第6話:十一月に去りし者
目覚めたら老朽化したバスルーム。
「なんだここ……」
空のバスタブの底で俺は横になっていた。
水垢がこびりつき、凄く汚い。
別に潔癖症じゃないけど、背筋がゾクリとした。不快感に顔をしかめながら、体を起き上がらせると、測ったようなタイミングで、風呂蓋の上に立て掛けられていたiPadに着信があった。
「……」
着信画面にはゲームマスターと書かれている。
寝起きでぼんやりとした意識のまま、応答ボタンをスワイプする。
「もしもし……?」
「やあ、ゆーくん、ゲームをしよう」
かすれた機械音声が流れた。ノイズ混じりだが、犯人の予想は大体ついた。
「銀千代か?」
「……ゲームマスターだ」
「どこだ、ここ。俺、昨日は確かにベッドで寝たはずだぞ。ついに拉致監禁に手を出しやがったな。こんなことしてもお前のこと絶対好きにならないから」
「レッツプレイゲーム!」
ちょっと気落ちしたような声音で謎の機械音声は続けた。
「君はかわいい幼馴染がいるにも関わらず、常にピコピコを優先してきた。そんなことでは愛は育まれない」
「付き合ってもねぇのに愛なんか生まれねぇ。つうか、これマジで犯罪だからな。どこなんだよここ」
「受験生にも関わらず、ピコピコを最優先する君を、親御さんはとても心配している」
「いきなり現実つきつけんなぁ……」
志望校の判定が伸び悩んでいるのだ。現実逃避くらいさせてくれ。
「そんなピコピコ好きな君に今日はいやというほどゲームを楽しんでもらいたい。そこは私が株で儲けたお金で買った廃墟だ。脱出できることを祈っている」
「おい、結局なにが言いた……」
ぶつん。と通話が切られる。
「ソリッドシチュエーションとかすこし流行りが遅いんだよ」
独り言が空しく響いた。
カビの臭いが鼻をつく。
ちゃんと消毒とかしてんのかな、ここ。
「まあ、いいや。寝よう」
あいつの相手をしてたら疲れるだけなので、二度寝を決め込むことにした。
バスタブで再び丸くなる。
ちょっと固いが眠れないことはない。なぜなら寝不足だからだ。夜更かししてゲームしているせいである。
すぐに心地のよい眠気がやって来たが、邪魔するように再び着信があった。
最初はシカト決め込んでいたが、出るまで鳴りやまなそうだったので仕方なく応答する。
ビデオ通話だった。
キツネのお面を被った銀千代がいた。
「ゲームマスターから一つ大切なお知らせがある」
「いや銀千代だろ。去年の修学旅行の時、お前がそれ買ってんの見たからな」
「げ、ゲームマスターだ」
「はいはいわかったよ。んで、なんのようだよ」
「時間制限がある。これを見たまえ」
画面がゆっくりと銀千代の背後を写し出す。
「あっ!」
俺のPS4!
「おい、なにしてんだお前!」
PS4の上には鎖で括られたボウリング玉が設置されていた。
「ボウリング玉は時間が来ると落下するようにプログラムされている」
「プログラムって、……」
徐々にカメラが移動し、全容が見えてくる。
鎖に繋がれた球は天井の梁を通して、たらいに置かれた氷の塊にくくられていた。
無駄に大仰なピタゴラスイッチ。
「なにもしなければ三時間後に氷は溶けて、球が落下し、君のピコピコは破壊される」
「マジでふざけんなよ! やっていいことと悪いことの違いもわからないのかよ!」
「親御さんの許可はとってある。ゆーくんが受験勉強をしない原因をピコピコと判断し、廃品回収に出そうとしていた」
「……」
ぐぅの音もでない。たしかに前々からゲームやり過ぎ、控えないと売り飛ばす、とは言われていたが、まさか本気だったとは……。
「だからって、勝手に人の部屋の持ち物を……」
「幼馴染の美少女が君のお母さんに「チャンスをあげて!」と懇願した結果、今回のゲームが生まれたのだ」
「はあ?」
「君が時間内に脱出できれば、ピコピコは無事に帰ってくるだろう。さあ、ゆーくん、ゲームがしたければ、私とゲームをしよう。選択は君次第だ!」
ぷつん、と通話が途切れる。
くそう、そういうわけだったのか。
仕方がないと立ち上がる。
『ガラス片とかで足を切らないように注意したまえ』
バスタブを跨ぐと、ご丁寧に俺のスニーカーが揃えて置いてあった。
過保護かよ。
とため息をつきながら、靴を履き、タイルの床を歩いて、ドアに手をかけようとしたが、開かなかった。
「は?」
取手が無い。取手があるはずの部分には直径数センチの穴が空いている。
そこから鎖が伸び、壁の穴をくぐってドアが固定されていた。
鎖には南京錠がかけられていた。数字が五桁揃えば外せるらしい。
「なんだこりゃ」
ガチャガチャするが、扉は開かない。
総当たりしたら、いつか出られるだろうか。鍵が外れる頃にはゲーム機はスクラップになってるだろうけど。
「ん?」
ドアにはめられた磨りガラスに文字が書かれていた。
綺麗な字だ。間違いなく銀千代の筆跡。
「問題文か、これ」
四字熟語の空白部分に当てはまる数字を語郡から選び、入力しなさい。
問一 一攫千□
「……」
語郡に目をやる、
1 金
2 銀
3 白
4 青
5 赤
なるほどね。
こういうかんじか。
俺は南京錠の一番上の数字を「1」にセットする。
余裕余裕。さあ、第二問だ。
問二 □株待兎
むっ、わからない問題だ。
語郡
1 攻
2 守
3 持
4 猫
5 犬
さっぱりわからない。
こういうときは飛ばして第三問だ。
問三 □波金波
語郡
1 青
2 赤
3 白
4 銀
5 銅
正確な答えはわからないが、こういうのは大抵、対になる言葉が正解なのだ。金の反対といったらたぶん四番の銀だろう。
問四 一日□秋
おっ、これは知ってるぞ。一日千秋だ。すごく待ち遠しい、とかそういう意味だ。
語郡
1 一
2 十
3 百
4 千
5 万
よし、正解は四番。
「ん?」
なにか奇妙だ。
これ……。
いままで出てきた漢字、金に銀に千……。
「!」
これの答えって「金守銀千代」。自分の名前じゃねぇか。
問五は問題を見ないでも、解答欄の「代」を選び、出てきた数字で南京錠の暗証番号を合わせる。
かちり、と音がして、鍵が外れた。
く、下らなすぎる。
こんなしょうもない仕掛けにどれだけの金と時間を費やしてるんだあいつ。
iPadを持って、バスルームを出ると、脱衣場があった。
足拭きマットの上にA4のわら半紙が落ちていた。
『極限状態こそ、真にすがるものがなにか明らかになる。キミの心の拠り所は誰か、よく考えてみてほしい』
「やかましいわ」
わら半紙をポケットに突っ込んで、脱衣場を出る。薄暗く長い廊下が延びていた。建物のデカさ的に、一般家庭ではなさそうだ。
げんなりしてきた。さすがに死ぬことは無いだろうが、あんまり気分がいいものではない。
ゆっくりと慎重に進むと、廊下の終わりに鉄扉があった。
「むっ」
ドアの前にテープレコーダーが落ちていた。拾って、見てみる。
「……」
使い方がわからなかった。
映画かなんかで登場人物が使用しているのは見たことあるが、実物を触るのは初めてだ。
「どうやって使うんだ?」
色々とごちゃごちゃいじっていたら、iPadに着信があった。
「もしもし?」
「さっきのわら半紙の裏側が取り扱い説明書になっている」
ポケットから足拭きマットの上にあった紙を取りだす。
「ああ、なるほど。つうかお前こっちのこと見えてんな?」
通話が切れた。天井を見ると監視カメラが設置されていた。
中指を立ててから、レコーダーを再生する。
「やあ、ゆーくん。扉の前に三つの箱があるだろう」
言われて気付いた。壁際に金銀銅の小さな箱があった。
「表彰台に乗ったことがなくても、人はそれぞれオンリーワンだ。だけど、どうしても順位を決めたくなったら、AuやCuではなくAgにするといい。偽物に頼った場合、プレステ4が設置してある部屋の温度があがる。氷が溶けて、球が落下するまでの時間はどんどん短くなるだろう。さあ、急ぎたまえ」
「なにいってんだ、こいつ」
ものすごい説明口調だが、頼るべきはエージーとはどういうことだろうか。
アルファベットのなんかの頭文字か。エーユーにエージーにシーユー。ん、いや、まて、落ち着け、
「あ、元素記号か」
Agは銀の元素記号だ。
頼るべきは……とか言ってたし、どうせまた銀千代を想起させる言葉を使っているのだろう。
銀の箱を開けると鍵があった。
鍵穴に差し込むと、容易く扉が開いた。
「か、簡単すぎる……っ!」
このゲームの難易度はベリーイージーだ。ゲームマスターがプレイヤーを甘やかしすぎている。ソリッドシチュエーションを模範してるなら、もっと難易度をあげた方がいい。いや、今回に限っては助かっているのだけど。
扉を開けるとまたわら半紙が落ちていた。
『こんな難しい問題を解くなんて天才だね!』
と、書かれていた。バカにしてるようにしか思えなかった。
拓けた空間に出た。
「あー」
どうやらここは工場らしい。
輪転機や床にはインクがこぼれた跡などがあった。
たしか、近所の川沿いに、リーマンショックの不況の余波で経営破綻した印刷工場があったはずだ。
ほぼ間違いなくそこだろう。
場所がわかったので、もはやためらうことはない。
非常口のマークをドデカいベルトコンベアーの先に見つけたので、大股歩きでそこに向かう。
非常扉は電子ロックされているらしい。うんともすんとも言わなかった。扉の前には金色と銀色のはや押しボタンみたいなものが置いてある。
とりあえず、どっちか押してみようとかがみこんだところ、
「あ」
iPadに着信があった。
「やあ、ゆーくん。更正のためのゲームを楽しんでもらえてるだろうか」
「俺が楽しそうに見えるんだとしたら眼科に行け」
「ところで、キミは愛すべき人がいるにも関わらず、ピコビコの通信機能を使って、女の人と仲良くしているみたいだね。それは非常によくない」
「なんで知ってんだよ……」
俺のプライバシー皆無か。
「そんなキミに本当に大切なものがなにかを考えてもらうためのゲームを用意した」
プツンと音がして、ビデオ通話に切り替わる。
「ん?」
「ゆーくん、助けて!」
鉄仮面みたいなものをつけた銀千代が椅子に縛られていた。
「……なにしてんの? おまえ?」
「あ、アニマルマスクをつけた男に拉致されて、気づいたらここにいたんだ! ゆーくん、ここどこだかわかる?」
「白々しい……」
銀千代の演技の下手さに失笑しそうになる。
『最期のゲームは簡単だ。君が大切だと思う方を選べばいい』
後ろ手に縛られた手でリモコンでも操作しているのだろうか。
ゲームマスター(笑)の音声が流れる。
『ネットで出会った顔も本名も実年齢すら知らない怪しい女との偽りの友情をとるならば金色のボタンを、君の事が大好きで、献身的で、顔もスタイルも性格も良く、才色兼備の幼馴染をとるならば銀のボタンを。キミはただ押すだけでいい、扉は開かれる。ただし、選ばれなかった方は破壊される。ピコピコがゴシャゴシャになるか、幼馴染の女の子の顔面がグシャグシャになるか、二つに一つ。選択は君次第だ!』
「……」
機械音声は終わり、しばし沈黙が訪れる。
どうしたもんか。
画面越しに銀千代をちらりと見る。
「仮面に爆弾がついてるみたい。たぶんゆーくんがピコピコ選ぶと銀千代の顔がグシャグシャになっちゃうんだと思う」
「そうか。大変だな」
「う、うん。で、でも、ゆーくん、銀千代のこと気にしなくていいよ! 例え仮初めとはいえ、ネットで知り合った同い年の女の子との友情も大切だと思うし、うん、銀千代はゆーくんがどんな選択とろうと嫌いにならないから安心して」
「そうか、ありがとう。プレステにするわ」
「え……」
心底絶望したみたいな暗い瞳で銀千代は俺を見つめた。涙で潤んでいる。
さすがに自分の顔を爆発まではさせないだろう、と思いながら鉄仮面を見てみるが、実際のところわからなくなった。
こいつなら、自らの端正な顔立ちを犠牲にすることも厭わないかもしれない。もはや狂気だ。
「……」
「……ゆーくん」
「はあ……」
ため息をつく、頬を涙が伝った。これは悔し涙か。それとも、受験勉強に挑むための覚悟の涙か。
銀のボタンを押す。
「ゆーくん……!」
銀千代の鉄仮面が外れ、嬉しそうな笑顔が咲き誇るとともに、じゃらじゃらと鎖が落下する音ののち、
ごしゃあん、と俺のプレステが壊れる音がした。からからからと部品が床に飛び散る音も。
最後の方は俺の嗚咽と混じって、なんの音か分からなくなった。
くそ、こいつ、まじで。
ピッと音がして、電子ロックされていた扉も解除されたらしい。
「やあ、ゆーくん。脱出おめでとう」
ゲームマスター(糞)の音声が流れる。
「多くの人は、与えられている愛に感謝しない。だが、キミは違う。今日からはな」
拍手の音がして、電子扉が自動で開かれる。秋の爽やかな風が俺の髪をなでた。
目映い陽射しに目を細める。金木犀の香りが漂っている。
「ゆーくん! ありがとう! 大好きだよ!」
「俺は、お前のこと、大嫌いだ……」
涙目で俺に感謝を告げる画面の向こうの主催者。
さらばプレステ。
真面目に勉強しよう、と、川のせせらぎを聞きながら、少しだけ思った。