空きビルでの戦闘 地雷を踏みぬいたゲダツ
空きビルの入り口で夜風の吹きつける中、サーバントに命じられて見張りをしている浮浪者がやがて来るであろう久利加江須とやらの侵入に備えていた。
半ゲダツと成り夜目が効く為に夜でも昼間とほとんど変わらず外の景色を見ることが出来る浮浪者。
「たくっ…あのガキめ、こき使いやがって…」
入り口で胡坐をかきながらこの場には居ないサーバントに対して陰口を言う男。
正体は化け物かもしれないが見た目は若造でしかないサーバントの横柄な態度には内心では常に不満を抱いていた。それでも彼がサーバントの元から離れようとしないのはそれなりの理由があるのだ。
この浮浪者はサーバントと出会う前からこの空きビルを根城にしていた。
彼は過去に殺人を犯しており、その結果、無期懲役の罪状を突き付けられて長い間の刑務所暮らしとなっていた。それでも約30年後に出所する事が出来た。だがその後に待っていた生活は地獄に近かった。
出所と言っても監視下に置かれる、さらに前科持ちの高齢者であるゆえに職にも付けない。最終的には盗みでも犯して刑務所に出戻りしようかとすら考えていた。
ギリギリの狭間まで追い込まれ、ついに物乞いまで落ちぶれていた時にあの男、サーバントが目の前に現れたのだ。
『みすぼらしいが絶望を人一倍兼ね備えているな。どうだ? このまま路上で乞食のまま生きるくらいならイチかバチかに賭けてみるか?』
そう言って目の前に現れた男は自分の手首を切るとそこから溢れる真っ赤な血を自分の顔面に浴びせかけた。息がむせ返る程の濃い鉄の臭いと味を感じながら自らの身体に数秒の間だが激痛が走った。だがその直後にはもう歩くだけで億劫になる老体が羽の様に軽くなった。
そんな混乱している男を見てサーバントは満足げに笑った。
『おお…20人目にしてようやく成功だ。お前…運がいいな』
後から聞いたが自分は半ゲダツとやらに生まれ変わったらしい。
それからゲダツの存在や転生戦士などの話も教えられた。そしてもしも自分の血に適応出来なければ自分は死んでいたそうだ。現に自分と同じく血を取り入れた人間が20人も死んでいるらしい。それを知った時は思わず膝から力が抜けてしまった。
こうして半ゲダツになった浮浪者であるが命を懸けた甲斐は十分にあったとその後の生活で強く思えた。
まず理由の一つ、それは半ゲダツとなった彼の戦闘力は一般の人間などまるで相手にならない程に強化されていたことだ。しかもゲダツの持つ特性も継承しているのだ。
ゲダツに襲われた者の歴史は世界から消失する。だからこそゲダツによって人死にが出ても世間では騒ぎにもならなければその事実に気づきもしない。その特性が半ゲダツであるこの男にも継承されているのだ。つまり半ゲダツであるこの男が殺人を犯せば転生戦士の様な特別な相手でもない限りは殺した人間のこれまでの歴史を抹消できる。例え死体が見つかっても殺されたその人物は生前の痕跡を抹消されている為に身元不明の死体が出るだけだ。
そして第二の理由、それは半ゲダツになった者はその時点で自身の歴史を消し去ってしまうのだ。つまりはこの男は半ゲダツになると同時、彼の親類を始め彼の事を知っている者達は彼に関する記憶を失うのだ。それだけでなく彼が犯した犯罪も忘れ去られて監視もなくなった。
「この特性を生かせばこれからも殺人を犯してもバレずに食っていけるからなぁ…」
半ゲダツになってから彼はこの空きビルの近くに偶々通りかかった者を襲い、金品を強奪の上で何人も殺している。そうやって職に就いていない状態でも金を稼ぎ、そして世間から何の疑念も疑われずにただの浮浪者として生きていけているのだ。半ゲダツの彼に殺された時点でその人物と関わりのある者達は親兄弟でさえも忘れてしまう。つまり事件の起承転結の始まりである起が起きないので事件にもならないのだ。
だが半ゲダツになって良いこと尽くし、と言う訳でもないのだ。
彼は本来であればサーバントの元から離れてすぐにでも自由に生きたかった。しかしそれは許されない。何故なら半ゲダツとなった者はその血を与えたゲダツに見えぬ鎖で縛られる。
つまり浮浪者が無事に半ゲダツになってサーバントの血に適合した事で、彼の中で混じり合わさったサーバントの血が遠隔であの男を操る事も出来るのだ。だからこの浮浪者もサーバントの元から逃げられない。そんな事をすれば間違いなく裏切りと判断して殺される事は目に見えているからだ。
「はぁ~…たくっ…あのガキから離れられれば悠々と生きていけるってのに…ん?」
誰にもケチをつけられないような愚痴を吐きながら入り口の駐車場を警戒し続けていた浮浪者であったが、夜目の効く彼は奥からドンドンとこのビルに近づいて来ている複数の人影に気が付いた。
胡坐をかいている浮浪者の姿に相手側の方も気付いたようで口を開き、そしてどこか凍える様な寒気の走る声で語り掛けて来た。
「よぉ…このビルに俺の恋人たちは居るんだよな?」
そう言いながら視線の先に居る一人の少年の姿が凶暴な化け狐へと変貌していった。
◆◆◆
「たくっ…遅いな…」
空きビル内に置いたソファに座りながら煙草を吸って目的の転生戦士を待ち続けるサーバント。
この人型となってからは思考の低い獣姿の時よりも世界を楽しく生きていけるようになった。悪感情の集大成である自分を生きていると表現する事が正しいかどうかはさておき。
「ふぅ~…新しい煙草、後で盗ってこねぇとな…」
人間の嗜好品の一つである煙草にサーバントはハマっておりよく吸っている。今の様にイライラとした感情を緩和する時などに吸うと落ち着ける。
「あのディザイアとか言う同種のゲダツ、もしかして目的の転生戦士に殺されでもしたんじゃねぇだろうな」
もしそうだとするならこれ以上到着を待っても無駄と言うもの。ならば屋上で転がしている二人の転生戦士を喰ってしまおうかと一瞬だけ頭をよぎるが、今もディザイアの能力、欲求をコントロールする力が働きもう少しだけ彼女の事を待ってやろうと考えてしまう。しかし彼も進化を果たした人型ゲダツ、これ以上待たせれば二人を喰ってやろうと言う欲求が抑えきれなくなる恐れもあった。
彼が今口にしている煙草を吸い終わると吸い殻をプッと吹き出し、続けざまに新しい煙草を口に咥えて火を付けようとした。
だが彼が煙草に火をつけたと同時にビルの外から激しい轟音が耳に届いた。
「あん? なんだぁ…」
煙草に火をつけてビルの外から駐車場を覗こもうとすると同時に彼の視界には火柱が立ち、覗き込んだ隣の窓ガラスが割れ、何かが室内へと突っ込んで来た。
「……オイオイ」
室内に飛び込んで来た影の正体を確かめてみると、そこには顔面に拳の跡を付けられて鼻血と窓ガラスの破片の刺さった頭から血を流している浮浪者が仰向けで倒れていた。
「どうやらディザイアのヤツが目的の男を引っ張って来たようだな」
そう言いながらサーバントは倒れている浮浪者の事をその場に放置して上の階へと移動していった。
◆◆◆
「ねぇ…今の火柱って…」
仁乃はどこか安心感を抱きながら下の駐車場から上がった火柱の正体を理解できていた。
それは隣で転がっている氷蓮もだ。今までは不安で仕方がなく弱音を吐いていた彼女も今は余裕を取り戻した顔をしていた。
「たくっ…来るのが遅いんだよ…バカヤロー…」
悪態を吐く氷蓮であるがその顔はとても嬉しそうだ。それもそうだろう。なにしろ二人が待ち望んでいた人物が助けに来てくれたのだから。
氷蓮が悪態を吐いたその直後、ビルの下から何者かが屋上まで一気に跳躍して二人が縛られ囚われている屋上へと着地した。
「……ごめん、遅くなってしまったな」
仁乃と氷蓮に謝りながら近づく人影、それを見て二人は完全に緊張が抜けてしまった。
「もう…待たせ過ぎよ加江須」
安堵から眼の端に少量の涙を浮かべながら仁乃は嬉しそうに助けに来てくれた少年の名を口にしたのだった。
◆◆◆
「ふわぁ~…屋上まで一っ飛びだぁ…」
余羽は凄まじい跳躍で屋上まで跳んでいった加江須を見上げながら呟いた。
駐車場で攻撃しようとしてきたホームレスの様な男を一瞬で無力化した加江須は仁乃と氷蓮の居場所を問い詰め、ソレが済み次第その男を空きビルの中へと放り投げた。中々に酷い事をしていると一瞬だけ思ったが、相手が外道である事は間違いないのだからあのような目に遭うのも自業自得だとも思うことにした。
「たくっ…先走り過ぎだろあいつ」
屋上に姿を消した加江須に対してヨウリは少し呆れ気味にぼやく。
あの半ゲダツの浮浪者から掴まっている二人の女の事を聞いた後、ビルの中に突入しようとしていたヨウリだが加江須はまさかの屋上にジャンプで直行したので思わず呆れた。と言うよりもいくら神力を使えると言っても屋上まで一っ飛びで辿り着くとは思わなかったのだ。
「本当…転生戦士の中でも彼は本当に規格外ねぇ」
クスクスと笑いながらディザイアは屋上に消えた加江須が改めて桁違いだと実感していた。
「…彼と取引して正解だったわね」
ゲダツにとって転生戦士が強すぎるという事は基本的には厄介以外の何物でもないだろう。しかしそれは敵対しているからこそ言えるのだ。この空きビルまで彼を案内するまでに〝取引〟をした彼女からすれば彼が強ければ強いほどに嬉しい事だ。
「嬉しそうだなディザイア」
彼女の隣で控えていたヨウリが話しかけて来る。
そんな彼に対して彼女は満面の笑みで答える。
「ええ嬉しいわ。彼の力があればすぐに願いを叶える権利を手に入れられるでしょうね」
「ああ…そうだな…」
恐らくはディザイアは加江須だけの力で同じ人型ゲダツのサーバントを撃破させるのだろう。そうすれば加江須は大きな功績を残し、もしかすればすぐにでも願いを叶える権利が手に入るかもしれない。
「あの、私たちも行きましょうよ!」
余羽が二人に声を掛けると加江須とは違い空きビルの中へと入って行き、駆け足気味で屋上を目指す。流石に加江須の様に一気に地上から屋上までは跳躍できないからだ。そんな彼女の後をディザイアとヨウリもゆっくりと続いて行くのであった。
◆◆◆
地上から屋上に着地した加江須は縛られて傷ついている二人の姿を見て一瞬だけ泣きそうな顔になった。しかしすぐに気を引き締めると急いで二人を縛っている拘束を解いてあげる。
「もう大丈夫だからな。余羽も一緒に居るからすぐに傷も治せるぞ」
そう言いながら二人に手を貸し身体を起こしてあげる。
仁乃の方はフラフラとしているが何とか自力で立てている。しかし氷蓮は仁乃が気絶している間にサーバントから暴行を受けていた為に足元がおぼつかない。
「だ、大丈夫か氷蓮!」
「ほら、しっかりしなさい」
「わ、わりぃ…ちょっとふらついた」
加江須と仁乃が左右から彼女の体を支えて上げる。
「(くそ…よくも俺の氷蓮をここまで…!)」
自分が支えている恋人の身体を見て加江須の怒りは限界を突破していた。この二人を安全な場所まで運び次第、この空きビルを根城にしているゲダツを完膚なきまで叩き伏せる。そんな事を頭の中で考えていると――
「はは、まさか正面からじゃなく屋上までショートカットしてくるとはなぁ」
屋上の扉が蹴り破られ、そこから一人の金髪の青年が姿を現した。
外見だけで判別するならば人間の青年にしか見えないが、この男から放たれている気配で正体は理解できる。
「…お前がこのビルを根城にしているゲダツか」
「ああ、そう言うお前はディザイアとやらの言っていた転生戦士だよな。ハハッ、まさかそこの恋人の為に堂々と来てくれるとは」
ディザイアから話を聞いていた通りどうやらこの男、恋人の事ならばゲダツが待ち構えている場所にでも躊躇いなく足を踏み込む覚悟があるようだ。もし自分がこの空きビルや転がしている人質の女たちに罠でも仕掛けていたら、なども関係ないのだろう。
「こんな事ならその女どもの身体に細工でもして罠でも張っていれば良かったかな」
余りにも愚直な性格に小馬鹿にするように加江須に対してヘラヘラと笑っていると――サーバントの身体が真横へと吹き飛んだ。
「ぶおっ!?」
頬に強い衝撃を感じ、その数瞬後に体が屋上を囲んでいるフェンスへとぶつかった。
自分の元居た位置を見てみるとそこには片脚を持ち上げて蹴りを放った体制で加江須が立っていた。
「……いてぇな」
そう言いながら蹴りを受けた頬を擦りながらサーバントは薄く笑った。
「なるほど…ディザイアの言う通りそこの二人とは桁が違うな。これなら俺の糧として充分『黙れよ』…あ?」
サーバントのセリフの最中に自分の言葉を捻じ込ませる加江須。
彼の声色は恐ろしい程に冷えており、それとは真逆に腹の中の怒りは溶岩の様にグツグツに煮えたぎっていた。
「俺の大切な恋人たちをここまで傷つけてくれたんだ――無残に死んでいく覚悟は出来ているだろうな?」
サーバントは大きな間違いを犯してしまった。それはディザイアの話に乗ってむざむざとこの空きビルに留まっていた事だ。最悪仁乃と氷蓮の二人を放置してこの空きビルからさっさと退散すべきだったのだ。
そうすれば傷だらけの恋人たちを見た最強の転生戦士の逆鱗に触れる事は無かったと言うのに……。




