閑話4:ヤンデレメンヘラかまってちゃん―その血の記憶 後
門から外に出る。秋の日は釣瓶落としとはよくいったもので、時間的には夕方なのに日没を迎え、どんどん暗くなってきていた。
はやく帰りたい、と思いながら車に乗ろうとしたら、
「うわっ」
突如として、ポールが叫んだ。
「どしたの? はやく帰りましょうよ」
「ゆーくん、大変だよ、ほら」
顔面を真っ青にして、ポールは地面を指差した。
「え、あ!」
タイヤがパンクしていた。
「オーマイガッ!」
しかも前輪後輪、四つとも。
「酷いな。悪戯か?」
ゴムがぺしゃんこになっている。山道を走ってきたとはいえ、四ついっぺんにバーストすることはないだろう。原因はわからないが人為的なものを感じる。
「どうするんですか?」
「ど、ど、どうしよう」
「あ、レンタカーだったら、借りたとこに電話するんじゃないんですか?」
「それだ!」
俺の的確な指示により、ポールはスマホで連絡を取り始めた。暇なので夜空を見上げる。郊外の空気は澄んでいて、一番星が綺麗に瞬いていた。
「今日は、来れないってさ」
しばらくしてから、ポールが通話を切って、言ってきた。
「はあ? どういうことですか?」
「鬼里は管轄外だから、乗り捨て対象じゃないらしくて、修理チームも手配しないとだから、明日の朝の対応になっちゃうんだって」
「ハアー? 俺、帰りたいんですけど」
こんなところで車中泊なんてしたくない。しかも大して仲良くもないヤツとなんて。
明日が土曜で学校が休みなのが不幸中の幸いだが、早く帰ってゴロゴロしながらゲームしたいのだ。
「あ! そうだ。JAFとか呼べばいんじゃないんですか?」
「僕、会員じゃない。いっぱいお金かかるから、ヤダ」
ヤダじゃねぇよ。
「えー、あ、じゃあ、パンク車だけ置いて僕らだけタクシーで帰りましょうよ。どのみち明日の朝、車はレンタカー会社が引き取ってくれるんだし」
「ここからだとタクシー代すんごいことになるからヤダ」
ヤダじゃねぇよ。
「俺も半分出しますから!」
「ゆーくん、落ち着いて考えてみて。ここで一晩明かせば、ただで帰れるんだよ。人為的な悪戯だから、レンタカー会社の人が今回の費用負担は無しで良いって言ってくれてるんだよ」
「はあ、そうなんですか」
だとしても俺は帰りたい。帰宅部の血が騒ぐのだ。それに、
「車中泊なんて絶対に嫌ですよ!」
寝心地悪そうな車だ。
「ゆーくん、そんなこと心配しなくて大丈夫だよ。まかせて」
くるり、とポールは踵を返すと、
「まさか」
銀野家のインターホンを躊躇うことなく押し込んだ。
「すみませーん、今晩泊めてくださいー!」
人任せかい。まさかのお泊まり交渉に俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。
お泊まり交渉はうまくいった。
「それは大変でしたね」と俺たちを再び出迎えてくれた希千代さんは、快く客間を一室貸してくれ、
「お腹もすいていることでしょう」
と夕飯まで出してくれた。いきなり不躾なお願いをした俺たちに対して信じられないほどのおもてなしだ。
「車に悪戯をしたのは地元の暴走族です。ご迷惑をおかけし申し訳ありません」と逆に頭を下げられたので、なんにも悪いことしてないのに罪悪感がすごかった。
夜。
お風呂まで借り、さっぱりした俺は銀千代に連絡を取ることにした。
着信125件と未読メッセージ455件とたまっているから、ではない。別にシカトしてもよかったが、あいつの親族のお世話になっているのだから、礼儀として伝えておくべきだと思ったのだ。
メッセージを作成している途中に銀千代から着信があった。
「あ、もしもし、ゆーくん。銀千代だよ。赤坂見附駅だよ。これから電車だからまたかけるね」
ぶつっと通話が切られた。
なんだこいつ、と思って、文字を打とうしたらまた着信があった。指の弾みで応答を押してしまう。
「もしもし、ゆーくん。いま東京メトロ浅草線のホームだよ。もうすぐ電車くるから、またかけるね」
切られる。
メリーさんかこいつ。
とりあえず、希千代さんのお宅にいるとメッセージを送り、スマホを機内モードにして鞄にしまった。親には友達の家に泊まると言っておいたし、なんだかんだで予期せぬ外泊に少しだけテンションが上がっている。
「ゆーくん、ゆーくん」
「なんすか」
いっしょに来ている人が友達とかなら楽しかったのだけど。
「せーので好きな女の子の名前言おうよ。いっくよー」
「寝ます。おやすみなさい」
やることもないので、すぐに床についた。
「せーの、……言ってよー」
となりの独り言がうるさかったが、そういうのには慣れっこなので、直ぐに寝ることができた。
……。
…………。
………………。
「っ」
寝返りを打ったら、声がてた。
俺のではない。若い女の声。
「んー?」
夢うつつに疑問に思ったが、なんだかんだで睡魔に勝てず、そのまま深い眠りに落ちていった。
翌朝。
「……」
寝心地は最高だった。
明るくなった室内に、ぼやけた視界で壁掛け時計を見ると午前八時だった。
枕も布団も柔らかいし、気温もちょうどよかったので、熟睡することができて……、
「ん?」
左のふくらはぎに柔らかい感触。嫌な予感と共に毛布をそっとめくる。
銀千代がいた。
「うおっおう!」
毛布をはねのけ、布団から遠ざかる。
なんでなんでなんでだ。
どうやってここまで来たんだ。こいつ。
「ん……」
銀千代がゆっくりとまぶたを開ける。
「んー、……あ、ゆーくん、おはよー」
「お、お前、なんで」
「えへへ、寝坊しちゃった。ごめんねぇ。いま、朝ごはん作るね。お米とパンどっちがいい?」
寝ぼけ眼の銀千代はむっくりと起き上がると可愛らしくあくびをした。ピンクの下着姿だった。
「あっ。んふふ……」
銀千代が俺の股間を見つめて、顔を赤くして頬に手をやった。
「朝ごはんは銀千代ってことかな? えへへ」
うるせぇ。生理現象だ。
「おま、おま、お前なんでいんだよ!?」
「なんでって……、ゆーくんがおばあ様に結婚の挨拶をしに来たって聞いて、昨日終電ギリギリで飛んできたんだよぉー。えへへ、さすがゆーくんだね、倦怠期防止のためのサプライズまでしてくれるなんて、とっても嬉しい……」
そのままスリスリと俺の方に近寄って来ようとしたので、慌てて、制止した。
「ただの乗りかかった船というか……て、なんで下着なんだよ! 服着ろよ!」
「コレー? えへへ、似合ってるかな? 可愛いの手に入ったから見てもらいたくて。……銀千代はいつでも勝負下着だよ。朝ごはん、食べる?」
ポッと頬を赤らめる。
「それともシャワー浴びてからにする? あ、どっちでも、銀千代は一向に構わんけど……」
嬉しそうな表情の人の前で申し訳ないが、俺は恐怖しか感じなかった。目をそらす。
開いた口が塞がらない。横では大イビキをかいてポールが爆睡していた。誰でもいいから俺を助けてくれ。
「お早うございます。大広間にて朝食の準備が……えっ、銀千代ちゃん!?」
金音が客間の扉を開けて顔を覗かせた。お前は呼んでいない。
「あ。金音。おはよう、今日はいい朝だね。これからゆーくんとイチャラブするから、カメラ回してくれないかな? はじめてはやっぱり記念に残しておきたいから」
「な、何を仰っているので……。って、なんで、銀千代ちゃんがここにいるんですか?」
「来ちゃった」
「いやいやいやいや、え、なんで下着なんですか!? 男の子の前ですよ! 嫁入り前の女史が、な、なんて、はしたない!!」
金音は顔をリンゴみたいに真っ赤に紅潮させ扉を閉めて駆けて行った。
「? なんかいつもの金音っぽくない」
ぽつりと呟く。
「うぶなねんねじゃあるまいし……キャラ変かな。そんなことしてもゆーくんに好かれるわけないのに。無駄な努力ご苦労様」
銀千代が唇を尖らせて一人ごちた。
たしかに言うとおりだ。いつもの金音なら大はしゃぎで銀千代に抱きついたりしそうなもんなのに。
珍しいこともあるものだ。なんだか、憑き物が落ちたみたいで……、
「つき、もの?」
いや、まて、まさか。
ポールが昨日、ギヤマンの鐘を割ったから、呪いが解けた、とでもいうのか?
って、そんなバカな話があるわけない、
と思う一方で、
金音の豹変ぷりを考えると、わりとありえそうだなと思う自分がいる。とはいえ、
「なんにしても、あざとい女だね。ゆーくん、なにもされてない? 怖くなかった? 大丈夫? 銀千代が来たから、もう安心してね!」
一番ヤバイやつは平常運転だ。
「……」
いったい全体どういうことだろうか。
「はっ!」
まさか、銀千代は、血筋とか関係なく、ただただ、ただただ、ただただただただヤバイやつって。ことか。
「えへへ、ゆーくんのぬくもりがお布団に残ってるよ。いい匂い!」
銀千代は布団の上で土下座するように鼻を近付かせて大きく息を吸った。間違いなくヤバイやつだ。
俺はそっと立ち上がり、部屋をあとにすることにした。
人が人である理由は血統とか運命なんて言葉で片付けることはできないのだろう。
目の前の強力な自我の暴走に、あきれ果てる。
眠りこけるポールに実験の無駄を伝えてあげたくなった。
世の中には科学じゃ解き明かせないことも、ましてや超常現象という言葉には収まりきらない、規格外が存在しているものなのである。
涙が出そうになった。
感情の昂りなのか、眠気からなのか、いまの俺にはわかりそうもなかった。




