第38話:九月の蝉は教室を知らない 前
ぼんやり、雲を眺めながらお昼御飯を食べていたら、花ケ崎さんからラインが届いた。
『一年生の子に連絡先教えていい?』
「!?」
ちらりと教室の中心で談笑しながらご飯を食べている花ケ崎さんに視線をやる。彼女周りには常に人がいて、詳細を直接聞きに行くのは憚られる。
「ゆーくん、映画が完成したの、観てね」
正面に座る銀千代が、タコさんウインナーを箸でつまみながら、俺に話しかけてきた。
昼休み。
いつもお昼を共にする面子が部活の人たちとミーティングがてら昼食をとると言うので、
今日は残念ながらぼっち飯なのだが、
「一人になんかさせないよっ」とどこから嗅ぎ付けたのか銀千代が現れて、俺の前でお弁当を広げた。
「はいこれゆーくんのぶん」
と当然のように弁当箱を出してきたので、お昼代を浮かせられるからいいかと机をくっつけたのが十分前。少し悔しいがこいつの料理の腕は一級品なのだ。
「……映画?」
スマホの画面を見ながら、銀千代と会話する。落ち着こう。動揺を悟られないようにするのだ。やましいことはしていないが、花ケ崎さんからのラインが気になりすぎて気もそぞろになってしまう。
「誰?」と打ち込み、送信する。
「うん。銀千代出演のエイリアンVSスペースメガシャーク・オブザデッド」
あんまり言いたくないけど百パーセント糞映画だな。
「……去年からずっと撮ってたやつか」
「うん。銀千代はねー、謎の傭兵っていう主人公の妹役なんだ」
ナチュラルにネタバレ食らった。
「ほんとはヒロインの打診もあったんだけどね」
「ふぅん、オーディションに落ちたのか?」
「違うよー。例え演技でもゆーくん以外と恋に落ちるなんて考えられないから。断ったのがばれて、事務所の人に怒られちゃった。銀千代、プロ失格かなぁ」
「さ、左様でございますか」
「とーゆーわけで、はい、これチケット。二枚もらったから観に行こ。今日から公開なんだ」
「やだよ」
「なんで? なんか予定あるの?」
「好きなRPGシリーズの新作発売日が今日なんだ」
「そぉーなんだ。それなら明日は? 明後日は?」
「ゲームしたいから無理」
「明々後日は? 弥明後日は? 五明後日は? ……来週でもいいよ? 銀千代はいつでも空いてるよ。いついく?」
「いかないよ」
「なんで?」
出演者を前に、百パーセント糞映画だから、とは言えなかった。俺も人の子だ。
「ゲームをやりこむ予定だから……しばらく手が空かないな」
「銀千代、ずっと待ってるよ」
「映画公開中に終わらないと思うな……」
たぶん糞過ぎて直ぐに打ち切られるだろうし。
俺の断固たる拒否に感づいたのか、銀千代は頬をハムスターみたいに膨らませた。
「ゆーくん、今日買うピコピコ、ほんとにやりこむの? そのシリーズは評価見てから買うって前に言ってたやつじゃん」
「早期購入特典あるから仕方ないんだよ」
「しばらくしたらどうせ値崩れするし、一年後には完全版でるから、発売日には買わないって言ってたじゃん!」
「今度は絶対大丈夫だって!」
年甲斐にもなく声を荒らげた時だった。ポケットの中スマホがラインの通知で震えた。
画面を確認する。花ケ崎さんからだ。
『チア部の後輩だよーん』
なるほど。まぁ、誰でもいいか。花ケ崎さんが紹介してくれる子で悪い人はいないはずだ。
『いいよ』
と返事を返し、顔を上げると、銀千代が唇を尖らせていた。
「お食事中のスマホは、お行儀があまりよろしくないと思うな……」
こいつに常識を問われるとは……。だがまあ、悔しいが正論だ。
「ああ、そうだな、すまなかっ……え」
無言になっていた銀千代が、素早い動作で、スカートのポケットから自分のスマホを取り出し、
「……ぁ」
小さく呟いて、目を見開いた。
さっきの言葉を忘れたのか、と呆れかけたが、銀千代は直ぐにスマホをしまい、立ち上がった。
「ゆーくん、ごめん。ちょっとお花摘みに行ってくるね」
「いっといれ」
と寒いギャグで見送り、歩き始めた銀千代の背中を眺めながら、俺は唐揚げを口に運んだ。
ンまーい。
と手料理に舌鼓を打っていると、花ケ崎さんから返信があった。
『じゃあ、あとは若いお二人でー』
グループを作って抜けたらしい。参加し、紹介された人物の名前をみる。
沼袋七味:こんにちは( =^ω^)
「おまえかい!!」
思わず叫んでしまったが、幸いにして、好奇の視線を浴びることはなかった。
「きゃあ!」
寂しい独り言はクラスメートの女子の悲鳴にかき消されたからだ。
「え?」
声をした方を見る。
銀千代が花ケ崎さんの胸ぐらを掴んでいた。
「……」
突然の光景に思考が停止する。
目を擦る。
銀千代が花ケ崎さんの胸ぐらを掴んでいた。
深く目をつむる。
「……」
まぶたを開ける。
銀千代が花ケ崎さんの胸ぐらを掴んでいた。
なんで……、
は!
そうか!
あいつ、また、俺のスマホと自分のとを同期しやがったのか! それで、俺に花ケ崎さんが女の子を紹介しようとしていると勘違いして、花ケ崎さんを強襲したのだろう。
「ばか!」
暴力をやめさせるために立ち上がる。
「ぎ、銀ちゃん……、く、くるしい」
花ケ崎さんが苦悶の表情を浮かべている。
「銀千代の心の方が苦しいよ」
「は、はなして……」
「苦しくて、悲しい。愛する人のために、友達を手にかけないといけないなんて……、でも、代えられないから、さよなら」
花ケ崎さんの小さな体が持ち上がった。花ケ崎さんは、苦しそうに喘ぎながらタップするが、銀千代が止まる気配はなかった。あの細腕のどこにそんな力があるのだろう。なんとか間に合った。銀千代の手首を掴んで、
「はなせ!」
と命令する。銀千代は俺の言葉に素直に従ってくれた。
ズドン、と花ケ崎さんが落下し、自分の椅子に着席する。
「がはっ、ごっほ!」
物凄く咳き込んでいる。洒落にならない。
いつかやらかすと思っていたが、非常にまずいことになった。
花ケ崎さんが呼吸を整えながら、涙目で銀千代を睨み付けた。
「銀ちゃん、なんで……」
「わからないの? 自分がなにをしたかよく考えてみて」
「アタシが……?」
冷ややかか目をする銀千代をなだめながら、花ケ崎さんから物理的に遠ざける。
「夏音、大丈夫……?」花ケ崎さんの友達が心配そうに彼女の肩に手をやる。銀千代の暴走により、昼休みの平穏が吹き飛んでしまった。
「あー! わかった!」
花ケ崎さんがなぜか笑顔で立ち上がった。
笑顔?
脳への酸素供給がたたれた後遺症だろうか?
「銀ちゃん、朝の頼みをきいてくれたんだ!」
「朝の頼み……?」
教室中にクエスチョンマークが浮かぶ。
「うん、銀ちゃんが出演する映画、宇宙人と鮫が戦って、最後主人公が死ぬやつ! 今日から公開なんだよねぇ」
なんかネタバレ食らったな。
「金守さんが夏音を攻撃したのと、それが、なんの関係があるの?」
クラスの女子が銀千代を睨み付けながら問う。まったくもってその通りだ。
「銀ちゃんに演技見せてってせがんだんよ! その時は断られたけど、いま見せてくれたってわけ!」
「あ、そ、そうだったんだ」
「もぉう、やるなら事前に言ってよ。ほんとに絞まってたんだからね!」
「な、なぁんだ、ビックリしたぁ。金守さん、やっぱり凄いね。演技うますぎ。怖かったもん」
一同、納得したようにうんうんと頷いている。
銀千代が否定の言葉を吐き出そうとしているのを察知した俺は彼女の耳元で「そういうことにしておけ」と囁いた。銀千代は不服そうに小さく頷いた。
「こうなると是非とも演技指導もしてほしいなぁー。教えてよー」
花ケ崎さんが口元をぬぐいながらこちらに来た。いま近づかれるのはまずいと思ったが、止めるより先に花ケ崎さんは銀千代の手首を掴んで廊下に出ていた。呆気にとられる。
「ほんと夏音は金守さん好きだよねー」と花ケ崎さんの友達たちが肩をすくめていた。
一人取り残されて所在なくなった俺は取り合えず銀千代たちを追いかけることにした。いまあの人たちを二人きりにするのは、なんとなくまずいと思ったのだ。
銀千代は文句も言わず、花ケ崎さんに手を引かれていた。昼休みの喧騒を押しやるように二人は廊下を走っていく。しばらくして、地学準備室に入っていった。
人気は少ない。
ようやく追い付いた。閉められた扉をスライドさせる。
「銀ちゃん、なんであんなことしたの?」
地学準備室の扉を開けると花ケ崎さんが銀千代に尋ねているところだった。
「あれ、さっきは演技だって……」
入り口に立つ俺に気づいて花ケ崎さんは小さく鼻で息をはいた。
「トワさん、来たんだ。女の子同士の大事な話なのに。もぉー、心配性なんだから」
「そうか。銀千代のために誤魔化してくれたのか……」
花ケ崎さんは答えず舌をチロリと出した。
銀千代は変わらず無表情だ。
「銀千代とゆーくんの仲を裂こうとするなら、然るべき報いを与えるのは当然だよ」
「仲を裂く……?」
きょとんと花ケ崎さんは小首をかしげた。
「ちょっといいか?」
どうしても言っておきたくて、手をあげて話に割り込む。
「お前また俺のスマホと自分のスマホ繋げただろ」
「ラインのアカウントを銀千代のスマホと共有にしただけだよ」
「前に二度とするな、って言ったよな」
「……前はiPadと共有するなって言ってたからスマホはセーフかな、って思って……」
「アウトに決まってんだろ。やったら絶交って口酸っぱく……」
「……」
「おい」
「なぁに、ゆーくん」
「都合が悪い時、黙るな!」
「……」
「おい、コラ!!」
「ごめんなさいゆーくん」
「謝って許される問題じゃないだろ」
「でも、こうして異端者も見つけられたから結果オーライ!」
ビシッと花ケ崎さんを指差して銀千代は歯を見せて笑った。異端者はお前だ。
「ライン……ああ!」
花ケ崎さんが合点が言ったように手を叩いた。
「トワさんに一年の子の連絡先を教えたことを怒ってるのか!」
「自分の罪にようやく気付いたようだね」
指差していた銀千代の手の形がピストルになる。
「ゆーくんと銀千代の愛が揺らぐはずはないよ。だけど、どんな小さな芽だろうと摘んでおかないといけないからね。
例えば、大麻合法化が進むアメリカでは、大麻が強い麻薬への入り口になることが恐れられてるんだ。あなたが、ゆーくんのゲートウェイドラッグになるというなら全身全霊を持って、……潰す」
「ゲートウェイ……? 高輪?」
「神に祈る間をあげます」
銀千代の手のかたちがデスタムーア(最終)みたいになった。
「んー。でもなんで一年生の子を紹介したらダメなの?」
「……え?」
花ケ崎さんは顎に手をやって悩んでいる。
「だって、友達に友達を紹介してるだけだよ」
「カノジョ持ちに女の子紹介するのが間違った行いだと思わないの?」
「え、なんも悪いことなくない?」
「は?」
「友達紹介するだけだし」
「かわいいカノジョがいるゆーくんにメスネコ紹介しようとするなんて万死に値するよね」
カノジョじゃない。
「異性だからだめなの? なんで?」
「なんでって……」
「友達の友達が友達だったら嬉しくない?」
「……む、んん?」
銀千代が小さく首をかしげた。
俺も銀千代も友達少ないから何言ってるのかよくわからなかった。
なんにせよ、凄まじい陽キャ理論なのは確かだ。
男女間の友情は存在するのかという命題に対し、是と即答してみせるそのリア充っぷりに、俺や銀千代のような陰の気を持つ者は、浄化されはじめていた。
「……だめだよ」
言い負かされそうになっていた銀千代が首をふるふると横にふりながら絞り出すように呟いた。
「0,0000001パーセントでもゆーくんがその人に目移りしてしまう可能性がある限り、銀千代は……正気じゃいられない」
いつも正気じゃねぇだろ。
「えー大丈夫だよ」
花ケ崎さんがにこにこしながら銀千代の肩をポンポンと叩いた。
「銀ちゃんみたいな可愛いカノジョいるのに浮気する男がいるわけないじゃーん」
親指をグッと立てる。
「……た、たしかに!」
「もう、銀ちゃんったら」
と二人でゲラゲラ笑いだす。最近、もしかしたら俺が一番狂ってるのかもしれないと思い始めた。だって、明らかに異常な空間だったから。
「シッチーだってトワさんと友達になりたいだけだろうしね」
「シッチー……沼袋七味? あの女がゆーくんの連絡先を知りたがってたの。なんで?」
「そうそう。大体二人はもともと知り合いでしょ? たまぁーに、連絡取りたいときあるから、連絡先がほしいって言ってたし、そんなに大した話じゃないんじゃないかなぁ」
タイミングを見計らったみたいに、スマホが震えた。画面に目をを落とす。
沼袋七味:今日の放課後、屋上に来て下さい。大事な話があります(・ω・`人)
「……」
え、大事な話って……。
「あっ」
「え?」
スマホを持って硬直していた俺の後ろから花ケ崎さんと銀千代が覗きこむようにラインの通知を見ていた。
「花が▲□×んっっっっ!!」
言葉を半分忘れて怒り狂った銀千代が、花ケ崎さんを締め上げようとするのを止めるのに、昼休みを使いきってしまった。




