仁乃の実践訓練 1
先程まで水晶内に居た大勢の人間は今はもう仁乃ただ一人となっていた。
少し前までは修練モードであったこの異空間の設定も実践モードへと切り替えられており、その実践モードをまずは仁乃が挑むことになったのだ。その次には氷蓮が挑むつもりだ。
彼女は目をつぶり一定のリズム感覚で呼吸を行い平常心を意識する。目の前に現れる相手が例え誰であろうとも戦えるように。
辺り一面が白一色で染められた世界では仁乃の呼吸音だけが聞こえ続けていたが、そんなほぼ静寂な世界へもう一人の人物が仁乃の目の前へと現れる。
「あらあら随分と落ち着いた顔をしているじゃない。今回はあの坊やは傍に居ないの?」
「……アンタが出て来たか」
未だに目をつぶっている仁乃であったがこの声には聞き覚えがあった。
決して忘れるはずもない。何しろ廃校内でこの女には苦しめられたのだから。
「久しぶり、とでも言えばいいのかしら人型ゲダツさん」
そう言いながらようやく瞼を上げて目の前に現れた対戦相手を見つめる仁乃。
彼女の目の前には不敵な笑みを浮かべている淡いピンク色の髪をした女性であった。
「名前は…確かなかったわよね? まあゲダツには違いないけどね」
「随分と生意気になった様ね。イジメ甲斐があるわぁ♡」
彼女の前に現れたのはかつて加江須、氷蓮、そして自分の3人で共闘して撃破した女の姿をした廃校内で激戦を繰り広げた人型ゲダツであった。
◆◆◆
仁乃が異空間内で女ゲダツと向き合っている構図を水晶の外、つまり部屋から加江須たちが眺めていた。
異空間内の映像は水晶の頭上にモニターが現れ映し出されていた。そのモニター内に居る仁乃を加江須は不安そうに見つめていた。
「よりによって人型ゲダツのアイツが出て来たのか」
実践モードの対戦相手はその空間に居る者の脳内から自動的に選出される。つまりは自分の意思で自由に戦う相手を選出できないのだ。
今仁乃の目の前に現れた相手はかつて自分たちが廃校内で倒した初めての人型ゲダツであった。
「あいつ…中々に手強かったしなぁ。仁乃のやつ…大丈夫かなぁ…」
不安そうな眼差しをモニターへと向ける加江須の頭を氷蓮がポンポンと軽く叩いてやる。
「そんな顔すんなよ。アイツだって成長してんだからよ」
「それは分ってるけどさ。でもなぁ…」
氷蓮の言う事も勿論理解できる。なにしろ実際に昨日は仁乃とも戦っているのだから。しかしそれでも恋人が独りきりで戦おうとしているのは不安を感じてしまうのだ。多少は過保護な部分があるのは自分でも理解しているのだが……。
他の皆もやはり不安を感じているのか固唾をのんでモニターを見ている。
そんな不安を拭いきれない加江須たちとは引き換えに氷蓮は落ち着き払った様子で画面を見ている。
「さて…お手並み拝見だな」
◆◆◆
「じゃあ早速始めましょうか? よーい…スタート!!」
まるでレースでも今から始めるかのような掛け声と共に女ゲダツは一気に仁乃へと突っ込んでいく。
それに対して仁乃は糸の槍を作り出すとソレを構えた。
「あら迎え撃つ気かしら? でも馬鹿正直に構えるなんて甘いわね」
仁乃が槍を構えた事で相手が接近戦で受けて立つつもりだと判断する女ゲダツ。しかし彼女は仁乃へと突っ込みながら腹から数体の狼の様なゲダツを飛び出させた。
彼女のこの能力は転生戦士を喰らって吸収した『分裂体を作り出す特殊能力』であり、身体の至る所からゲダツを生み出せることが出来るのだ。
突っ込みながら体から飛び出て来た狼の様なゲダツ達は一斉に仁乃に喰らい付こうとする。
「さあ穴だらけにしてあげなさい!」
自分の本体である女の指示に従うように牙をむき出しにして仁乃の体へと喰いつこうとするゲダツ達であるが、その牙は彼女の体に喰らい付く事は無かった。
何故なら彼女に向かって行ったゲダツ達は飛び掛かった状態で空中で動きが停止したからだ。
「なっ! どうなって…!?」
自分の分裂体が空中で身動きが取れなくなり急停止する女ゲダツ。その急停止直後に彼女は本能的に嫌な気配を感じ後ろに跳んで仁乃から距離を置く。
その直後に空中で固定されていたゲダツ達はバラバラに解体された。
「……この切断面。なるほどね、見えない糸でも張り巡らせていたのね」
仁乃が糸を操る能力者である事を知っている彼女は透明な糸を張り巡らせている事を瞬時に理解できた。もしも自分の直感を信じず後ろに跳び退いていなければ、今頃は彼女の足元で無残にバラバラに解体された分裂体と同じ末路を辿っていただろう。
「中々にえぐい攻撃をしてくれるじゃない。さすがに小細工も必要だと学んだかしら?」
「あら? そう言うアンタは前よりも間抜けになった気がするのは気のせいかしら?」
女ゲダツの言葉に対して売り言葉に買い言葉。余裕を見せるかのようにうっすらと笑いながら小馬鹿にするようなセリフをぶつけてやる。
人間の小娘に挑発されて目の前の女の額からビキッと血管が一筋浮き出る。
「あらあら血が上っているわね。そういう所、凄く人間的でいいんじゃない?」
「随分と無駄口を叩くように成長したようね。なら……もう容赦なく殺してもいいかしら?」
そう言った直後に視線の先に居たゲダツの姿が消える。
しかし今の仁乃には超スピードで動いた相手の動きを捉えることが出来ており、振り返りざまに一瞬で大量の糸で槍を生産し射出する。
真後ろへと回り込んだ直後に大量に飛んできた槍に驚く女ゲダツ。
「ぐっ! 私の壁となりなさい!!」
身体のあっちこっちから狼型のゲダツの分裂体を生み出しぶつけて相殺しようとする。しかし糸の速度と攻撃力は完全に仁乃が上回っておりゲダツ達を貫き、そのまま本体へと風を切り裂きながら突っ込んで来た。
「(そうそう当たるわけないでしょ!!)」
横へと跳んで飛んできた槍を避けようとするが、ここで仁乃は飛ばした槍の内の1本にあらかじめ細工を施していたのだ。
「今だわ! ほどけなさい!」
仁乃はそう叫ぶと同時に相手へと飛ばしていた糸の槍を解いたのだ。
空中で分解した糸の槍は無数の細い糸へと戻り、その糸はゲダツの身体へと巻き付いて行動を無理やり停止させる。
雁字搦めと言えるほどにガチガチに縛り付けたわけではないが、それでも行動が一瞬でも止められればそれで良い。その一瞬の間に大量の槍がゲダツへと降り注いだ。
「ぐうううううう!?」
両手で防御の構えを取るゲダツであるが、打撃ではなく先端の尖っている槍なのでガードしたところでその部位に槍が刺さってダメージを負う。
大量の糸で形成された槍はゲダツの肉体を串刺しにし、真っ赤な血が白い床へと点々と落ちて行く。
「こ…の…!!」
顔を隠していた腕を下げるとそこには憤怒に駆られた女ゲダツの顔が現れた。
「たかだか人間の娘がやってくれるわ! もう容赦はしないわよ!!」
身体に突き刺さっている槍を力任せに引き抜きながら激情に任せて怒鳴り散らすゲダツ。
怒号と共にゲダツ特有の重苦しい気配が叩きつけられるが、それをものともせずに仁乃は再び大量の糸を手のひらから放つ。
「上等よ。その気で来てくれないと今の私の限界は分からないんだから」
◆◆◆
水晶内の戦況を映し出されているモニターを見つめていた皆は驚いていた。ここまでの戦闘では完全に仁乃が優勢だ。相手は人型ゲダツである以上は通常のゲダツ以上の力を兼ね備えているにも関わらずだ。
「す、凄いなぁ。仁乃さんも加江須君と同じくらい強いんじゃないの?」
戦いが始まる前は不安を感じていた愛理であるが完全に優勢状態の仁乃を見て今は安心してモニターを見ている。それは黄美も同じであり、彼女も今は仁乃の持つ戦闘力に釘付けとなっている。
「凄いですね仁乃さん。あの人も転生戦士として見たら相当にお強いですね」
イザナミはそう言って加江須と氷蓮の方を見るが、二人は黄美や愛理の様な緊張の解けた顔はせず、厳しい目でモニターを眺めている。
確かに今の状況は間違いなく仁乃が圧倒しているだろう。しかしあの対戦相手は仁乃の記憶を頼りに生み出されているのだ。という事はまだあのゲダツにはさらなる進化がある。その姿を仁乃も見ていた以上は間違いなくその姿も再現されるだろう。
「あのピンク髪のやつの顔つきが変わりやがったな」
「ああ、恐らくだがここからはなりふり構わず仁乃に向かって行くだろうな」
「それってつまり…あのバケモンに変身するって事か?」
氷蓮が加江須の目を見ると彼は無言で頷いた。
そのやり取りの直後にモニターを見ていた黄美が小さく悲鳴を漏らす。
「な…なにあの化け物は?」
◆◆◆
「もう…なりふり構わないわ」
女ゲダツがそう呟いた直後、彼女の体が変形していった。
女の肉体がドンドンと大きくなり、さらに骨格もバキバキと音を立てながら変えていく。やがて体中から体毛が生えて行き――ついに双頭の四足獣と化したゲダツが出現した。
「グゴガアァァァァァァァァッ!!!」
双頭となったゲダツの二つの口からは雄叫びが上がる。その咆哮は仁乃の体を思わず一歩後ろへと下げてしまうが、その気迫に負けるものかと彼女は大声を出して自らを鼓舞する。
「はあああああああああああッ!!!」
腹の底から声を出して目の前の化け物を睨みつける仁乃。
以前は加江須と氷蓮の二人と共に戦ってようやく勝利を治めれた怪物であるが、だからこそ今の自分が独りでも立ち向かえるかを確かめるには格好の相手である。
「さあかかって来なさい!! 私だって強くなっている事を証明して見せる!!」
毅然とした態度を貫き槍を構える仁乃。
彼女の瞳には微塵の恐怖もなく、強い眼で目の前に立ちはだかる敵を見据えていた。




