第47話:十一月と進路志望調査表
土曜日に三者面談が行われることになっていた。
面談はこの間提出した進路調査表をもとに行われる予定で、
俺はといえば入れそうな大学を第一から第三までテキトーに埋めたのだが、
「金守、なんだ、これはぁ!」
銀千代の志望先は、なにか問題でもあったらしく、
朝のホームルームのあと、担任に呼び出しを食らっていた。
「なにがですか?」
「なにって、これじゃあダメに決まってんだろ、書き直せ」
「無理ですね。まっすぐ自分の言葉は曲げない。それが銀千代の忍道だから」
ムッとした顔で担任に反論する銀千代。なんで、そこでムキになるんだよ。
「そうじゃなくてだな……えーと、宇田川、ちょっと来てくれ」
「あ、はい」
なんで俺が呼ばれたんだろうと思いつつ、席を立つ。
まあ、どうせ、あいつのことだから第一志望「ゆーくんのお嫁さん」とかしょうもないこと書いてんだろうなぁ、と思いながら見せられた銀千代の進路志望調査表はわりと普通の内容だった。
てきとーな大学名が書いて……あれ、これ。
「俺と同じじゃん……」
一字一句同じ文言、というか俺の筆跡だ。
「うん。ゆーくんの調査表にトレーシングペーパーで銀千代の調査表を挟んだからね!」
と微笑まれた。意味わからん小細工すんな。
「ゆーくんの行き先は銀千代の行き先。ゆーくんの夢は銀千代の夢。ゆーくんは前だけ見てて、銀千代は必ずついていくから」
こないでくれ。
今からでも遅くないから書きかえようかな。
「はぁ……」
担任は大きく息をついてから続けた。
「お前は成績いいし頭もいいからもっと上目指せるとは思うが……」
腕を組んで銀千代を睨み付ける。やめてくれ、こいつよりバカだと思うと本当に悲しくなるんだ。
「問題は進路じゃない、名前欄だ」
「え?」
言われて銀千代の進路調査表を見ると、名前が「宇田川銀千代」になっていた。
「お前の名字は金守だろ!」
先生が珍しく怒鳴る。
「夫婦別姓を強制するんですか?」
銀千代が謎の反論を行う。
「夫婦じゃねぇよ!」
あわてて俺が付け加える。
「ともかく先生の方で名前書き直しておくから、こういう下らない真似はもう二度とするなよ」
「くだらない……?」
ビキビキと青筋を立てて、銀千代が呟く。瞳孔が開いていた。
「ゆーくんと同じ名字になることが銀千代の子どもの頃からの夢でそれを否定するなんて聖職者としてあ」
「テストとかでやったら失格だから、以後気を付けるように。じゃあな」
「りえないと思います。そもそも宇田川銀千代って名前は響きもいいし、かわいいし、最高なんですよ。たしかに画数判断はあんまりよくないけどそういう運命を乗り越えるという願いがこの名前には込めら」
先生は銀千代を無視して教室から出ていった。さすが半年以上銀千代の奇行に耐えてきただけある。問題児の対応はばっちりだ。
「られているんです! ちょっとっ! どこ行くの! まだ話しは終わって……」
ドアから出ていった先生をホーミングしようと歩き出した銀千代の肩をつかんで止める。
「銀千代、先生の言うとおりだから、席戻るぞ」
「む、むぅ。でも、今のうちに新しい名前に慣れておかないと、役所に提出した書類とか見たときに幸せすぎて死んじゃうかもしれないし……」
「テスト失格になるより、死ぬ方がいいだろ」
「……そうかなぁ」
てきとーな返事をしただけだが、誤魔化されなかった。めんどくさい女だ。
そんなこんなで土曜日。
三者面談の当日。
雲一つない青空が広がる秋晴れ。今日みたいに輝かしい未来が俺の人生に待っていればいいのだけど、と制服に袖を通し、母親と一緒に校門を潜った。
そのまま会話なく真っ直ぐに教室を目指す。誰にも会いたくないなぁ、という俺の願いが通じて知り合いに遭遇することはなかった。
「面談の方は座ってお待ち下さい」という立て看板に従い、廊下の壁際に設置されたパイプ椅子に腰掛け、静まり返った廊下で俺と母さんは待機していた。
母さんは特に緊張した様子もなく、のほほんと窓の外を眺めている。緊張しているのは俺だけらしい。余計なことは言わないで欲しいなぁ、とぼんやりしていたら、
「なんでですか!」
静寂を切り裂くように、教室から銀千代の怒鳴り声が漏れ聞こえてきた。
たしか面談の順番は男女交互の名前順だった。
悲しいかな。女子の「か」は男子の「う」の一つ前で、すなわち俺の前は銀千代の面談なのだ。
「第一も第二も第三志望もダメっていうんですか!?」
ボリュームを下げてほしい。つられて先生も声がでかくなっている。
「ダメとは言ってないだろ。お前の学力ならもっと上を目指せるんだから、ここを選ぶのはもったいないって話をしてるんだ!」
「偏差値とか学力とか知能指数とか、そんなものは関係ありません! 大切なのは愛! ラブです!」
「お前なら調査表の大学は全部余裕なんだよ! 芸能活動しながらこれだけの偏差値保ってるんだから、もっと上目指せるだろ!」
「目指してるのは虹色のキャンパスライフだけです!! なんで理解してくれないんですか? バカなんですか?」
ヒートアップしている。
隣の座った母さんが「今の銀千代ちゃんの声よね?」と心配そうに声をかけてきた。
「だねぇー」と頷いておく。
激しい議論はそれから数分続いた。
「ありがとうございましたっ!」
ドアががらりと開いて頭から湯気をプンプンと出した銀千代がおばさんと共に出てきた。
「お話にならないよ、まったく!」
頬を膨らませて、おばさんに愚痴っている。おばさんはというと珍しくげっそりしていた。いつもの貴婦人めいた印象はない。娘の暴走に疲れきっているようだ。
「あっ、ゆーくん!!」
見つかってしまった。
「えへへ、銀千代が終わるの待っててくれたんだね! ありがとう! じゃあ、一緒に帰ろ!」
目をハートマークにして駆け寄ってくる。親の前でよく恥ずかしくないな、こいつ。
「ちげぇよ。次、俺の番なんだよ」
「うん、知ってるよ! じゃあ、待ってるから終わったらデートしよっ」
「しないよ。面談終わったら、さっさと帰るから」
「じゃあ。ここで待ってるね」
「人の話きけよ、おい」
いつも通りのやり取りをする俺たちの横で母さんとおばさんが挨拶を交わし、世間話を開始していた。
「宇田川さん、どうぞー」
「あら、もうかしら」
担任から呼ばれた。
「それじゃあ、また」
母さんがおばさんと銀千代に会釈して立ち上がる。
何だかんだで緊張してきた。普段の生活態度とか言われるのかな、俺は変な行動取っていないと思うけど……。
教室のドアをノックして、先生の返事を受けてから、中に入る。
スッキリ片付いた教室の中心に机と椅子が人数分置いてあった。先生の正面に座る。
「本日はよろしくお願いします」
母さんと共に頭を軽く下げる。ドキドキだ。
「はい、よろしくお願いします」
先生は俺の進路志望調査表と定期考査の結果表を見比べ、「ふむ」と小さく唸った。
「宇田川くんは授業も真面目に受けていて、各教科の担当からの評判も概ねいいです」
「そうですか。ありがとうございます」
「ちょっと私語が多いのと、交友関係に関しては難ありかも知れませんが……」
銀千代のことだろう。母さんもそれがわかっているからか、先生と目を合わせて苦笑いを交わしあった。
「まあ青春のカタチは人それぞれということで……」
「そうですね」
乾いた笑いでその場を流してから、先生は「さて」と本題に入った。
「宇田川は進学を希望してるんだよな?」
「はい」
特にやりたいこともないけど、とりあえず大学には行っとこうと思っている。大抵の人がそうだろう。俺だってそうだ。
「そうか。なるほどな。そうなると、うーん」
「なにか問題が……?」
唸る担任に、母さんが恐る恐る尋ねる。
「率直に申し上げますと、今の学力だと志望している大学は少し厳しいですね」
「……」
「校内模試の結果で考えると第一志望に受かるためには相当努力しないと難しいかもしれません」
「……」
銀千代は余裕と言われていたのに……。
「安全牌を狙うならもうワンランクさげたところを目指した方がいいかと」
「なるほど」
「……」
銀千代は余裕と言われていたのに……。
なんでだ、あいつ、あんな……。
「だから、銀千代はゆーくんとおんなじ大学いくのっ!」
おばさんと廊下で進路について言い合いをしているらしい。銀千代の声が中まで聞こえてきた。
「あっ、すみませーん、面談中なんでお静かにお願いしますー」
「し、失礼しました」
担任の呼び掛けにおばさんが恥ずかしそうに返事した。
「ゆーくんのいない大学は大学じゃなくて、豚小屋みたいなものだよ、大体、大学は勉強するところじゃなくて、いかに遊ぶかなんだから、学力なんて関係な……」
ボリュームを全く抑えず母親に反論しまくる銀千代の声がどんどんと遠くなっていく。どうやらおばさんに引きずられているらしい。頼むから、そのまま遠くに行ってくれ。
学力なんか関係ない、か。なんて素敵な言葉だろうか。来年受験生じゃなかったら大きく頷く台詞だが、今の俺には少しばかり耳が痛い。
くそう、なぜだ、なぜあいつはあんなに、バカなのに……、
「で、宇田川、志望ランクを下げる話なんだが……」
頭はいいのだろうか……?
恥ずかしさと悔しさで拳を握る。
はやく帰って寝たかった。




