拝啓、天邪鬼なクール文学系黒髪美少女の月見さん。月がとても綺麗ですね。
だいぶ長めですが短編ラブコメ投稿致しますー!
『―――私ね、"月が綺麗ですね"っていう言葉がこの世で一番嫌いなの』
僕たちが通う高校の図書室。たった二人しかいない放課後に目の前の長い黒髪を持つ美少女は唐突にそう言い放った。その特定の言葉は明治・大正を生きた有名小説家、夏目漱石が生み出した有名な逸話。
六月の初夏。彼女は一度も僕の瞳を見ようともせず、窓から差す茜色の夕陽を一身に浴びながら物憂げな表情をして黄昏ている。
……僕は、こんなにも彼女を見つめているというのに。
「…………。へぇ、それは初耳だ。因みに僕が今その言葉を言ったらどうなる?」
『別にどうもしないわ。ただ貴方に対する塵ほど無いにも等しい好感度がさらに地に落ちて路傍の石ころと同じになってしまうかもしれないわね?』
「それは困るな。なんとかキミの好感度を維持、それか満天の星空に届くようにしたいのだけれど」
『青鯖が空に浮かんでいるような顔をした貴方には到底難しいでしょうね?』
ころころと詠うように喋って、ようやく彼女は僕を見た。
笑っているような、嬉しいような、悲しそうな、嘲笑うような……。彼女のその限界まで細められた瞳の複雑な色は、とてもではないが僕では表現できなくて背中がかゆくなってくる。
この儚げな雰囲気をこれでもかと醸し出している少女の名前は月見 綺零。高校二年生で、僕と同じ同級生の美少女だ。よく名は身体を表すというが、それはこの少女の為にある言葉のように思える。
因みに月見さんは名前とその整った容姿から学校中の生徒から『月の女神』なんて呼ばれているのだが、そんな清楚風な容姿とは裏腹に少し……いや、かなり捻くれている天邪鬼な性格だ。
窓側に佇む彼女は一度視線を外すと再び椅子に座る僕の方を見遣る。そして表情を歪ませて憂鬱げに溜息を吐き、続けざまにこう言い放った。
『ねぇ、もう図書室に足を運ぶのはやめて欲しいわ。はっきり言って貴方の鯖顔なんてもう見たくないのよ』
「ふ、月見さんと逢えるなら僕は空を泳ぐ鯖になってもいいくらいだよ。だってキミ、読書と蒼空を見つめるのが好きだったろう?」
『戯言もここまでくると溜息しかでてこないわね』
はぁ、と静かに溜息を吐くと月見さんは再び窓の景色を見遣り、その艶やかな長い黒髪を白魚のような細い指でくるくると巻いた。本人が言うには確か、月見さんが退屈を感じているときによくする仕草の筈。
……そっか、また彼女を笑顔にすることは出来なかったか。
「……ねぇ月見さん」
『なにかしら?』
「―――どうして、キミは死んでしまったんだい?」
そうして僕は改めて制服姿の彼女の全身をじっと見つめる。隠すことの出来ない美貌とスタイル、そしてその足元の部分はうっすらと透明に透けていた。
そう、この図書室にいる彼女は何故かこの世に実体を持たない『幽霊』となっていたのだ。
『その言葉には語弊があるわ。正確には私は"死んだ"のではなく"瀕死"の状態に陥っているというだけよ』
「あぁ、ごめん。約一か月前の放課後にこの学校の階段から不注意で足を踏み外して転落。意識不明の状態で救急車で病院に運ばれ、頭部外傷による脳内出血という医師の診断。そしてほぼ回復する状況は見込めない、だったね…………」
『考え事をしてて階段の足を踏み外すなんて人生の汚点よ。きっと今頃私の身体は、生命維持の為に人工呼吸器を取り付けられて病院のベッドで死んだように横たわっているのではないかしら。こうして元気に生きてるけれど』
「笑えないし月見さんってたまにアホだよね」
世間一般的には今の月見さんは確実に元気ではないと思う。なにせ入院している彼女の身体は極めて死んでいるに近い意識不明の重体だ。……まぁこうして幽霊として存在する本人としては元気なんだろうけれども。
月見さんは一瞬だけ眉を顰めるも、軽く咳払いをすると話を続けた。
『こほん、そもそも疑問なのだけれど。どうして貴方は私のことが見えるのかしら? 私がこうして霊体になって図書室に居付く様になっても生徒も教師も図書室にいる私に気付きもしなかったのに』
「きっと愛じゃないかな?」
『呪うわよ?』
「キミに呪われるのなら大歓迎だ」
『…………。馬鹿ね。私は貴方のそういう飄々とした態度、前から気に入らなかったわ』
「僕は毒舌だけど自分の意見をはっきりと言うキミのそういうところが気に入ってるけどね。あと本を読んでいるキミの姿が好きだった」
僕がそう言うと月見さんはぷいっと窓の向こうの景色に目を遣る。残念ながら僕の座る位置からは彼女の表情は見えなかった。もちろん、幽霊ゆえ窓のガラスにも映らない。
因みに幽霊になった彼女が視えるのは僕自身分からない。今まで霊感なんてさっぱりなかったし、漫画でみるような実家が神社やお寺、ましてや霊媒師の家系という訳でもないのだ。なのに、僕には彼女が視えている。
となれば、僕が考えられる可能性は一つ。
(あながち、愛っていうのは間違ってないとは思うんだけどなぁ……)
しばらく無言が続いた。きっと彼女は僕が揶揄っていると思っているのだろう。月見さんが意識不明になった一カ月前、僕が彼女に初めて好意を伝えたそのときから。
……僕は至って本気なんだけどな。
「怒らないでよ月見さん」
『怒ってないわ』
「嘘、怒ってる」
『本当に怒ってないわ。ただもう、読書する為に大好きな本に触ることすら出来ない事実を貴方の言葉で思い出して嘆いているだけよ』
「あぁ、そっちかぁ……」
内心ほっとする。好意を口にして何度も呆れられるのは慣れていたが、彼女が怒っているとすれば話は別だ。月見さんにとって俺への好感度は塵にもないに等しいらしいがなるべくならこれ以上嫌われたくない。寧ろ好きになって欲しい。
なにせ、彼女は俺の初恋の人なのだから。
『何を安心しきったまな板の上の鯖顔をしてるのよ。綺麗に捌いて味噌煮にしてあげるわよ?』
「鯖だけに?」
『毎日小説を読む為に図書室に通っていたこの私月見綺零がそんな低品質な駄洒落を口にすると思っているのかしらこの類人猿帰り道偶然開いてた側溝に嵌ってくたばりなさい』
「すごい早口」
いつもの凛とした声で滅茶苦茶早い声で捲し立てる月見さん。
後ろ姿なので月見さんの表情は全く見えないも耳が若干赤くなってる。……ん、ん、これは図星だったから指摘されて恥ずかしがってるという解釈でオッケー?
は? だとしたら可愛いかよ月見さん。
そうしてしばらく彼女との会話を楽しんでいた僕だったけれども、窓の景色を一瞥した彼女はこれまで何度聞いたか分からない溜息を吐きながら僕へ告げる。
いつの間にか夕日が沈んでいた外の世界は、黒く染まりかけていた。
『もういい加減自宅へ帰りなさい。これ以上遅くなると、きっと貴方のご両親も心配するわ』
「あぁ、それなら心配しなくてもいいよ。僕の父さんと母さんは、もうこの世にはいないから」
『………………そう』
幾分かの後悔と罪悪感が混じった声でそう彼女は呟いた。
両親は僕が小さい頃、相手側の居眠り運転の交通事故で突然亡くなった。物心つく前だったから仏壇の写真でしか二人の顔を知らないわけだけれども、それでも僕を引きとってここまで育ててくれた母さんの姉……朱音おばさんが言うには、両親は僕のことを『宝物』だと言っていたらしい。
勿論朱音おばさんには感謝しているし、両親がいつも側で見守ってくれていると信じている。だから、そんな顔をしなくてもいいんだよ、月見さん。
「大丈夫、僕は寂しくないから! あ、そういえば明日は土曜日だね。ちょうど学校休みだし暇だから月見さんのお見舞いに行かせて貰うよ。何か欲しい物とかある?」
『貴方いつも暇じゃない。…………特にないわ。しいて言うならミステリー小説が読みたいわね』
「わかった。明日お見舞いに行く前に書店に行ってそれとなく探してみるよ。意識が回復したらすぐ読めるようにね」
『……………………ほんと、貴方って人は』
彼女は小さな声で何かをぽつりと呟くと、その綺麗な髪を片手で再びくるくると巻いた。表情は俯いていてよく読み取れない。だけれど、かすかに見えたその色付きの良い唇は真一文字にギュッと引き締められていた。
僕はそんな彼女を不思議に思いながら訊ねる。
「ん、ごめん。さっきなんて言ったか聞こえなかったや。もう一度聞かせてくれる?」
『五月蠅いわねこの唐変木。いくらこの私が優れた美貌と並外れた頭脳を持つ美少女だとしても如何わしい真似をしたら承知しないわと言ったのよ』
「月見さん、何故かこの図書室から一歩も出られないもんね。でも具体的には?」
『貴方の貧相な茸を力づくで捥ぐわ』
「こっわ」
彼女は凍える様なとても冷たい目で僕の大事な部分を見下した。思わず下腹部がきゅっとしました。
「じゃ、そろそろ月見さんの言う通り僕は帰ろうかな。寝坊して面会時間が過ぎたなんて目にも当てられないからね」
『…………そう、せいぜい暗い夜道には気を付けて帰りなさい』
「そんな物騒なフラグ立てちゃダメだよ月見さん」
そうして次の日の土曜日。紺のカットソーに膝下の短パンというラフな格好をした僕は、家の近くにある書店で『漆黒の残照』というなんか良さげなミステリー小説を購入。そうしてそのまま意識不明な月見さんが入院している病院へ行った。
彼女の病室があるのは五階の脳神経外科の病棟。
実を言うと月見さんのお見舞いは初めてではない。これまでも週に一度病院に行っているし、お見舞いはこれで四回目。彼女の母親―――陽香里さんには既に面会の許可は頂いているし、病院の受付の看護師のお姉さんも僕の顔を覚えていた。
僕は『501』と書かれた扉の取手に手を掛ける。そして、既に慣れた動作でゆっくりと扉をスライドさせた。
「―――――――――――――――」
「…………月見さん、来たよ」
そこにいたのは、頭に包帯をぐるぐる巻きにしてベッドで寝ている月見さん。彼女は、この同級生の美少女、月見 綺零はまるで死んだかのように眠っていた。
ピッ、ピッ、と等間隔に鳴る人工呼吸器と栄養を流し込む点滴など何本ものチューブで繋がれたその彼女の姿は痛々しくも儚さがあった。
カーテンを開けきって全開になった窓からは、雲一つない晴天の青空と爽やかな風が入り込んでいた。たぶん今日も母親が面会に来ていたのだろう。月見さんの近くに置かれている花瓶には、アジサイ科の若干黄緑掛かった白い花が何本も差し込まれてあった。
確か、この花は…………。
「―――あぁ、榎本くん。こんにちは、今日も来てくれたのね。いつも綺零のお見舞いに来てくれてありがとう」
「こんにちは。……いえ、好きでしてることですから」
開けられた病室の入り口の先には、月見さんと似た長い黒髪の美女が頬に手を当てて微笑んでいた。
彼女の名前は月見 陽香里さん。月見さんのお母さんだ。月見さんの美貌はこの女性から受け継がれたのだと分かる整った容姿。たった一つだけ違うところがあるとすれば、月見さんはぱっちりとしたアーモンドアイをしているのに対し陽香里さんはおっとりとした性格と分かる穏やかな細目をしていた。
お手洗いに行っていたのだろう、その手には水色のハンカチが握られていた。
先程名字で呼ばれた僕、榎本 太陽は彼女から勧められて近くにあった丸椅子に座る。先程購入したミステリー小説の入った紙袋を棚に置き、そして花瓶に添えられた花を見つめながら陽香里さんに話し掛けた。
「そういえば、あの花って……」
「あぁ、アジサイ科のアナベルっていうお花よ。白くて、丸くて、とても可愛いでしょう? この娘が小さい頃からとても大好きだったお花なの。……目覚めたとき、近くに好きな物があったら嬉しいと思って」
「………………そう、ですね」
陽香里さんは表情や声を明るく振る舞いつつも、どこか元気が無かった。それもそうだろう。シングルマザーとして育て上げた大事な娘が意識不明の重体なのだ。心中穏やかでいられないのも無理はない。
それでもなお笑顔であり続けるのは、月見さんの回復を信じているから。
「ごめんなさい、何か飲み物でも買ってくるわね。若い子同士積もる話もあるでしょうし、ね?」
「あ、お構いなく」
「ふふふっ、せっかく綺零のイイ人が来てくれたんだからこれくらいさせて頂戴。コーヒーで良かったわよね? 今日は奮発しちゃうわよ~!」
そう言うと返事も聞かず陽香里さんはこの病室を出て行ってしまった。……イイ人、か。もちろん将来的にはそういう関係にはなりたいけど……。
……………………。
「なんか変な感じ。高校がある日は毎日放課後図書室で会って喋っているのに、キミはずっと眠ってる」
僕は月見さんに話し掛ける。返事は、ない。
因みに陽香里さんは僕が幽霊となった月見さんが視えるという事実を知らない。何度か伝えようとしたが、その度に『あまり心配を掛けたくはないわ』と寂しげに言っていた月見さんの言葉を思い出して出来なかった。
そのまま言葉を続ける。
「……僕さ、キミが初恋だったんだ。あのカフェで。一目惚れって、言った方が良いかな」
きっかけはたまたま入ったカフェで、帽子と眼鏡を掛けた月見さんが景色の見えるカフェのテラス席で優雅に紅茶とケーキのセットを食べながら優雅に読書する姿を見掛けたときだったな。
正直、その時点ではキミが隣のクラスで有名な三女神の一人『月の女神』と呼ばれる月見さんだとは知らなかったわけだけれどもさ。
もっとキミを近くで眺めたくて、近くの空いていたテラス席に座ったのが懐かしい。
「そしたらあんな強引なチャラ男って実際にいるんだね。月見さんの座るテーブルの席に三人のチャラ男が座ったと思ったらいきなり口説き始めるんだから」
"君カワイイねぇ。ひとり?"、"あ、スマホ持ってる? 連絡先交換しよーよ"、"本読んでるより俺らと遊ぶ方がよっぽど楽しいってー!"ってバカみたいに大きい声出しててさ。キミ、迷惑そうな顔してたね。
気が付いたら僕の身体は動いていた。ふふっ、まぁ僕なんかの手助けが無くても、もしかしたらキミはあの場を乗り切れたかもしれないけど。
「間に入ったらそれが癇に障ったのか殴られて、スマホですぐに警察に電話しようとしたら逃げてった。……まぁ、今となってはもっとスマートな解決法があっただろうって後悔してるんだけどね」
お店にも迷惑をかけたし、カッコ悪いったらありゃしない。でも、そこで初めて僕はキミが高校で有名な月見さんだということを知ったんだ。
「それからというものの、僕は学校で何度も月見さんに話し掛けたね。朝は何を食べてきたのかとか、好きな物は何かとか、よく出掛けるのとか。……もっと月見さんのことが知りたかったから」
放課後、よく図書室で一緒に話をした。いくつもの小説を読んでいたキミは退屈そうな表情をしながらも返事を返してくれたよね。……今思えば迷惑だったね。
次第に少しずつ会話も続くようになって、昨日みたいに軽口を言えるようになったときは嬉しかったなぁ……。―――だからこそ。
嬉しくても、あんなこと言わなきゃ良かった。
「―――"月が綺麗ですね"なんてさ」
いつもの放課後、まだ月も出ていないのに僕は調子に乗ってキミに告白をした。キミの名前を用いて告白するなんてロマンチックだと思ったし、普通に僕が月見さんを好きだと伝えても戯言と思われるかもしれなかったから。
「言わなきゃ良かった。逃げなきゃ良かった。固まったキミを見て、拒絶されるのが怖くて……僕はその告白を誤魔化して、逃げるように家に帰った」
そうしてキミは、階段から転落して意識不明になった。
「…………僕のせい、だよね。あの日からずっと、後悔してる。現に昨日、キミからはこの世で一番嫌いだなんて言われちゃったし」
月見さんが転落する際にしていた考え事というのもきっとその事だろう。転落して意識不明に繋がった言葉なんて嫌って当然だ。
……………………。
そうだ。もう一つ、月見さんに伝えたいことがあったんだった。
「僕さ、寂しくないって言ったけど……あれ、嘘なんだ」
そう、あれは嘘。弱い僕のちっぽけな見栄だ。だって、好きな人の前ではカッコ付けたいだろう?
「もし両親が生きていたら全力で抱き締められたいし、ご飯だって一緒に食べたい。日常の他愛無い話で笑い合って、お風呂に入って……っ、おやすみって……おはようって……行ってらっしゃい……おかえりって言いたいし、言って欲しくってさ……っ。キミからどう見えているのか分からないけど、案外僕ってば、どうしようもなく甘えたがりなんだよ? …………これも全部、僕にとって『大切な人』だから」
でも、それはね、両親だけじゃなくて―――、
「―――キミもだよ、月見さん」
僕はいつの間にか両目から溢れていた涙を拭うことも忘れて、月見さんの手をギュッと握り締める。
ここにキミはいない。それでもそこには彼女の生きている証が、ぬくもりが確かにあった。
眠る彼女を見つめながら僕は言葉を続ける。
「好きでもない僕にこんなことを言われても迷惑なだけかもしれない。自己満足かもしれない。だけど、僕は回復したキミともっと話がしたい。色んな事を知りたい。一緒にお出掛けだってしたい。ほら、オススメの小説だって教えて欲しいし、僕で良ければキミと書店巡りをするのも楽しそう!……ううん、僕は絶対に楽しい! …………だから、さ」
内に渦巻く色々な感情が綯い交ぜになる。涙で視界がぼやける。
キミが助かるのならなんだってする。だから、お願いだから―――、
「キミまで、いなくならないでくれよ……っ」
病室で最後にキミに紡いだ声は、とても情けないものだった。
『……………………………………………………』
「さて、行くか」
休み明けの月曜日。帰りのホームルームが終了して放課後になったので、さっそく習慣となっている図書室へと向かう。廊下にはちらほらと複数の生徒が立っており、全体的に夕陽の色に染まっていた。
(……ん、なんだろう。いつもより生徒の声が騒がしい気がする……?)
まぁいいか、と僕は内心疑問を抱きながらも図書室へと歩みを進めた。
図書室があるのは高校最上階である三階の西側だ。元々人気は少なく、きっと今日も図書室には月見さん以外誰もいないだろう。僕は昇り慣れた階段を踏みしめ、軽く疲労を感じながらも三階に到着。図書室の前の扉に立つと、僕は毎度行なっている深呼吸をした。
すぅー、はぁー………………よしっ。
僕は扉に手を掛けると、いつもどおり勢いよくスライドさせた。ここにいる月見さんに僕が来たことが分かるように。
「こーんにちはっ、元気に…………!」
「―――相変わらず騒がしい人ね、貴方は」
「………………え?」
僕は思わず呆けた声を零して目を見張る。
図書室の南側の窓際。夕陽で染まった緋色と黄金色の混じった景色を背にして彼女は佇んでいた。
透明ではない、制服姿の月見綺零が。
「……ぁ……っ」
「何を鳩が散弾銃で撃ち抜かれた様な顔をしているのかしら。これなら鯖顔の方が三倍ほどマシよ?」
「本当に、月見さん……?」
「貴方の目の前にいるこの私が優れた美貌と並外れた頭脳を持つ圧倒的文学美少女、月見綺零ではないと思うのなら、一度眼科へ受診することをお薦めするわ?」
「………………。……っ…………。~~~ッ、………………ふ、くぅぅ…………ッ!」
耐えようにも耐えきれず、言葉に為らない声が咽喉から洩れる。涙腺が崩壊した両目からはぼろぼろと涙が零れた。
何度も何度も両腕で瞳をぐりぐりと擦るも、すぐに彼女の輪郭が曖昧になる。ぼやけて、戻って、ぼやけて、戻っての繰り返し。
僕は制服越しに心臓辺りの胸をギュッと掴む。驚愕、喜色、疑問などといった形容し難い何かが胸の内を踊り狂うも、言葉にならない故、それを吐き出すことは出来なかった。
そして僕の心情を知ってか知らずか、頭に包帯を巻いた彼女はふと思い出したようにこう呟いた。
「あぁ、私としたことが言い忘れていたわ。意識が戻って、久々にこの身体で貴方に会ったらまず言おうとしていた言葉があったのよ」
「………………?」
「―――"ただいま"」
「~~~~~~ッ! "おかえり"!!」
僕は『大切な人』からの言葉に両手を広げて駆け出す。
そして僕は、彼女の華奢なその身体を抱きしめようと―――、
「ふんっ」
「ぷぺるっ!?」
した次の瞬間、ぺしんっ!と勢い良く平手打ちされた。ひどい、両親や朱音おばさんにだって打たれたことないのに……っ。おかげで変な声が出ちゃったじゃないか!
俺は非難の声をあげようとするも、それよりも先に月見さんが口を開いた。
「勝手に感極まったついでにこの私に暑苦しい抱擁をしようなんて随分と生きの良い鯖顔ね。生臭いのが移るからやめて貰えるかしら?」
「突き刺すような痛み……それにいつもどおりの毒舌で辛辣な言葉……っ。やっぱり月見さんだぁ……!」
「もう一度殴られたいのかしら?」
冷たい雰囲気を醸し出した彼女がこてんと静かに首を曲げるのを見て、僕は慌てて首を振った。
月見さんの平手打ちで逆に冷静になれた僕は、今もなおヒリヒリする頬を摩りながら彼女にあることを訊ねた。
「ねぇ月見さん、いつ意識が回復したんだい?」
「土曜日の昼過ぎ……そうね、貴方が病室から出て行った少しあとかしら? 某闇医者風の白衣のお医者様も"これは奇跡だ!!"と私の偉大な生命力に対し手放しで称賛して屈服していたわ」
「くっぷく。……………………ん、え、ちょっと待って月見さん。さらっと流したけど、さっき"貴方が病室から出て行った少しあと"って言った?」
「ちっ、勘の良い鯖顔は嫌いだわ」
その豊満な胸を支えるように腕を組んだ月見さんは、表情を歪めながらそっぽを向いた。いや勘の良い鯖顔て。……あぁなるほど把握、駄洒落ですねこれ。
でも今はツッコむ場面ではないので今は口を噤みます。はい。
月見さんは盛大に溜息を吐くと、何処か居心地が悪そうな表情へと変える。そうして億劫そうに僕に話し掛けた。
「はぁ…………。実は私も、今まで貴方に嘘をついていたことがあるのよ」
「ん、嘘? っていうか"も"?」
「貴方に見えないよう、この図書室以外にも自由に移動することが出来たの」
「な、なんだってー!?」
月見さんから言い放たれた衝撃の真実に驚愕する僕。……いやまぁそうだとするとさっき月見さんが言ってた言葉にすごーく納得出来るんですけどね!!
ん、んー……、そ、そうだとするともしかして…………?
「だ、だとすると月見さん……。もしやキミは今まで僕が病室に行ったとき……、ぐ、具体的に言えば一昨日の土曜日に意識不明状態のキミに話し掛けていた僕の話って…………」
「えぇ、浮きながら窓の外でずっと聞き耳を立てていたわ。意識がなく物言わぬ私に対し、貴方が妙に熱を込めた自分語りをしているところとか、ね?」
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉっぉぉぉぉぉぉッッ!?」
口角を上げた彼女からの指摘に僕は思わず頭を抱える。
は、恥ずかしい……っ。っていうか全部聞かれていたってことだよね!? 月見さんが初恋だとか、告白した後悔だとか、挙句の果てには"いなくならないでくれ"って泣いて懇願したことも全部全部全部!!
なんてこった(白目)。
「"キミが初恋だったんだ"」
「ぐはっ」
「"僕さ、寂しくないって言ったけど……あれ、嘘なんだ"」
「ぴぎっ」
「"キミまで、いなくならないでくれよ……っ"」
「もう僕のライフはゼロよ……?」
「あぁそういえば貴方、毎日就寝するときベッドの中で長い間もぞもぞしていたわよね? いったいナニをしていたのかしらね?」
「…………(ブクブクブク)」
もうやめてよぉ! 僕にプライベートは無いのかい!? 死体蹴りしてそんなに楽しいのかい!?
心なしか肌がつやつやしてる月見さんと、穴があったら今すぐにでも入りたい僕。彼女は一つ息を吐くと僕を見てこう呟いた。
「ふぅ、久々にスッキリしたわ。なにせ身体を動かすのは約一か月ぶり、昨日はスタッフの制止を振り切って病院でたくさん歩行練習したから色々大変だったのよ?因みに今日の放課後に学校へ来た理由は休学届けの解除よ」
「あぁ、だから生徒がざわざわしてたのか……。っていうか回復したばかりなんだからそんな無理しなくても良かったんじゃあ……」
「そんな訳にもいかないわ。悠長にリハビリをして図書室で小説を読む時間が減るのは嫌だもの。それに………………」
「それに?」
月見さんはそこで一旦区切ると、その端正な顔を横へぷいっと逸らした。その顔と耳は僅かに赤く染まっていた。
「…………早く貴方に会いたかったの」
「え…………?」
「~~~ッ、もう、慣れない言葉は使うべきじゃないわね……っ。仕方ないわね。いい? これから即席麺が出来るほどのほんの僅かな間、この私月見綺零は素直になるわ。その貧相な耳をかっぽじってこうべを垂れながらよーく聞きなさい?」
「え、あ、はい」
ビシィッ!と格好良く指を指しながらも、頬を紅潮させながら僕にそう言う月見さん。天邪鬼である筈の彼女からの唐突な言葉に僕は戸惑いながらも従う。目指すは借りてきた猫。
そうして次の瞬間、彼女は驚愕の言葉を口にした。
「……私も、初恋だったのよ」
「え、月見さんも!?」
「きっかけは休日はほとんど家で読書をしていたからと、気分転換にカフェで小説を読んでいたときよ。容姿も服装も見掛け倒し、言葉選びもセンスの欠片も無い将来性皆無の男たちが何故か私に言い寄ってきて……びっくりして、怖くて固まっていると、貴方が助けてくれた」
「あ…………!」
「嬉しかったわ。みんなが見て見ぬ振りをする中、貴方だけが傷を負ってまで私を助けてくれた。あのときは貴方が先に店を出てそのまま別れてしまったけれど、私の心にはずっと貴方がいたわ」
僕は月見さんの告白にじっと耳を傾ける。
凛とした美少女で『月の女神』とも呼ばれるあの捻くれ者で毒舌しか吐かない彼女が、まさか内心ではそんなことを考えてくれていたとは。あのとき咄嗟に僕の身体が動いてくれて本当に良かった……!
「でもまさか高校まで同じだとは思わなかったわ。他人に興味が無いとはいえ、貴方のような優しい人間が一年の頃から隣のクラスにいたことに気が付かないだなんて……私の方が馬鹿よ」
「月見さん…………」
「貴方から話し掛けてきてくれて、私はとても幸せだったわ。今まで放課後に図書室で読書をするだけでも心は満たされていたけれど…………貴方に出逢って、大好きな貴方と話をする度に私の心は潤っていった。これが恋なんだって、柄にもなくときめいたりもしたわ。―――そうしてあの日、私は貴方から告白された」
「………………っ!」
思わず苦いものが込み上げてきて僕は息を呑む。それは月見さんが、意識不明の重体に陥る原因となった僕の告白。
「そんなに悲しい顔をしないで頂戴。私まで泣きそうになるわ。……それに、私もずっと後悔してたの」
「月見さんが、後悔……?」
「―――貴方の愛の告白にすぐに返事出来なかったことを、よ」
「え………っ」
「私が階段から転落してしまったのは貴方から告白されて嬉しいという想いと、後悔で頭がいっぱいだったからよ。"月が綺麗ですね"という言葉が嫌いと言うのも嘘。内心憧れていたし、こう見えて実はロマンチストなのよ? …………幻滅、したでしょう?」
「そ、うなんだ…………」
月見さんはそう言って俯く。
僕への初恋を打ち明けている割に、月見さんの表情はとても寂しそうだった。素直になるという彼女のこれまでの数々の言葉は、まるでこれが嘘で覆い隠す私の醜い姿だと言わんばかりの懺悔のように思えた。
でもね月見さん、そんなの関係ないよ。だって僕は天邪鬼な月見さんでも、素直な月見さんでも……どんなキミだって大好きなんだからさ!
―――だから、もう一度始めよう。
「拝啓、月見さん。月がとても綺麗ですね」
「――――――ッ」
月見さんは綺麗な黒髪を揺らしながら、バッと俯いていた顔を上げる。その瞳には今にも零れそうな涙が浮かんでいた。
彼女はギュッとその綺麗な唇を噛み締めると、何かに耐えるように瞳を閉じる。そうしてゆっくりと瞳を開けると、彼女は僕をじっと見つめていた。
「…………ねぇ太陽くん。私、とても面倒臭い女よ?」
「あ、初めて僕のこと名前で呼んだね? …………そんなこと、とっくに知ってる」
「自分の本当の気持ちさえ満足に伝えられないし、他の女子みたいに魅力的に、積極的に可愛くなれない」
「なら互いの気持ちが分かるまでずっと話をしよう。それに、月見さんは今のままでも十分可愛くて魅力的だよ」
「器量だって良くないし、なんなら太陽くんが他の女子と会話している姿を想像しただけで嫉妬してしまうわ」
「大丈夫、それ僕もだから」
え、僕なんか月見さんが他の男子と話している姿とか見るだけで軽く死ねますけど何か?
一瞬だけ闇に呑み込まれかけたけどなんとか無事生還。すぐに僕は煮え切らない様子の月見さんに言葉を促した。
「それで月見さん、そろそろ告白の返事が欲しいワケですが?」
「……そうね、いつまでも貴方の物欲しそうな鯖顔を見ているわけにもいかないでしょうしね?」
どうやらいつもの天邪鬼な月見さんの様子に戻ったようだ。
太陽くん、と彼女は僕の名前を読んで言葉を区切ると、柔らかく笑みを浮かべた。
「―――死んでもいいわ」
僕も、とそう静かに呟くと、彼女をそっと抱き締めたのだった。
いかがでしたでしょうか??(/・ω・)/
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