番外編 愛野黄美の苦悩 3
死後に謎の空間に引きずり込まれたと思っていた黄美であったが、そこで彼女は神と名乗るヤソマガツヒノカミにもう一度現世に戻れるチャンスを貰った。しかしその為にはどうやら転生戦士とやらになってゲダツと呼ばれる化け物と戦う使命が課せられるらしい。
だがヤソマガツヒノカミの話を聞いても黄美はあまり生き返ろうと言う気にはなれなかった。そもそも自分は自殺をして自ら命を絶ったのだ。誰かに殺害されただの、不慮の事故で死んだだのそういう訳ではない。自分で選んで今この状況に立っているのだ。
これまでの話を聞いても興味なさげな黄美の表情を読み取ったヒノカミは不満そうに頬を膨らませる。
「ちょっとちょっと何っスかそのどーでもよさそうって感じは。折角また生き返れるんスよ? 青春をやり直せるんスよ?」
「……そうは言ってももう現世に未練なんてないわ。無理して生き返ろうとは思えないのよ。ましてや訳の分からない戦士になってまで……」
「あ~……やっぱ死んだ幼馴染が自殺の原因っスか?」
ヒノカミの何気ない一言に過剰に反応を見せる黄美。
その反応を見てやはり図星かとヒノカミは内心で納得する。
「この転生の間にやって来た人物に関しての情報は担当する神に大まかながら伝わるんスよ。あんたの死因は入水自殺。その原因は幼馴染の少年の告白を本心とは裏腹にふってしまって罪悪感が芽生えて……」
そこまで言い掛けると黄美がギロリと殺気に満ちた視線をヒノカミへと叩きつける。眼の端は充血し、まるで今にも人を殺しそうな眼をしている。
殺意満載の眼で見られて両手を上げてヒノカミが黄美の事をなだめる。
「そんなぶちぎれないでくださいよぉ。別のあっしが何かしたわけじゃないっしょ?」
「……そうね。でも面白半分で口にして良い事と悪い事はあるでしょ。神様だって言うなら少しは言葉を選んでちょうだい」
「(おーこわ。ただの人間の出せる殺気じゃないっスねぇ…)」
まるで邪神とでも向き合っているかのような錯覚に囚われるヒノカミ。しかし転生戦士になってもらおうとお願いしようと思ったがこれでは断られる危険性がある。少なくとも今の一連の流れで彼女が自分に対して良い印象を抱いているとは思えない。
いや…彼女が死んだ幼馴染の事を苦に自殺するほどだ。余程その少年の事が好きだったのだろう。ならばそれをダシに使えばあるいは……。
不機嫌そうに腕組をして睨んできている黄美にヒノカミは半笑いで距離を少し詰めながらニマニマと笑った。
「まあまあ邪険にあしらわずに。転生戦士になればあなたにとってもお得な事があるんですよ」
「何よお得な事って…」
先程のやりとりでの怒りがまだ収まっていないのか少し声色が低い黄美。
しかし彼女の怒りは次のヒノカミの発言によって一瞬にして消え去った。
「ゲダツを倒していけばその功績として願い事を叶えられるチャンスを貰えるんスよ。それも一度ではなく手柄を上げていけば何度でも」
「……何ですって」
胸元で組んでいた腕を解いてヒノカミへ唖然としている様な表情を向ける黄美。
自分の話に対して興味を抱いてくれた事を理解したヒノカミは更に調子づいた感じでまくしたてる様に黄美に話をする。
「あなたが死んでから生き返った際に巻き戻る時間は1週間なのでその時点で幼馴染さんは死んだままですけど、ゲダツを倒していけばいずれは死んだ幼馴染さんを生き返らせる事が出来ますよぉ」
「その話…本当なんでしょうね」
「もぉ、こう見えても自分は神様っスよ。しかもお願いする立場で嘘なんて言いませんって」
「………」
ヒノカミの話を聞いた黄美の心中は希望と疑念、2つの感情で満たされている状態であった。1つ疑念の心はこの自称神の言っている事が本当だと完全には受け入れていない事であった。確かに今のこの状況に立たされている事は普通に考えれば常識の範囲外の出来事だ。しかし目の前の存在が神かどうかはわかりかねない。もしかしたら悪魔の類じゃないのかと疑っている部分もある。彼女が持ち掛けて来た契約、生き返らせる代わりに転生戦士とやらになってほしいと言うのも何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
だがその見返りにどんな願いでも叶えてくれるチャンスを貰える、その部分は今の黄美にとってはとても魅力的であった。今しがた彼女はこう言っていたのだ『死んだ幼馴染を生き返らせる事も可能』だと……。
「(転生戦士になってゲダツを倒していけばまたカエちゃんと一緒になれる……)」
大切な幼馴染の最期の姿が黄美の脳裏にフラッシュバックする。
失恋のショックで絶望をしていたところに事故死、間違いなく無念の中で彼は死んでいったことに違いない。彼が死んでから一体幾度自分は後悔の念に押しつぶされてきたことか。そして遂には自ら命すら絶ってしまった……。
だが目の前のヒノカミはそんな自分にもう一度愛しい幼馴染と同じ世界を生きれるチャンスを与えてくれている。
「いいわ…あなたに対してはまだ疑念も不信感も拭え切れてはいないけど……カエちゃんとまた一緒に笑い合える未来が貰えるのであるなら……」
どうせ自分はすでに一度死んでいる身だ。仮にこれで騙されていたとしても別に構わない。たとえ目の前の存在が神ではなく神に背く悪魔であったとしても構わない。
「あなたの言う通り転生戦士になってあげる。でも約束してちょうだい。そのゲダツとやらを退治して行ったあかつきにはカエちゃんを生き返らせて」
「それはあなたの頑張り次第っスよ。ゲダツを倒していけばまた私はいずれあなたの前に姿を見せますんでその時は願い事を1つ叶えてあげるっスよ。幼馴染を生き返らせようが、金銀財宝を求めようがなんでもござれっスよ」
「私の願いはカエちゃんを生き返らせる事だけよ。それ以外に欲しい望みなんてありはしないわ」
――この瞬間、消失市に新たな転生戦士が1人誕生したのであった。
◆◆◆
今はもう無人と化している廃校、荒れ果てた壁や床、天井もボロボロで埃に塗れた薄暗い部屋の中には2人の…いや正確には1人の人間の少女と全身が黒い体毛で覆われた狼の様な化け物が1体、互いに向かい合っていた。
「グルルルル……」
黒い獣のゲダツは百獣の王であるライオンですらも捕食してしまう程の唸りと迫力と共に目の前の少女を睨みつけている。
その眼光に対して目の前の少女、転生戦士である愛野黄美は腕を組んだまま澄ました顔をしていた。
目の前の恐ろしい化け物に対しても微塵も恐怖の感情を顔に出す事もなく氷の様な冷たく冷酷な眼差しを向けて立っている。
「グガアァっ!!!」
地面を勢いよく蹴りつけて目の前の黄美へと目掛け猪突猛進するゲダツ。
迫ってくるゲダツに対して黄美は疲れた様に溜息交じりに呟くのであった。
「まるで追い詰められた獣ね。まあ、実際まるでじゃなくてその通りなんだけど…」
大口と共に鋭利な牙で黄美の事を食い殺そうと猛然と向かってくるゲダツであるが、黄美が腕を振るうと黒炎が目の前のゲダツへと放たれ、そのままゲダツの全身を漆黒の炎が包んだ。
「グギャアアアアアッ!!!」
悲鳴を上げながら地面をのたうち回るゲダツであるが、やがて動きは鈍くなっていき最終的には小さく痙攣して動かなくなる。
凄まじい熱気と黒炎を纏っていたゲダツからは肉が焦げる嫌な臭いが周囲に散布され、その臭いを不快そうに鼻を手で覆いながら舌打ちをする黄美。
「チッ…早く消えなさいよ…」
そう言うと最早動く事も出来ないゲダツ目掛けて更にどす黒い炎を振りまきゲダツを焼却する黄美。
追加した炎はゲダツの骨すらも一瞬で焼き尽くし光の粒になる事もなくこの世から痕跡を完全に消し去ったゲダツ。いや、正確に言えば焼け焦げたゲダツの影だけは地面に残っていた……。
「……これでもう12体目ね…」
ゲダツの焼け焦げた影を見つめながら黄美はこれまで自分の倒してきたゲダツの数を確認していた。
「……まだ願いを叶えるまでには貢献できていない様ね」
ゲダツを倒した後にも特に何も起きずガッカリと肩を落として落胆する黄美。
自身を蘇らせて転生戦士にしたヒノカミは言っていた。ゲダツを倒して一定の成果を収めれば再び自分の事をあの転生の間とやらに呼び寄せて自分が願いを叶えてやると。だから黄美はゲダツを倒した後はいつだって期待する。自分が再びあの何もない真っ白な空間に呼び出されることを……。
しかしどうやらまだ今回のゲダツを討伐しても願いを叶える事は叶わぬようだ。しかしゲダツを倒していけばいずれは願いを叶える事が出来る事も事実。決して今回の戦いが無駄ではないのだからそこまで気落ちする事もない。
「そうよ。もう12体も倒しているのよ。次こそは必ず……誰……?」
自分を励まして奮い立たせていた黄美であったが、ゲダツも消えて無人となっているこの廃校、自分のすぐ近くに気配を感知する黄美。
視線を感じる方へと首を傾けようとする黄美であるが、彼女が首を向けるよりも先に物陰から1人の少女が姿を現した。
「たくっ…どうやらもう終わっていたみてぇだな」
「……またアンタか」
現れた人物を見て黄美は心底疲れたと言った感じで大きくため息を吐いた。
「人の顔を見るなり随分な態度じゃねぇかよ」
自分の姿を見るなり失礼な反応をする黄美に対して少女は目元をヒクヒクと動かしながら舌打ちを一つする。
しかし黄美は尚もうんざりとした表情のまま少女に言った。
「こう何度も顔を合わせれば嫌にもなるわよ。そうでしょ、黒瀬氷蓮さん」
「ハッ、言ってくれるぜ愛野黄美さんよぉ…」
目の前に居る彼女は黄美と同じ転生戦士である黒瀬氷蓮と言う自分と年も変わらぬ少女。これまでゲダツを討伐して来た中で何度か今の様に顔を合わせている間柄だ。
実はこの氷蓮とは黄美は転生前に一度巡り合っている事があった。かつて黄美が車に轢かれそうになっているところを彼女に救われた事があったのだ。しかしその事に関して黄美は彼女に対して恩義など微塵も感じてはいなかった。向こうがその出来事を知っている訳でもなければ、あの後すぐに自分は自殺したのだから。それに黄美としては氷蓮の存在はむしろ目障りに思う部分すらあったのだ。
「それで何しに来たのよ? また人の獲物を横取りしようとハイエナにでも来た?」
「喧嘩売ってんのかてめぇ。第一横取りも何も早いもん勝ちだろ。だから俺も乗り遅れた事でてめぇにグチグチ文句なんて言ってねぇだろうがよ」
「………」
この氷蓮は自分と同じく願いを叶える為に戦っているタイプであり、それが黄美にとっては目障り仕方がなかった。一刻も早く願いを叶える権利を手にしたい黄美にとっては手柄を何度か横取りされたこの少女の存在は目の上のたん瘤に他ならないのだ。
「…まっ、ゲダツはもう居ねぇみたいだし俺はこれで消えさせてもらうぜ。次は俺が仕留めてやるからな」
そう捨て台詞を吐いてそのまま先に廃校を出て行く氷蓮。
一人取り残された黄美はもう一度焼き焦げたゲダツの影を見つめた後、無言のまま廃校を出て行くのであった。
「次こそは…次こそはカエちゃんを生き返らせて見せる…」
自分の親指の爪をガリガリと噛みながら黄美は帰宅するまでそのセリフを壊れたラジオの様に何度も繰り返し続けるのであった。
これは決してゲダツから自分の暮らしている町や周囲の人間を守るために戦っている綺麗な人物の物語ではない。ただ1人の少年の為ならばどんなものでも捨て去る覚悟を胸に抱いた脆い少女の物語である……。
「カエちゃんカエちゃんカエちゃんカエちゃん……」




