空きビルでの戦闘 感じ取るゲダツの気配
加江須と狂華による短い間の邂逅と戦闘、その修羅場から二日経った昼間、とあるケーキ店には二人の少女が待ち合わせから合流して話を交えていた。
「はぁ~……平和ねぇ~……」
行きつけのケーキ店の中で注文したイチゴのショートケーキを口にしながら仁乃は窓の外で往来を行き交う車や人々を眺めながら気の抜けた声でそう言った。
そんな彼女と同じテーブルに座り対面上に居る氷蓮はコーヒーにミルクを入れながら少し呆れ気味で彼女の独白に返答をしてやった。
「何が平和だよ。例のプールでの一件を忘れたのかよ?」
真っ黒のコーヒーの中心から広がるミルクをスプーンでかき混ぜながら氷蓮はそう溜息交じりに呟いた。
それに対して少し頬を膨らせながら仁乃もはぁっと小さく息を吐いて答える。
「…そんな訳ないじゃない。たださぁ…今ケーキなんて食べれてのんびりできているこの状態についつい口に出てしまっただけよ」
二日前に加江須と共にデートの舞台となったウォーターワールドで起きた惨劇、自分たちと同じ転生戦士が1人殺されたのだ。しかもその犯人もまた同じく転生戦士だったのだ。それも戦闘狂と呼ばれる類の狂人だ。
「しかし俺らの居ない所でソイツが加江須と出逢っていたなんてな…」
事が起きてデートが中断となりウォーターワールドを出て黄美たちと別れた後、なんと加江須はその戦闘狂いの転生戦士の狂華と邂逅していたらしいのだ。しかし加江須の力は戦闘狂と呼ばれている狂華を遥かに上回っており彼が殺されることも無かった。仁乃と氷蓮はその現場に居なかったのだが、偶然にも近くに居た白は応援に駆け付けたらしいがその時には狂華は既に時間を止めて逃げた後だったらしい。
「やっぱり加江須のやつはスゲーよな。俺らとは転生戦士としての格が違うって改めて教えられたぜ。流石は俺の彼氏様だぜ」
「俺じゃなくて私たちのでしょ」
ケーキの一番上にちょこんと乗っかっている苺をフォークで突っつきながらさりげなく訂正を入れておく仁乃。
確かに加江須の力は狂華を遥かに上回っていたとの事だが彼女は余り浮かれる事は出来なかった。と言うのも二人は加江須からこんな話を聞かされたからだ。
「……その狂華ってヤツ、どうやら加江須の事を優先的に狙うみたいだけど……」
そう言いながら仁乃は少し不安そうな顔を浮かべる。
加江須と狂華の邂逅から翌日の事、詳しい話を加江須から聞いたところどうやらその狂華とやらは加江須の圧倒的な力に興味を抱き彼を誰よりも最優先的に殺しにかかる事にしたらしいのだ。逆に言えばこれは加江須が生きている限りは狂華は他の転生戦士に手を出す心配が無くなったとも言える。勿論これは自分たちが一方的にそう考えているだけなので保証などは存在しないが。
「…白の奴も警戒は怠らない様にって言っていたし俺たちも油断は出来ねぇよな」
自分の注文したコーヒーの黒と白の混じりあった表面をしばし眺め、そのままカップの取っ手を掴んで一気に中身を飲みほしてしまう氷蓮。
目の前で豪快にコーヒーを胃の中へと流し込んでいる氷蓮を見ながら仁乃が言った。
「今のままでいいのかしら?」
「あん? どーゆー意味だよ?」
黄美の口から零れ出た発言の意味が分らずにどういう意味かを詳しく訊こうとする氷蓮。
手元の残り一口サイズとなったケーキを口の中に放り込み、それを咀嚼して飲み込み終わると黄美は氷蓮に話しかけ始めた。
「今までもだけどさ…私たちは少し加江須に頼り過ぎている気がするわ。今回の狂華って女も結局は加江須に任せる形になって落ち着いているじゃない」
「それは…まぁな…」
仁乃の言う事に対して氷蓮は空になったカップを見つめながら頷いた。
思い返せばこれまでのゲダツとの戦いの時もそうだ。自分たちは加江須に少し頼り過ぎている気もする。確かに加江須の強さは相当なものではあるが、だからと言って彼一人に任せるのは筋が違うだろう。
「……実はさ、昨日の夜に黄美さんから電話があったの」
昨日の夜に仁乃の携帯に黄美から連絡があった。それは自分にも何かできる事は無いかと言う無力からくる連絡であった。
ウォーターワールドの一件で転生戦士ではなく神力も持たない黄美は完全に足手まといでしかなかった。もちろん加江須たちは黄美と愛理の事をそんな風に捉えてはいない。しかし彼女は何も出来ない無力感を拭いきれなかったのだ。
昨夜の黄美から受けた電話の内容を話していると氷蓮の方も口を開き始めて昨日の出来事を語り出した。
「実は俺にも電話あったんだよ…その…愛理のやつからさ」
氷蓮のその報告を聞いて仁乃は少し驚いた。
どうやら氷蓮の方も黄美と全く同じ理由から愛理に相談をされていたようだ。彼女もまたあの一件で何もできなかった自分に強い無力感に囚われていたようだ。
「まあ二人の気持ちも少し分かる気もするけどよ。もし俺があいつらの立場なら力を持たない自分が許せないと思うぜ。他の皆は戦っているのに自分たちは何も出来ずに傍観する事しかできないってな……」
「でもだからと言って神力を持っていない彼女たちを戦いの中に巻き込むなんて言語道断よ。みすみす死なせるようなものだわ」
「んなこと理解してらぁ。ただ…加江須に何かを手伝ってやりたいと言う気持ちを組んでやりてぇってだけだ……」
そう言いながら現状では二人に対して何も出来ない苛立ちから空になったコップを爪の先でコンコンと叩く氷蓮。そんな彼女と似たようなモヤモヤとした心情の黄美もフォークの先端でコンコンと食べ終わった皿の縁を一定のリズムで鳴らす。
「たくっ…いい天気だよな本当に…」
窓の外の景色は雲のかかった二人の心情とは裏腹に雲が殆ど浮かんでいない晴天であり、その眩しさが今の氷蓮には何とも居心地の悪い環境であった。
◆◆◆
「はあ~……」
「ふぅ……」
店を出た後は二人で街の中を特に当てもなくブラブラとしていた。
二人が並んで歩いてからもう30分近く経過しているにもかかわらずここまで特に会話も無く、両者は胸の内にもやもやとした釈然としないような感情がこもっていた。
――だが次の瞬間、二人は肌に纏わりつく不快感を瞬時に感じ取った。
「ねぇ…これって……」
「ああ間違いなくゲダツだな」
夏休みという事もありいつも以上に雑踏に込み合う大勢の人間が行き交う中、仁乃と氷蓮はゲダツの放つヘドロの様な不快な気配を頼りに歩いて行く。気配の発生源を頼りに歩いて行くと辿り着いたのは少し年季の入った空きビルであった。何故空きビルだと断定できたのかは建物の雰囲気を見れば判断できたからだ。
ビルの手前の駐車場のコンクリ―トはボロボロで当然駐車している車は1台もなく、ビルの入り口のガラスはひび割れている。ここが空きビルでないならこの状態をむざむざ放置などしないだろう。他にも入り口の隣の壁には元は看板でも掲げられていたかのような跡も見受けられる。
「このビルの中から気配を感じるが……」
もしかすればこの空きビルを根城にして定期的にゲダツが外に出ては人を喰っているのかもしれない。実戦経験が加江須や仁乃よりも多い氷蓮はゲダツの中には縄張りを作るタイプの個体も存在する事はよく知っている。
「さて…じゃあいくか」
「ええ。被害が出る前に片を付けましょう」
氷蓮が自身の周辺から冷気を発生させ、仁乃は指の先から糸を垂らしている。
見たところこの空きビル周辺には人の気配は感じられないが、ここから数分も歩けば先程まで自分たちが歩いていた人通りの多い道に出る。もしもこの空きビルに息を潜めているゲダツがそこまで足を延ばせば大勢の一般人が食い殺されかねない。しかもゲダツは転生戦士以外には基本的に姿を見る事も出来ず、ゲダツに殺された者の存在も無かった事になる。つまり一切の騒ぎも起きず淡々と人が食い殺され続ける事になるのだ。いや、もしかすれば既に何人、あるいは何十人も犠牲者が出ているかもしれない。
二人は隣で戦闘態勢を取っている相方をそれぞれ見ると無言で揃って頷き、一気にビルの内部へと向かって行った。
しかしこの時に二人は気付いていなかった。この空きビルに潜んでいたゲダツの気配から自分たち二人だけでもこのゲダツは片を付けられると……。その考えが甘すぎたという事を……。
◆◆◆
仁乃と氷蓮が空きビルの中へと歩を進めるその少し前、空きビルの3階では1人の男が眼下の駐車場に居る二人の事を気配を殺して眺めていた。
「おっ…中々に上物の女たちが来たみたいだな」
仁乃と氷蓮の様な可憐な少女が駐車場付近で何やら話し合っている姿を見て男は薄く下卑た笑みを浮かべる。その男はボサボサの腰まで伸びた長髪、伸びきった髭、そして所々に穴の開いている服を着ていた。その姿は一目見て浮浪者の類である事がよくわかる。
息を潜めて自分たちを観察していることに気付いていない仁乃たちがビルの内部へと入って行く事を確認すると男はゲヘへと下品に笑った。
「また獲物が入って来たようですぜ兄貴」
空きビルの中に二人の少女が入って来た事を確認すると浮浪者の男は背後でソファに座って居るもう一人の男に声を掛ける。
「ああ…分かってる。しかも…今回やって来たのはただの人間じゃねぇな」
話しかけて来た浮浪者に返事を返した青年は彼とは対照的に短髪で長さの整っている綺麗な金髪をしており、着ている服もフードの付いた小さな汚れも見当たらない綺麗なものであった。そんな清潔そうな見た目の青年と浮浪者の二人はとてもアンバランスでどういう接点があればこの二人がこの空きビルで集まっているのかと疑問に思うだろう。しかし何故この対照的な二人がこの空きビルで集まっているか、その理由はこの後に分かる。
青年はフードを被るとコキコキと手首を鳴らし、その場で軽い準備運動をする。
「おい乞食、お前も軽く体をほぐしておけ。今このビルに入って来た二人は〝転生戦士〟だ」
「ま、マジですかい!?」
フードの青年がこの空きビルにやって来た人物の正体を話すと浮浪者の男は少し戸惑うが、そんな彼とは違いフードの青年はため息交じりに言ってやった。
「心配すんなよ。戦うのは俺が基本だ。お前は援護だけでいい」
「わ、分かりやした。お願いしますよ兄貴」
「ああ任せろ。転生戦士を狩るのは――俺の様な〝ゲダツ〟がやる事だ。そしてその亡骸を食い殺すのも俺の役目だ」
そう言う青年の瞳は怪しげな光を灯しており、肉食動物の様な口の中に隠れていた牙を凶悪な笑みと共に覗かせるのであった。
そして仁乃と氷蓮がこの空きビルに侵入してから5分後、二人の男が待ち構えている部屋へ彼女たちはやって来た。
もうボロボロの扉を蹴破って先に部屋の中へと足を踏み入れた氷蓮はフードの方の青年を見て小さな声で呟いた。
「居たな…どうやらオメーがゲダツみたいだな」
見た目は完全な人間の青年だが、彼から漏れ出る気配は完全にゲダツのものだ。現に氷蓮たちはいつぞや廃校となった学園で見てくれは人間としか思えないゲダツ女と遭遇した過去もある。
氷蓮の後に続いて仁乃も部屋の中へと踏み込んできたが、そこで彼女はゲダツと思われる青年よりもその背後で控えている男の方に意識を持っていかれた。
「だ、誰? 一般人よね……?」
一瞬この空きビルに身を置いているホームレスかと思った仁乃であったが、そんな仁乃の呟きに対して浮浪者の男は歯並びの悪い汚れた歯をむき出しにして笑った。
「あいにく一般人じゃねぇんだよお嬢さんがたぁ。それにしてもこんな可愛い娘たちが影では命懸けの戦いを繰り広げているなんてなぁ…世の中の連中が知ったらどう思うだろうなぁ」
浮浪者の男の口から吐き出された言葉は完全に無完全の一般人でないと吐露したも同義であった。よくよく考えればゲダツ特有の気配を醸し出している青年と一緒にこんな空きビルに居る時点で無関係者でないと少し考えれば分かるべきであった。
青年だけでなく浮浪者の男に対しても仁乃と氷蓮は神力を解放しそれぞれの能力を発動する。
「おうオッサン。てめぇがそこのゲダツと何かしらつるんでいる事はもう理解した。大人しくすれば少し痛い思いをして事情を話すだけで済むぜ」
そう言いながら氷蓮は氷で剣を造形するとその切っ先を向ける。同じく仁乃もまずは手早くすみそうな浮浪者を拘束しようと糸を幾重にも手のひらから放出する。
そんな今にも襲い掛かって来そうな二人に対してフードを被ったゲダツの青年はやれやれと言った仕草を見せる。
「俺よりもこの乞食ばかりに注目するなよ。ジェラシーが湧くじゃねぇか」
そう言うとフードのゲダツから殺気が勢いよく放たれ、彼はコキリと指を鳴らすと床を蹴って仁乃と氷蓮の二人へと一気に跳躍した。
「やっぱまずはてめぇから片付けた方がいいみてぇだな!」
まずは浮浪者の方から無力化しようとしていた氷蓮であったが、こちらへと向かってくるゲダツを無視できずに右手に握った氷の剣を迫りくる青年に向けて振るうのであった。




