自覚する恋心
夕焼け空から日が落ちてきて外の景色は薄暗くなり、視界が一気に悪くなった世界で加江須と仁乃の二人は帰路へとついていた。しかし加江須は自分の家でなく、仁乃の家へと一緒に向かっていた。
「別に見送りなんてよかったのに…心配性なんだから」
「そうもいくかよ。ついさっきゲダツに襲われたばかりだろ。やっぱり心配なんだよ」
「……ありがと」
夜の道を並んで歩く2人。街灯の明かりが点々と道を照らしているが、転生して強化された二人の視覚は光の途切れている場所まで綺麗に見えていた。
送り届けなくても大丈夫だと仁乃は言ったが、どこか不安がぬぐいきれなかった加江須は彼女を自宅まで送り届けてくれると言い出したのだ。仁乃本人はそこまでしなくてもいいと言ってくれたのだが……。
――『いいから送らせてくれよ。お前にまたもしもの事があったら心配だ』
加江須の真剣な眼差しで見つめられて断り切れずに承諾してしまったのだ。ちなみに濡れた服はもう加江須の炎で乾かしているので透き通っていた制服も乾き街中を歩けるようになった。
それにしても先程から仁乃の心は落ち着きがなかった。
「(う~…)」
隣を歩いている加江須の事を盗み見しながら心の中で唸る仁乃。
今日の1件で自分を助けてくれた時から自分の彼を見る目が変わった気がする。今までは同じ境遇の者同士、共通の秘密を持っている間柄の存在だったはずなのに、今は彼に対して安心感だけでなく、上手くは言えないが彼と言う人間の事をもっと知りたいと思っている。
「(こうして一緒に歩いているだけなのになんかドキドキするし…うぅ~…)」
隣で歩いている加江須は別段いつも通りの落ち着いた表情をしている。それとは対照的に自分だけ変に相手を意識している事に少し腹が立った。
「(もう少し何か反応しなさいよ。女の子と夜道で二人っきりで歩いているんだから……って私は何を考えているのよ!?)」
頭をブンブンと振って今考えている事を頭の片隅へと追いやる。
黙っていると色々と余計な事を考えてしまう為、何か話題でも見つけて話しかけようと考える仁乃。
頭の中で試行錯誤し何か盛り上がりそうな話題を考えていると、彼女の脳裏に今日に学園廊下で加江須と愛野の会話シーンが蘇って来た。
まだ自宅までそれなりに距離があるためその事について聞いてみる事にした。
「あのさ加江須、ちょっと聞きたい事があるんだけどいい?」
「うん? なんだよ…」
「今日さ、あんた愛野さんと何やら話をしていたけど彼女とは仲が良いの?」
「………」
「(あ、あれ?)」
今まで普通の顔をしていた加江須であったが、この質問をされると明らかに表情の変化が見られた。
どこか面倒くさそうな、聞かれたくない事を聞かれたかのような迷惑そうな表情へと変化したのだ。
急な表情変化に戸惑っていた仁乃を見て、彼女に不快感を与えてしまったと思い軽く謝りながら自分と黄美の関係を語り始める。
「アイツとは幼馴染なんだよ。一応な……」
「あっ、そうだったんだ。ふ~ん…」
学園の有名人である彼女と面識があるどころか幼馴染である事を知り納得をする仁乃。しかしだとしたら仁乃には気がかりな事があった。
「……愛野さんと仲悪いの?」
廊下で見かけた際、彼女と話をしていた加江須の表情はどうみても楽し気に幼馴染と会話をしている風体には見えなかった。現に今だって彼女の話題を振った途端に表情が明確に変化をした。
仁乃の質問に対して加江須は疲れたように答え始める。
「正直、俺とアイツの仲は良くない。少なくとも幼馴染と言うだけで俺はアイツと進んで会話をしようとはしない」
加江須はそう言って頭をガリガリと少し苛立ち気味にかきながら答える。
厳密にいえば黄美の事をもう加江須は切り捨てたのだが、それを受け入れない黄美が事あるごとに自分に寄り付いてきているといったのが現状だろう。
「………」
仁乃の質問に答えると今日の学園での黄美との会話が思い出された。
◆◆◆
自分のクラスを出るとまるで待ち伏せしていたかのように表れた黄美。
彼女の姿を見た途端に加江須の眉間にはしわが寄り、小さく舌打ちを漏らした。
「わざわざ何の用だよ。クラスの前までやって来て…」
教室を出て廊下に出た加江須は黄美を睨みつけながら何をしに来たかを尋ねると、彼女は笑顔を浮かべながら当たり前のようにこう言った。
「幼馴染を迎えに来るのは当然だよカエちゃん。一緒に帰ろ♪」
「……はぁ~……」
相変わらず彼女の行動の意図がつかめない加江須。
今までとはまるで正反対の反応を取り、ことあるごとに自分の近くまで歩み寄ってくる姿勢。そして転生前はどれだけ求めても一度も向けてくれなかった笑顔を向けてくる。
「(今更過ぎるんだよ。もうお前の笑顔は俺の神経を逆なでするだけだと気づけよ。この冷血女が…)」
自分の気など知らずに微笑みかけている黄美を心中で毒づいた。
彼女が今まで冷たく当たって来たのは素直になれないからだと、そう彼女自身言っていたがそこが加江須には理解できなかった。素直になれない人間自体は珍しくなければ、そんな人間の吐く照れ隠しだってよくある事だ。だが目の前の女はその度を越え、自分の存在をムシケラと同じ、いやそれ以下と罵り続けて来た。
「(素直になれないからつい俺をああも貶し続けて来たってか。それを何事もなく忘れ、そのまま許されるとでも思っているのか?)」
かつての黄美も今の自分は最低だと断じる事に迷いはしないが、今の黄美の態度の急変にも腹が立つ。自分は素直になれなかっただけ、ソレを告白して今までの自分は偽物であったと言って済ませようとする。そんな身勝手な、世間ずれした自己中心の考えを押し付け、そして強要させようとしている今の彼女に自分が靡くわけがない。
「ねえカエちゃん。久しぶりに私の家に来ない? 一緒に今までできなかった分も含めてお話ししましょう」
ニコニコと笑みを浮かべながら手を引いてくる黄美。
そんな彼女の話を蹴る意思を見せ、強引に彼女の手をほどき会話を打ち切ってその場を離れようとする。
「俺もこの後用事があるんだ」
「そうなんだ。うん…じゃあまた今度誘うね」
「お断りだ」
短く簡潔にそう伝えてその場を離れて行く加江須。
長々と話して余計な時間を彼女と一緒に過ごしたくすらなかった。
「………」
離れて行く加江須の後ろ姿を笑みを浮かべながら見送る黄美。しかし笑っているのは口元だけで彼女の瞳は光がともっておらず、ヘドロの様に濁っていた。
◆◆◆
「アイツとの関係はそこまで深くない。幼馴染と言うだけでソレだけだ」
「…そうなんだ」
加江須が今日の出来事を思い返しながら仁乃に自分と黄美は形だけの幼馴染である事を告げると、仁乃は頷きながら内心でホッとしていた。
「(え…何で私はホッとしたの?)」
加江須が黄美と幼馴染であると知った時、内心で自分は少し焦っていた。具体的に言えばもし加江須が愛野さんと付き合っていたらどうしようなどと考えていた。そしてそれが杞憂である事を知ると今度はホッとしたのだ。
まるで加江須がその幼馴染に恋をしていない事を安堵した様な……。
「(な、何を考えているのよ私は!? 別に加江須が誰と付き合おうが関係ないじゃない)」
そう思って仁乃は加江須の隣に誰かが並んで立っているイメージを頭の中でするが、その隣に立っている人物が無意識のうちに自分にすげ替えられる。
そこまで行くと、彼女は自分の胸の内にあるこの感情が何なのか理解できた。
「(もしかして私……加江須の事が好きになっちゃってる……?)」
自分は隣で歩いている彼の事が好きになっている。そう考えても全く嫌悪感はなく、むしろそんな関係になれば嬉しいとすら思っている自分が心の内にいる。
「……ねえ加江須、あんたって今付き合ってる人ととかいんの?」
「ぶっ! な、なんだよソレ。別にいないけど…」
大胆過ぎる質問をしている事を自覚しながらも彼が誰とも恋仲に発展していない事を知り、まだまだ自分にもチャンスがある事を理解した仁乃。ならば思い切って加江須に接近するチャンスがある今を逃す手はない。
「あ、あのさ加江須……」
仁乃が加江須に声を掛けようとしたが、ふと前を見るともう自分の家の前までやって来ていた。
「あ…ここがウチよ」
「お、着いたみたいだな。じゃあ俺はここまでにするよ」
無事に送り届けた事を確認した加江須はそのまま仁乃を置いて自分の家へと帰ろうと踵を返した。
「じゃあな仁乃。また明日」
「あ…うん。また明日…」
手を上げて別れの挨拶をする加江須に同じように返事をする仁乃であったが、その内心はまだ別れたくはなかった。思い切って彼により迫ろうと決心したと同時に自宅へとたどり着いてしまったのでアタックするチャンスを逃してしまった。
遠ざかっていく加江須の背中を見つめながら仁乃は胸の前でキュッと手を結ぶ。
彼女は別れを口にしていたが、その心はこのまま離れる事を納得してはいなかった。
――このまま離れるなんてダメ! チャンスのあるうちにイケ!!
自分の胸の内から押し出されるその感情に仁乃は素直に従い、勢いよく加江須の元まで走って彼の服の裾を掴んだ。
「ん、どうした仁乃? 何か言い忘れた事でもあるのか」
たった今別れを告げたばかりにもかかわらず引き止められた加江須は彼女が何か伝え忘れた事でもあるのかと思った。
しかし仁乃は一時の激情に身を任せたため何も考えておらず、彼の服を掴みながら必死にその理由を構築する。
そして加江須が次に口を開くよりも先に何とか理由をこじつけられた。
「きょ、今日私の下着を見た償い…今週の休みに美味しいスイーツ店でも連れてってチャラにしなさい…」
「わざわざその念押しかよ。はいはい分かりました」
まだ根に持っていたのかと呆れる加江須に対し、仁乃は内心で自己嫌悪していた。
「(私のバカ。もっと上手い誘い方だってあったじゃない。それこそ深く考えずに一緒に買い物にでも行こうとか…)」
恥ずかしさのあまりつい本音を隠してしまう仁乃。本当は一緒にデートをしたいと思っていたが、ソレを直接言うのはまだ自分には早すぎた。
とにもかくにも行動の甲斐もあり二人で出かける口実が出来た。この休日の内にもっと距離を詰められればそれでいい。
加江須の服から手を離すと、ビシッと指を突き付け改めて念を押しておく。
「今週の休み、土曜か日曜は空けておきなさいよ! そ、そのどちらかに償ってもらうんだから!!」
「はいはい、分かりましたよお嬢様」
そう言って加江須は仁乃の頭をグリグリと撫でてやる。
加江須の不意打ちの頭をなでると言う行為に思わず腰が抜けそうになる仁乃。赤くなった顔を見られたくない彼女はそのままダッシュで家の中へと駆け込んでいく。
ドアを開くと、顔を半分だけ覗かせ2度目の別れの挨拶を告げる。
「じぁあね。また明日」
「ああ、また明日な仁乃」
「……うん」
そう言ってドアを閉める仁乃。
彼女の姿が見えなくなった後、その場を立ち去っていく加江須。
「さて、早く家に戻るか。大分遅くなってきた」
そう言うと加江須はそのまま大きく跳躍して近くの住宅の屋根の上に飛び乗り、そのままピョンピョンと跳ねながら姿を消していく。
しかしこの時、屋根を飛び移って行く加江須の動きを観察している者が居た。
「はっえ~…。やっぱやるな、あのやろー…」
加江須とは少し離れた位置、この住宅街にあるマンションの屋上から強化されている視覚で遠ざかる加江須を眺めながらひとりの少女が呟いた。
加江須が仁乃と家の前で話している時、彼女はずっと加江須の様子を眺めていたのだ。
「さて…どうしたもんかなぁ…あの男」
今の暗闇と同じ、黒い髪をポニーテールに縛っている、見たところ仁乃と同じくらいの年齢の少女は消えて行った加江須の事を考えて頭を悩ませていた。
「ゲダツの討伐の数で願いを叶えてもらえる以上……あんまりアイツに横取りされるわけにもいかねぇしなぁ~……」
そう言いながら彼女は加江須とは正反対の方向へと跳んでいき、その姿を暗闇に中へと消していった。




