面に伸びて来る拳を河琉はまたしても避ける。その後も牛の様に突っ込んで来る袴田の事をやり過ごし続ける。
「てめぇ避けるな! 逃げ腰野郎が!!」
「はあ……めんどくさいなっと」
振りぬかれる拳を回避すると河琉は彼の肩のあたりに鋭い蹴りを見舞ってやった。その速度は袴田の振り回し続ける拳など比較にならず反応すらできない。しかも彼の放った蹴りは袴田の肩を外してしまったのだ。
しかも河琉は脱臼した方の部分にもう一撃の蹴りを入れてやった。
「ああああああああ!?」
脱臼状態の肩に凄まじい蹴りを叩き込めば当然信じがたい痛みがその部分に生じる。
今までの怒りの形相が一瞬で消えて泣き顔へと変わる袴田。
「痛い痛い痛い!!」
「あーあー…情けねぇな…」
喧嘩を一方的に売って来ておきながら子供の様に泣きべそをかく先輩に呆れ果ててしまう。もうこのまま放置して帰ろうかと思ったその時であった。
「何をしているんですか?」
声の聴こえる方に顔を向けるとそこには自分と同じ転生戦士の武桐白がこちらを厳しい眼で睨んでいた。




