第7話:七月の花はそぞろ芽吹く
靴箱のなかに手紙が入っていた。
どうせまた銀千代からだろうと、手紙をひっくり返す。差出人の名前をよく見ると、『花ケ崎夏音』と書かれていた。
「え?」
花ケ崎さんはクラスで一番イケイケの女子で、全男子憧れの的だ。
「……」
十中八九イタズラだろうけど、万が一ということもある。
「ちょっとでも花ケ崎さんの可能性があるなら見捨てることはできないな」
手紙には一言、『地学準備室に来て下さい』とだけ綴られていた。
「おじゃましまーす……」
日はまだ高く、夏の足音が聞こえてくる梅雨明けの夕暮れ。
呼び出された地学準備室は、何の授業で使用するのかはまったく不明な教室だった。
そーっと扉から中にはいると、窓辺に腰かけて、スマホをイジる花ケ崎さんと目があった。
え、まじ!?
「おー」
花ケ崎さんは俺に気がつくとスマホを鞄にしまい、軽く右手を挙げた。
「ちーす」
「ちっす」
「……」
短い挨拶のあと、しばし沈黙が落ちる。
え、まじ?
まさかの大逆転勝利?
高校に入学して三ヶ月、何事なく過ぎ行くだけの年月に彩りが与えられるのか。
「え、それで、話って?」
白々しく尋ねると、
「つうかさ、なんでラインやってないの? 手紙で呼び出すとか不良みたいでヤなんだけど」
不機嫌そうに別の質問をもらった。
「あ、いや、やってるんだけど、なんでかわかんないけどメッセージが届きづらいみたいなんだ」
たぶん犯人は銀千代だ。あいつが謎のプログラムを組んで俺に届くメッセージを検閲しているのだ。女子からラインが来ないのはそのせいなのだ。きっと、そう、たぶん、間違いなくッ!
「ふーん。あっそ、まあいいや。それよりさぁー、一つ、聞きたいことあんだけど」
花ケ崎さんは少しだけ照れたように俺を見据えた。
長いまつげに大きな瞳。
少し厚ぼったい唇から、愛の告白が、
「オンラインゲームやってた?」
「え?」
は?
オンライン??
ゲーム?
なんのはなしだ?
「いやさ、アタシ、中三のときFPSにはまっててさ、そんとき一緒にプレイしてた人に、声にてんだよねぇー」
記憶がよみがえり、
媚びるところない柔らかな声が鼓膜を震わせる。
「え、まさか、【花*花】さん?」
「おー、じゃあ、やっぱりあんたが、【夕闇の翼】」
首肯する。
ちょっと痛い名前をつけるのは仕方ないのだ。
ゲームを始めたときは中学二年生、キャリアハイだったから。
「おー! マジ? 奇跡じゃん!」
花ケ崎さんは手を叩いて喜びを表現した。
「めっちゃ久しぶりじゃん! 最近なんでインしてないの? 新イベ始まったよ!」
毎日学校であっていたが、夕闇の翼として会うのは久しぶりである。
「ゲーム機が壊されてさ」
去年の十一月。受験戦争の狼煙が上がり始めたころ、銀千代の手によって、俺のプレステ4は破壊された。
誕生日のときに弁償してもらったので良しとしていたが、クラウドに保存されてるゲームのデータとかは周到に削除されていた。
アメリカだったら訴訟もんだと思う。
「え? まじ? なにがあったん?」
花ケ崎さんが心配そうに首をひねった瞬間だった。
「あっ、ゆーくん、いた」
諸悪の根源が、天使のような悪魔の笑顔で現れた。
背後でドアが開き、手にたまごっちみたいなものを持った銀千代は、地学準備室に顔を覗かせると、ぷっくりと頬を膨らませた。
「もおう、校門で待ってたのに来ないから迎えにきたよ」
ウインクされる。ちなみに待ち合わせなどしていない。
「……お前、なんで俺の場所わかったんだよ」
「なんでって、二人の小指から伸びる赤い糸を辿っただけだよ。……」
照れたようにうつむく。言ってて恥ずかしくなるなら黙ってろ。
「その手に持ってるのなんだよ」
「……これ?」
たまごっちみたいなのを掲げて、少し慌てた風に肩にかけた鞄にしまう。
「ドラゴンレーダーだよ。世界でいっとーふしぎな奇跡だよ」
「……」
GPS探知機か?
「それより、ゆーくん早く帰らないとドラゴンボールの再放送見逃しちゃうよ? 第百二十二話、ボクの父親はベジータです…謎の少年の告白」
次回予告でネタバレやめろ。
「つうか、べつに見てねぇよ!」
毎週欠かさず見てるけど、誰かの前でそういうことは言わないでほしかった。
ちらりと窓辺の花ケ崎さんを見たのに気づいたのか、銀千代は「あ」と口を大きく開いた。
「この女、なに?」
自分の世界に浸っていたらしい銀千代は、ここに来てようやく花ケ崎さんの存在に気付いたらしい。
ドラゴンレーダーをしまったばかりの手を鞄から引き上げたとき、なぜか工作用のデカいカッターが握られていた。
「アタシは花ケ崎夏音。同じ一年二組で……」
「あなたには聞いてないよ。ゆーくんに聞いてるの」
チキチキチキ……と音をたてて、カッターの刃を出していく銀千代。目が死んでる。
「会話の前に、それ、しまえ……」
怖いから。
チキチキチキ……と刃が仕舞われていく。俺に対しては無駄に素直だ。
「花ケ崎さんはクラスメートだ」
「知ってるよ。花ケ崎夏音。五月十五日生まれ、十六歳。血液型はO型。得意科目は英語で苦手科目は国語。好きなものは味噌ラーメンで嫌いなものは杏仁豆腐。カレシなし。分け隔てなくクラスメートに接する姿から評判は高いものの、理数系科目が苦手のため、成績はあまりよくない。危険度はBランク」
「危険度って、なんの?」
「ゆーくんに近寄る羽虫の危険度ランク。キメラアントレベル」
もっと高くても良くない?
と、若干思ったが言えなかった。
「それより銀千代はこの女がなにしに来たのか聞きたいな」
銀千代の瞳は暗く真っ直ぐに花ケ崎さんをとらえている。
「ちょ、ちょっと、まってよ。アタシはべつに……」
花ケ崎さんが一歩前に進んだとき、
「ソーシャルディスタンスッッ!!」
銀千代が口角から泡飛ばしながら叫んだ。きたねぇ。
「やっぱり外の世界は危険がいっぱいだね。ちゃんと銀千代が管理して、ゆーくんが危ない目に合わないようにしないと……」
ぶつぶつと呟いている。一番危ないのはお前だよ。
「まあ、いいや。この女がなにをたくらんでいようと銀千代がしっかり守護ればいいだけの話だもんね。任せといて。 さてとゆーくん早く帰ろう。ほら、手だして」
にぎにぎ、と指を世話しなく動かしている。手を繋ぎたいらしいが、お断りだ。
「先帰ってろよ」
「なんで?」
「花ケ崎さんが俺に用あるっていうから」
「ないよ」
「お前は花ケ崎さんじゃねぇだろ。早く帰れよ」
「花ケ崎さんに出来て銀千代に出来ないことはなんにもないよ。頭脳も容姿も身体能力も花ケ崎さんと同等以上にやってみせるよ。もちろん夜の相手だって……」
「そういうことは言ってないだろ。いいからもうお前引っ込んでろよ」
「むむむ……」
銀千代は悔しそうに唇を尖らせていたが、やがて、あきらめたように肩をしょげた。
「わかったよ。でも、せめて間には入らせて……」
スッ、と俺と花ケ崎さんの間にナチュラルに入る銀千代。状況が混沌としてきた。
ぽかんと状況を眺めていた花ケ崎さんは戸惑いがちに口を開いた。
「えーと、あのさ……」
「待って!」
何かを話しかけた花ケ崎さんの唇を人差し指でふさぎ、銀千代は眉間にシワ寄せながら続けた。
「あなたの声がゆーくんの鼓膜を震わせることすら不快だから、銀千代が仲介するよ」
「え、どういう……」
「あなたは銀千代の耳元で囁くだけでいいよ」
「……全然意味わかんないんですけど」
ポツリと呟いた声を頷きながら聞いていた銀千代は、
「全然意味わかんないって言ってるよ!」
笑顔で俺に花ケ崎さんの発言を伝えてきた。
「まじで意味わからん……。お前はなにがしたいんだ?」
「お前はなにがしたいんだ? ってゆーくんが聞いてるよ」
「銀千代に言ったんだよ……」
通訳か。
花ケ崎さんは少しだけ愉快そうに肩を震わせると、銀千代の耳元を両手で包み込むように隠し、何事かを囁いた。さすがリア充、対応が柔軟だ。
「ふむふむ」
それを真剣な表情で頷きながら聞いていた銀千代は、
「ゆーくんへの用事はFPSやってたかどうかを聞きたいだけだったからもうすんだって言ってるよ」
にこにこと通訳してきた。
「ええ、それだけかよ……」
俺の発言を受け、花ケ崎さんはにこにこしながら、再び銀千代の耳元で何事かを囁いたが、
「それは許しません」
俺より先に銀千代が返事をした。
「ゆーくんはもうピコピコをしません。大切なリアルを知っているのです。いい加減、大人になれよ、って」
「お前が俺の人生を決めるな」
銀千代をなんとか引っ込めようと肩をつかむが、意地でも動きそうになかった。華奢な体つきのくせに、ジムで鍛えているらしく筋力は無駄にあるらしい。
「んんー!」
くっ、岩かよ。
「くっそ、おまえ、どけよ……っ!」
「ゆーくん、ダメだよ、無理矢理は。二人の間に合意がないと」
花ケ崎さんに抱きつくように離れない銀千代。もはや狂気だ。
渦中にいながら、心底面白そうに花ケ崎さんはケラケラ笑っている。
「ええー、いーじゃん、またやろうよー。最近新しいミッション増えてすげー楽しくなってるんだよ」
「ダメです。勉学の邪魔です。花ケ崎さんだって勉強したほうがいいんじゃないかな」
「あ、銀ちゃんアタシの名前よんだ!」
「銀ちゃん?」
「アタシめっちゃファンなんだよねー、ほらー」
銀千代を優しく振りほどいて、花ケ崎さんは鞄から雑誌を一冊取り出して開いて見せた。
若い女の子向けのファッション雑誌で、パステルカラーが眩しい見出しページには、ポーズを決めた銀千代が笑顔を振り撒いていた。
『今年の夏はこう決める! 銀ちゃんオススメのコーデはこれ! 愛しのカレを落とす10の方法!』
吐きそうになった。
意図的に見ないようにしてきた銀千代の芸能活動の一ページだった。
カリスマ読者モデルともて囃される銀千代は、こうしてみてみるとやっぱり美人だった。
「同じ学校って知ってから、めっちゃ話したかったけど、全然つかまんないから夕闇さん呼び出して正解だったよー」
パタンと雑誌を閉じて、今度はスマホを取り出す。
「写真撮っていい?」
にかりと歯を見せて笑う。
銀千代の狂気を目の当たりにした人とは思えない反応だった。
「別にいいけど……」
完全に花ケ崎さんのターンだ。銀千代が外行きの面になってる。
精神的にダメージを追うと猫をかぶり始めるのが銀千代という少女なのだ。
「いぇーい」
ぴしゃあ。と写真撮って、
「インスタあげていい?」
とニコニコとスマホを操作している。
「ゆーくんに近づかないって約束してくれるならあげていいよ」
「おけー」
軽いノリで受け、銀千代と花ケ崎さんのツーショットはインターネット上に上げられた。
まるで仲良し姉妹のようだ。
それから、銀千代と花ケ崎さんは友達になり、俺は友達をうしなった。
花ケ崎さんが結んだ銀千代との契約により、俺の半径二メートルに近寄れなくなったのだ。
事務的な連絡を除き、個人的なやり取りは完全に禁止され、俺の仄かな青春の萌芽は見事に踏み潰されたのだった。