第50話:十二月の闇夜は淡い月
銀千代が仕事で早引けした日の放課後、帰ろうと教室のドアを開けたところ、「先輩」と声をかけられた。
鈴をならしたような凛とした響き。
振り返ると、利発そうな大きな瞳が俺を写していた。
「あ」
ふわふわとした長髪を揺らし、少女は小さく頭を下げた。
傾きかけた西日を浴びて、白い肌は仄かにオレンジ色を帯びている。
「銀千代さんはいらっしゃいませんか?」
一個下の学年で、銀千代の所属する芋洗坂39の三期生リーダーを勤める沼袋七味が立っていた。
できれば会いたくなかった。
「あいつなら仕事だよ」
平静を装い返事をする。
「そうですか……。それなら先輩、代わりに付き合ってください」
「……ああ」
絶対何かしらの文句言われるんだろうなぁ、と思いながらついていく。
本当は断りたかったが、銀千代の知り合いを蔑ろにするわけにもいかない。
案の定だった。
学食に呼び出された俺はくどくど沼袋から文句を言われた。
自販機で買ったオニオンスープが冷めるほど長い時間愚痴に付き合わされた。
いわく先月くらいまでは真面目にアイドル活動していたのに、今月に入ってからは元通り不真面目で、どういうことか、と。
本人に言えよ、も思ったが、友達の鈴木くんの「モテるにはどうしたらいいか」のアドバイスを思いだし、ただひたすらに「うんうん、そうだよねぇ」と「わかるぅ」と共感していたら、なぜか納得してくれたらしく「先輩からも言っておいてください」と話を終着点に持っていくことができた。ありがとう、鈴木くん(カノジョいない歴=年齢)。
ふと気になったので、銀千代の最近の様子を沼袋に聞いてみたらなかなか酷いことになっていた。
「先週二十五時間テレビのスペシャルドラマの撮影があったんですが、ラブシーンを断ってました。主演なのに……」
「結局どうしたの?」
「別の子が主役になりましたよ。銀千代さんはそういうことが多いんです。親御さんが厳しいのか恋愛系の撮影はNGだし、グラビアもお断りしているみたいですよ」
「ふぅん……」
「信念があるところ、かっこいいですよね……」
「そうなのか?」
「だ、だと、私は思います」
耳を赤くして、沼袋は立ち上がった。
「そろそろ帰りましょうか」
解放してくれるらしい。
俺も立ち上がり、連れだって学食を出た。外はすっかり薄暗い。最近は日が暮れるのが早くて、少し寂しくなってくる。
「あ、先輩」
下駄箱でまた沼袋に声をかけられた。ウレタンのマスクと、さっきまでつけてなかったのに、なぜかメガネをかけていた。登下校中は簡易的な変装をしているらしい。
「一緒に帰りませんか? 銀千代さんの昔の話聞かせてください」
「お前ほんと銀千代好きだよな」
「す、好きとかではなく、憧れなんです!」
わたわたと慌てたように呟く。これがツンデレというやつか。
「……」
なかなかいいと思う。
「うー、寒っ」
ドアを開けると全身が寒風に吹かれた。突き刺すような寒気にマフラーを鼻まで上げて、身を縮める。秋はいつのまにかにひっそり死んで、知らぬ間に冬がやって来たらしい。街路樹は葉を全て散らし、骸骨みたいな枝を街灯に浮き上がらせている。
「人が死ぬ気温だな、これは」
「そうですね」
白い息を吐きながら歩き出す。
沼袋はスカートで、タイツも履かずに白い足を出している。「寒くないの?」と尋ねたら「寒いですよ」と返された。女子は謎だ。
日が暮れた通学路は暗かった。
沼袋は電車通学らしく、さすがに暗くなった夜道を女生徒を一人で帰宅させるわけにも行かず送ってあげることにした。最近めっちゃくちゃ治安悪いし。
途中あまりの寒さに俺は根をあげ、コンビニに寄って肉まんを購入した。
沼袋にも半分上げると、「んー!」と小動物のように喜んでくれた。白い湯気が看板の灯りに照らされキラキラと輝いて見えた。冬は嫌いだが、こういうのはけっこう好きだったりする。
「美味しいですね」
ほくほくと笑顔を振り撒く沼袋は珍しく年相応に見えた。
駅についた。
定期で駅構内に入った沼袋が、改札を挟んだ向こう側で、「あれ?」と首をかしげて足を止めた。
「先輩、行かないんですか?」
「いや、電車通学じゃないから」
「ええ、わざわざ送ってくれたんですか?」
「まあ、一応ね。それ、じゃあな気をつけて帰ろよ」
「あ、ありがとうございました」
小さく手を上げて、沼袋はホームに続く階段を上っていった。なんだかんだであいつ、小動物みたいでかわいいな、と思いながら、帰宅する。帰宅ラッシュの時間帯で駅前は混んでいた。
家についてお風呂に入り、ごはんを食べて、プレステ4を起動し、コントローラーを握る。ルーティーンだ。
なんだか今日は穏やかな気分でゲームができた。
日付が変わる頃、明日も学校なので、ボチボチ寝るか、とプレステの電源を落とし、歯磨きしようと立ち上がったら、背後に銀千代が立っていた。
「うぉおおおおー!???」
心臓が飛び出るかと思った。
「……」
銀千代は暗い表情で、ぼんやりと俺のことを見ている。瞳にハイライトが一切ない。
「な、なんだ、お前、えっ、こわっ」
「……」
「い、い、いつからいたんだよ」
「……」
なにも言わずに唇を真一文字に引き結んだまま、見つめているだけである。マネキンかなにかと思ったが、息をしているので生きてはいるみたいだ。
「ぎ、銀千代……?」
「ゆーくん」
「は、はい!?」
ようやく口を開いた。
緩慢な動作で俺を睨み付けたまま銀千代は艶やかな唇を開き続けた。
「今日、なにしてたの?」
「今日……」
なんだ、こいつ?
「見ての通り、女神転生だが……」
「の前」
「飯?」
「の前」
「風呂」
「の前」
「のまえぇー? えー、学校で授業受けてた」
「の後」
「あとぉー?」
なんだ、これ、なぞなぞか?
「家に帰って、風呂入って」
「の前」
「……なにが言いたい?」
ギブアップ。
「浮気したでしょ」
「うわ、き?」
なに言ってるんだ、こいつ。
「なんの話だ?」
付き合ってもないのに。
「とぼけなくてもわかってるから安心して」
「とぼけるもなにも……」
俺の女性関係のフラグは全て銀千代に叩き潰されてるから、身に覚えが無さすぎる。
首をかしげる俺に銀千代は蚊の鳴くようなような声で、
「今日、沼袋七味と一緒に帰ったでしょ」
と呟かれた。
お前の浮気のボーダーライン低すぎじゃね?
表情筋が死んだままの銀千代はポケットから写真を取り出し、床にポンと置いた。
今日の放課後の写真だった。
うんざりした顔で沼袋の愚痴を食堂で聞く、俺。
うんざりした顔で沼袋から銀千代の仕事場での振る舞いを聞く、俺。
にくまんを二つに割って、片方を沼袋にもあげている俺。
駅の改札で小さく手を振る沼袋。
「なんで写真があるんだよぉ……」
「いまはそんな話してないよ」
「いや、今聞かないと流されるだろうから聞いておく。どうやって撮ったんだよ、この写真」
「……フゥー」大きく息をついて、銀千代は続けた。
「銀千代がお仕事している時に間女と愛を深めてたんだね」
「いや、俺の質問に答えろよ」
「ゆーくん、銀千代はおこだよ」
ポンと床にまたなにかを投げられた。なんだこれ、白くて薄い紙切れ、……あ、肉まんの底についてるフィルムだ。そんなバカな、コンビニのゴミ箱に捨てたはずなのに、わざわざ回収したのかよ、きたな!
「一途なゆーくんが銀千代を裏切るなんて、まだ信じられないけど……。でも、安心して、ありとあらゆる未来を想定してあるから、こういう時どうしたらいいか、ずっと、考えてきたんだ」
「……なにをする気だ?」
無表情だった銀千代は唇を歪ませて、薄く微笑んだ。
「あの女は調子に乗りすぎたね。死で償え」
「償うな、バカ」
「……と、言いたいところだけど、もちろん、そんなことはしないよ」
良かった、こいつにも人としての倫理観が一応備わっていたんだ。一瞬、緋の目になってたけど、きっと気のせいだろう。
「だって、死んじゃったら、神格化して、ゆーくんの心が持ってかれちゃう可能性があるからね」
やっぱり最低だ、こいつ。
「だから、ゆーくんには本当の沼袋七味を知って、幻滅してもらう。そうすれば二度とあの女に会いたいと思うこともないでしょ」
「いや、もとからそんな好きじゃな」
「これ」
バサと床にまた写真が置かれた。
「寝起きの沼袋七味。ノーメイク。一日で一番不細工な時だよ」
「……」
仰向けで寝ている沼袋の写真だった。普通にかわいかった。美少女はどんな時も美少女らしい。ファン垂涎のお宝ショットだった。
「それから、これ」
沼袋が下着姿で体重計に乗っている写真だった。
「おま、これ、ばかっ、隠し撮りじゃねぇか!」
「事務所プロフィールで体重44キロって言ってるけど本当は48キロなの、嘘つきだよ」
「わかったからこんな写真とるのやめろよ! ガチ犯罪だぞ!」
「あとね、オウチではお父さんのことをまだパパって呼んでるの。お母さんはママって呼んでるよ。猫好きとか言ってるけど、本当は犬のほうが好きで、フレンチブルドッグ飼ってる」
「お、……おう」
「事務所プロフィールではジブリ映画好きって言ってるけど、本当はSAWとかファイナルデッドシリーズみたいなグロい映画が好き。ムカデ人間もいつか見てみたいって言ってた。鬼滅で泣いたっとか言ってるけど、一番好きな漫画はボボボーボ・ボーボボ」
「別にいいじゃん……」
「こんなにたくさん嘘ついてるんだよ。ゆーくん、嘘つきは嫌いでしょ」
「うーん、まあ、そうだけど……」
アイドル活動してるからしょうがないとは思うし、素の沼袋の情報知ったところで嫌いになるわけもないし。なぜならもとから興味ないから。
「……この情報だけは言うまいと思ってたけど、ゆーくんがそこまで洗脳されているのなら仕方がない。言うよ」
「なんだよ」
「沼袋七味はたけのこの里派」
「……」
「ゆーくんはきのこの山派だからもう相容れないねェ……」
「かもな」
わりとどうでもいい。
「……ごめんね、ゆーくん。ゆーくんの洗脳を解くために他人の女の悪口を言う浅ましい銀千代を許してね」
銀千代は悲しそうに眉尻を下げた。悪口か? いまの?
ただのプロフィールを述べてっただけな気がするし、むしろ俺のなかで沼袋の好感度が上がったんだが。
「まあ、なんでもいいけど、沼袋にあんまり迷惑かけるなよ」
「うん、大丈夫。沼袋七味にもゆーくんのことをちゃんと教えておいたから」
「え?」
は? どういうことだ。沼袋にもいまの俺みたいに詳細なプロフィールを伝えたってことか?
なんか嫌な予感するな。
知られて不味いことは特にないはずだが……。
「お前、あいつになに吹き込んだんだよ」
「普通のことだよ。ゆーくんの女になるのは生半可な覚悟じゃ無理と言うことをわからせて上げただけ。性癖とか好みとか好物とか……」
「ハァ?」
俺はあわててスマホを取りだし、ラインで何を言われたか尋ねようとアプリを起動した。
「あ」
トーク画面から沼袋が退出していた。
「え、えー」
ちらりと銀千代を見る。
「えー……」
こんなんばっかだな、こいつといると。




