目的の為ならばどこまでも汚れる覚悟
「くそ…まさかこの私がここまでの不覚を取る事になるとはな」
自分の左腕の激痛に脂汗を流しながら堪える形奈。
加江須たちとの戦闘の最中には激しく動いていた為にアドレナリンが分泌していた為か痛覚もかなり麻痺していた。しかし戦闘から離脱し、そして加江須たちから完全に逃げ切ったと自覚した途端に痛みが一気に強くなったのだ。
「ぐぐぐ…畜生が。あの狐め、深々と抉りやがって…」
チラリと左腕を見てみると赤い肉の中から薄っすらと白い物が見えている。恐らくは骨が少し向き出ているのだろう。我ながら何とも痛々しくみすぼらしい姿だ。痛みは時間が経過するほどに増していき残っている片目をギュッとつぶる。
「はあ…はあ…あの狐…少し危険だな」
これほどの深手を負わされたから言える。あの転生戦士は無視できない存在だろう。
「れ、連絡しておいた方が良いかもな…」
痛みを必死に噛み殺しつつ彼女は〝ラスボ〟へと連絡を入れた。
地面の上へと座り込み、自分の膝の上にスマホを乗せると動く右腕1本で番号を入力する。
――プルルルルッ……プルルルルッ……ブツッ。
連絡を入れてからすぐに相手は電話に出てくれた。
『なんだ形奈。お前の方から俺に連絡を入れるなんて珍しいな』
「ああ…緊急事態だ。よく聞いてくれ」
呼吸を僅かに乱しながら形奈は自分の向かったアジト内での出来事をスマホの向こう側に居るラスボへと伝える。転生戦士と人型のゲダツが協力して根城を一つ潰していた事。そしてその転生戦士に深手を負わせられたこと。その話はスマホ越しに居るラスボに僅かばかりだが驚きを見せていた。
『お前に深手を負わせるとはな。相当腕が立つようだ。それに俺たちみたいに転生戦士とゲダツが共闘していると言うのも興味深い』
「ああ、特に転生戦士の小僧の方はかなり厄介だ。ぐっ…同じ転生戦士の私から見ても中々に修羅場を潜り抜けてきたようだな。しかもあの男はまだ…いつっ……まだ粗削りな部分もある。もしも今回戦った時以上に力を蓄えたら脅威になりかねない」
痛みを必死に食いしばって飲み込みながら直接戦った自分の感想を口にする形奈。
その忠告を聞いてラスボはしばし無言となる。だがそれも数秒の事、すぐに返事が返って来た。
『ああ分った。どちらにしろ今現在の根城は全て破棄した方がいいな。俺の方から点々と散っているアジト内の半ゲダツの捨て駒共には連絡を入れておく。恐らくだがその加江須とか言う転生戦士は知っている限りのアジトに踏み込んでくるかもしれない。そうなれば折角作り上げた半ゲダツ達が殺される』
「そうだな。いくら捨て駒とは言えむざむざと失うのもな……ぐっ、悪いが迎えを寄こしてもらえるか? 思った以上に傷が痛む。神力で傷を覆っているがお前の元まで自力でたどり着けるか不安だ」
『ああ分った。今現在の今場所を教えてくれ。迎えをすぐに寄こす』
ラスボがそう言うと形奈は今の自分の所在地を告げるとスマホを切り、そのまま痛む腕を押さえながら横になる。下が地面である事も気にせず一番楽だと思える体制を取る。
「まったく…まさかこんな目に遭うとはな」
そう言いながら彼女はその場で横になりながら目をつぶるのであった。
◆◆◆
形奈がまんまと逃げ延びていた頃に加江須は他の根城の1つへと足を運んでいた。しかし地図に乗っていた根城はもぬけの殻で半ゲダツは1人たりとも見当たらなかった。
加江須たちは知らないだろうが裏で形奈がラスボに連絡をし、そのラスボから全てのアジトに居る半ゲダツ達にそのまま逃げるように指示を出していたからだ。
アジト内は人の出入りがしていた形跡はあるが人の気配はなく、その静かな空間で加江須がボソッと呟いた。
「……誰も居ないか。でもこの部屋の中の様子…さっきまで誰かいた形跡があるぞ」
机の上にはコーヒーが置いてありしかもまだ温かいのだ。つい少し前まで人が居た証だろう。
「もしかしたら逃げられたのかもしれないわね……」
室内を見渡しながらディザイアが残念そうに溜息を吐いている。
「さっきの転生戦士が逃げた後に連絡をしてアジトから逃げるように言ったんじゃないかしら?」
あの転生戦士は確かに強かったが半ゲダツに関してはハッキリ言って加江須の敵でもなんでもない。
実際に先程の攻め込んだ奴らの根城の半ゲダツ達は一瞬で始末できたのだから間違いないだろう。他のアジトの半ゲダツ達もこの分だと似たり寄ったりの実力だろう。
「……もう他の根城に行っても今頃はもぬけの殻と言う事か」
「そうなるわね」
加江須はそう言うと小さく舌打ちをして腹いせに近くの椅子を軽く蹴っ飛ばした。そのせいで床の上を滑っていく椅子をディザイアは目を細めて無言で見つめ続けるのであった。
「今回はこちらからの攻め込みはもうここまでにするべきかもしれないわね。もしかしたら他のアジトの1つに全戦力を集中して待ち伏せをしている可能性だってあるわ」
そう言いながら彼女は今居るアジトから出て行く。
「…ヨウリ悪いな。せっかくのこの地図ももう無駄みたいだ」
戦死してしまったヨウリに謝罪を述べながら彼は奴等の根城を記してある地図を炎で燃やして消し炭にした。メラメラと燃えた地図の残骸が床へと落ち、そして完全に燃え去った。
そのまま二人はアジトを出るとその場で解散をする事にした。
「ここでもう別れよう。ラスボたちが姿を潜めてしまった以上はもう俺とお前が一緒に行動する理由もないだろう」
「そうね。こちらも手駒を1つ失ったけど連中のアジトを1つ壊滅できたと考えれば無駄足でもなかっただろうしね」
「………」
ディザイアのその含みのある言葉に対して加江須は何も言葉を返しはしない。
彼女にとってはヨウリはただの捨て駒、そう心の底から思っている事はもう十分に理解できた。ここで怒りの余り噛み付いても意味もない事も十分に知っている。だから何も言い返す必要は無い。
「じゃあな…」
「ええ、それじゃあね」
加江須は彼女に対して背を向けるとそのまま歩き去って行った。
「強いと言っても所詮は子供ね。私のゲダツとしての一面を垣間見ただけでああまで落ち込むとはね」
そう言うと彼女は加江須とは反対方向へと歩き出し始めた。少なくとも今はこの旋利律市内から出た方が良いだろう。この市内はラスボとやらの半ば縄張りと化している。これ以上留まるのは危険だろう。別にこの市内は自分にとっては思い入れがあるわけでも何でもない。ならば一早く出た方が吉だろう。
「……ねえ綱木、今回は生き返らせて上げれなかったけど次は必ずあなたのことを……」
自分にとっては今回死んでいったヨウリもあの転生戦士の久利加江須もただの目的を遂げるための道具に過ぎない。例えどんな犠牲を払おうとも自分は必ず彼女を蘇らせて見せる。例えこの手が、全身が薄汚れようとも。
「私は元々は人を喰らうゲダツ。どこまでだって汚れても目的を果たして見せるわ。たとえ自分自身のこの命を犠牲にしたとしても…」
誰に言うのでもなくそれはディザイアの覚悟の現れから来る言葉であった。
◆◆◆
――ガタン…ガタン……。
電車の中ではレールの上を通る車輪の音に耳を傾けながら窓の外に映る光景を加江須はぼんやりと眺めていた。もう間もなく旋利律市を出て自分の住んでいる焼失市へと入るだろう。
「……俺は今どんな顔をしているんだろうな?」
小さな消え入りそうな声でそう呟く加江須。
彼のすぐ近くの席で座って居る女性がそんな彼の言葉が聴こえていたようで訝しんでいる顔をこっそりと向けている。その視線に気付きつつも加江須は気付かないふりをして旋利律市での戦いを振り返っていた。
今回の戦いを終えて自分は今どんな感情なのか加江須には理解できなかった。
確かに自分は仲間を目の前で失いはした。だがヨウリは所詮ディザイアと同じ打算的な協力関係に過ぎない。だから白状かもしれないが大きなショックは無いのかもしれない。だが彼はディザイアのあの態度は納得は出来なかった。
あの男は…ヨウリは最後の最後までアイツの為に命を張っていたんだぞ。それなのに死んだアイツに感謝の一言も無しにむしろ蔑むなんて……。
加江須の脳内にはディザイアの言葉が次々と蘇り、それを思い返すと胸の奥底にヘドロの様な嫌な感情が湧きだってくる。
「やるせないよな……」
またしても自然と口から言葉が零れ出て来た。すると彼の近くに座って居る女性は気味が悪くなったのかそそくさと席を移動し始める。
こうして焼失市の駅へと到着して電車を降りる加江須。
もう日も暮れ始めてあと少しで町の中は暗闇で覆われるだろう。その前に家へと帰ろうかと思っていると――
「加江須? あんた何でこんな所に居るのよ?」
「…仁乃?」
駅を出てから少し歩くと栄えている商店街のエリアに入っており、背後から聞き覚えのある女性の声が聴こえて来た。振り返ればそこには自分の恋人である仁乃が立っていた。彼女の手にはスーパー袋が握られている所をみると食材の買い出しだろうか?
「どうしてお前がここに?」
「それはこっちのセリフよ。私は家族から買い物を頼まれたから来たわけだけど……あんたも買い物?」
仁乃の質問に対して一瞬誤魔化そうかとも考えた加江須であるが今回の1件は仁乃にも無関係ではない。相手のラスボとやらはいずれはこの焼失市にも根を張るかもしれないのだ。ならば話はきちんとしておいた方がいいと思い全てを話す事にした加江須。
「実は少し面倒な戦いに巻き込まれてな。お前にも無関係な事じゃない」
「……ゲダツ関係のこと?」
仁乃が神妙な顔でそう尋ねて来たので無言で頷いた。
「…近くに時々足を運んでいるケーキ屋があるの。そこで食べながら聞かせてくれる?」
「別にいいけどもうすぐ夕食の時間帯だぞ」
「デザートは別腹よ。それよりもあんたの話とやらを早く聞かせてよ」
そう言いながら仁乃は加江須の手を取ると腰を据えて話せる場所まで連れて行くのであった。




