完全な八つ当たり
形奈との激闘後、加江須たちは余羽の治療を受けて学園へと帰還していた。言うまでもなく昼休憩の時間はとうに過ぎており全員が職員室へと呼ばれ説教を受ける事となった。理由に関しては適当に誤魔化しておいたが訝しがられてしまい追及されるほどに内心では全員がビクビクしていた。
「あーもー反省文なんてあんまりだよねぇ。こっちは世界の陰に潜む悪と戦っていたのにさぁ」
学園が終わり放課後の下校時に愛理が教師から与えられたペナルティにぼやいていた。しかしゲダツと戦っていましたなんて口にしても信じてもらえるはずもない。故に時間を忘れてサボっていたと言った方がまだ誤魔化すには最適な理由だろう。そしてこんな理由を述べればこのくらいの罰を与えられても致し方ないだろう。
「でも先生も黄美がサボっていたって言うのは中々信じてくれなかったね」
「まあ無理も無いだろ。黄美は学校でも優等生で知られているし、なあ黄美」
愛理の言葉に相槌を打ちながら黄美へと話しかける加江須であるが返事は返って来なかった。彼女はずっと俯きながら暗い表情をしている。
明らかに意気消沈している姿に加江須たちは顔を見合わせて話し合う。
「何か黄美が明らかにしょげているんだけど…」
「多分あの形奈とか言うヤツとの戦いの事を引きずっているんじゃ…人質にされてしまったし…」
「まあ気持ちはわかるけどなぁ。俺だってまたアイツを逃がしてしまった訳だし…」
出来る事なら形奈の事を仕留めておきたかった加江須としても取り逃がした事はかなりの痛手だと思っている。
しかしもう終わった事、今ここで悔やんでもどうしようもないので自分なりに励ましてあげようと気を遣う加江須。
「そうしょげるなよ黄美。お前は今回が初の実戦だったんだし…。それに仁乃から聞いた話だと半ゲダツに対しては圧倒していたらしいじゃないか。初の戦闘でそれだけできれば十分だって」
少しでも沈んでいる彼女を慰めてあげればと思ってそう口にする加江須であったが、今の彼女にはその優しさはかえって苦しかった。
「気を使ってくれてありがとうカエちゃん。でも私に気を遣わずもっと言いたい事はハッキリと言った方が良いと思うけどな…」
そう言いながら黄美は地面へと俯かせていた顔を持ち上げて加江須へと顔を向けて来た。
その表情はどこか哀愁に満ちており悲し気な笑みを見て加江須は思わず言葉が出てこなかった。そしてそんな言葉に詰まった彼の反応はますます黄美の心を追い詰めていく。
「そうだよね。私が間抜けに敵に捕らえられてしまったせいでカエちゃんは大怪我までして……思い出したら腹が立って何も言えなくなるよね」
「え、いや、別に俺が黙り込んだのはそう言う意味じゃ…」
「隠さなくてもいいよ。私が足を引っ張ったせいでカエちゃんがあんな風に玩具の様にいたぶられてしまった事はちゃんと理解しているから」
そんな自分自身を卑下するかの様なセリフにどう言葉を掛けて上げればいいのか分からず困ってしまう加江須と仁乃。だが黄美と付き合いの長い愛理だけはすぐに口を挟んで来た。
「ちょっと黄美、別に加江須君はあんたの事を責めている訳じゃないって。だからそんな自分のせいだなんて言い方は止めなよ。そんな言い方したら加江須君だって責任感じてしまうじゃん」
「私だって責任を感じているからこそ自分のミスをハッキリと正直に言っているんだけど? それともあんたみたいに反省文のような目先の面倒ごとについてグチグチと愚痴を零していた方が良かった?」
愛理に対して言い返して来た黄美の発言はどこか喧嘩腰の様であり、売り言葉に買い言葉となって愛理もムッとなり言い返してしまった。
「何不貞腐れているのよアンタ? 私はただ終わった事をいつまでも引きずって周りを困らせるなって言いたいだけよ」
「終わった事をいつまでも…ね…。ふふ…今が良ければそれでいい、愛理らしい刹那的な思考ね」
「ちょっと二人とも…」
何だか二人の言い合いが次第にエスカレートして行っている気配が漂い始め、そろそろ止めに入ろうとする仁乃と加江須であるが火がついてしまった二人は周囲の静止の声を無視して更に過激に言い争い始める。
「大体さぁ、加江須君はアンタに何か不満を言っていた? 勝手に責任感じるのは自由だけどまるで慰めて欲しそうに自分のミスを口に出すなんてみみっちいとは思わない?」
「一番最初に戦線離脱した人がそう言うと説得力あるわね。何しろアンタはずっと気絶して寝ていたわけだからね」
「ぐ…アンタまじでいい加減にしなさいよ!」
ついに我慢の限界が来てしまった愛理は直接手を出してしまった。
彼女は黄美の腕を掴んでグイッと自分の方へと引き寄せる。苛立ちをありありと表情に浮かべている愛理とは対照的に黄美はどこか失笑気味であった。
「言葉で説き伏せられないから暴力? 随分と野蛮ね。せっかくならその暴虐性を戦いに活かせばよかったのにね」
黄美は口からはんっ、とどこか人を小馬鹿にするかの様な笑いを吐き出して愛理を侮辱するかのような態度を取る。
いくら何でも行き過ぎた態度に加江須は強引に二人を引きはがそうとする。
だが彼が二人を引きはがすよりも先に愛理は手を出してしまったのだ。
――パンッ……。
乾いた音がこの場に居る全員の耳へと響く。
愛理の平手打ちが黄美の頬を感情を抑えきれずに引っぱたいてしまったのだ。
「………」
「………」
叩かれた頬を押さえて視線を下へと向ける黄美。
感情を堪え切れずについ手を出してしまった事に気まずそうな顔をする愛理。
そんな二人にどう声を掛ければいいのか分からず戸惑ってしまう加江須と仁乃。
しばし無言の時間が過ぎ、そこへ風が吹き抜けていくと黄美はその場から走り出して3人から離れて行く。
「おい待つんだ黄美!!」
彼女の名前を叫んで手を伸ばす加江須であったがその声に彼女は反応せずに走り去って行く。伸ばした手は去って行く彼女を掴むことも、逆にこの手を掴まれる事もなく何もない空を切る。
後を追おうかとも考えた加江須であるが背後からすすり泣く声が聴こえ振り返る。そこには目元を擦って背中を向ける愛理の姿が映り込む。
「ほら泣かないの愛理。大丈夫よ、そんな泣かないで…」
「ぐす……私何やってるんだろ……」
愛理としてもただ沈んだ親友を慰めてあげたいと言う気持ちから注意しただけであった。だが思わずカッとなりついには手を出してしまった自分を責めて後悔した。そんな彼女を宥めて上げる仁乃。
「手を出す気なんてなかったのに。私最低だよ」
「……大丈夫だよ愛理」
加江須はポンポンと涙声で震えている彼女の頭を撫でて上げる。
「誰だって虫の居所が悪くて喧嘩なんてよくある事さ。実際俺だって黄美とは昔はかなり揉めていた訳だし」
かつての自分はあと一歩で黄美と完全に決別寸前まで関係が破綻しかけた事があるくらいだ。それでも今は恋仲にまでなったのだ。それに比べれば友人同士の軽い言い合いなんてよくある事だと慰めてあげる。
「心配しなくても明日には黄美だって頭が冷えているはずだ」
「うん…明日ちゃんと謝らないと……」
目元をグシグシと擦って涙を拭う愛理。明日にはちゃんと親友に謝ろうと心に誓う彼女であったが事態は思わぬ展開へと発展する事をこの時の愛理、いや加江須も仁乃も予測できなかった。
◆◆◆
加江須の静止の声も振り切って走り続ける黄美。
まるで、いや完全な八つ当たり行為を親友に働いてしまった事に自己嫌悪で押しつぶされそうになりながら走り続けていた。
「何やっているのよ私は!? 励まそうとしてくれた親友に何を言っているのよ!!」
時間を巻き戻せるなら今すぐにでも巻き戻したい。
だがそんな都合の良い妄想など脳内で描いたところで時は巻き戻ってはくれない。自分がぶつけてしまった言葉も態度も無かった事にはならないのだ。
一心不乱にとにかく走り続ける彼女の瞳からは零れた涙が地面にポツポツと落ちて行く。
「はあ、はあ……きゃん!」
足をもつらせて地面に転んでしまう黄美。
うつぶせの状態で制服を汚しながら倒れる彼女は起き上がることなく体を震わせる。
「ぐす…ごめんなさい。ごめん…なさい…」
彼女は地面にうつ伏せのまま謝罪を何度も繰り返す。それは愛理に対して働いた暴言や態度だけではなかった。
彼女の口から出て来る『ごめんなさい』は自分の失態によって傷ついてしまった仲間たち全員に向けての言葉であった。自分がむざむざ人質になってしまったせいで仁乃も加江須も大怪我を負った。あの時は余羽の介入のお陰で形奈を追い返せたし傷だって治す事ができた。でももしもあの場に余羽が存在しなかったとしたら今頃どうなっていた?
「私は…役立たずだ…」
何がカエちゃんと一緒に戦うだ。一緒に戦うどころか足を引っ張るだけの自分など居ない方がいいじゃないか。
「私が一緒に居てもカエちゃんと戦えない。それどころか大好きな彼を危険な目に遭わせてしまうかもしれない」
自分の無力さを完全に理解できた彼女はゆっくりと起き上がる。
制服についた汚れを払う事もせずにまるで幽鬼の様に再び歩き始める黄美。
「………」
そんな彼女の顔には何かを決心したかのような表情を浮かべており、光の灯っていない虚ろな瞳は生気を感じさせない程に不気味であった。
そんな感情がごっそりと抜け落ちてしまったかのような状態で彼女は独り呟いた。
「もっとも大切な人にもう二度と迷惑を掛けたくない。その為に私が取るべき行動は……」
そう呟いている彼女の瞳からはまたしてもポタポタと透明な雫が地面へと落ちて行った。




