第51話:十二月のファンサービス
朝の気温は0度近くで、吐き出す息はタバコの煙のように真っ白だった。肌を突き刺すような寒気に、まとわりつくような眠気。
ひたすら憂鬱な登校中。隣を歩く銀千代が左手の手袋だけ外して、これ見よがしに振っているが、気づかないふりして校舎を目指す。
朝っぱらから銀千代はハイテンションでベラベラベラベラと箸にも棒にもかからない言葉を延々と吐き出している。
「今日はなんの日でしょー?」
「知らん」
「今日は,二十四日のクリスマスイブのイブイブイブイブ……」
スタンドの掛け声みたいな呪詛を聞きながら、青空を見上げると、白い月がぼんやりと浮かんでいた。今日も世界は平和だ。
「あのぉ」
背後から声をかけられた。振り返ると近所の中学の制服を着た女子が立っていた。
「ッッッッ! ゆーくん、危ないから下がって……っ!」
対象のステータスを瞬時に判断した銀千代は身構えながら一歩前に出た。
「何者!? 所属はどこ!? 目的は!? 敵!?」
なんでそんなバトル漫画みたいなテンションなんだ、こいつ。
「金守銀千代さんですよね!」
中学生女子は嬉しそうに声を上げた。どうやら銀千代のファンらしい。あごでクイっと合図を送る。無表情で銀千代は「だとしたら、なに? ゆーくんを逆ナンしたいなら、銀千代の目が黒いうちは無理だよ」と続けた。
「……?」
女子中学生はキョトンとした後、すぐに嬉しそうに手を叩いた。
「やっぱり銀千代さんだ! エイティーンの読モしてた時からずっと好きでした! サインもらえませんか?」
恥ずかしそうに差し出されたノートは一般的に販売されている学習用のものだった 。銀千代はそれを石橋を叩くように慎重に受け取り、
「……うん、もちろん、いいよ」
と、にっこり微笑んで、サインをした。警戒は解けたらしい。ちらりと見ると、ちゃんと「金守銀千代」と書かれているようなので安心した。「宇田川銀千代」と書くのをやめろと口酸っぱく言ってきたかいがあったな。
「きゃあ! ありがとうございます! 宝物にします」
「うん、応援ありがとう。学校始まっちゃうから早く行った方がいいよ。早く。急いで。はい、さようなら」
社交辞令的に笑顔を浮かべる。俺にはとっとと追い払いたいが故の発言に思えたが、心配してもらったと勘違いしたらしい女子中学生は「ありがとうございました!」と嬉しそうにかけていった。
最近こういうのが増えた。銀千代はすっかり芸能人になってしまったのだ。
「それでね、ゆーくん」
振り返った銀千代が再び元の話を開始する。
「今日は記念すべきクリスマスイブイブイブイブイブ……」
「すみません!」
「イブ?」
イーブイみたいな声をあげ、銀千代は再び動きを静止した。見ると、声をかけてきたのは小学生男子三人組だった。
「YouTubeのマイクラ実況いつも見てます! 握手してください」
「うん、はい、どうも、いつもありがとう。はい、これからも、どうぞ、はい、よろしくね」
銀千代は機械的に微笑むと、小学生男子の握手を快く受けた。
「ありがとうございました!」
「うん、またね、はい、さようなら」
ひらひらと手を振り、三人組を見送ってから、銀千代はポケットからウェットティッシュを取り出し手を拭いた。
「うわ、感じ悪っ」
「ゆーくんとお手て繋ぐ時に別の人の菌をつけるなんて考えられないからね。申し訳ないけど、ご時世的にも除菌はしっかりしておかないと。はい!」
すっ、と右手を差し出してきた。いや、手なんか元から繋いでなかった。無視して歩きだしたら、パタパタと追いかけてきた。
「で、クリスマスイブイブイブイブイブイブイブ(以下略)だからさ、ゆーくんの欲しいものを今のうちに聞いておこうと思って。なにほしい?」
「いや、べつに欲しいものないよ」
強いて言えばプレステ5だが、結構高いから貰うのは気がひける。
「なんでもいいよ。お金で買えるものから買えないものでも、この世のすべてを手に入れ……」
「あのぉ」
「……」
「すみません」
「……なに?」
「芋洗のぉ、銀千代ちゃんですよね!」
また声をかけられた。今度は大学生くらいの女性二人組だった。
「大ファンなんてす。この間の映画、サイコーでした! まじ泣きました! 五回くらい!」
「どうもありがとう」
と返事をしつつ、自然な動作でかに歩きをする銀千代。俺と対角線の位置に移動することで、女子大生の視線が自然と俺から外れる。
「一緒にぃ、写真撮ってもいいですかぁ?」
女子大生二人から、背中を向けられてしまったが、甘いな銀千代。彼女たちの背中は十分に眼福なのだよ。
「構わないよ」
「感激ィ! はいチーズ」とスマホで写真を撮って、終わりかと思ったら、「あとぉ、サインもいいですかぁ?」と頭を下げた。
「もう書いてあるよ。スペシャルサンクス」
「うぉっ! すごっ、いつのまにィィ!」
色紙を差し出される前に手品のように名前を書いた銀千代は、頭を下げる大学生二人組に微笑んで、そのままこっちに戻ってきた。
「それで、プレゼントだけど、いま考えてるのが「銀千代がなんでも言うこときく券」とかどうかな」
「いいな、それ、最高だな」
その券もらったらしばらく付きまとい行為を自粛してもらおう。
「えへへ、やっぱり? ゆーくんも男の子だもんね。聖夜だし、どんなプレイも寛大な心で受け止めてあげ」
「あのぉー」
「……っ」
「金守さんスよね」
「……なんですか?」
さすがに話しかけられ過ぎて、イライラを隠しづらくなってきた銀千代は瞼をピクピクさせながら振り返った。
筋肉質のガタイのいい、スポーツ刈りの男が粛々と頭を下げた。
「こないだの地下闘技場の試合見てからのファンなんす」
そんなん出てたのかよ。
「サインもらえませんスか?」
バッと色紙を差し出される。
何度もファンに声をかけられて、イライラが限界を迎えていたらしい銀千代は「邪ャッッッ!」と鋭い手刀を色紙に食らわせた。
「え」
ぷつん、と真っ二つになる色紙。
「すげェェ!」
感動する坊主頭。
「アリヤッス!」
びしっとお辞儀する。
いや、すごいけど、それでいいんかい。
銀千代が戻ってきた。
「ごめんね、ゆーくん、何回も待ってもらって……銀千代が無駄に顔知られてしまったばっかりに……」
「あ、ああ……む、無理すんな」
「ゆーくんとの楽しい会話を邪魔されて、イライラするけど……向こうに悪気はないから、蔑ろにもできないし……」
おお、こいつも遂にサービス精神というものを会得したのか。なんだかんだで人間は成長する生き物なんだな。
「だけど、銀千代だって誰にも邪魔されたくない時だってあるの……。好きな人と一緒にいるときとか」
ゲームしてるときとかな。あと登校中とかも。
「まあ、芸能人の宿命ってやつだな」
「さっさと引退すればよかった。この間のライブからすごい色んな人に声かけられるの」
「それだけいいものだったってことだろ」
「ゆーくんの為に歌ったのに……なんで、関係ない人がしゃしゃり出てくるのかな……」
お前がアイドルだからだろ。
と言うとまたヤメるとか騒ぎ始めるから、なんも言わない。こいつが仕事しているときだけが俺の心休まる時間だから。
「どうすればゆーくんとの時間をキチンと確保できるかな……」
恐ろしいことをぼそりと呟いた。こういう呟きをするときは大抵ろくでもない未来が待っているときだ。以前こういう呟きをスルーしたら危うく監禁されかけたのだ。フォロー入れなくては。
「でもよ。お前が人気だと、なんだが俺も誇らしいよ」
「……!」
何度目かわからないおためごかしに、銀千代は、
「うえへへ……」
にやけた。なんだかんだでこいつの扱い方がわかってきたぞ。よし、なんとか鎮められたみたいだな。
「決めた」
「なにを?」
「カノジョが有名になることでゆーくんの所有欲と虚栄心を満たすことができるなら、銀千代はそのままアイドルを続ける」
「うむ、それがいい」
心から頷く。俺の精神衛生上も間違いなく続けていただいた方がいい。
「だけどゆーくんとの時間がアイドル活動で遮られるのはすごく嫌なんで、間をとって、銀千代はYouTuberになるよ」
「なんでっ!?」
思考回路焼き付いてんのか?
恐ろしすぎる三段論法なんだが。
「二人で田舎に引きこもろう。限界集落とかの過疎の村なら銀千代の知名度もさほどないだろうし、田舎暮らしの動画を投稿して、それなりに再生数稼げれば、お金の心配もないし」
心配なのはお前の頭だけだな。
「よし、そうしよう。カップル系YouTuberとして、有料コンテンツも用意してさ、会員登録してくれた人には二人の夜の様子とかも知ってもらうの。うぇへへへ」
「きもい妄想はやめろ!」
「そうと決まれば早速、スーモ! スモスモスモスモスモスモスーモ! どこの村にしようか?」
スマホを取り出した銀千代は首をかしげて聞いてきた。まずい、わりと本気の目だ。冗談が通じない雰囲気。
「そんなんやるわけねェだろ!」
「じゃあ、まずはゆーくんを説得するとこから撮影スタートするね」
ピポンと音がして、銀千代がスマホのカメラをこちらに向けた。
「おい、何撮ってんだよ」
「ゆーくんと銀千代のラブラブ田舎生活、パート1、ゆーくん説得編」
謎のモノローグを呟かれた。
「ゆーくんは海と山ならどっちが好きかな?」
「どっちも好きじゃねぇよ」
「じゃあ、内陸側で絞り込んでこう」
「おい、話聞け! そんなバカなこと絶対参加しないからな」
「二人の新居探しは難航しそうでぇーす」
「黙れ!」
スマホを確認しながら、「最近ゲーム実況部のスタッフさんからノウハウを教わったから任せて」と微笑まれた。
「おい、絶対やめろよ」
と俺が声をかけた時だった。
「すんませぇん」
「ん? 」
先ほど色紙を真っ二つにされたいかつい坊主頭の二人組のうちの一人が立っていた。
「金守さん、何度もすみません、その、色紙の切れ味を見てたら、自分、我慢ができなくなってきて……、ダチにはやめとけ止められたんスけどぉ」
「……」
「武道家として、手合わせ願います!」
「ただのワナビーじゃなかったようだね」
どういうことやねん。びしっと頭を下げる坊主頭。耳が餃子みたいになってた 。おとんが昔、耳がすごい人とは喧嘩するなって言ってたのを思い出した。
「ふっ」と銀千代は鼻で笑うと、「ゆーくん、持ってて」とスマホを俺に預けた。
「ルールは?」
「もちろん、なんでもあり(バーリトゥード)で」
「いいよ」
コートをガードレールにかけて、びしっ、と銀千代が身構える。
え、なに、どういうこと?
ストリートファイト申し込まれたの?
は?
「ありやしやす!」
ありがとうとよろしくお願いしますが混じった言葉を吐き出し、男は両手を胸の前に構えた。ぐにゃあー、と空間が歪んだ気がした。ピリピリと空気が緊張感に震える。いや、つうか、早くいかないと遅刻しちゃうんだが、と冷静になった俺が、このまま無視して学校向かおうかとぼんやり考えたとき、男が「シャア!」と叫んで、真っ直ぐ銀千代に突っ込んだ。
「ゼェア!」
ガードレールにかけていたコートを男の顔面に投げつけ、一瞬のスキをついた銀千代が股間を思いっきり蹴り上げた。
「ふぐっお!」
崩れ落ちる坊主頭。
どうでもいいが銀千代のせいで最近この辺りの治安が著しく悪化している気がする。
「……」
「ぅ、うぐ」
「リングのバーリトゥードで金的は禁止されてるから、油断したみたいだね。だめだよ、ストリートにルールなんてものは存在しないんだから」
「べ、勉強になります……ありがとした」
苦悶の表情のまま、男はアスファルトの上で寝そべったまま銀千代にお礼を言った。
「こちらこそ、ありがとう。ちょっと最近イライラすることが多かったけど、おかげでスッキリしたよ。また回復したら手合わせしようね」
膝を折って、野良猫をあやすように銀千代はにっこりと倒れ付した坊主に微笑みかけた。
「うっす……」
どうでもいいが、スマホの録画を切り忘れていた。
撮れてしまった映像を、許可をもらい、顔だけモザイク処理して動画投稿サイトに載せたら、三日で10万再生した。
なんだかんだで銀千代は才能に溢れているらしい。




