第39話:九月、初秋、彼岸過ぎまで
早朝の空気は澄んでいて、金木犀の香りが鼻孔をくすぐった。
教室のカーテンは秋風に揺れ、穏やかな日射しが射し込んでいる 。
一時限目に英単語の小テストがあるので、早起きして来たのだが、教室は思ったよりも混んでいた。
みんな考えることは同じらしい。
朝の挨拶を数人と交わし、自分の席について、単語帳を開く。
「ゆーくん、今度の生徒会役員選挙、どうする?」
隣の席の銀千代が鞄を机にかけながら訊いてきた。
「どうするって、なにが?」
今朝も一緒に登校してきたのだが、箸にも棒にもかからない一方通行ばかりの会話ばかりだったので、疑問系の言葉尻は久しぶりだった。
「立候補しないの? 無敵のゆーくんだったらこの学校のトップはれると思うんだよね」
「するわけねーだろ」
去年のことを思い返すと、たしかにこれぐらいの時期に候補者のスピーチがあったような気がするが、寝ていたのでほとんど覚えていない。
「勿体ないよ。ゆーくんぐらいかっこいい人だったら票いっぱい取れるのに」
「んなわけあるか。なんも実績ないのに」
「落選を心配してるんだったら、ゆーくんに入れない敵たちは、投票日までに改心するようにコントロールするから大丈夫だよ。
んー、でも、最初からゆーくんに投票しようとしてる人たちも、銀千代個人の敵に成りうるから、どう対処すべきか、ちょっと悩みどころだよね」
「どっちに転んでも敵じゃねぇか」
「ともかくゆーくんが立候補してくれたら、学校内の敵味方がはっきりするから、出てくれないかな?」
「そんなこと言われて、立候補しようと思うわけないだろ。そもそも生徒会選挙とか、そういうのあったなぁ、って感じだしな」
単語帳のページに赤シートを被せながら答えると、銀千代は一度深く頷いてから、口を開いた。
「そうなんだ。それじゃあ、プランBね」
「ビー? なにが?」
「実はね、銀千代、立候補しようと思ってるんだ」
「……はぃ?」
「推薦人代表のスピーチお願いしてもいい? 誰かが推薦してくれないと、選挙に出られないらしくて」
いろいろと頭が回らない。
俺には関係ないイベントだと思っていたが、こいつはまじで何を言っているのだろう。
「えーと、なんの役職に立候補するつもりなの?」
「生徒会長」
「まじ?」
「うん。銀千代が天に立つ」
正気の沙汰とは思えなかった。
「前々から考えてたんだ。これ、みて」
銀千代は懐から生徒手帳を取り出し、ページを開き、「ほら」と一行を指し示す。
第六条 男女交際について。
不適切と思われる行為を禁じる。
「ね」
「なにが?」
「男女の恋愛は本来自由であって然るべきなんだよ。禁じちゃだめなの」
「不適切な、って書いてあるじゃん。恋愛禁止ってわけじゃないだろ」
お前のとこのアイドルグループは禁止だと思うけど。
「ボーダーラインは常に体制側の解釈によって変わってくるんだよ。校内での性交為、保健室のでのまぐわい、教師と生徒の恋……」
全部アウトだよ。
「ゆーくんと銀千代の健全なお付き合いもやつらにとってみたら不純になり得るんだよ」
「恋愛してないし、お前の行動は十分不純だ」
「ともかく生徒会長になって、校則を変えるの」
銀千代は拳を固く握り、息巻いた。
「知らんけど、生徒会長に校則変える権限ないだろ」
そもそも生徒会が何しているのか詳しく知らない。
文化祭の時に見回るくらいか、と思ったが、見回ってたのは文化祭実行委員と風紀委員だ。じゃあ、生徒会って普段何してるんだろ。よく知らんが、学校経営に携われるとは到底思えなかった。
「普通はそうだね、だけど公約に掲げて、スピーチで目一杯アピールすれば教師陣も動かざるをえなくなる。民主主義をうたっているのならね」
「そんな簡単に行くわけないだろ……なんで急にそんな」
「急じゃないよ。実はね、ずっとこの機会を狙ってたの。二年生にならないと生徒会長に立候補できないからね。入学したときからずっと第六条が邪魔だったんだ。おかげ校内だと思うように動けないし」
「え?」
第六条を守っててコレ?
「あと服装規定も無駄に厳しいから失くす。目標はブドウが丘高校。ゆーくんは直してほしい校則ある?」
この学校に入学して生徒手帳なんて行事予定のカレンダーくらいしか見たことなかったので、よくわからなかった。
「特に、ないけど……ってか、本気なのかよ」
「マジと書いて本気だよ」
逆だ。
「銀千代は名実ともにこの学校のトップになるの」
「いや、まてよ。先週、アイドル活動頑張るって決めたばかりだろ」
「芸能活動もやる。ライブも出る。両方やらなくちゃいけないのが生徒会長の辛いところだね」
「まだなってないだろ。いや、なれるとは思えんが……つうか、そんな中途半端にやってたら、どっち付かずになるだけだろ」
「んー、そうだね。とりあえず芋洗の方は今度のライブで引退するから、生徒会長に本腰いれるつもりなんだ」
「はあ!?」
そっちを優先するんかい。
「次は学園革命を頑張るの。もともとこの学校に入学したときから決めてたことだしね」
朗らかな顔で銀千代は続けた。
「いつか、全校生徒でゆーくんと銀千代の愛を、マスゲームで称えたいって……」
吐き気がしてきた。
「百パーセント落選するよ。いや、しろ」
「ふっふふふ、ゆーくん、選挙で一番票がとれるのはどんな人だと思う?」
不敵な笑みで、彼女は続けた。
「銀千代は「知名度」がある人が有利だと思うの」
「あー、タレント議員とかか」
「そうそう。だから、アイドル活動を我慢してやって来たんだよ。次の選挙、銀千代は過半数を取って生徒会長になる」
学生のやれる範囲を大幅に越えすぎている。
「……だとしても結局マニフェストが一番大事じゃないかな」
「第六条撤廃と服装規定の軟化、これが目玉政策だよ。他の候補者の政策も一通り調べたけど、銀千代以上の物は出せてないよ」
「他って誰がでるの?」
「二人いて、一人は三組の池田さん。蟹座のB型で現生徒会の会計担当。最有力候補だけど、かなりの保守派。信念というより内申が第一目的みたい。弱点はまだ幼い妹がいること。もう一人は五組の女ヶ沢くん。蠍座のO型で、元野球部だけど、肘を痛めて引退。運動部の部費の増額が目玉政策。弱点は付き合いたてのカノジョがいることかな」
弱点……?
「勝てる自信あんのか?」
「100%勝つ気でやる。それが生徒会長候補の気概ってやつだしね。それに大前提として、彼らは立候補できない状態になるから、選挙は銀千代の信任投票に変更されるしね。ほぼ100%で当選だよ」
あー、弱点……。
「正々堂々戦えよ……」
「んー、逆に感謝してほしいくらいなんだけどな。銀千代が生徒会長になるなら仕方ないっていって身を引くのが本来の姿なんだし」
どうなるかはわからないが、もし生徒会選挙が行われるとして、現役トップアイドルのこいつなら、たしかに大半の票を得ることができるだろう。
「まあ、なんていうか……お前の人生だから、止めはしないけど……」
「応援ありがとう!」
応援はしていない。
「推薦人は他の人にしてくれないか?」
「ええっ、なんで!? 二人の愛のために一緒に戦うって誓いあったばっかりじゃん!」
「誓いあってない」
めんどくさい、というのもあるけど、一番の理由はそうじゃない。
「……これ、わりとマジな話なんだけどな、その、最近ちょっと学力が……テストに集中したいんだ」
「!?」
銀千代は顎に手を当てて無言になった。
来月中間テストがある。
俺には常に肯定的な彼女がそういう態度を取るということは、わりと不味い事態なのだ。
「そ、そうだね」
真剣な眼差しで銀千代の小さく頷いた。
「久々に家庭教師の銀千代やろうか?」
「いや、自力で頑張るから、お前も生徒会選挙がんばれ」
「ううん。頑張るのやめた」
「はあ?」
スムーズな発言の撤回は実に権力者らしかった。
「ゆーくんが推薦人じゃなきゃ、意味ないもの」
「他の人に頼めよ。花ケ崎さんとかいるだろ」
「銀千代を一番に推してくれるのはゆーくんって決まってるの。だから、ゆーくんが推薦人じゃなきゃ、銀千代は生徒会長になりません」
「は、はぁ、あっそう」
「だからしばらくゆーくんの学力向上を手伝うよ」
正直、成績がいい銀千代が勉強教えてくれるのはかなり助かる。
なんでこんなことになったのだろう、と、夏休み明けに行われた校内模試の結果を思い返す。
たしかにアライズが思ったより面白かったり、積んでたゲームをいい感じに消化できたりしたが、ここまで偏差値落ちるのか、って言うぐらい散々たる結果だった。
二年生の二学期。周りが本気を出し始める時分。
俺の不安に拍車をかけるように、二学期の授業内容が難しく感じる。
勉強時間はちゃんと取ってるはずなのに、と手元の単語帳に視線を落とす。
「あ」
「どうしたの、ゆーくん?」
教室についてから、一単語も脳に刻み付けていないことに気がついた。
「はい、おはよう」
チャイムが鳴って、すぐに出席簿を小脇に抱えた担任が教室に入ってきた、
「それじゃあ、出席をとります」
ちらりと横を見る。
「?」
にこりと微笑む銀千代と目が合う。
こいつだ。
こいつのせいで、最近、勉強できてないんだ。
無垢な笑顔を浮かべたまま、担任に名前を呼ばれて、銀千代は「はい!」と元気よく返事をした。




