第41話:十月にかつての面影をみる
「秋だね!」
金曜日の下校中。
友達の松崎くんと別れて数秒、背後から銀千代に声をかけられた。
驚異のエンカウント率。もし装備に黄金の爪があるなら直ぐに捨てたいところである。
「気温も落ち着いてるし、絶好のデート日和だねぇ」
「そうかもな」
ちょうど土日はなにしようか、考えていたところだ。
「ゆーくん、デートしよ!」
「しない。ゲームするから」
こないだ発売したドラクエが本当に面白いのだ。
俺の発言に銀千代はぶぅたれた。
「どこか行こうよ。銀千代はねぇ、水族館か動物園に行きたいなぁ。あ、もちろんゆーくんが行きたいところが銀千代の一番行きたいところだよ!」
陽射しは柔らかく空気は澄んでいる。風は穏やかで天気も良い。広がる青空に気分も高揚してくる気持ちはわかる。行楽日和とは今日のことを言うのだろう。
だとしても。
「行かないって。歩き回るの疲れるし」
「ゆーくん、大人になる前に色んな経験しておいた方がいいよ。それにさ、経済を回さないと、日本が崩壊しちゃうんだから!」
一理あるかもしれないが、金も時間もやる気もないので、彼女の提案は却下なのである。
「一人で行けよ」
「あらあら、ゆーくんったら……。デートは二人でするもんなんだよ」
なんで行くことになってんの?
「いや、行かないって言ってんじゃん。人の話聞けよ。行楽シーズンだからってみんなが一斉に外出したら混むだろ。人混み嫌いなんだよ」
「じゃあ、二人きりで落ち着けるとこ行く?」
ちょっとアンニュイな雰囲気で言われた。一瞬心臓が高鳴ったが、小さく深呼吸し、我を取り戻す。
「一人きりで落ち着ける自宅が最高なんだよ。ほっといてくれ」
「おうちデート?」
「一人きりで!」
「一人より、二人の方が気持……楽しいと思うな」
もうやだこいつ。
「それにスポーツの秋って言うしさ。運動しようよ。あ、運動といえばさ、全然関係ないんだけど、高速道路のさ、出口のところに、お城みたいな建物があるんだけどさ、あれのさ、中がどうなってるのか、ずっと、気になってたんだよね。いい機会だしさ、確かめに行こうよ」
なに言っているのかわからなかったが、どうせろくでもないので、あえて突っ込まないことにした。今日の銀千代はいつもにましてアプローチがしつこい。なんか悪いものでも食べたのだろうか。
「行かない。それに数学の宿題をしないといけないから、暇ないんだよ」
今日の三時間目に渡されたやつだ。根っから文系の俺にはなかなかきつい。マイナスとかつくとまじで意味がわからない。
「それなら銀千代がやっておいたよ。筆跡も完璧だし、ゆーくんが間違えそうなところはわざとミスして、適度な点数になるように調整してあるから、安心してね」
「……あ、ありがと」
感謝した方がいいのだろうか?
俺の知能低下の要因になってやしないか?
まあでもお陰で遊べる時間が増えたと思おう。
「さぁ、これで憂いはないね。さっそく動物園に行こう! 銀千代、レッサーパンダが見たいなぁ。ふーたくん、ふぅたくん、風太くん!」
謎にリズムをつけて、銀千代はステップを踏んだ。
「いまから行ったって一時間も見れないで閉園だろ」
「あっ、本当だ。もうこんな時間……ゆーくんといるとすぐ時間が過ぎちゃうね」
頬を赤らめて言われたが、学校で授業を受けていたのだから当たり前だ。
「じゃあカラオケに行こうよ。銀千代のスペシャルライブにご招待します! 今まで内緒にしてたけどね、銀千代には、絶対音感があるんだよ」
「嘘つくな」
「ララミソラ」
「は?」
「ファ」
!?
俺の言葉に音階を当てはめている?
「あいうえお」
「ミソラドド」
「……ドレミファソラシド」
「ミミファソラシソラ」
はい、絶対嘘。
こんなしょうもない冗談に誤魔化される俺ではない。
なんとしても家に帰らなくては。
「いや、ちょっと、今日は部屋の掃除しようと思ってたから……」
「それならもう銀千代がやっておいたよ」
「は?」
銀千代の瞳は揺らがない。
「そんなバカな。おまえずっと俺と一緒だっただろ」
「四時間目の体育の時間だよ。今日は保健室に行くふりしてゆーくんのお部屋に行ったんだ。シャツはアイロンがけしておいたからね」
「いやいやいや、なに勝手に部屋はいってんの?」
「ゆーくん、和子さんはパートで忙しいんだよ。少しはお手伝いして負担減らしてあげないと」
「いや、他人の母親の家事手伝うって異常だからな! 自分ちの家事を手伝えよ!」
「よそはよそ、うちはうち!」
「それは俺の台詞だよ! 人の家に干渉すんなよ!」
「そんな寂しいこと言わないで。和子さんは銀千代のお義母さんでもあるんだから……」
「違うから!」
銀千代はニコニコと頷いてから、続けた。
「ともかく問題解決だね。じゃあ、水族館にしよう。まだ閉館時間までだいぶあるし、ゆっくり見られるよ。銀千代、チンアナゴがみたいんだぁ。チンアナゴー、チンアナゴー、チン」
銀千代は謎のステップを踏んだ。
俺のMPが吸収された、気がした。
「……いや、母さんから庭の植物に水あげるように言われてたから、そんな時間ないや」
嘘である。
「それなら銀千代がやっておいたよ」
嘘だろ?
「……水槽の魚にエサあげないとだから」
「銀千代やっておいたよ」
「……レンジフードの掃除しないとだから」
「銀千代やっておいたよ」
「足の爪を切らないと……」
「銀千代やっておいたよ」
「えっ?」
確認するのが怖いので見ないことにした。昨日の晩に、伸びてるなぁ、と思ったのは確かなのだけど。
「……おまえ、なんならやってないの?」
「ゆーくんの不安の種は全部摘んでおいたはずだから安心してね」
一番の不安の種は狂気に満ちた笑みを浮かべて、両手を広げた。
「ゆーくんはなにも心配する必要ないよ。銀千代に任せておいてくれればいいの。それで全部がうまく行くから……。なにかしたいことはない? ゆーくんの望みなら全て叶えてあげるから」
「家に帰って寝たい」
「添い寝、してあげるね」
俺の望み叶えてくれないじゃん。
「あ、そうだ。松崎くんから漫画借りたからそれ読もうと思ってたんだ」
「なんてやつ?」
漫画のタイトルを告げたら、
「あの火の人、死んじゃうよ」
とネタバレ食らった。
「なんか急に敵の強い人が来て、負けちゃうの。ショッキングな描写が多いから心して見てほしいな」
「おま、ふざけんな。なんてことを!」
「ゆーくんが傷つかないように、ゆーくんが触れそうなコンテンツは予め検閲するようにしてるの。この世のあらゆる残酷な事からゆーくんを守ってあげたいから」
「……楽しみにしてたのに……」
「うん。だから、覚悟しておいたほうがいいと思うな。だけど、ゆーくんが言うほど、あの漫画面白いかな? たしかに光るものは感じるけど、残酷な描写が多いし、子供受けしないから、そこまで大ヒットはしないと思うよ」
うるせぇ。それでも俺は好きなんだよ。
「もういい、俺は家に帰る」
「そうだね。今日はおうちに帰って、明日の朝デートに行こう」
「いや行かないって何回言ったらわかるんだよ」
「行きたくないの?」
ちょっと潤んだ瞳でじっと見つめられた、くっ、必殺泣き落としだ。
「おまえ、今日どうしたんだよ。なんか様子が変だぞ」
変なところはいつも通りではあるが、いつも以上に引っ付きたがる、そして、しつこい。
俺の言葉を受けて、銀千代はハッとしたように口を開けた。
「やっぱりゆーくんはわかっちゃうか」
「なにがだよ」
「実はね、銀千代」
小さく呟くみたいに声を潜めて、彼女は俺の耳元で囁いた。
「大人の女性になったんだ」
「ん?」
「えへへぇ。もうゆーくんとの赤ちゃんを生めるんだよ」
「……ん?」
なに言ってるんだろう、こいつ。
ハテナマークを飛ばす俺に銀千代は仄かに微笑んで、続けた。
「銀千代のおうち、こないだお赤飯でした」
知らねーよ。
「なんの報告だよ」
俺の反応を受けて、銀千代はにんまりといたずらっ子のような笑みを浮かべて、
「ゆーくんのことがとっても大好きなんだよ」
何十回目かの告白をしてきた。
何度受けても照れてしまう。
なんとか平静を保ちつつ「ほーん」と返事をする。
「それでね、ゆーくん。実はね。今日、銀千代のうち、親がいないんだ」
「え?」
「父様と母様もお仕事でおうち留守なの」
「そ、そうなんだ」
「おうちで遊ぶ?」
「な、なに言ってんだよ。遊ばねーよ。女の家に上がったのがばれたりしたら噂されるだろ!」
「えー。ゆーくん、銀千代のことかまってよ。かまちょ」
「暇潰しの相手なら他を探してくれ」
「ゆーくん、かまちょ! かまちょ!」
しつこく引っ付こうとする銀千代を引き剥がしながらようやく自宅についた。やれやれだ。
これでようやく一息つける、とドアノブに手を伸ばしたら、俺が触れるより先にドアが開いた。
「あら」
母さんがギョっとしたように俺を見つめた。
「びっくりしたぁ。玄関前でなにしてんの……あんた達……」
銀千代は俺の腰にへばりついた状況で、「こんにちは! 和子さん!」と挨拶をした。
「あんた達もう小学生じゃないんだから、ところ構わずいちゃつくのやめなさい」
「気を付けます!」
まずい、誤解されてる!
「ちがう!」
慌てて否定の言葉を吐いたら、母さんは大きくため息をついて、バッグから財布を取り出した。
「はい、これ」
「ん?」
条件反射で母さんから差し出され三千円を受け取ってしまう。
「え、なにこれ」
お小遣いなら、月初に貰ったはずだ。
「あれ、言ってなかったっけ? 母さんこれから同窓会だから、お夕飯代よ。テーブルの上にピザ屋さんのチラシが置いてあるから。注文の仕方はわかるでしょ?」
「あ、そうだったんだ」
ラッキー。臨時収入だ。
「銀千代ちゃんと食べてね」
「ええ、なんで」
「頼まれたからよ。今日、銀千代ちゃんのお母さん、夜勤らしいから」
ちらりと腰の銀千代を見る。顔を埋めているので表情は読めなかったが、笑っているように思えた。くそ。
まあ、いい。テキトーに銀千代と一番安いピザ頼んで、お釣りで中古ゲームでも買おうと画策していたら、
「お釣りはちゃんと返しなさいよ。それじゃあね。一次会で帰るから、変なことしちゃだめだからね」
変なことってなんだろうか。
母さんは手を降って去っていった。
「行ってらっしゃい」
銀千代とハモりながら言う。
えー、お釣り返さなきゃいけないの?
あー、でも、こういう時、母さんわりとちゃんとしてるからな。ほぼ間違いなくレシートの提出を要求されるだろう。
受け取ったお金をとりあえず財布にしまう。
大金だ。
お釣りを返さなきゃいけないなら、限界ギリギリまで使わないと損である。
致し方ない。
「銀千代」
「なぁに、ゆーくん?」
ガバリと銀千代が顔をあげた。上目遣いだ。くそ、かわいい。
「ピザ、食うか」
「うん!」
最高の笑みで微笑まれた。
なんか負けた気がするが、なんにせよ美味しいもの食べられる俺が勝者だ。
とりあえず、ピザ楽しみである。




