一気に泥沼へと沈む高校生
「くそがッ、あのババアどういうつもりだよ!?」
公園のブランコに座りながら奥手はガリガリと親指の爪を噛んで激しく激怒に駆られていた。
怪しげではあったがある女性のお陰で超人になれて有頂天になっていたが一気に浮ついていた気分は下降して行った。それもそうだろう。自分の家に当たり前に帰宅しただけで不審者扱いを受けたのだから。しかも自分を不審者扱いした相手はあろうことか実の母親だ。
「くそ、何か嫌な事でもあったのかよ?」
ブランコを漕ぎながら母親のあの対応に対しての推測をする奥手。
自分の家庭内では夫婦喧嘩は一般家庭よりも遥かに回数が多いと思う。その原因は父親の短期な性格にあるのだろう。理不尽な事で怒る事は決してないが、逆にほんの些細な事でも過剰に反応してしまう節が父にはある。そんな理由で父から怒鳴られる母にもストレスが溜まり、その鬱憤を晴らす為なのか自分より下の立場である息子の俺に当たる事が多々あった。
「……でも八つ当たりにしては少しおかしかったな。あんな嫌がらせなんていつものババアならしねぇはずだけど……」
それに今にして思えばあの母は別段怒りが残留していた気配は無かった。まるで本当に赤の他人が家に押し寄せて来て恐怖を抱いていたような感じだった。だがだからこそ分からないのだ。どうして自分の息子にあんな瞳を、そしてあんな発言をぶつけてきたのか。
「誰かと見間違えたか? いやそんな訳ねぇよな。ここまで育てた息子の顔を見間違えるわけもねぇし…」
やはりもう一度家へと帰って見ようとする奥手であるが、公園を出ると見知った顔が視界に入る。
「あ…あいつら…」
奥手の視線の先には自分と同じクラスの男子二人が並んで歩いていた。決して親友という訳ではないがそれなりに交流のあるクラスメイトを見て何気なしに声を掛ける事にした。この胸の中に溜まっている鬱憤を吐き出して誰かに理解してもらいたいと言う気持ちが恐らくあったのだろう。
「おーいお前ら今帰りか?」
そう軽々しい口調でクラスメイトへと声を掛けた奥手であるが相手の反応が予想していたものとは随分と異なっていた。
「「………」」
気さくに声を掛けて来た奥手を見て訝しむかのような視線を向けて来たのだ。
それに二人だけで話している様だが会話の内容も奥手の耳へと聴こえて来た。
「おい誰だあれ。お前の知り合いか?」
「知らねぇって…気持ちわりぃな…」
常人相手の聴覚なら聴き取れない声量だが、知らずに半ゲダツとなっている彼の鼓膜には二人の言葉がハッキリと届いており不機嫌そうに顔を歪めた。
「おい何他人のフリしてんだよお前ら」
「はあ? フリも何もお前なんか知らねぇよ」
「そうだよ。どこの誰だよお前?」
奥手が強気に問い詰めると相手の方もムッとした顔で言い返して来た。先程の母親と同様に見知らぬ他人の様な扱いを受けた彼は額に血管を浮き出して男子の1人の肩に手を掛けた。
「ふざけるのをやめろって言っているんだよ。俺をからかって何かメリットでもあんのかよ?」
「いってぇな、離せよお前!」
少し強く肩を握られて乱暴に振りほどかれる奥手の手。その迷惑そうな顔と共に行われた行為は一気に怒りの沸点が低い彼を最大限に刺激してしまった。
言葉で言い返すよりも自然と手が出てしまったと言えばいいだろうか。突き出した両手が目の前のクラスメイトの体を思いっきり突き飛ばしてしまったのだ。
彼が突き飛ばした男子は一気に吹き飛び、そのまま背後にある塀に頭部を思いっきり強くぶつけてしまった。
「あがッ!?」
後頭部に激しい衝撃が走ると同時にその男子はグルンと白目をむき、そのまま動かなくなる。
「え…え…?」
まるで漫画のような吹き飛び方にもう一人の男子は言葉を失ってしまった。それは奥手の方も同じでありちゃんと加減したつもりが予想以上に相手が吹っ飛んでしまったのだ。
しばし言葉を失い続けその場には静寂が訪れるが、塀に頭を打った男子の姿を見た友人は次の瞬間に悲鳴を上げた。
「う、うおおおおおお!?」
止まり続けていた思考は塀にぶつかりおびただしい量の血を頭部からダクダクと流している友人の姿で再始動した。
友人の後頭部からは止めどなく赤い液体が零れ地面に小さな血の池を作り、更には口からは泡を吹いてピクピクと痙攣までしている。
「おいしっかりしろ! きゅ、救急車!!」
半死状態の友人に駆け寄り急いでスマホで連絡を取ろうとする男子だが、彼がスマホを取り出すと同時に友人はビクンッと一際大きく体を痙攣させた後に動かなくなる。
「う…うそだよな?」
まさかと思い友人は彼の腕を取ると脈を確かめてみるが……。
「じょ、冗談だろ。おい…」
脈を計ると同時に一気に彼の顔は青ざめ、さらに心臓に耳を押し当てて鼓動を確かめるがやはり彼はもう……。
「……死んでる」
小さく呟かれたその事実を耳にした奥手はえっと間抜けな一言を漏らして呆然とする。
友人の亡骸を抱えながら青ざめていた男子はひっと悲鳴を上げてその骸から手を離す。それから視線は奥手の方へと移動していき、彼の顔を数秒間まじまじと見つめた後に周囲に響き渡る程の大音量で叫んだ。
「うわああああああああああッ!?」
喉が裂けるのではないかと思う程の絶叫と共に立ち上がってこの場から逃げ出そうとする男子。しかしダッシュで逃げようとする意思とは相反して恐怖に屈している脚は思うように動いてくれない。
ここで呆然としていた奥手もようやく我に返ると今更ながらに慌てふためく。
「ひ、人殺しだぁぁぁぁ!!」
「て、てめえ黙れ!!」
幸いなことに周囲には人気は無いのでこの耳障りな男子の声は誰も拾ってはいないだろうがそれでもいつ人が来るかも分からない。この状況を第三者に目撃されれば自分の人生はもう終わりだ。いくら未成年だからと言っても人殺しなんて知られれば不味すぎる。
自分の人生を守るためにこの男をこの場から逃がすわけにはいかないと思い逃げようとしている男子を一瞬で捕えて口元を押さえる。
「人殺し! ひと…もがっ…!」
「黙れって言っているだろ!!」
口を覆って言葉を外へと漏らすまいとする奥手であるが、相手も殺されると思い叫ぶことを一向に止めようとしない。
「(くそ、とりあえずここから逃げねぇと!)」
まずはこの場から離れた方が良いと思う奥手であるが口を覆っている彼はもがいて逃げようとし続ける。そんな男子の抵抗が腹立たしく感じると同時に逃げられるかもしれないと言う焦燥感が心を圧迫する。
気が付けば奥手の口を塞いでいる方とは逆、空いているもう片方の手で彼の首を思いっきり握りしめたのだ。
「ぐげっ!?」
首を掴まれると同時に彼の口からは鶏の首を絞めた時に出て来るかのような声が飛び出て来る。
「は…な…せ…!」
首を絞められているせいで声が思うように出てこない。顔を真っ赤にしつつ口の端から泡を吹きながら自分の首を絞めている手を外そうとする男子だが相手は半ゲダツだ。ただの人間である彼とは肉体のスペックがまるで違い蛇の様に絡まる手を振りほどけない。それどころかドンドン圧迫感が強まっていく。
「かひゅ…!」
小さな空気の漏れる音が彼の口から出た次の瞬間――
「黙れって言っているだろ!!」
――ボギンッ……。
奥手の手の中には何か硬いものをへし折った感触が伝わる。そしてその音が伝わると同時に自分の手が掴んでいる彼の首が不自然な方向へと捻じ曲がっていた。
不自然に曲がっている首がぐるんと背後に居る自分へと向けられ、乾いた瞳が自分の顔を覗き込んだ。
「な…うそ…だろ…?」
もう相手が死んでいる事が明白でありながらも現実を受け入れきれない彼は掴んでいる男子の体を揺さぶった。しかしどれだけ彼の体を揺すろうが反応を何も見せなければ不自然に傾いている首の角度も元には戻らない。
口元から血を垂らしながら乾いた瞳で見続けるだけだ。
「そ…そんな…」
力強く握っていた男子の首をバッと離してしまう奥手。
拘束が解けた男子はすぐ近くで後頭部から大量出血している彼と同じように骸となり果てて地面に物体として転がる。
「ひ…ひ…ひ…!」
勢いの余り更にもう一人の人間の命を掠め取ってしまった彼はガクガクと脚を震わせる事しか出来なかった。
「ち、違う。俺は殺す気なんてなかったんだ」
一体誰に向かって言い訳しているのか自分自身でも分らず独りでに呟いた。
でも今言ったように正にその通りなんだよ! 俺は殺人なんて犯す気なんて微塵もなかったんだよ!! こんなものは事故だ事故!! 俺はただ少し他人扱いしたクラスメイトを突き飛ばしただけだ! 俺はただ事故で死んでしまっただけなのにクラスメイトが人殺し扱いした事を否定しようと呼び止めようとしただけだ! そうだよ、そうなんだよ。これは事故に過ぎない、不慮の事故に過ぎないんだよ!!
必死に自分の行いを正当化しようと言い訳を心中で延々と繰り返すが、すぐ傍でもう〝物体〟となっている二つの物体を見て罪悪感が滲んでくる。
「何で…どうしてこうなるんだよ?」
今しがた人を殺めた自身の両手を見つめる奥手。
せっかくチート体質となりこれからバラ色の人生を歩めると思っていたのに一気に底なしの沼に沈んでいった気分だ。いや気分などではなくソレが現実だ。
「お、俺は悪くない。勝手に死んだ脆弱なこの二人が悪いんだよ!」
その身勝手なセリフを吐きながらその場から逃げ出す奥手。
彼が消えたその現場に残ったのは物言わぬ二つの肉の塊だけが転がっていた。




