ディザイア過去編 転生戦士とゲダツ、知らずの邂逅を果たす
「…随分とこの身体にも慣れて来たものね」
そう言いながらカフェテリアで優雅にコーヒーを飲んでいる菫色の美しい髪の女性。
美貌溢れるその女性を遠巻きにカフェテリア内にいる男性陣たちは眺めている。
「最初こそは戸惑ったけどこの身体に慣れて来ると四足歩行時代よりも過ごしやすいわ」
そう言いながら女性はカップの中のコーヒーを口に含んだ。
カップに口をつけコーヒーを飲んだり、脚を組み替えたりと女性の一挙一動を魅入ってしまう助平心を持つ男性たち。しかし彼等は気付いていない。この一見すればとても優し気な女性、その正体はこれまで多くの人間を喰らって来たゲダツであることを。もっともこの場に居る連中は誰もゲダツの存在など知らぬ存ぜぬだろうが。
「(それにしても…周囲の目が少し気になるわね。こっそりと見ているフリのつもりなのだろうけど見られている方は凝視されている気分だわ)」
どうやら人間の女性となった自分は男受けがいい容姿らしい。現にこの姿になってから街中を歩いていると色々な男に声を掛けられる事もある。人間社会では俗にいうナンパとやらだ。こういう点を考えると獣時代の自分の方がまだ暮らしやすかったと言う思いも捨てきれない。この姿になってからはどうやら一般人相手でも姿を認識されるようなのだ。そうでなければナンパなどされない。
「(まあ…今飲んでいるコーヒーを美味しいと思えるなんて昔の私にはあり得ない事。そう考えるとやっぱり今の姿の方が生きて行きやすいのかもしれないわね)」
獣時代は人に認識されない事が利点だと漠然とした思考で思っていた。しかし今の人間へとかなり近づいている姿となってからは娯楽を楽しむことも覚えた。こうしてコーヒーブレイクだってとても有意義な時間だと自分の中では思えている。
そんな事を考えていると彼女に近づく影が一つあった。
「そこのお嬢さん。よければ一緒に食事でもどうかな?」
「あら、もしかしてナンパかしら? だとすれば間に合っているわ」
この手の輩から声を掛けられる事も、それに対応する事ももう慣れた物だ。情けない事にまだこの姿になって間もない頃はこの手の輩に対して右往左往して醜態を晒していた。これまで幾度となく人間を喰らって胃の腑の中へと送り続けていたゲダツである自分がだ。
だがそれももう過去の事だ。今の自分はこの程度の雑魚に戸惑う事は無い。
「一緒に食事と言っていたけど私はもう昼食を終えているのよ。此処に置いてある空のお皿を見ればその程度は予測できると思うのだけど?」
「うぐっ、そ、それは失礼? では食後のデザートでもご一緒に…」
「それもお断りね。このコーヒーを飲み終わったらもう店を出るつもりなのだから。それに……」
彼女はカップの中のコーヒーを全て飲み干すとハンカチで口元を拭い、そしてにこやかに笑いながらナンパ男を見てこう言ってやった。
「あなた口がとても臭いわ。そんな男と食事だのデザートだの食べる気にはなれないの」
「なっ、下手に出ていれば調子に乗りやがってこのアマ!!」
ただ断られるだけじゃ飽き足らずに侮辱までされた男は今までの穏やかな口調が一遍、口調は荒々しくなり目つきも悪くなって彼女の腕を掴もうとする。
だが彼女は腕を掴まれるよりも早く席を立って避けてやった。
「うおわっ!? あがっ!!」
怒り任せに伸ばした男の手が虚しく宙を掠め、しかもその勢いのまま前に出していた体が勢いに乗ってテーブルや椅子に突っ込み腹部や脚をぶつけてしまった。
激痛とまではいかずとも多少の痛みが体を走り、しかも脛が椅子の脚にぶつかり鈍い痛みを感じた。
「あらあら危ないわね。散らかしたカップやお皿はあなたが弁償しておいてね」
ぶつかった際に床へと落下し割れて飛び散ったカップや皿の残骸を指差しながら彼女はそう言うとそのまま立ち去ろうとする。
だがそんな事を黙って見送るわけがない。男の怒りは完全に頂点を超えており、彼は顔を真っ赤にしながら振り返るとそのまま彼女を捕まえようと再び手を伸ばした。あまりの怒りで声を出す事も出来ないようだ。
「……めんどくさいわね」
彼女に迫る魔の手を遠巻きに眺めていた女性客の何人かは小さく悲鳴を上げていた。
だが彼が彼女の腕を掴むと同時の事であった。彼女は詰まることなく流れるように前を向いて男と向き合い、そして彼に掴まれていない空いている腕を引くと、そのまま勢いよく男のみぞおちへと抜き手を放って突いてやった。
「かはっ!? かかか……」
凄まじい速度でみぞおちを貫かれた彼の体内の横隔膜は動きを一瞬止めてしまう。そのせいで呼吸が上手くできなくなりその場で膝をついてしまう。
その気になれば今の手刀でこんな人間の男の体など比喩でもなく貫けたのだが、人に姿が見える様になってしまっている今の自分はこの場所の様に人目の多い場では殺人は極力避けるべきだ。まあ最悪このカフェテリア内の人間共を皆殺しにすれば良いのかもしれないが、せっかくの美味しい昼食を食べた後では殺す気もあまり沸き立たなかった。
自分の足元で未だに苦し気に呻いている男に対して軽やかな声で改めて別れを告げるゲダツ女。
彼女が髪をかき上げながらくるりと反転して店を出ようとした時、今まで無言だった店内の客達はおおーっと声を出しながら拍手を送っていた。
そんな多くの声を背に受けながらそのまま彼女はカフェテリアを後にするのであった。
「……何だか私も丸くなったわね。いや…別にそうでもないのかしら?」
あれだけ自分に絡んで来た人間を結局殺すことなく軽い制裁程度で済ませた事を内心で少し戸惑っていた。一瞬姿が人間に近づいた事で人間らしい思考を持てるようにでもなったのかと思った。だが改めて冷静に考えると人間を愛おしいとは思えない。今までと同じ虫けらと変わらぬ価値観しか頭の中にはない。
「まあでも今までほどは人間を襲う気も沸いては来ないわね」
そんな事を考えながら彼女はそのまま街中を歩き続ける。
――ドンッ…。
「あらごめんなさい」
「いえ、こちらこそすいません」
どこか漠然としたまま歩いていたせいで道行く女性と肩がぶつかってしまった。
肩が当たったゲダツ女は歩を止めて振り向くと謝罪を述べる。すると相手の方も同じように足を止めて向こうも謝って来た。
互いに謝罪が終わると彼女はそのまま再び歩き出そうとするが――
「あ…ちょっと待ってくれないかしら?」
どういう訳かぶつかった女性が自分の事を呼び止めて来たのだ。
「あら、ちゃんと謝った筈だけど何か文句でも?」
「あ、いえいえそう言う事じゃなくてね。ちょっとごめんなさい…」
自分の事を呼び止めた女性はこちらへと近付くと自分の事をマジマジと見つめて来た。
目の前の女性は見た感じでは黒髪の真面目そうな一般女性。見た感じでは自分と同じくらいの若さだろうか? まあもっともゲダツである自分の今の年齢など知りはしないが。生まれた時から数えるとなればまだ1歳だろうか?
「うーん…あれぇ?」
何が理由でこうまで自分を見つめるのかは知らないが、相手の女性はどこか訝しむかのような視線で自分の事を観察し続ける。
ゲダツである自分が人間の持つ一般常識を語るのはお門違いだと思うが、しかしここまで無遠慮にジロジロと見つめてくる相手には言うべきことは言っておいた方が良いだろう。
「ねえ、初対面の相手をまるで値踏みするかのような眼で見つめ続けるのは失礼じゃないのかしら? しかもこの至近距離で…」
「わっ、ご、ごめんなさい。少し気になる事があったからつい…本当にごめんなさい。私の勘違いだったみたいね」
注意のその言葉に相手の女性はハッとなると頭を下げながら急いで走り去って行った。
結局彼女は何を不思議そうにしながら自分の事を見つめ続けていたのだろうか? もしかして自分の身体のどこかに普通の人間にはありはしない変な部位でも付いていたのだろうか?
「……でも彼女、何でこんないい天気なのに傘なんて持ち歩いているのかしら?」
◆◆◆
「はあ…何やっているんだろう私は…」
自分が数分前に行っていた失礼極まりない行動を恥じていた女性。
先程肩がぶつかった相手に対してまるで舐めまわすかのようにジロジロと見つめるなど、今にして思えば無礼にもほどがある。
「でも…確かに感じたのよね」
そう言いながら彼女は先程の肩がぶつかった女性の事を思い返していた。
あの時にこの女性が初対面であるあのゲダツ女の事を思わず見つめ続けたのには理由がある。それは彼女の全身から漂っていたある気配が原因であった。
「あの人から感じたあの気配…あれは…〝ゲダツ〟が放っている気配と酷似していた気がするけど…」
実はこの女性、面伊綱木はただの会社員などではなかった。
表向きでは日中は会社員として働いている彼女だが、その正体はゲダツと戦ってこの世界を陰から守る転生戦士であったのだ。
そう、彼女はあのゲダツ女と接触した時に感知したのだ。これまで何度か戦って来たゲダツ達が放っていたあの上手く例えようのない邪悪な気配を……。
「……考え過ぎかしらね。どう考えても普通の女性だったし……」
そう言うと彼女は自分の考えすぎだったのであろうと思うと彼女の事を忘れる事とした。
もう二度と出逢う事もないだろし、それに本当にゲダツであれば見境なく人を襲う筈だ。あんな風にぶつかってしまった事を律儀に謝ったりしないだろう。
「今日はこれで仕事も終わりだしビデオでも借りようかしらね」
そう言いながら彼女は上機嫌に鼻歌を歌いながら近くに見えたレンタルビデオ店へと足を運ぶのであった。
そんな軽やかに歩いている彼女の手には何故だか傘が握られていた。




