第58話:一月の働き方改革
アルバイトすることにした。大作ゲームの発売が重なりお金が足りないのだ。
アルバイトの募集サイトに高校生可と入力し、求人を眺めながらじっくりと考える。
短期だと引っ越し業者やキッチンの手伝いばかりが表示される。
物覚えが悪く力は弱いので、できれば脳死でできる作業がいい、と画面をスクロールしていく。
去年の春休みのとき通行量調査のバイトをしたことがある。かなりの長時間だったが、苦もなく乗り越えることができた。忍耐力には自信があるのだ。
なお、あとで聞いた話によると、俺の提示した数値は異常値として弾かれたらしいが(銀千代が変装をして、何回も俺の前を通ったからだ)、最後までちゃんと働いたのは確かだ。
さて、とはいっても、バイトを決めるのはなかなかむずかしい。
外仕事はこの時期寒くて辛いし、そうなると事務とか工場系の仕事になってくるが、良さそうなやつは大抵満員に達している。あと出来れば銀千代に邪魔されないのがいいのだけど……。
「おっ」
お寿司の間にワサビをいれる仕事。
最低賃金だけど、お年玉を合わせれば、十分に懐は潤う。それにこういうゲーム感覚で出来る仕事は得意だ。そして何より勤務地が近い。よし、これに決めた。と応募して、一時間後にメールが届いた。簡単な面接を二日後に行うらしい。とんとん拍子だ。
学校帰り、制服のまま、履歴書を持って近くの工場に面接に行く。
社員休憩室みたいなところで、恰幅のいい男性と一対一で軽い質疑応答を行う。
「急に欠員が出てね。応募ありがとう」
「とんでもないです!」
「それじゃあ、応募の理由から聞こうかな」
短期バイトだぞ。近くてお金がほしかったから、以外の返答があろうはずもない。しかしながら正直に答えるほど、俺は耄碌していない。
「小さい頃からお寿司が好きで特にワサビが好きだったからです!」
そんなやついねぇだろ、って感じで「ふぅん」と鼻をならされた。しまった。返答をミスったらしい。
そのあと二三質疑応答をした後、
「まあいいや。なんにせよ人手不足だからね。履歴書も問題なさそうだし、バックレるような性格でも無さそうだから、採用するよ」
即断即決だ。こういう職場は効率が良くて素晴らしい。
「ありがとうございます」
「こちらとしては明日から二日間ぐらいシフト入ってほしいんだけど出られるかな?」
ずいぶんと急な話だが、こちらとしても願ったり叶ったりだ。
「はい、いつでも大丈夫です!」
「おおー、ヤル気満々だね。じゃあ、今日はこれまで。あ、なにか質問ある?」
「あの、僕以外にも誰か採用するんですか?」
「いや、今のところキミだけだけど……なにかあるのかい?」
「いえ、なんでもないです」
銀千代の影をできるだけ感じない仕事がしたい。
帰宅中、銀千代に「バイト先には来るなよ」とメッセを送ろうと、スマホを開いたら、「内定祝いのケーキはホールでいいかな?」と先にメッセージが来ていた。なんで知ってんだよ?
まずこいつにはバイトを始めることは一切言っていないし、ただのバイトの合格にそんなお祝いは不要である。
帰宅したら、俺の部屋でパーティーの飾りつけをしていた銀千代がいた。怒鳴り付け、絶対に仕事を邪魔しないように言いつけ、どうにか納得させられたのは日付が変わる数分前のことだった。
そんなこんなで、翌日の土曜日、作業着に着替えた俺は、先輩に仕事を教わることになった。
「シャリがコンベアで流れてくるだろう?」
「はい!」
「そこにチューブでワサビをいれるんだ」
「はい!」
「君がワサビを乗せた酢飯は、次の行程で刺身が乗せられ、お寿司になる。それじゃあ、頑張ってくれ」
「え、終わりですか?」
「ああ。俺は忙しいんだ。メモとったか? 同じことは教えんぞ!」
「わ、わかりました!」
冗談か本気かわからないが、ともかく仕事が始まった。先輩は緑色のギザギザで寿司と寿司の間を仕切る上級職で忙しいらしい。
「よしっ」
とはいえお給金をもらう身分だ。中途半端な仕事はできない。気合いをいれる。
コンベアがゴウンゴウンと低いうなり声のような音をたて、稼働し始めた。上には艶々と光を放つ、固まりになった酢飯がのせられている。
俺はワサビチューブのキャップを開けて、小さく深呼吸した。
握られた酢飯が流れてくる。ワサビをいれる。酢飯がくる。ワサビをいれる。酢飯がくる。ワサビをいれる。 酢飯がくる。ワサビをいれる、すめし、わさび、すめ、わさ……。
ところで地獄には親より先に死んだ子どもは賽の河原で石を百個つむように強制されるらしい。九十九個積んだところで鬼に石を崩されるので延々と同じ事を繰り返させられるんだとか。
握られた酢飯がくる。ワサビをいれる。酢飯がくる。ワサビをいれる、すめし、わさび、すめ、わさ、かゆ、うま……。
地獄って、こういう仕事のことをいうのかな。
とはいえ、アルバイトするのはけっこう楽しい。賃金はもらえるし、人間関係の幅が広がるからだ。普段ならふれ合うこともなかった人の話が聞けるのは面白い。
休憩中、職場の人といっしょに社員食堂でお昼を食べた。
先輩は大学生らしい。
「カノジョいるのかい?」
かき揚げうどんのかき揚げを汁に浸して頬張りながら、先輩が訊いてきた。
「いやぁ、いませんよ。先輩は?」
「俺の恋人はバランだけだよ」
バランってなんだろうと思ったらあの緑のギザギザのことをそういうらしい。
「この職場、女性いないんです」
なんとなしに呟いたら、
「いるよ」
と顎をくいっと、食堂の奥の方の席に座るショートカットの人を示した。
「サバサバしてテキパキして必要最低限の会話しかしないから、鉄の女と呼ばれている。アイアン・メイデン……通称アメちゃん。本名は忘れた」
険しい顔でうどんをすすっている。かなり厳つい顔をした女性だった。
「そうなんですね」
「新人にはかなり厳しい人だからあんまり近寄らないほうがいいよ」
「わかりました」
てきとーな会話を楽しんでいたらあっという間にお昼時間が終わってまた地獄の時間が始まった。
酢飯、ワサビ、酢飯、ワサビ……。
そんなこんなで五時間働いて、17時に作業が終了となった。
「お疲れさまでした!」
「おつかれ! 君、筋がいいから、作業が捗ったよ。また明日よろしくな!」
先輩は作業日報の作成があるらしく少しだけ残業して帰るらしい。さすができる人は違う。
先輩と別れ、作業着から私服に着替る。業務の解放感によいしれながら、工場を出たところで、「おつかれさま」と声をかけられた。
先程食堂で見た唯一の女性作業員、アメちゃんが立っていた。
「あ、おつかれさまです」
先輩の話によるとアメちゃんは魚の形をした醤油さしを寿司パックに入れる仕事をしているらしい。
「初出勤はどうだった?」
「あ、みなさん丁寧に教えてくださるんで働きやすかったです」
「また明日もよろしくね」
「あ、はい、こちらこそ」
聞いていた話とは大違いだ。かなり気むずかしい性格をしていると聞いていたが見た限りフランクで話しやすい雰囲気の方である。
「……」
だと、思ってたのは、数秒。
すぐに違和感にとらわれる。
まとった雰囲気、身長、そして匂い。
マスクとメガネで顔が半分隠れているが、……嫌な予感が胸を打つ。
「あの」
「ん、どうしたのかな?」
「……いえ」
声、
声が銀千代だ。
いや、でも、そんな、まさか。
「なんでもありません」
「? 明日も一緒にがんばろっ」
アメちゃんはにっこり微笑んで、工場の門の方へ歩いて向かった。チャーミングな笑顔だった。食堂で見たときとは段違いの。
「……」夕日が影を長くしている。
小さくなっていくアメちゃんの背中に、聞こえないような声量で、小さく「銀千代なら手を叩こう」と呟いてみた。
ぴくり、とアメちゃんの体が震える。
「……」
「……」
しばらくしてからまた歩き始める。
あいつ、まさかだろ。
「銀千代」
「……」
反応はない。小さくなっていく背中。
「銀千代、可愛いよ」
「……っ」
ぴくりとアメちゃんの背中が震えるが、立ち止まることなく、歩き続けている。しらばっくれるつもりか。
「銀千代、好きだぞ」
「ひょえー!!!」
「!?」
アメちゃんが奇声を上げて、踵を返して戻ってきた。
「ゆーくぅぅぅうん、銀千代も愛し……」
「お前……」
「あ……」
アメちゃん(偽)は身をよじらせながら、目をそらした。
もはや誤魔化せる段階ではない
「なにしてんの?」
「ゆーくん、好きって言ってくれてありがとう」
話聞けよ。
「あれは嘘だ」
「それが嘘?」
「お前のことが好きっていったのが嘘。間抜けを見つけるためにな」
「嘘は……よくないよ?」
「その台詞、そっくりそのままお返しするぜ」
恨めしそうに俺をにらみつけてくるアメちゃん(偽)。
「……なるほど、策にはまった、ってわけか。さすが、ふふ、ゆーくん」
ふふふ、と鼻をならして、アメちゃん(偽)は首の下をつまみ、おもいっきり上に引き上げた。べりっ、と音がして、マスクとメガネが吹き飛ぶ。現れたのは銀千代だった。なんだそのスパイ映画みたいな特殊な変装術は。
「知り合いのメイクさんにお願いしたんだ」
芸能人の人脈をここで使うな。
「来るなって言ったよな」
「うん。だから、この工場で働いている女子の代わりに出勤することにしたんだよ。時給振り込むっていったら喜んで替え玉を許してくれたよ」
本物を始末したとか、そういうことはしていないことがわかって若干安心している自分がいることに気がついた。
「職場に来ていい理由にはなってないよな」
「でも落ち着いて考えてみて。誰も損してないよ」
「はぁ?」
「アメちゃんはなんにもしてないのにお金が振り込まれてハッピー、銀千代はゆーくんの働く姿が見れてハッピー、ゆーくんはのびのび働けてお金もらえてハッピー。ゆーくんが銀千代にきづかなければみんな幸せでいられたんだよ」
一瞬納得しそうになったが、銀千代がここにいる時点で俺の幸せはない。
「黙れ。二度と来るなよ」
「……はぁい」
銀千代は不貞腐れたように頷いた。ほんとうにわかっているんだろうか。
どうでもいいけど、一連の流れを見ていたらしい先輩が「アメちゃんはメガネはずすと美少女」と勘違いをし、本物のアメちゃんに猛烈アタックし、付き合うことになったらしい。
なんだかんだで真実を知ったあとも仲は深まり二人が結ばれるのはそれから四年後のことである。ただ言ってみただけである。




