校舎裏への呼び出し
長期の休み明けという事もありいつもよりも長く感じた学校生活もようやく終わり時刻は放課後となった。今日から部活動がある生徒達はそれぞれの部室へと向かう中、帰宅部である加江須は校舎裏へと向かっている途中であった。ある人物から呼び出しを受けていたからだ。
「よお来たぜ。それで話って何だ?」
「………」
加江須を校舎裏へと呼び出したのは同じクラスの蓮亜奥手であった。
彼は昼休みに何やら自分と話をしたそうにしていたが仁乃に連れ出されたのでその場は結局話を聞けずじまいで終わったので放課後に改めて話をする事になったのだ。
目的の場所まで赴くと既に奥手が待っており、ポケットの両手を突っ込んでこちらを見ている。
「昼休みの時には悪かったな。改めて話を聞くよ」
そう言いながら愛想よく声を掛ける加江須であるがやはり相手の様子がおかしい。昼休みの時にも思ったがどこか自分の事を忌々し気に見ている気がする。自分の勘違いだろうか?
とは言え因縁を付けられる理由が見当たらずに戸惑っていると奥手がようやく口を開いた。
「お前さ、夏休みに入る前から急におかしくなったよな?」
「え、おかしく? すまん言っている意味がよく分からないんだが…」
奥手に言われている言葉の真意が良く分からず首を傾げていると彼は少し詰め寄って来て誤魔化すなと言って来た。
「誤魔化すなよ。お前がいきなり別人の様に運動神経が爆発的に上がっただろ。少しのトレーニングであんなあからさまな変化があるかよ。運動部の連中にもよく助っ人に来てくれないかって頼まれているだろ?」
「ああ、それは…」
奥手の言葉に加江須は少しだけ焦っていた。
転生初日から自分の身体能力については色々と突っ込まれていた。まあ当然と言えば当然だろう。今まで何の変哲もない男がいきなり超人となっていれば訝しむのも当たり前だ。その時はとりあえずは今まで力を隠していたと誤魔化せていたがやはり彼の様におかしいと思う輩も出て来たみたいだ。
さてどう誤魔化そうかと考えていると質問に答えるよりも先に奥手がありもしない言いがかりを付けて来た。
「何か危ない薬でもやってんじゃないのか? ドーピングとかよ?」
「おい変ないちゃもんを付けるなよ。俺は危ねぇモノに手なんて出してねぇよ?」
予想外の因縁を付けられてカチンと来る加江須であるが、そんな彼の神経をさらに逆撫でするかのような発言を続ける奥手。
「どうだろうな? クラスでは今まで本気を出していなかったなんて言っていたがそれも本当かどうか? それとも今まで力を隠しておいて俺らの事を内心で嘲笑っていたのかよ?」
「おいお前いい加減にしろよ。一体何のために俺を呼び出したんだよ?」
黙って聞いていればありもしない事実で人を逆撫でする事ばかり言われてさすがに怒りが湧いて来る。
加江須の表情に怒りが滲み始めて来た事でさすがに奥手も僅かに怯み始める。だが彼は引き下がらず三日前にホームセンターで見ていたある事実を口にする。
「お前さ、複数の女子生徒と交際しているんだって? 少し前にホームセンターで楽しそうに複数の女子と話している所を見たぜ」
「なっ…」
彼の口から出て来た言葉は怒りを抱いていた加江須に動揺を与えた。
「え、いや…えーっと…」
「あからさまな反応だな。見え見えなんだから誤魔化すなよ」
絵にかいたように分かりやすくあたふたする加江須の姿に呆れる奥手。
「いや、その……」
今までは学園でははぐらかしていたが遂にバレてしまったので焦る加江須であるが、次の目の前の奥手から放たれた言葉は再び彼に怒りの炎を灯した。
「この事実が学園内で広まればお前の恋人達もすんげぇ立場悪くなるんだろうな?」
この言葉が吐かれた瞬間に加江須は彼の胸ぐらを掴んでいた。
反応する事も出来ず一瞬で詰め寄られて胸ぐらを締めあげられた彼は驚きと共に苦しそうな顔をする。
そんな彼の苦悶の表情など無視して加江須は低い声で静かにこう言った。
「お前もしも彼女たちの学校生活を脅かす様な噂を面白半分に広めてみろ。その時は後悔させてやるよ」
「つ、強気じゃねぇか。複数の女と関係を持って自分は潔白だと言えんのかよ?」
その言葉で一瞬だけ言葉が詰まってしまったがすぐにまた厳しい目に戻る。
「俺が複数の恋人を持っている事がバレる事は覚悟していたさ。だがお前は明らかにその事実を面白半分に悪意を含んで周囲に言いふらそうとしているだろ。俺はそれが許せないって言っているんだよ」
「ぐっ、は、離せよこの女たらしがッ!」
何とか自分の胸ぐらを掴んでいる加江須の手を振りほどこうとしたが万力の様にガッチリと掴まれ、どれだけ力を籠めても引き剥がせる気がしない。やはりこの異常なまでの力、絶対に何かおかしい。この男には何か秘密があると半ば確信を持つ奥手。
「いいから離せって…おい…!」
「……ふん」
ようやく奥手の事を解放してやる加江須。
彼は手こそは放したが未だに厳しい眼で睨み続けてきている。異常な握力とその眼力に内心でビビる奥手であったがその内の中の恐怖を呑み込み彼は質問を続ける。
「ゲホッ…やっぱりお前おかしいって。体育教師でもこんな力ねぇぞ。マジでお前に何があったんだよ?」
「………」
さすがに転生戦士や神力の事までは話せないので黙秘をする加江須であるがそれが不味かった。彼が黙り込んだ事でこの男には何か秘密があると勘繰られてしまったのだ。とは言え奥手の推測はそんなあやふやのところまでしか届かない。まさか彼が一度死んで生き返って転生戦士となったなどと漫画みたいな展開など想像できないだろう。
「なあ、お前そんなに急にモテる様になった秘訣は何だよ? 何か特別なトレーニングでもしてんのかよ?」
「………」
どうやら目の前の男は自分を脅す為などではなく単純に恋人の居る自分の事が羨ましかっただけのようだ。
これ以上は付き合っていられないと判断した加江須は無言で背を向けて立ち去って行こうとする。
「おい待てよ久利! あんな簡単に複数の彼女が持てたんだ。お前なら女の都合だって簡単にできるんだろ? 俺にも紹介してくれよ」
立ち去ろうとする加江須を呼び止めようと何とも浅ましい頼み事をしてくる奥手。
正直これ以上は聴くに堪えなかった。今すぐにでもこの場から消えたいと思った彼であったがこの男には釘を刺しておいた方が良いだろう。
「蓮亜…もしも俺の恋人を貶める様な事をしてみろ。その時は俺も容赦はしない」
そう言いながら加江須はギロリと蓮亜の事を射殺さんばかりに睨みつけた。
幾多のゲダツを倒して来た彼の眼力は一般人には決して宿らない強い殺気が含まれており、そんな凄まじいプレッシャーをまともに受けた奥手は思わず腰が抜けてしまった。
「いいな、くどいようだがもう一度だけ念を押しておく。俺の恋人達を貶めてみろ。その時は……」
そこから先はあえて口にはせず彼はその場から立ち去って行く。
遠ざかって行く加江須の背中を見つめている奥手は何も言えないまま腰を抜かしてその場で尻もちを着き続ける事しか出来なかった。だが彼の姿が見えなくなると途端に怒りが込み上げて汚らしく唾を飛ばしながら喚き散らす。
「あの野郎ふざけやがって! 複数の女と関係持って俺に説教かよ! くそムカつくぜ!!」
怒りの余り近くに転がっていた石を掴み取るとソレを校舎の窓ガラス目掛けてぶん投げた。
力の限り投げられた石は校舎の窓ガラスを1枚砕き、我に返った奥手は周囲を確認して目撃者がいない事を確認するとその場から急いで立ち去って行った。
◆◆◆
校舎裏から校門の方へと歩いて行きながら加江須は奥手の言っていた言葉が頭から離れないでいた。
――『この事実が学園内で広まればお前の恋人達もすんげぇ立場悪くなるんだろうな?』
このセリフだけは中々頭の中から抜け落ちてはくれなかった。
今までは自分に複数人の恋人がいる事が学園にバレれば自分が白い眼で見られる事はもちろん覚悟していた。しかし自分だけでなく恋人達まで変な目で見られるようになるのは嫌だった。だがよくよく考えてみれば奥手の言った通り仁乃たちだって奇異の目で見られる事も十分あり得る。
「………」
自分の大切な人たちが白い眼に晒される事を考えると加江須の胸がずきりと痛む。自分は誰かひとりを贔屓などせず全員を一番に愛していると胸を張って言える自信がある。しかし周囲がそれで納得するとは限らないのだ。軽蔑されるかもしれない。失望されるかもしれない。だが自分一人だけにその感情が向けられるのならば問題ない。でも…でももし恋人達にもそんな視線を向けられたら……。
「くそ…」
いくら頭で考えてもこの場で答えなど出る訳もない。先程の奥手のような人を貶めようとする計略ならば強気に立ち向かえるが一般生徒一人一人の個人的な感情は処理できない。
どうしたものかと途方に暮れていると加江須の耳に聞き慣れた少女たちの声が聴こえて来た。
「おーいカエちゃん! 一緒に帰ろう!」
校門の前には黄美たちが立っており、加江須に一緒に帰ろうと手招きをしてくる。
「教室に迎えに行ったらあんたもう教室出たって聞いたから先に帰ったかと思ったわよ」
「ああ、ちょっとクラスメイトと話していてさ…」
わざわざクラスまで迎えに来てくれていたのか。だとすれば無駄足を取らせて悪かったなと思っていると仁乃が少し訝し気に自分の顔を見て来る。
「ど、どうした仁乃?」
「あんたさぁ…何か嫌な事でもあった?」
仁乃のその言葉にドキリとする加江須。
先程の奥手とのやり取りで気分が沈んでいた事を見抜かれてしまったかと思い少し焦りながらも適当に誤魔化しておいた。
しかしこの時、加江須の胸の中にはある想いが離れてくれなかった。
――『俺はもしかして……みんなを不幸にしてしまうんじゃないのか?』
みんなを幸せにしたいと思って恋仲になった自分だが、もしかして今の関係を選んだことで彼女たちを不幸にしようとしているのではないかと心の片隅で悩んでいた。




