漫才コンクール審査員の憂鬱
「お願いしますよ、お忙しいとは思いますが」
売れない頃から世話になっているテレビ局のプロデューサーに頼み込まれて、新人の漫才師の登竜門の一つである某局の漫才コンクールの審査員を引き受けた。
「これでコンクールに箔が付きます。ありがとうございます」
そのプロデューサーは昔から腰が低い感じのいい人だったので、断りきれなかった面もある。
そのコンクールは、まさに事務所の大小に関わらず、面白い新人を発掘するもので、下積みが長かった俺達の胸に刺さるものがあった。メジャーなコンクールは、どうしても事務所の力によるものが多く、審査員もその事務所の大御所が引き受けるというやらせギリギリのものが多い。現にあるコンクールは、審査員の中でも大物の芸人が露骨なえこひいきをして、物議を醸した事もあった。そのコンクールは完全にある特定の大手事務所が自分のところの芸人をメジャーにするために企画しているようなもので、俺達はそれがわかっていたので、そのコンクールには絶対に出なかった。そのせいで、その大手事務所に睨まれる事になり、下積みが長くなった可能性もある。
だからこそ、事務所の力に関係ないところで勝負を決めるネットを利用した日本全国の一般人による審査を導入して業界の殻を破ろうとしているプロデューサーに協力したくなったのだ。
「この方法が当たれば、大手に席巻されている今のバラエティ番組の刷新が図れますよ」
プロデューサーの熱のこもった言葉に俺達は大きく頷いていた。
「私はね、お笑いの西高東低を打破したいんですよ。面白い芸人は東日本にもたくさんいるんです。笑いは西日本という風潮を壊したいんです」
彼は関西の大物ピン芸人と演出方法で対立し、上層部から危険視されて出世街道から外れていた。
「長い年月、一切ネタを披露していないその人に一泡吹かせたいんです。芸人は芸を見せてこそだという事を、トーク番組しか出ていないその人に思い知らせてやりたいんですよ」
若干、私怨も含まれているようなので、俺達は引いてしまったが。
打ち合わせと披露方法など、審査委員としてだけではなく企画にも参加しながら、俺達は本番に向けて議論を交わしていった。
そして、いよいよ本番直前、決勝の舞台に上がる新人達のリハーサルの日が来た。誰も彼も、目が輝いていた。今までなら、小さな事務所所属だとエントリーしてもすぐに落とされていた者達が残っている。これは喜ばしい事だった。公正なスタートラインが作られている証拠だ。さして面白くもないのに決勝に残っている妙なコンビを何組も見てきた俺達は、感動していた。
「頑張れよ」
一組一組に声をかけた。不公平にならないように細心の注意を払った。本当なら本番で初めてネタを観たかったのだが、最高の舞台にするために一度テストを兼ねて観て欲しいと言われたのだ。もしダメだったら、遠慮なく言って欲しいと。全部で十組のネタを観た。どのコンビも死に物狂いで作ってきたとわかる熱量で、圧倒された。そして、最後のコンビの番になった。
「どうも、リッキーアンドりったんです」
男女のコンビだった。まだ二十代前半くらいだろう。観た事がない若手だった。見た目はド派手な服装で、奇抜なネタをやるのかと思ったが、内容は正統派漫才だった。いわゆるしゃべくり漫才だ。男がボケて女がハイテンションに突っ込む。そのテンポが心地よく、内容も濃かった。
「おい」
相方が小声で話しかけてきた。
「このネタ、あれじゃないか?」
そう言われ、俺もハッとした。そのネタは俺達が今の事務所のオーディションで披露したものとかなり似ていた。
「偶然だろ」
俺は声を震わせて応じた。しかし相方は、
「偶然? あり得ねえよ。会話の一部は多少変わっているけど、内容はほぼ同じだ」
盗作? いや、それは考えられない。俺達はそのネタをオーディションでしか披露していない。外部に漏れる事なんかあり得ないのだ。となると、考えられるのは一つだけ。背筋がゾッとした。
「あいつなのか?」
相方がぼそりと呟いた。俺は改めてコンビの男の顔を見た。男と一瞬目が合った。男がニヤリとした気がした。
「似てる。あいつに似てる」
相方が言った。俺は震えが止まらなくなった。いろいろな事が頭の中を駆け巡っているうちにネタが終わり、リッキーアンドりったんは降壇した。
「お疲れ様でした」
プロデューサーが声をかけてくるまで、俺も相方も呆然としていた。
「どうかしましたか?」
プロデューサーが怪訝そうな顔をしている。俺は、
「いえ、別に。全員、迫力満点で圧倒されました」
引きつっているのがわかる顔で応じた。
「そうでしょう? 本番はもっと盛り上がる演出を用意していますので、期待してくださいよ」
プロデューサーは上機嫌で出口へ歩いていった。俺と相方は顔を見合わせた。
「俺達に復讐に来たのか? 仇を討ちに来たのか?」
俺は相方に尋ねた。相方はギョッとした顔になり、
「バカな事を言うな。もう二十年以上前の事なんだぞ」
そうだ。俺達は二十二年前、芸人になるためにある男が考えたネタを引っさげて、上京した。そのネタは見事にオーディションを勝ち抜かせてくれた。俺と相方は第三のメンバーがいるのを隠し、そのままデビューした。そして、梨の礫状態だった俺達のところへ三人目のメンバーだった奴が姿を見せたのは、それから五年後だった。奴は俺達の事を罵り、全てを暴露すると脅してきた。
「やりたければやれよ」
デビューこそ華々しかったが、その後は鳴かず飛ばずだった俺達は開き直った。
「わかった。お前らには失望したよ」
そいつは悲しそうな目で俺達を見て、そのまま帰ってしまった。それからまもなくして、そいつが病死した事を親から知らされた。奴は誰にもネタの事を話しておらず、俺達は奴の葬式に参列したが、誰も俺達を非難する者はなかった。それが逆に恐ろしくなった俺達は、極力帰郷する事を避けるようになっていった。
「思い出してくれましたか?」
不意にリッキーが声をかけてきた。その後ろにはニコニコしているりったんがいた。
「お気付きの通り、俺は貴方達に裏切られてそれがキッカケで病気になって死んだ男の子供です。こいつは俺の妹です」
リッキーは無表情のまま、りったんを見た。俺と相方は思わず息を呑んだ。
「そ、それで?」
俺はまさに絞り出すように声にした。リッキーはフッと笑って俺を見ると、
「コンクールの終了の時に全部話してください。何があったのかを。それだけでいいです」
俺は相方と顔を見合わせた。
「お願いします」
それだけ言うと、リッキーとりったんはスタジオを出ていった。
「どうする?」
相方が訊いてきた。
「どうするって、ヤるしかないだろ?」
俺は事もなげに言った。
「今までだってそうだったんだ。あの事に気づいた奴は全員ヤッたんだ。何人ヤろうと、今の状態は守る」
俺は揺らいでいる相方を諭すように言った。これで何人目かな。数えるのをやめてから随分と経つから、わからねえな。