女神様の初めての海
前話の『もしもの世界で…』はあくまで本編とは無関係の番外編です。今後も暇があれば書き続けます。ひとまずはこの話から本編に戻りますので。
次々と移り変わりゆく都会の景色を電車の中で座って居る加江須たち一行が窓越しに眺めていた。
今はまだ外の景色は多種多様な建物が立ち並んでいるが、これから向かう場所に行けばこの風景も一変するだろう。
「念願の海…楽しみです♪」
座席に座って居るイザナミが窓の外を見つめながらワクワクとしていた。
その左隣に座っている加江須はその純粋に楽しみにしている子供の様な彼女の姿を見て微笑ましくなる。
今日は以前イザナミと約束していた海へと彼女を連れて行ってあげているのだ。
加江須の家で特訓をしている際にふと海の話題が出た時にイザナミは大変興味を示していた。と言うのも彼女の住んでいた神界では海が存在しないのだ。そこで加江須は彼女に広大な水の世界を見せて上げたくなったのだ。
目的地まで今か今かと楽しみにしているイザナミの姿を微笑ましく見ていたのは加江須だけでなく、彼の左に座って居る仁乃もまるで保護者の様な気分だった。
「ずっと海に行ける事を楽しみにしていたからね。まあそれは私たちも同じだけど」
夏休み中にはやはり一度くらいは海へと赴かないと夏を満喫した気になれないものだ。
今回はイザナミの要望通り海へと遊びに出かけている。いつも特訓ばかりだったので息抜きもかねてだ。そして日帰りではなく目的地の海のすぐ近くの旅館で一泊するつもりだ。
「いやぁ、海も楽しみだけど温泉旅館ってのも楽しみだな」
氷蓮は海水浴も楽しみではあるが、それと同じくらいその後の温泉旅館も楽しみにしており期待に胸を膨らませる。
「せっかくの外泊だってのに余羽のやつも来たらよかったのによぉ」
そう言いながら彼女は今もエアコンの効いているマンションの部屋でくつろいでいるであろう余羽の事を思い浮かべる。
今回の宿泊旅行の参加メンバーは加江須、仁乃、氷蓮、黄美、愛理、そしてイザナギたちの6人である。この旅行計画を立てた際に氷蓮は余羽にも一緒に来ないかと誘ったのだが遠慮されたのだ。
――『ええ? じゃあオメーは行かねぇのか? せっかくの海や温泉だってのによ』
――『私は気にしなくてもいいよ。久利くんたちと楽しんでおいでよ』
そう笑いながら自分は置いて行ってもいいと告げた余羽であるが、この時に彼女は内心でこんな事を考えていた。
――『(何が悲しくてカップル旅行に同行しなきゃならんのだ)』
自分以外のメンバーは全て加江須の恋人たちなのだ。そんな甘々な空間に彼の恋人でない自分が加わればどうなるかなど分かりきっている。いちゃらぶを散々と見せつけられて全然リフレッシュできない事は目に見えている。
氷蓮には適当にはぐらかしていたがこのような本音から余羽は今回の宿泊旅行を辞退したのだ。もっとも氷蓮はそんな彼女の本心には結局気付かなかったが……。
和気あいあいと談笑しながら電車を乗ってからしばし経過すると外の景色も大分変化し始めていた。
出発当初に見ていた外の景色は建物の数がドンドンと少なくなっていき、今はもうみずみずしい緑の木々や岩肌が目立つようになってきた。そして長いトンネルを抜けるとついに目的の場所が皆の瞳に映り込んだ。
「わあ…わあ大きい……!」
自分の目の中に飛び込んで来た光景にイザナミは思わず席の上で膝立ちとなり瞳を輝かせる。この車両には他の人が居なかったが自分がはしたない事をしていると思いすぐに座り直した。だが相も変わらず彼女の瞳は童心の様に輝き続けていた。
「あれが海ですかぁ~…」
イザナミの瞳には果てが見えない巨大な水溜まりが映し出される。
太陽の光でキラキラと海の表面が光っており、神界では見た事のないどこか幻想的な風景に思わず見とれてしまうイザナミ。
その姿を見て加江須は改めて思った。本当に彼女を連れて来て良かったと。
◆◆◆
電車を降りてから今度はバスへと乗り換える一同。
海へと出向く前にまずは予約を入れて置いた旅館へと向かう為だ。手荷物なども預けて身軽になってから遊びに行くつもりだ。海には無関係な荷物を持っていって紛失でもしたら面倒なので。
電車を降りてから運よくバスはすぐやって来て、そのまま旅館近くのバス停を目指し始める。海のすぐ近くの旅館なので目的地までは10分もしないうちに目的の旅館が見えて来た。
「あそこが今日泊る旅館だよ」
一番最初に目的地を確認した加江須がそう言うと他の皆もその方角に視線を動かす。
「写真で見たけど中々に風情があるわね」
この場にいる者たちは全員が神力で視力が強化されている。その為に旅館までまだ距離はあっても鮮明に外装を窺えた。
そうこう話していると旅館近くのバス停に到着。そこからは徒歩で旅館を目指して目的地の旅館にたどり着いた。
「おお~…写真で見ていたけど実物はやっぱりでっかいなぁ…」
間近で見てみると改めて旅館の大きさに圧倒される。
木造建築で日本人の価値観や美意識を色濃く表現されており、入り口の傍の池には鯉が泳いでいる。
いつの間にか氷蓮と愛理が池の傍で泳いでいる鯉を眺めて話していた。
「おい氷蓮、愛理。とにかくまずは中に入ってしまおうぜ」
そう言って加江須は入り口の扉を開いてロビーに入ると、こちらへと和服姿の中居さんと思われる女性がやって来た。
「いらっしゃいませ。ご予約なされた久利様御一行様ですね。私はこの旅館の中居を務めている藤井と申します」
礼儀正しい振る舞いと落ち着い佇まいに思わず慌てて頭を下げる加江須。
それからは用意された部屋へと案内される。そこで軽く夕食の時間、温泉の男女使用時間の入れ替わりなどの注意事項を告げて中居さんは部屋を出て行く。
「ようやく落ち着いて足を延ばせるねぇ~」
そう言いながら手荷物を部屋の隅に置くと言葉通り足を延ばして畳の上でリラックスする愛理。
「夕食まで大分時間はあるわね」
部屋に備え付けられている時計を見ながら仁乃がそう言うと、この中で海に行く事を誰よりも楽しみにしていたイザナミがうずうずとしていた姿が見えた。
「…荷物も置いたし海に行くか?」
加江須がそう言うとイザナミの瞳がキラキラと輝く。
他の皆としても長い移動時間だったとはいえ別に疲れている訳でもない。それにイザナミと同様に早く泳ぎたいと言う欲求もあり満場一致で皆は早速海へと向かうのであった。
◆◆◆
旅館から目的の海はすぐ近くであるので徒歩で向かう一同。
移動の最中に何やら女性陣達が加江須の後ろの方で刺激的な話をしていた。
「イザナミさん、前に一緒に買いに行った水着は忘れてないよね?」
「はい、ちゃんと鞄に入ってますよ」
「結構刺激的な水着だったよなアレ。変な男に声を掛けられねぇように気を配れよ」
この旅行に行く前に女性陣達だけでイザナミの為に水着を買いに出かけていたのだ。
買い物後に愛理がニヤニヤとしながらイザナミの水着姿を連想させるような事を俺に囁きからかっていた事も思い出す。
「加江須くぅ~ん、私たちもプールの時とはまた違う水着を買って来たから楽しみにしてねぇ。勝負水着だよ勝負水着♪」
「っ…!」
そう言いながらニヤニヤと笑う愛理。
その声を聴こえないフリをするが反応していることは女性たちにはモロバレであり、その無反応を取り繕っている加江須に仁乃がぼそっと呟いた。
「……ヘンタイ」
「ぐっ…ごほっ…」
そんな仁乃の非難を聴こえないフリをしながらついに海へとたどり着く加江須たち。
まずは更衣室で男女各々が持参した水着へと着替える。そしてやはり最初に着替え終わったのは加江須であり砂浜へと足を運ぶ。
「あちち…いや全然熱くないな」
夏の砂場は気温によっては素足では厳しいものだが、炎を操る加江須は熱に対する耐性が強いために堂々と素足で砂浜に降り立っている。
しばし波の流れる風景を見ていると背後から複数人の女性の声が同時に聴こえた。
「「「「「お待たせ」」」」」
恋人たちの声に反応して振り返ると思わず息をのんでしまう加江須。
そこには魅力的かつ刺激的な恋人たちが立っていたのだ。
「お、おう…」
情けの無い事に加江須はそんな短い返事をする事しか出来なかった。それほどに今の目の前の5人の女性は魅力的な恰好をしているのだ。
彼女達が身に着けている水着はビキニとまでは言わないが、それぞれが中々に異性を刺激するかのような恰好をしているのだから思わず目を逸らしてしまう。
「もうカエちゃん、ちゃんと私たちを見て感想を言ってよ」
そう言いながら黄美は加江須の腕を取って来た。
柔らかな彼女の胸が水着越しに腕に当たり思わず慌てふためく。
「す、素敵だよ。だから放してくれって」
そう言いながら黄美を引きはがそうとするが、彼女の顔を見ればわざとやっている事は一目瞭然であった。
そんな風にじゃれあっているとそこにガラの悪そうな2組の男がやって来た。
「おいおいカワイ子ちゃんだらけじゃん」
やって来たのは金髪で鼻や唇にピアスを付けているいかにもチャラ男と言った感じだった。
その片割れが一番近くのイザナミに声を掛けていく。しかもその眼は明らかに彼女の全身を舐めまわすかの様に見ており気味悪さからイザナミが小さな悲鳴を漏らす。
「おねーちゃんたち、よければ俺たちと泳がない? 海の家で何か奢ってあげようか?」
そう言いながら男はイザナミの肩へと手を伸ばすが、そのゲス男の手を加江須がはたき落としてやる。
「おい、俺の恋人に何してんだよ?」
ギロリと加江須が睨みつけるとチャラ男たちが目を血走らせて食って掛かる。
「ああ? この娘がお前の様なヒョロ男の彼女だってのか? 嘘言ってんじゃねぇよ」
「だいたい恋人がいながら他の女と遊んぶなんて何考えてんだ?」
そう言いながら女性陣たちしか見ていなかった男たちは目障りな加江須を威圧する。
だが数々のゲダツと戦って来た加江須からすれば目の前の二人は小物中の小物。本来であれば相手にすることも馬鹿馬鹿しいが、それでも自分の大切な人達に手を出そうとするなら容赦はしない。
「今すぐこの娘たちの視界から失せろ。そうすれば見逃してやるよ」
自分よりも年下と思われる少年にそう言われれば目の前の馬鹿どもは素直に引き下がるわけもなく、それぞれが拳をバキバキと鳴らしてぶちぎれる。
「良い度胸してんじゃねぇかクソガキ」
「本当だよな。じゃあ彼女の前でテメェの惨めな姿を見せつけてやるよ」
そう言って男たちは加江須へと殴りかかって来たのだ。
その直後、金髪2人の馬鹿男の悲鳴と激しい打撃音が周囲の人々の鼓膜へと響き渡った。




