第45話:十一月、牢獄、デスゲーム
校舎にチャイムが鳴り響く。
放課後を告げる鐘だ。一日で一番至福の時間かもしれない。
鞄を持って立ち上がったら、隣の席の銀千代に、
「ゆーくん、放課後ちょっと付き合って」
と頭を下げられた。特に予定も無かったので、二つ返事でついていったら体育倉庫に到着した。
「なにしにここへ……?」
先日、雑司ヶ谷くんにボコボコにされた苦い思い出が甦る。個人的にはトラウマなので近寄りたくなかった。
「うん、備品の整理にきたんだよ」
校庭の隅っこにあるプレパブ小屋だ。
試験一週間前なので、部活動が停止になっているせいか、校庭に人気はなく静かだった。
「手伝ってくれると嬉しいな…、お礼もするよ」
背後の俺に一瞥もくれることなく、銀千代は体育倉庫のドアに手をかけた。がらがらとスライド式のドアが開き、室内に光が入る。鍵はかかっていなかった。
よどんだ空気が流れてくる。
「さ、中に入って」
「待て」
嫌な予感がした。
先日の汗と埃とカビの臭いが、フローラルなファブリーズに変わっていたからだ。
「……なんでお前が備品整理するんだ?」
「頼まれたの」
「誰に?」
「……先生」
「なに先生?」
「……山田」
「そんなやついねぇよ」
「……佐藤」
「佐藤もいないからな」
「高橋」
「あー、タカセンに頼まれた?」
「うん!」
「高橋なんて先生いねぇよ」
かかったな、アホが!
「……」
「なにを企んでやがる」
「なにも企んでないよ。あ、斎藤先生だ! たしか、いたよね!」
「斎藤は校長だ」
「ねっ。そうそう、頼まれたんだよー」
「なんで校長が女子に体育倉庫の整理をお願いするんだよ。なんか変だぞ。本当に依頼されたのか?
「ウン。ソウダヨ」
「こっち見て言いやがれ」
銀千代は静静と振り返った。
分かりやすいぐらいに目が泳いでいた。俺以外の他人に興味ないから器用に嘘もつけないのだ。
「まあ、仮に先生から備品の整理を頼まれたとしよう」
「か、仮に、じゃないけどね」
「整理ってなにするの?」
「……ボール数えたり、ポールの数を数えたりとか、あと、なんか、数えたりとか」
数えてばっかだな。
「手ぶらでか? 普通チェックシートとかあんじゃないのか?」
「……」
銀千代はしばし無言になって、
「あ、中。体育倉庫の中にあるんだよ!」
と手を合わせて、にっこりと微笑んだ。
「だからね、ほら、はやく入ろう」
「チェックなんて一人でできるじゃん」
「二人だとすぐ終わらせられるんだよ!」
「……まあ、たしかにその通りだな」
「重いものとかあるから、男手がほしの」
「この状況で?」
ギプスのついた右手を掲げる。絶賛骨折中である。だいぶ治ってきたが、動かすとまだ痛い。
「あ……」
言い淀む銀千代。詰めの甘いやつだ。
「えと、じゃあ、本体として、右手の活躍を見守ってて」
遠隔自動操縦型のスタンドかな。
「ここで見守ってるから早く整理終わらせろよ」
ポケットからスマホを取り出し、まとめサイトを眺めることにした。左手だとやっぱり操作しづらい。
「……」
銀千代はというと恨めしそうにこちらを見ている。申し訳ない。右手が普段通りに使えたら手伝ってあげてもよかったのだけど。
「あれ?」
なぜか圏外だった。
「ん?」
たしかに今月ギガ使いすぎたけど、一本もアンテナ立たないなんてことあんのか?
「んー?」
スマホを掲げてくるくる回っていたら、
「お外は寒いから中に入りなよ」
と銀千代が素知らぬ顔で提案してきた。
「いや、いいよ。中狭いし、俺はここで」
たしかに寒いが我慢できないほどじゃない。少し前からコートを羽織るようにしたのでわりと耐えられる気温だ。
「大丈夫だよ。近い方がいいよ」
「よくないだろ。そんな狭い空間に二人いたら動きづらいだろ」
「いいから、中に入ろうよ。ゆーくん、すごいよ、ほら、なんか、えっと、珍しい道具がたくさんある」
「なにがあるの?」
「ボールとか、ポールとか、あとマットとか、石灰とか。すごいものたくさんあるから、来て見て!」
なんも珍しくないよ。
「そう」
なんとなく読めてきたぞ。
執拗に俺に体育倉庫の中にいれようとしている辺り、かなり周到な罠が仕掛けられているに違いない。
目に見える鼠取りに自ら足を突っ込むアホはいない。
一つの疑問は銀千代も中に入っているところだ。
即死系の罠では無さそうだが。
「銀千代はゆーくんが見守っててくれるとパフォーマンスが30パーセントアップするの」
「ここから見守ってるって」
「近ければ近いほどパーセンテージは上がっていくよ」
「今ぐらいの距離で十分です」
「……んもう、意固地なんだから」
銀千代は大きくため息をついて体育倉庫から出てきた。
「どうした?」
「諦めたの」
「なにを?」
「ゆーくんと体育倉庫に閉じ込……あ、ちがくて、えっと、備品整理するのを諦めたの」
「やればいいじゃん。先生から頼まれたんだろ」
「……きっと他の人がやるよ」
「テキトーなやつだな」
あきれて、ため息をついたときだった。
「あれぇー。銀ちゃんとトワさん、こんなとこでなにしてんのー?」
花ケ崎さんが手にボールを持って現れた。よく会うね。ここで。
「いや、特になにもしてない」
「……こんな人気のないとこで?」
「まじでなんもしてない」
何してるのか俺が教えてほしいくらいだ。
「またまたぁ……ほんとは逢い引きでしょー。お邪魔したかにゃあー」
と花ケ崎さんは照れ照れ言いながら、体育倉庫に入っていった。
「花ケ崎さんはなにしてるの?」
「ん? 部室にボールがあってさ。しまい忘れたみたいだから返しに来たの。部長なのにコキ使われてんの、ひーどーくーなぁい?」
「ふぅーん……」
曖昧な返事をしながら、なんとなく体育倉庫の扉を閉めてみた。
「あ、ダメだよ、ゆーくん」
がちゃり、とドアが閉まる。横の銀千代が「あちぁー」とおでこに手を当てた。なんだその古典的アクション。
「ん? なんでドア閉めるのさぁ」
ボールを篭にしまい終わったらしい花ケ崎さんが笑いながら、ドアに手をかけた、らしい。
「ん? んん?」
ガチャガチャと音がするが、開くことはなかった。
「あれ、なんか開かないんだけど……そっちで押さえてるの?」
「いや、押さえてないけど」
直立不動の状態でドアの閉まった体育倉庫を眺める。中から花ケ崎さんの焦り声がする。
「はぁー? でも開かないよ。え、ちょっと、冗談やめてよ! ちょっと!」
ガンガンガンとドアを叩く音がした。
「え、まじで開かないの? 冗談だろ? 鍵がかかってんじゃない?」
「トワさん、銀ちゃん、開けっ……ん? なにこれ」
俺の横からニュッと白い腕が伸びて、体育倉庫のドアを事も無げにスライドさせて、開けた。
「は?」
鍵は開いてたみたいだ。
なんだ?
花ケ崎さんのドッキリか?
と疑問に思っていたら、銀千代が小さく囁くような声で、
「内側からは開けられなくて、外からは開けられるように改造したんだ」
パニックルームかな?
「……なんのために?」
「えっと、……ちょっとしたサプライズ?」
サプライズで学校の設備を改造すんなよ。
呆れてため息をついたら、敷居の向こうの花ケ崎さんと目があった。
「ごめん、花ケ崎さん、なんか巻き込んじゃって……」
「え、あ」
呆然としていた花ケ崎さんはこちらを見て、
「いや、えっと、あ、あはははは……」
顔を真っ赤にして、
「あ、なんか、ごめん、こっちこそ……あ、あははは」
ひきつった笑みを浮かべた。視線が合うことは無かった。
そのまま花ケ崎さんは「あ、じゃ、じゃあね!」と軽く手を振って、駆けていった。
なんだか様子が変だった。
「……なんだ、あれ」
恥ずかしいのか、照れているのか、見たこともない表情だった。
彼女の身になにが起こったのだろう。
なんとなく気になったので、中に入らないように細心の注意を払いながら、上半身を傾けて、体育倉庫内部を見てみる。
以前のような不快な臭いがなくなったぐらいで、別に普通の……ん?
内側のドアの上。
横断幕のような感じで、
『セックスしないと出られない部屋』
と書かれた旗が提げられていた。
「……」
呆れて物も言えない。
「イタター!」
「うおっ!」
背中をどんと押されたが、ヘリを左手で掴んでいたので、辛うじて中に入ることはなかった。
「な、なにしやがる、銀千代!」
「ご、ごめん、ゆーくん、ちょっと躓いちゃって」
ぜったい嘘。背中からタックルして、俺をむりやり中にいれようとしやがったな。
「お前には無いのか、恥じらいが……っ!」
「こ、転んじゃったんだから仕方ないじゃん……」
「下手な演技はやめろ。体育倉庫にクソみてェな旗かかげやかって……」
「クソみたいな旗?」
銀千代は俺と同じように体育倉庫の内部を見渡して、
「キャァー、なにこれー。えー、嘘でしょー、キャァー」
と、さも今はじめて見つけました風に叫んだ。
「白々しい演技やめろ」
一歩でも中に入ってたら命はなかったに違いない。
危ういところだった……。
「演技じゃないよ。銀千代はこの件に関して一切関与していないよ。あとどうでもいいかもしれないけど、今日大丈夫な日だよ」
なにいってんだコイツ。
「……他の人の迷惑になるから、これちゃんと元に戻しとけよ」
「はぁい……」
いたずらがバレた子供みたいにムスッとして頷いた。
とりあえず今は自らの危機管理能力を誉めておこう。




