ここからはオレが表に立ってやる
首を絞められ続けて意識が途切れて動かなくなる河琉。
そんな河琉を彼と瓜二つの姿をしている少年は冷めた目でしばし見つめ続け、そして無造作に放り捨てたのだ。
空中に投げ出された彼の体はザブンと水飛沫と共に湖の底へと沈んでいった。
『これでしばらくはアイツも表には出てこないな』
湖面に伝わる水の波紋を眺めながら河琉に似た少年はそう言った。
『ずっと惨めで泣き虫だった河琉君。お前はしばらく、いやいっその事永遠に沈み続ければいい。これから先は転生戦士として生まれ変わったこのオレが河琉として生きて言ってやるよ』
その言葉を最後に河琉と成り代わった彼の姿は一瞬で消え、そして湖の上には誰も居なくなった。
◆◆◆
洗面台の前で水道を流したまま倒れていた河琉の体がむくりと起き上がる。
再び動き出した彼は水道から流れている水を手の平で掬いあげて顔を一度洗い、そして蛇口を捻り水を止めた。
濡れている顔を備え付けられているタオルで拭って目の前のガラスをじーっと見つめる河琉。
「は…改めてみると女顔で軟弱だな。こりゃいじめられても仕方がないかもな」
ガラス越しに映る自分の顔を見て苦笑する河琉。
だが気絶する前の彼と今の彼には少し変化点があった。それは目つきが気を失う前よりも明らかに鋭さを増しているのだ。
そして彼は拳を何度かぐっぐっと握り自分の意思通りに体を動かせる事を確認するとニヒルに笑う。
「さて…せっかく主導権を得られたんだ。しばらくは楽しませてもらうか」
そう言いながら彼は部屋へと戻ると財布を持ち、そして再び外へと外出した。
外に出た彼はそのまま暇をつぶせそうな場所を探して足を動かしていたが、すると複数人の女性から声を掛けられた。
「あー河琉君じゃん。こんな所で遭遇するなんてラッキー♪」
どこか浮ついた声に反応して視線を向けると高校生と思われる女性が数人こちらへ手を振っていた。
「(あー…あれは同じクラスの女子連中か。えーっと…名前は忘れたな)」
声を掛けて来た連中は確か自分のクラスメイトたちだ。
自分が心の奥底に眠り続けている間にあの弱気なもう一人の自分が何度も顔を合わせていた連中だ。
そんな事を漠然と考えていると女子連中がこちらへと騒ぎながら接近して来た。
「こんな場所で何してるの? 私たちこれからカラオケにでも行くつもりなんだけど一緒に行こうよ♪」
「そうそう、河琉君なら大歓迎だよ」
あまり興味はない事であるが確か自分は女子連中によくもてはやされていた気がする。この女顔や華奢な体が女受けが良いらしい。自分がもしも女であればそんな軟弱な男のどこが良いのか理解はできないが。
「ほらほら一緒に遊ぼうよ。折角の夏休みなんだからさ」
そう言いながらクラスメイトの1人が河琉の手を握ってすぐ近くのカラオケ店へと連れ込もうとする。それはさながら得物を狙う蟻地獄かのように。
だがそんな少女の手をバッと振り払う河琉。まさか拒絶されるとは思っていなかった女子の顔は驚きが表れていた。
「悪いが今は独りで休みを堪能したいんだ。お前たちはお前たちで楽しんでくれよ」
そう言いながらふっと笑う河琉。
普段はまるで小動物の様に儚さと愛くるしさを感じるマスコット的な少年だが、どういう訳かこの日の彼はどこか大人びていた。しかし正直に言えば小さな子供が無理して背伸びをしている様にしか見えない。だがそれが逆に女性陣のハートを掴んだ。
「どうしたの河琉君。急にそんな大人びた事を言っちゃってぇ♡」
「さてな。まあ俺にも色々とあるんだよ。じゃあまた休み明けの学校でな」
そう言うと軽く手を振ってその場から立ち去って行く河琉。
そんな彼の後姿を眺めながら取り残された女性陣は頬を紅く染めながら溜息をつく事しか出来なかった。
「おおゲーセンか。オレが裏側に引っ込んでいた時にはコイツ、こういう場所には足を運んだりしなかったよな」
あの弱虫が主人格であった時には基本的には娯楽施設と言えば図書館などの物静かな場所ばかりであった。そんな場所に籠ったりしていたからいつまでも脆弱と言う殻を脱げなかったのだ。
そんな今は心の奥底で眠り続ける軟弱なもうひとりの自分を非難しつつゲームセンターの中へと入って行こうとする。
だがここで彼はまたしても不可解な気配を敏感に察知した。
「おいおいゲダツってのはこうまで頻繁に出現するものなのか?」
そう、なんと今日一日で二度目のゲダツの気配を探知したのだ。
「だがゲーセンなんかよりもスリリングでこっちの方が楽しめそうだがな」
そう笑うと河琉は踵を返して気配を感じる方へと足を運び始めるのであった。
◆◆◆
粘っこい殺意に近い気配を辿って辿り着いた場所は街の喧騒から少し離れた場所にある墓地であった。
まるで人目を避けるかのような場所に潜んでいるゲダツに思わず内心でこうツッコミを入れてしまう。
どうせ転生戦士以外には誰にも姿も声も認識できないくせに。そんな化け物がどうしてこんな所でうろついているのやら……。
そう思いながら目的の場所へとたどり着いた河琉であったが、しかしそこで彼は思わぬ光景を目撃した。
「あれはゲダツだけじゃないな。もう一人は人間の女だよな?」
視線の先では墓地の中を凄まじい四足歩行で駆け抜ける黒い体毛に覆われているゲダツを確認できた。しかしそんなゲダツ相手に日本刀を持って格闘している女が居たのだ。
「どうやらオレと同じ転生戦士らしいな。ここは様子を見させてもらおうかな」
そう言いながら墓石の1つの陰に隠れながら戦闘を観戦する事にした。
彼の視線の先では凄まじい速度で相手の隙を窺っているゲダツ。
しかしそんなゲダツ相手に白い長髪の少女は翻弄される事なく目で追い続け、そしてタイミングを捉えたのか彼女は一気にゲダツの方へと跳躍をする。
そして一瞬でゲダツの首を通り過ぎざまに斬り捨て決着は思いのほか早くついたようだ。
「何だ…もう少し見ごたえのある戦いが見られると思ったが残念だな」
そう言いながら河琉は残念そうに溜息を吐いてその場から立ち去ろうとする。
だが彼が背を向けると同時、手に持っていた刀を消すと少女は振り返りながらこちらへと声を掛けて来た。
「それであなたはどちら様でしょうか? 見たところゲダツの姿があなたには見えていたようですが」
「……なんだ、オレの事に気付いていたのか」
気付かれているのであれば立ち去る訳にもいかない。
改めて冷静に目の前の少女を観察すると随分と肝の据わった目をしていた。まるで刃物の様な眼光をこちらへと向けている。
「手に持っていた刀が消えた。ソレがお前の能力か?」
「どうやら同業者のようですがまずは自己紹介からすべき……ん?」
名前も名乗らずしかも戦いを黙って見ていた事が気に障ったのだろう。少しムッとした表情でまずは名を名乗るべきだと注意を入れて来る少女であるが、彼女は河琉の顔を見て何かを思い出したかのような顔をする。
そして彼女は河琉に指を差しながら口を開き話しかけて来た。
「あなたは確か玖寂河琉さんではありませんか?」
まさか初対面であろう相手に名前を言い当てられるとは思わず少し驚く河琉であったが、ここで彼の方も目の前の少女をよくよく見て違和感を感じる。
「(あれ…この女はどこかで…)」
別に目の前の女性は友人でもなんでもない。しかしどこかで彼女を見た記憶が自分の中にはあるのだ。
一体どこで出逢ったのか思い返そうとしていると、先に彼女の方から名乗り始めた。
「私の名前は武桐白です。そして私は神正学園の2年生です。もし間違いでなければあなたも神正学園の生徒ではありませんか?」
そこまで言われて河琉の方もようやく目の前の少女とどこで出逢ったのかを思い出した。
直接話などをしたことは無いが彼女は確か自分と同じ学年の他クラスの生徒だ。どこかで見た事があると思っていたが廊下をすれ違う際に確かに顔を見ている。
「そうか。まさかオレと同じ学園の中に転生戦士が居るとはな」
そう言いながら河琉は髪の毛をかき上げながら小さく笑う。
「そう言えばまだ自分の口でちゃんと名前を言っていなかったな。オレの名前は玖寂河琉だ。まあもうお前が口に出していたがな」
「ええそうですね。しかし……」
河琉の方は白については何も情報を持ってはいないが、逆に白の方は目の前の少年についてはそこそこの情報を持っていた。
神正学園へと転校してからしばし過ごした後のことだ。自分のクラスの女子達が一人の男子生徒の話をしていた。その男子生徒が目の前に居る玖寂河琉についてだった。
自分は興味が全く無かったのだがどうやら彼は神正学園のアイドル的な存在らしい。だからこそ直接話をした事が無くとも白は彼の事を知っていたのだ。
だが彼女は目の前で不敵に笑っている彼を見て違和感を感じていた。
「(確か噂ではとても穏やかな性格だと聞いていたのですがこれは……)」
見た目は確かに少女と見間違えるほどに華奢ではあるが、しかし彼の纏う雰囲気はとても華奢などとは言えなかった。まるで猛獣とでも向き合っているかのような錯覚すらする。
そんな聞いていた話とは随分とズレを感じている彼女に河琉が話しかけて来た。
「まあ同じ学校の生徒だって言うなら警戒しなくてもいいから楽だ。これからはゲダツの退治をそれぞれ頑張ろうぜ先輩」
そう言いながら河琉は幼さを感じる風体には似付かわしくないオーラを放ちながらそう口にするのであった。




