狂人の恋愛価値観
「……おいどういうつもりだよ?」
「ん~? 別になにもおかしな事はしていないでしょ?」
再び混浴と言う舞台で遭遇した加江須と狂華。
戦闘狂たるこの女相手には警戒しすぎてやり過ぎとは思えず、今は戦う気が無いと言う態度を見せ続けている彼女を厳しい目で睨み続けている加江須。
そんな彼女はどういう訳か加江須の隣まで移動してのんびりとお湯に浸かっていた。
「何でお前が何食わぬ顔してここに座り込んでいるんだよ?」
「あら、さっきも言ったけど私だってこの旅館の立派な宿泊客なのよ。この温泉を使用する権利を保有しているのよ」
「そう言う事を加江須は言っているんじゃないわよ!!」
のらりくらりとしている狂華の態度に苛立ちが募った仁乃が加江須に変わって彼女へと不満を声を大にしてぶつけてやった。
「あんたは私たちの敵でしょ! 何で敵であるアンタが加江須の隣でのんびりとくつろいでいるのよ!!」
「あら、私がどこでくつろいで心身を癒そうが自由でしょ?」
そう言いながら彼女は近くにぷかぷかと湯の上に浮かんでいる桶を手に取り、湯船の中のお湯を汲み取って自身の肩にかける。
そのどこか余裕じみた態度が仁乃の神経をさらに逆撫でしてくる。しかし実際にその気になれば彼女には時間停止の力を有している。その力を持ってすれば逃げ切れるだろう。
「……お前は何がしたいんだ?」
しばしの間無言であった加江須であったが彼は隣で呑気に湯船に浸かっている彼女に疑念の目を向けつつ改めて目的を問う。
正直この女が何を考えているのか理解できない。初めて出会った時にはただの戦い好きのジャンキーだと思っていたのだが時折心なしか彼女は自分にどこか熱が籠っている視線を向けている気がする。
加江須が半目で狂華の事を半ば睨んでいると、彼女は自分の頬に手を当てて来た。
「ねえ…もし私があなたに恋をしているって言ったらどうする?」
「「……はあ?」」
狂華のその言葉は話し掛けられた張本人である加江須だけでなく仁乃にも同様に首を傾げさせた。
そんな二人の鳩が豆鉄砲を食ったような表情など気にせずに彼女はどこか熱の籠っている視線を加江須に向けたまま尚も理解不能な言葉を続ける。
「初めてあなたと戦った時に向けられた殺意、今でも私はよく憶えているわ。まるで串刺しにでもされたかのようなあの感覚……最高だったわぁ♡」
そう言いながら高揚感に満ちた表情をする狂華。
そんなすぐ隣に居る少女の顔を見て思わず加江須はさささっと距離を置いたのは無理も無いだろう。
「あらどうして離れるのよ?」
「離れるに決まっているだろ! 俺に恋してるだぁ!? 冗談は休み休み言えや!!」
普通であればこんな美少女に好きだと言われればドキッとする男子もいるだろう。しかし相手は戦いを生きがいに今を生きる常軌を逸している狂人なのだ。しかも彼女は自分をいづれは殺すとまで宣言しているのだ。そんな相手が何をどうしたら自分に恋心を抱いている展開に発展するのだろうか?
そして彼女のこの発言は彼の現恋人である仁乃に怒りを抱かせるには十分であり、彼女はザバンッと湯船の中から立ち上がると指を突き付けて狂華に噛み付き始める。
「あんたは加江須の事を狙っているんでしょ! そんなアンタが私の恋人を好きになるなんて理解不能だわ!! だいたい私がそれを認めるとでも思っているのかしら!!」
「あら、でも確か彼にはあなた以外にも複数人の彼女さんがいる筈よね。そこに1人くらいは増えてもいいんじゃないかしら……なーんてね」
そこまで言うと彼女はペロリと自分の唇を一舐めし、怒りでグツグツと煮えたぎる仁乃の背筋を凍らせるセリフを口にした。
「彼は好きだけど恋人にはなれないわね。だって――好きだからこそ必ずこの手で殺しちゃうつもりなんだから♪」
その凍える様な狂人の声は仁乃の背後から聴こえて来た。
首筋に吐息が当たり振り返るとそこには今まで自分の視線の先にいた筈の狂華が背後に立っていたのだ。
思わず驚きの余り声を出そうとする仁乃であったが、そんな彼女の反応よりも先に狂華の顔面に水気を帯びている尻尾が飛んできた。
「仁乃の傍によるな」
その低い声は加江須の口から放たれており、彼の瞳からは光が消えて恋人に近づこうとしている戦闘狂を敵として見据えていた。
凄まじい速度で飛んできた尻尾は狂華の頬を掠めており、薄皮のむけた彼女の頬からは血が滴り下の湯船の中へと落ちて行く。
「危ない危ない。あと反応が一瞬遅れていたら顔面の中心を貫かれてトンネルが開通していたかもね」
そう言いながら彼女はその場で跳躍して湯船から出てタイルの上へと着地した。
「これ以上ここに居たら戦闘に発展しそうだからお暇するわ。こんな場所であなたと決着なんて嫌よ。どうせならもっと広々とした場所で殺り合いましょう」
そう言いながら彼女は親指で尻尾の掠めた頬をぐいっと拭う。
「……戦う気が無いならここから消えろ」
加江須はそう言いながら彼女の行動を注視して警戒に勤めていた。
いくら彼女が戦う気が無いなどと言っていてもそれを信用するわけにはいかない。そう思い彼女から視線を決して離さぬようにしていると彼女の左手に持つ物を見て怪訝な顔をする。
彼女の左手にはお湯を吸っているバスタオルが握られているのだ。しかし彼女の体にはバスタオルがちゃんと巻かれている。ではあのタオルは誰のものだ?
「お前そのタオルは……ん?」
彼女がいつの間にか手に持っているバスタオルに首を傾げていると視界の隅に仁乃が映り込んだ。しかし見間違いだろうか? 視界の片隅に映る仁乃がバスタオルを体に巻いていないような……。
そこまで考えて仁乃をチラリと見ると彼女の体に巻いてあったタオルがいつの間にか剥ぎ取られており、そこには白く美しい裸体を赤裸々に解放している仁乃が湯船の中で立っていた。
「え、なに……ちょっとおぉぉぉぉぉ!?」
今まで狂華を睨みつけていた加江須の顔がいきなり真っ赤となっていたので不思議がっていた仁乃であったが、彼女も狂華がバスタオルを手に持っている事に気付いて我が身を確認して見る。すると今まで体に巻き付けていたタオルが消失している事に気付き悲鳴を上げる。
「お、お前何してるんだソレを返せ!!」
加江須が鼻血を出しながら尻尾を全速力で伸ばして狂華が持っているバスタオルを奪い取ろうとする。だが尻尾を伸ばすと同時に狂華の姿が音もなく消えた。時間を停止してこの場から消えたのだろう。しかし消えた狂華の行方よりも今は仁乃にタオルを渡す事の方が最優先事項であった。
「仁乃仁乃タオルタオル! ほらコレ!!」
「鼻血垂らして見てんじゃないわよばかぁ!!」
「すいませんぶへぇ!?」
両手で自分の体を隠している仁乃にバスタオルを手渡すが、どさくさに紛れて自分の裸体を見ている加江須に糸を束ねて作ったボールが顔面にぶち当てられた。
そのまま加江須は仁乃の飛ばした糸の玉を顔の中心に直撃して頭から湯船の中へダイブしたのであった。
◆◆◆
脱衣所で互いに背を向けながら着替えをしつつ仁乃が不満を口にする。
「もう…なんか私だけあんたに裸を見られる頻度が多い気がしてきたんですけど」
「ご、ごめん。でもわざとじゃ…」
「もう…分かっているわよ」
混浴を出てから仁乃は頬を膨らませながら加江須の事を睨んでいたが、彼が一言謝るともう大丈夫だと言ってくれた。そもそも本気で怒っていた訳でもなければあの狂華とやらが原因なわけだし。
それに今は自分の裸を見られた事以上に気になる問題があった。
「それにしてもアレが仙洞狂華ね。色々な意味で理解不能なヤツね。あんたを狙っていると言いながら恋をしているとか…意味不明だわ…」
「……でも嘘は言わないヤツだって事は十分理解できたよ」
加江須がどこか落ち着いた声色でそう言うと仁乃が振り返ってえっと声を漏らした。
「アイツと同じ考えを共感する気もなければ出来るとも思えない。でもアイツの目は本気だった」
最初は自分に恋心を抱いているなどとほざかれて驚きはした。だがあの時のヤツの目の奥には下らぬ嘘が宿っていない事は理解できたのだ。あの女は恐れとやらを抱かせた自分に恋をした。そして好きになったからこそ自分をその手で本気で殺したと思っているのだろう。
そんな自分なりの考えを口にすると仁乃が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「だとしたらイカれているなんてレベルじゃないわよ。好きになったからこそ自分の手で殺したいって何よ? ヤンデレってやつなのアイツは」
「さぁな。まあなんにせよ面倒な相手に目を付けられたもんだよ俺もな」
加江須は浴衣へと着替え終わると同時に深々と溜息を吐いた。
そんな彼を不安げに見つめながら仁乃はどこか頼りなさげな声でこう尋ねた。
「ねえ加江須。もしアイツといずれ戦う事になったら勝てる?」
「……大丈夫だ勝つさ」
勝てる、勝てない、などと言うつもりは無い。今の自分には守るべき人が大勢いるのだ。そんな人達を残して一人身勝手に死んでいくつもりなどない。恋人たちを愛しているなどと言って縛り付けておきながら身勝手に死んでいくなど許されるわけがない。
「俺は決して君達を残して死んだりしない。相手が誰であろうと必ず最後には君達の元へと帰ると誓うよ」
「……うん」
加江須の誓いを含んだその言葉に仁乃は小さく頷くと彼の背中に抱き着いた。
背中に引っ付いているとトクントクンと彼の生きている証である鼓動音が聴こえて来る。
「もし今の約束破ったら許さないから。あの世に行った後に折檻だから」
「ああ、破らないよ」
そう言いながら加江須はゆっくりと振り返るとそのまま彼女と唇を合わせた。それを受け入れる様に仁乃は加江須の背中に手を回して強く抱きしめるのであった。
ここに居る彼が決して何処にもいかぬようにと……。




