白き妖狐の強さは戦闘狂を魅了する
目の前の自分とほとんど年齢も変わらぬであろう少年から感じた明確な殺意、それは幾度も命懸けの戦いに身を投じた狂華ですらも震わせるほど濃密で彼女の足のつま先から頭頂部へとまるで電流の様に走り抜けていった。
――そしてその直後、彼女の脳裏には自分の首がはねられるイメージが浮かんだ。
「ッ!?」
頭の中に不吉なイメージが浮かんだ瞬間、狂華は第三の時間停止能力を発動していた。それは半ば反射的に行った、と言う表現が近かった。自身の肉体の細胞が脳裏に浮かんだ凄惨な最期を回避するために脳の命令よりも先に能力を使用していたのだ。
「……アイツは?」
狂華が能力を使用した瞬間、それまで動き続けていた彼女以外の全ての時間がまるでビデオを一時停止したかのようにピタリと止まった。
自分以外の全てが凍てついた世界に入り込んだことで思わず安堵の息を深々と吐きだした。しかし時間を止める直前まで自身の目の前に居たはずの加江須の姿は視界から消えており、彼が現在何処に居るのかを探す。
「……いつの間に」
消えた加江須の行方を探ろうとする彼女であったがすぐに見つける事ができた。
後ろに振り返ると自分の背後に加江須が立っていたのだ。
だが彼の容姿は目を離す直前とは全く別の者へと変容を遂げていた。
彼の髪の毛は雪の様な真っ白な色へと変色し、瞳は思わず見惚れる様な金色となっていた。しかしそれ以上に変貌している部分は彼の頭部と臀部にあるだろう。
「キツネ…さん…かしら?」
彼の頭部と臀部からは真っ白な獣の耳と九つの尻尾が生えているのだ。そのとてもモフモフと柔らかそうな尻尾の1本は狂華の首元まで伸びていた。
「これで首でもはねようとしていたのかしら?」
あの時に加江須に対して口にした挑発じみた発言で彼の怒りの臨界点を突破したであろう瞬間、自分の脳裏に浮かんだイメージではこの尻尾で首をあっさり千切られていた。
「ふ~ん…そんなに危険そうな尻尾に見えないけどなぁ。触ったらモフモフしてそうだし」
自分以外の時間を停止した狂華はもう完全に余裕を取り戻していた。
目の前の転生戦士は確かに凄まじいポテンシャルを秘めている。実際に能力で時間を停止させるまで背後に回り込まれた事にすら愚鈍にも自分は気付けなかったのだ。純粋な戦闘能力ならばこの少年は自分を完全に上回っているだろう。
「でも…能力を含めた総合的な力ではどうかしら?」
そう言いながら狂華はナイフの刃の側面をペロリと舐めた。
「この凍てついた世界は私以外は動く事すら許されない。例えそれが転生戦士であろうがゲダツであろうがね」
そう言いながら狂華のナイフの刃は自分の喉元の近くまで突き付けられている加江須の尻尾の上へとセットされる。
「中々毛並みのよさそうな尻尾。記念の1本貰っておこうかしら?」
そう言いながら狂華はナイフに神力を通わせ真剣並の切れ味を持たせる。しかもナイフに纏われた神力はナイフの刃先から神力の刃を纏わせ刀身も伸びる。名刀並の切れ味であろうそのナイフで加江須の尻尾を切り落とそうと彼女は尻尾の真上で腕を高く持ち上げ、そして躊躇せず勢いよく振り下ろした。
この時にナイフで彼の尻尾を切断しようと考えた狂華は運がとても良かった。もしかすれば彼女はナイフではなく第二の能力で尻尾に触れて爆発で千切り取ろうと考えてもおかしくなかったのだ。しかし直接手で触れるのではなくナイフ越しで彼の尻尾に触れようとした。それは彼女にとってとても幸運であった。
神力を纏い切れ味を格段に増しているナイフの刃が加江須の尻尾へと勢いよく落とされた。
――ピキンッ……。
まるでガラス細工が砕けたかのような音と共に彼女のナイフは加江須の尻尾に触れると同時に砕け散った。
「……あれ?」
地面に散らばったナイフの残骸を見つめながら間抜けな声を出す狂華。
しばし何が起きたのか理解できない顔をしていたが、改めて彼の尻尾を深く観察してみると原因に気付いた。
「(コイツ…尻尾に、いや全身に神力を纏っているみたいね)」
よく見ると彼の全身は半透明な膜の様な物で全身が覆われているのだ。恐らくは神力を体の表面全体を覆う事で簡易的なバリアーの様なものを身に纏っているのだろう。
この段階で狂華は2つ気付いた事があった。
1つ目は静止した世界でも身に纏った神力が消える事は無いと言う事だ。今のこの男の様に全身を神力で覆わっている状態で時間を止めればその神力は消える事なく効力を発動したままの様だ。この事に関しては自分の無敵と思っていた能力の穴が見つけられたと考えればよい収穫だろう。
そして2つ目に気付いた事。これに関しては改めて背筋が凍った。
「コイツ…私と比較にならないほどに強力な神力を宿しているわね…」
狂華が降り降ろしたナイフには体内の神力を一点に集中していた。それに引き換え全身を満遍なく神力で包んでいる加江須の神力に打ち負けたのだ。分散状態ですらこれほど強固な神力、もしも彼が自分の様に神力の全てを一点に集中すればどれほどの威力となるのだろうか?
「……ぐっ、そろそろ限界ね」
少し苦し気な表情を浮かべながら一度加江須から距離を取る狂華。彼女以外の全てが静止した世界なので当然ながら加江須はその場で止まっている。
加江須から最初に対峙していた時以上に間隔を空ける狂華。
「そろそろ能力を解除しないとね…大分神力を消耗したわ」
狂華の手に入れた時間停止の能力は何の代償も無しに使役できる能力ではない。彼女がこの能力を発動している最中はドンドン彼女の中の神力は消費されていくのだ。しかもたった今彼女は神力をナイフに随分と注ぎ込んでしまった。ただでさえ時間を止めているだけで神力が消費され続けているにもかかわらずその状況下でナイフに神力を纏わせ大分神力に余裕がなくなり始めているのだ。
深く大きく深呼吸を一度すると彼女は凍り付いた時間を解凍し、彼女以外の全ての時間が再始動し始める。
時間が動き始めたコンマ数秒後に加江須の振り下ろした尻尾が轟音と共に地面を砕いた。
「…チッ、時間を止めやがったな」
振り下ろした尻尾を地面から離し、いつの間にか距離を空けている狂華を睨みつける加江須。
彼の尻尾が振り下ろされた地面はへこみ、ひび割れ、砕かれた破片が四散している。見た目は柔らかそうな尻尾だが神力を纏った今の彼の尻尾は鋼鉄並の頑強な代物へと変化していた。もしもこの尻尾が狂華の肉体へと振り下ろされていれば今頃彼女の全身は……。
「……素手で触らなくて正解だったわね」
自分の握っている刃が折れているナイフを横目でチラリと見ながら狂華は小さくボソッと呟く。
それにしてもあの地面の破壊痕、何の容赦もなくあの少年は自分の命を散らそうとしていた事は明白だ。正直な話、ゲダツでない人間である自分の事をあの少年が瀕死まで追い込むことは考えていたが容赦なく殺しに来る事は狂華にとって想定外の事であった。
「(私と最初に対峙していた時には敵意は感じられたけど殺意は無かった。でも恋人を襲ってみようかと挑発したした瞬間に纏う空気が変わった)」
今頃になって狂華は目の前の少年の事を見誤っていた事を理解した。自分の目の前に居るこの少年は大切な者を守るためならば修羅にもなる。たとえ相手がゲダツでなく人間であろうが……。
そんな分析をしていると加江須が地面を思いっきり尻尾で叩いて注意を向ける。
「よく聞けよ戦闘狂。もし俺の大切な者をその血に塗れた手で襲ってみろ。その時は俺がお前の息の根を止める」
そう言いながら加江須の九つの尻尾にはそれぞれ紅蓮の猛火が灯される。その熱気はそれなりに距離がある狂華まで届き、しかも濃密な殺気まで織り交ぜられている。しかも彼の神力が上昇しているのか威圧感も増し、思わず膝をつきそうになる狂華。
「(ああ…なんて闘気、熱気、殺気……これほどまでなんて……!?)」
止まった時の中を動ける事など最早アドバンテージにすら思えない狂華。
彼女自身が認めてしまっているのだ。今の自分は目の前の少年には戦っても勝機が見えないと言う現実を。
「ああ…なんて熱い瞳をするの…」
そう言いながら目の前で仁王立ちする化け狐に狂華はこの熱気の中でも冷や汗をかく。しかし彼女はそんな彼を見て恐怖とは全く異なるもう一つの感情が芽生えつつあった。
「(なんて……なんて恐ろしく魅力的な男なのかしら……♡)」
彼女の表情には恐怖、そして圧倒的な強さに心酔、その二つの感情を織り交ぜた顔を表情に曝け出していた。
戦いに魅了されている歪んだ感性の持ち主である転生戦士である仙洞狂華。目の前の少年に恐れを抱きつつも圧倒的な強者としての雰囲気に思わず酔いしれてしまったのだ。気が付けば彼女は手に持っていたナイフを取り落とし、無意識に自らの唇に人差し指を当てて今の自分の素直な言葉を紡いでいた。
「素敵……♡」
それはとても小さく囁いているかのような声量であったが、狂華に対して意識を集中している加江須の耳にはバッチリと届いており思わず怪訝そうな顔をする。
「な、何を言っているんだお前は?」
「ああごめんなさい。ついあなたの強さと恐ろしさに惹かれてね…♡」
そう言いながら狂華はぺろりと自分の唇を舐めた後に加江須へと自分からある約束をして来た。
「それだけの殺気…正直他の転生戦士なんてもう興味が薄れてしまったわ」
そう言いながら彼女は頬を赤く染めながら少し荒い呼吸と共にこう言った。
「あなたは今まで殺して来た他の転生戦士やゲダツよりも素敵な存在♡ だ・か・ら――他の転生戦士は後回しにしてまずはあなたを最優先に殺してあげる♡ あなたの周りに居るガールフレンド達や白にはそれまでちょっかいを出さないと約束してあげるわ」
「………」
「またいずれ会いましょう」
そう言って狂華は指をパチンッと大きく鳴らし、その次の瞬間にはもう加江須の目の前からは完全に消え失せていた。




