神は人の上に立つべきなのだ
背後から聴こえて来た自分を呼び止めようとする少年の制止を振り切り、イザナミはヒノカミと共に神界へと続くゲートを通り抜ける。
ゲートをくぐるとそこには自分の本来いるべき神界の風景が広がっており、神々の地を踏んでいた。
「到着したっスね。じゃあまずはイザナミ先輩の担当上司の元まで行きますか? 今回の事での処分が言われるはずっスよ」
「はい…お世話を掛けました」
「…そう気を落とさずに。もしかしたら厳重注意で済むかもしれないっスよ」
そう言いながらイザナミに対して頭を上げるように言うヒノカミ。そこにはいつもの頼りなさ気な先輩の姿が映った。だが先程地上で見せた自分の攻撃を止める際、見た事の無いような怒りを見せていた事が気になり興味本位から質問をした。
「あの…ウチにたてついてきた少年って先輩にとってどういう存在なんっスか?」
「え…それは…」
ヒノカミにそう質問されても具体性のある答えは出せなかった。
イザナミにとって久利加江須は自分が生き返らせた人間の1人に過ぎない。しかし妙な縁から何度か顔を合わせる間柄となっていた。
「私も彼に何を感じているか分かりません。でも……文句を言いつつも彼は私を何度も救ってくれました。だから…恩人、ですかね?」
「……そうっスか」
それ以上はヒノカミも何も詮索はせず、二人はイザナミの直属上司の神の元まで向かうのだった。
◆◆◆
その頃地上ではゲダツによって苦しめられていた仁乃がようやく目を覚ましていた。
「うん…あれぇ…」
目覚めると最初に目に飛び込んだのは青い空とその周りを漂う雲であった。その後に仰向けの体を起こすと左右はビルが建っており自分の現在位置に疑問を持つ。
「ここどこ? え~っと……」
憶えてるのはゲームセンターの入り口でゲダツと戦っていた事まで。その際にイザナミさんから確か…自分の体内にゲダツが潜んでいると言われ……。
そこまで記憶が復活すると一気に焦り慌てて自分の身体を確かめる。
衣服の上から触れたところで分かるはずもないのだが、それでも異変が確認出来ないかを調べる。しかし特に肉体が膨張しているなどの異変は生じておらず、それに体中の激痛や吐き気なども消えている。
「……あのイザナミさん?」
今もまだ自分の体内にゲダツが居るのかイザナミに聞こうと周囲を見るが、ここで彼女はようやく今の周りの状況に気付いた。
「みんな…これは何があったの?」
周りを見ると加江須が腹部を押さえながら地面に膝をついており、氷蓮は今までの自分と同様に地面に寝そべっている。そして愛理は氷蓮、黄美は加江須へと付き添っている。
「あ、起きたんだね仁乃さん。無事でよかった」
氷蓮の事を見ていた愛理であったが、仁乃が目覚めた事で声を掛ける。
今の状況がまるで理解できない仁乃はとりあえず加江須へと事情を尋ねる。
「ねえ加江須何があったの? その…私が寝ている間に何が……」
仁乃が自分の眠っている間の出来事を尋ねようとすると、加江須、いや黄美と愛理も纏めて暗い顔をした。
皆の悲壮感を漂わせる表情に仁乃はその先を聞き出す事が出来なかった。それに他にも気になる事が彼女にはあった。
「ねえ…イザナミさんは?」
この場に居ないイザナミの所在が気になり皆に尋ねる仁乃。
彼女がそう尋ねると加江須は悔し気に地面をドンッと叩いた。
「え…?」
加江須の行動に思わず身を震わせる仁乃。
不安げな顔で自分を見つめる仁乃の姿にハッとしてしまう加江須。
「(何をやっているんだ俺は? こんな八つ当たり見たい事をしてどうなんだよ)」
自分の浅ましい行為を恥じつつも加江須は出来るだけ感情を抑えて彼女が眠っている間に起きた出来事を話した。
仁乃の中に潜むゲダツを自分たちでは対処できずに嘆いているとイザナミが神としての力を解放して彼女を救ってくれた事。しかしその直後にヒノカミと名乗る他の神が現れ規則を破ったとしてイザナミの事を連行していった事。そして…自分はそんな彼女を止められずにみすみす神界へと送ってしまった事。
すべての話を聞き終えると仁乃はその場で膝をついていた。
「そんな…私のせいでイザナミさんは…」
「ち、違う!! それは絶対に違う!!」
加江須はあくまで仁乃の眠っている間の出来事を話しただけのつもりであったのだが、彼女は自分のせいでイザナミを連れていかれたと思い下唇を噛んで表情をくしゃっと歪めた。
そんな彼女の顔を見て加江須はすぐに仁乃のせいではないと否定する。
「仁乃が苦しんでいたのはゲダツのせいだろ!! それに俺は目の前に居ながら何も出来なかったんだ。悪いのは…悪いのは…」
悪いのは自分だと口に出かけたが、ここでヒノカミの言っていた事を思い出した。
あの女神は自分に対して一下界人と言っていた。そう、その通りなのだ。所詮自分はたかだか神様に生き返らせてもらった転生戦士だ。もし仮に自分が抗ってイザナミを引き留めていても結果は変わらなかっただろう。
「俺たちは無力なのか?」
加江須のその言葉に誰も答えを返してはくれなかった。いや答えを出すことが出来なかったのだ。
◆◆◆
仁乃が目覚めてからすぐに気絶していた氷蓮も目を覚ました。
皆が動けるようになってから路地裏を出てそれぞれが憂鬱そうな顔で自分の家へと帰宅した。帰りの道では誰一人として口を開かず無言でバラバラに別れた。
自宅へと戻った加江須はベッドに飛び込むと天井を漫然と見つめる。
「………」
あの時に自分の差し伸べた手は結局イザナミを呼び止める事は出来なかった。
これまで相手がどれだけ強大な敵でも、大きな壁でもこの手で自分は大切な人を取り戻していた。守り切っていた。でも…でも今日初めて自覚出来た。
「俺は…弱い…」
親も居ない静かな自分の部屋の中でそう呟くと一層に耳に染み込んできた。
「ダサいな俺。自分は最後はどうにでも出来ると楽観的に考えていて……俺は馬鹿か!!!」
苛立ち気にそう叫ぶが感情任せに喚いても何も現状は解決しない。
しかし神界とやらに自分が向かう手段もない。もう…終わってしまった事なのだ……。
◆◆◆
加江須が自分の無力感に苛まれている頃、イザナミは自分の住んでいる神界に建造されていた西洋風のドでかい城へと戻っていた。
自宅へと戻ったイザナミは彼女の両親と向かい合って話をしていた。
「まさかここまでお前が愚かだとはなイザナミ……」
イザナミの父はほとほと呆れたと言った様子で娘の事を見ていた。
そんな父の言葉が彼女の胸に突き刺さり、ちゃんと相手の顔を見なければと思いながらもつい顔を伏せてしまった。
そんな娘の態度に母は厳しい声で注意をする。
「イザナミ、顔を上げなさい」
「…はい。本当にごめんなさいお父さん、お母さん」
もうこのセリフを両親に言うのはこれで何度目だろう?
この城へと戻り両親の顔を見るなり謝罪をし、そしてこのお説教の合間も何度謝った事か。だがそれは当たり前の事だ。自分はいけない事をしたのだから……。
「いくら処罰が無かったとはいえお前はこの神界に定められているルールを破った。それも…たかだか一人の下界の民を救う為に力を使役するとは」
「はい、その通りです」
「何故そんな事をした? そもそも地上へと逃げた理由も縁談から離れたいが為だったな。結婚が嫌ならば何故強く私たちに言わなかった? 逃げる以外にも選択はあっただろうに」
「……ごめんなさい」
そう、元々イザナミが地上へと逃げた理由も縁談をしたくは無いためと言う個人的な理由からであった。その上で彼女は規則を破ったのだ。
「どのような処罰も覚悟の上です。私は…この家の恥となる行為を行ったのですから」
「イザナミ…あなたは利口な娘だと思っていたのに……残念よ……」
そう言うとイザナミの母は部屋を出て行った。もうイザナミの事など見てはいなかった。
そしてそれは父も同じであった。彼はゆっくりと席を立つと冷たい眼差しを実の娘へと向けながら言った。
「お前の行いは神界での価値観を覆す危険のある行為だ。神は人間を管理する側の存在でなければならない。しかしお前は人間の為に力を振るってその人間の命を救った。神が人間の為に身を粉にするなど神々の間では恥さらしの行為だ」
「はい…ですがお父さん。私は…地上の人間を、仁乃さんをこの力で救った事に何の後悔もありません」
そう言うイザナミの瞳には微塵の後悔の念もなく、彼女はむしろ自分の力で人を救えたことを誇りにすら思えている事が十分に理解できた。
だからこそ父は彼女に冷酷な決断を強いた。
「ならばもうお前は神界に居るべきではない。イザナミ…お前から神としての力と権利を剥奪した上で地上へと追放する。残された人生は下界で過ごすがいい。人としてな……」
「……はい、分かりました」
実の父からの絶縁、しかも地上へと追放宣言をされてもイザナミは余り驚きはしなかった。心の奥底では自分の親がこのような判断をするのではないかと予測は出来ていたからだ。
「……今から3時間はくれてやる。その間にウチから今後の生活で必要と思う物を纏めておけ」
そう告げると父は席を立ち部屋を出て行こうとする。
「……お父さん」
イザナミは立ち上がると深々と父へと頭を下げる。
「本当に申し訳ございませんでした。そして…今日まで私の様な迷惑な娘を育ててくれてありがとうございました」
「………」
娘の最後の別れの言葉、しかしソレに対して父は何も答えずに部屋を出て行く。
残されたイザナミは頭を下げたまま体を震わせ、その下げた頭部の真下にはポタポタと透明な雫がこぼれ落ち続けた。
その後しばしの間、ただ一人取り残されたイザナミは声を押し殺して泣き続けていたのであった。




