IFの物語 離別
胸の内に怒りと言う爆弾を抱え込んだまま加江須は言われた通りに屋上へと足を運んでいた。
階段を1段1段と登るたびに屋上で待ち構えているであろうあの幼馴染との距離も縮まって行く。それを理解すると彼の中に置いてある怒りのダイナマイトの導火線に火が付きそうだ。
「くそっ…全部説明してもらうぞ…!」
今朝の理解不能な行動について根掘り葉掘り事情を聞かせてもらわなければ納得など出来ない。
階段を登って扉を開くと屋上の中心には黄美が正面を向き腕を組んで待ち構えていた。
「やっと来たわね。遅いわよ」
「……ッ!」
不機嫌そうな声色を出してきた黄美の態度に思わず口から怒鳴り声が漏れそうになる。
もう本当ならば話す事もないはずの相手なのだが、今朝の発言についてちゃんと聞いておかないと今後も絡まれる事が予測できる。
今にも噴火しそうな怒りを堪え、出来る限り声を荒立たせない様に意識して彼女と話を始める。
「それで…ちゃんと説明してくれるんだろうな? 今日の朝に何故あんな事を言ったのか」
「はあ? 説明してほしいのはこっちの方よ。私と言う恋人がいながらどうして他の女と仲睦まじく話してたのよ?」
………こいつ、殴られなきゃ分からないのか?
幼馴染以前に女性に対してこんな考えを持つ事が最低である事は重々承知しているつもりだ。だがこの時だけは本気でそんな暴力的な考えを持ってしまった。さすがに手を出す事は無かったが体の震えが止まらない。
そうして必死に怒りを堪えている加江須の神経をさらに彼女は逆撫でして来た。
「私と言う恋人がいながら他の女生徒と一緒に学園登校とはね。厚顔無恥とは今のあんたの事を言うのよ」
もう…これ以上は感情を宥め続ける事は不可能だった。
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
加江須は屋上の地を思いっきり踏みつけて血を吐くような叫びを放つ。
「お前は一体全体なんなんだよぉぉぉぉ!! あれだけ人の向けた好意を足蹴にし、これまでの思い出まで汚点とまで罵って!! そして今は知らぬ間に勝手に彼氏扱いまでされてよぉ!! お前は俺をどうしたいってんだコラァッ!!!」
抑えきれない感情は声だけでなく涙にもなって零れ落ちる。
そんな聞いた事もない彼の慟哭を初めて目の当たりにした黄美は今までペラペラと喋っていた言葉を飲み込んでしまう。
「な、何でそんなに怒ってるのよ? 昨日私に告白したじゃない。それなのに知らぬ間に彼氏扱いしていたっておかしいじゃない」
「ああん!? その告白を拒否したのはお前だろうが!! 昨日の記憶が一部ぶっ飛んでいるのか!?」
「ち、違うわ! あんたに告白された後に私が喋っている最中にあんたは教室を出て行ったでしょう。本当は私はあんたの告白を受け入れるつもりだったのよ」
あの時に黄美は最初は罵詈雑言を浴びせていたが、最後には交際を受け入れるつもりだった事を話したのだが、それで加江須が喜ぶ事などなかった。むしろ理解不能としか言いようがない。何故交際を受け入れてくれるつもりがあったのならばあそこまで自分を貶す必要があったと言うんだ?
「俺を汚物の様に扱っておいて最後は交際を受け入れるつもりだったなんて言われても納得できるかよ。じゃあどうして俺をあそこまで貶したんだよ? いや昨日だけじゃない。これまでだってずっと俺を見下すように振舞っていたよな。どうしてなんだよ……?」
「そ、それは……」
加江須に今までどうして冷たくしてきたのかを尋ねられると少しバツの悪そうな顔をする黄美。しかしこのまま黙っていると余計に拗れそうだと思い正直に今までの冷淡な態度の理由を語り始める。
「その…素直になれなかっただけなのよ。あんたの事は大好きだったけど本音を話すのが恥ずかしくて……」
「何だよそれは…?」
黄美のその言葉に対して加江須は思わず呆れ果ててしまう。
そんな理由だけで今まで理不尽に自分はぞんざいな扱いを受けていたと言うのか。目の前の女は少し素直になれなかっただけと言う感じで反省の色も少しもなく謝れば許されると思っている雰囲気だ。
「俺はてっきりお前に何か取り返しの付かない事をしてしまったんだと思っていた…」
そうでもなければこんな長い時間自分に嫌悪感を向け続ける訳がないと思っていた。だが実際はただの照れ隠しの為の口実として自分を冷たくあしらっていたと言うのだ。
――ふざけるなよ!!
その胸の内に湧き出たこの言葉は口からも飛び出した。
「ふざけるなよ! そんな理由だけで俺は今の今まで露骨に毛嫌いされていたってのか!? あんな態度ばかり取っておいて、告白の時まで人を傷つけておいて俺が好きだったなんて信じられるか!!」
いや彼女の言っている事が嘘である方が正直まだ理解できるだろう。本当は自分を何かしらの理由から嫌悪されてしまっていると言われた方がまだスッキリとする。だが実は好きの裏返しだったなどと言われても納得できるわけがない。
「……もう十分だ。事情を聞こうかと思って呼び出しに応じたが時間の無駄だったみたいだな」
もうこれ以上は話す事は無いと言わんばかりに彼女に対して背を向ける。
そんな彼を見て慌てながら加江須の腕を掴んで引き留めようとする黄美。その顔は焦りの色がありありと浮かんでいた。
「ま、待ってよ。今まで冷たくしてきた事は謝るわ。だからこの交際を機にやり直しましょう? 昔は私たちだって仲良くしていたでしょう。確かにいつも酷く当たっていたけどそれはあんたが好きだからなのよぉ」
今頃になって自分が嫌われたと言う事を認識でもしたのだろうか、今までの強気な態度は完全に消え失せまるで縋るかのように加江須の腕に抱き着いて来る。
「そんな言葉到底信じられねぇな。いや、それが本当だとしてももう手遅れなんだよ」
不思議なものだった。今の目尻に涙が溜まっている黄美の姿を以前の俺なら可哀そう、などと同情もしていたんだろう。だが今の俺にはそんな彼女の事を不憫とは思えない。
まるで人形の様な乾いた瞳を幼馴染だった少女に向けながら加江須はこう言ってやる。
「さようなら黄美。俺にとってお前はもうただの他人と同然の存在なんだよ」
自分が恐ろしく冷たい事を言っている自覚はある。そしてこんな突き放す様な言い方をして傷ついている黄美の姿も瞳にちゃんと映っている。それでも罪悪感なんてまるで乗っかかってこない。
誰も相手の心の内を読み取る事なんてできやしない。だからこそ人は言葉と言う物を用いて自分の思いを相手に教えるのだ。そしてその言葉が本音なのか嘘なのか明確に区分も出来ない。それ故に長年黄美の口から放たれた数々の罵声が彼女の本音であると思われても仕方がない。もしも彼女がもっと早く素直になっていれば黄美の事を好きであった加江須と両想いとして結ばれていた事だろう。
だがこれはあくまでIFの未来だ。
「さようなら黄美。もう俺に関わらないでくれ」
「まっ、待ってよ加江須、いやカエちゃん! 私は本当にあなたが好きだったの!! 今までの事は全部謝るからそんな事を言わないで!!」
彼女は加江須の腕から手を離すとその場で土下座をした。
制服が汚れる事など気にもせず深々と額を地に付けながら誠心誠意をもって謝ろうとする。
「黄美…もう謝って済む段階を超えているんだよ」
「どうして!? いつだってカエちゃんは私の事を許してくれたじゃない! 今回だってお願いだから笑って許してよ!! カエちゃんだって私の事が好きだったんでしょ!!」
「ああそうだ。今お前の言った通りだ。好きだったよ…」
そう、今でも好きではない。好きだったと彼の中ではもう過去の事なのだ。
土下座をしている彼女を一瞥すると加江須はそのまま屋上を出て行こうとする。
「ま…まって。お願いだから…」
消え入りそうな声を漏らしながら震えながら手を伸ばす黄美。
だがその手を握り返してくれることはなく、そのまま加江須は屋上を出て行くのであった。
「う……うう~……うぁぁ……」
今頃になって黄美は自分が取り返しの付かない事をしてしまったのだと自覚した。
どうしてもっと素直になれなかったのだろう。どうしてもっと彼に優しくできなかったのだろう。別に媚びを売らなくてもいい。ただまだ幼かった頃の様に普通に接していればいいだけであった。しかしそんな事も出来ずに冷たく彼に当たり続けた事で今の無残な結果となった。
「ごめん…なさい…ごめんなさい…」
もう加江須が居なくなった屋上で黄美は嗚咽交じりに何度も彼に対して謝った。だがこうして心から謝ったところでもう取り戻せない。あの頃の二人で仲睦まじく笑い合っていた時間はもう二度と巡り合ってはこない。
◆◆◆
加江須と黄美が昼休みにこっそりと屋上で話していた時、そんな現場をこっそりと気配を殺して屋上の扉の陰から覗いていた人物が一人いた。
「これは…想像以上に拗れそうね」
はしたないと理解しつつも二人のいざこざを眺めていたのは仁乃であった。
彼女の聴力は特殊でそれなりに距離も開いているが二人の会話内容は仁乃の耳には届いていた。まあ二人ともヒートアップしているので大声だから普通の人間にも聴きとれるだろうが。
「……やっぱりこれ以上は不味いわね」
本当は二人の会話に決着がつくまで聞いておきたいがどう考えても幼馴染間の問題。これ以上は部外者として耳にしていいものではないだろう。元々はどちらかが手を出す事態になるのではないかと危惧して様子を見に来たところもある。だがあの様子なら少し熱くなっているようだが話し合いで済むだろう。
「でもあの娘も不器用ね。もっと素直になれていれば今頃…」
話を聞く限りあの黄美は本音を隠すために加江須に辛く当たり続けていたようだ。自分も天邪鬼だが最低限の言っていいことと悪いことの境界線は弁えている。
扉越しに必死に謝っている黄美の事を哀れに思いながらも仁乃はその場を後にするのであった。




