第35話:八月の海辺、凪の向こう 後
十六時といえど、夏。日は若干傾いているが、昼とほとんど変わらない。
アスファルトから陽炎が揺蕩っている。
約束していた駐車場に桜井さんは待っていた。日陰にあるベンチに腰掛け、自販機のアイスを食べている。
「桜井さん」
俺を見つけると彼女はにっこりと笑い、手をあげた。
「よっすー。遅かったね」
「ごめんごめん。それで話って?」
「まあまあ、アイスでも食べなよ。んっ」
彼女の指差した方向にセブンティーンの自販機があった。中学の頃、放課後によく食べ歩きしたやつだ。
チョコミントの棒アイスを購入し、改めて彼女の隣に座る。
「こうして一緒にアイスを食べるのも久しぶりだね」
中学生のとき、桜井さんと夏休みの自由研究で二人きりで動物園に行ったことがある。あの頃は幸せだった。
「それで話って?」
「んー、ただ久しぶりに会ったから。懐かしいなぁ、って思って」
桜井さんはバニラアイスを食べていた。好みは変わらないらしい。
「旅行先で知り合いに会う確率ってどれくらいなんだろうって思ったら、けっこう低めのだったから。この偶然に感謝して近況とか聞きたかっただけよ」
「そうなんだ。桜井さんは学校たのしい?」
「んー、微妙。やっぱ刺激がたりないよね。そっちはどうなの? 学校は楽しい?」
「そうだなぁ。まあ、退屈はしてないかな」
桜井さんはいたずらっ子のように、
「金守さんがいるからか。いいね、うらやましい。青春だ」
と歯を見せて笑った。
「いや、それは違う」
「どうだかねー。まあ、老婆心ながらアドバイスしておくけど、金守さんとは並大抵の胆力では付き合えないと思うよ」
「別に付き合おうとか思ってないし」
「自分に正直に生きなさい。私が諦めたのに、斜に構えられるといい気持ちしないよ」
「どういう……?」
「君がここに来たってことは彼女から私についてとやかく聞いていないようだね」
「なにが?」
「別に。意外と律儀なんだな、あの人って思ってさ。よっ」
桜井さんは食べ終わったプラスチックのアイスの棒を、自販機の横のゴミ箱に向かって放り投げた。が、弾かれて駐車場の車止めブロックの近くに転がった。
「残念……おしかったね。人生ってそんなもんだ」
日射しが眩しいのか、目を細めて彼女は続けた。
「ただ一つだけ言えることは、金守さんと付き合うのなら、それ相応の覚悟がいるということ……これ、さっきも言ったっけ?」
「なんかあったの?」
「……なんにもなかったから言ってるんだよ」
「は?」
「ふふっ」
ベンチから立ち上がり弾かれたアイスの棒を拾いに桜井さんは歩き始めた。サンダルを履いている。ペタペタと足音がした。振りかえることなく、
「なにも知らないなら、今度彼女に聞いてみるといいよ。もう時効……だと思うし」
棒を拾い上げて、ゴミ箱に捨てる。
耳鳴りのような蝉時雨が駐車場に降り注いでいた。
「それから、金守さんに、私はあれから真面目に生きてるってことだけ、伝えておいて」
「……ああ」
ちょっとなにいってるのかわからなかった。
昔の彼女はこんなもったいぶった言い方はしない、溌剌とした女の子だったはずだ。高校生になって変わってしまったのだろうか。いや、夏休み明け、急に疎遠になって、彼女はよそよそしくなってしまった。
結局それはいまも変わらないのだろう。
「ああ、最後に……というか、これが本題だったんだけど、あのときはごめんね」
「どのとき?」
「ふふっ。金守さんに聞いてみて。それじゃあ、またね。今度は、そうだなぁ、ばったり地元で会おう」
「う、うん」
ひらりと手をふって彼女は建物に入っていった。ここが彼女の宿泊施設だったのだろう。
一人残された俺は溶けかけたチョコミントをたっぷり堪能してから、自分の宿に戻ることにした。
降り注ぐ太陽光は殺人的だ。
一人きりで歩いているとなんだか嫌なことばかり考えてしまう。
金守銀千代。
俺に付きまとう女の子。
病的で普通なら直ぐに縁を切るべき対象。
俺はなぜアイツに対して心を鬼にすることができないのだろう。もしかしたら、誰かから求められることに快感を抱いているんじゃないのか?
いや、あいつを突き放したとき、どういう行動を取るかわからないから、怖いのだ。
もし銀千代という存在がキングボンビーのように他人に擦り付けられる対象だとしたらどうだろうか?
俺はそれを誰かに預けて幸せになんてなれるのだろうか?
知らない道だと尚更、集中が途切れて意識がどこかに行ってしまいそうだった。
今晩の宿の前で、雑司ヶ谷くんに会った。
「おー! いたいた。探したよ」
宿泊させてもらっている以上一度くらいお礼を言っておかないと不味いよなと、頭を下げると、
「そういうのいいからさ」
と流された。
ヒグラシが鳴いている。
「ずっと、話がしたかったんだ。学校だとなかなか人の目が会って話せないから。やっぱこういうのってちゃんと筋通さないとダメだよなって思ってさ」
雑司ヶ谷くんは爽やかな笑みを浮かべた。ジャニーズ系だ。男の俺でも認めてしまうぐらいイケメンである。
もともと彼とは挨拶ぐらいしか交わした事がなかった。
「ずっと気になってたんだよね。金守さんがベタ惚れの男」
「はぁ」
「すごいことだよ、これは」
「そうなんで、……そうなのかな」
「わからないかな。現役アイドルってだけでもすごいのに、そのトップだぜ。おなじ学校にいれるだけでも奇跡なのに、その人から惚れられるって半端ないよね。いったいどんな技を使ったのか、いっつも俺らの間で話題になってたんだよ」
「……」
「催眠術? 洗脳? こんど俺にも教えてよ」
「なんもしてません」
実に不愉快だ。
「ははっ、さすがに冗談だよ。それぐらいあり得ないってことだよ。金守さんはもともと病みアイドルみたいな側面あったからキャラにはあってるんだろうけど、あんな大々的に特定の人物にモーションかけるなんて想像もしてなかったよ。事務所的に大丈夫なの?」
「さあ」
なんの話を聞かされてるんだろうか、俺は。早く部屋に帰りたい。
「ファンサイトとかだと頻繁に話題に上がるんだけど、なんだかんだでみんなわかってるんだよね。これは順番だって」
「は?」
「金守さん、結局依存先を探してるだけでしょ? そういうキャラだって。メンヘラ営業っていうの?」
「なんだよ、それ」
「だからさ、キャラ付けなんだって、君が好かれてるのは。だからこそさぁ、ボチボチ次の人に回してくれないかなぁって思ってて。もう散々いい思いしたんでしょ?」
「ちょっと、まじで、なに言ってるのか……」
頭がくらくらしてきた熱中症の初期症状か? はやくクーラー聞かせた部屋に戻ってゴロゴロしながら、ゲームボーイしたい。
「あー、もう、わかんないかな? 女に飢えてるなら他にいい子紹介してあげるから、俺に金守さん譲ってよ、って言ってんの」
「……そういうのは俺じゃなくて銀千代に言えよ」
今日はまじで暑すぎる。頭抱えそうになった俺を見て、雑司ヶ谷くんはニヤリと笑った。
「オーケー。じゃあ、今日告白するけど、口出しすんなよ」
「……ご自由に」
話は終わったらしい。「じゃあ」と声かけ、俺は歩き始めた。玄関のドアを開けたところで、後ろから声をかけられた。
「同じクラスになって、……チャンスだって思った。すごくいい笑顔で、「おはよう」って言ってくれたさ。俺、けっこう本気だから」
「……」
俺に止める権限はない。
誰が誰を好きとか、まじで本当にどうでもいい。だからなんだよとしか思わないし、できることなら俺に構わないで欲しい。
夕御飯までまだ大分ある。
部屋でのんびりゲームボーイで時間潰そう、とドアを開ける。
「!?」
部屋の真ん中で金音が亀甲縛りで座椅子に縛られていた。
「!?」
もう一回見る。
金音が縄で縛られた状態で椅子に座らされていた。目隠しされている。なんだこの、ちょっとアレな世界。
「な、なにしてんだ、お前、おい、大丈夫か?」
大慌てで駆け寄る。くっ、なんていう光景だ。自然と前のめりになる。
「フゴー、ん、っう、ん」
「は?」
口に、なんかよくわかんない変なボールみたいなの付けているのでしゃべれないらしい。
「ボールギャグだよ、ゆーくん」
「うおっ!」
ドアの後ろから銀千代が現れた。手に鞭を持っている。
「いまお仕置きしてるの。銀千代との約束破ってゆーくんを見張らなかったから」
「お仕置きになってる、のか?」
「んっ、っう、ふぅ」
金音はどこか恍惚とした瞳だ。
着ているシャツとスカートは縄でピッチリと押さえつけられ、体にラインが明確に浮き出ている。非常に目に毒である。
「はやく解放してやれ、なにしてんだよ、お前は」
あわてて金音の猿ぐつわをはずしてやる。
「なにするんですかぁ! なんでわからないのかな! だれもそんなことを頼んでないでしょう! あぁあぁ、銀千代ちゃん、すみません、バカなワタクシをお許し……フゴフゴッ」
うるさいから戻した。なんだこの状況。手についたよだれを金音の服で拭う。
「もうやだ帰りたい」
心の底から俺は呟いていた。
「そんなこと言わないでゆーくん。まだ夜のお楽しみが残ってるよ」
銀千代がゆっくりとこっちに近づいてくる。
やめろ、俺にそんな趣味はない。
「お前仕事どうしたんだよ」
「今日のシフトはおしまい。いまから自由時間なの。働いてたみんなで百物語しようって話になってるけど、断ってゆーくんと遊ぼうと思ってこっち来たんだ」
俺にとっては現状が一番怖い話だ。
「ねっ、ゆーくん、ところであの女となんの話をしてたの?」
「あの女……?」
「さ★◯い■×♪ッッッ!!!!!!」
怒鳴れた。なんて言ってんのかわからなかったが、語感的に桜井華南と言ったっぽい。
「桜井さん、か? 別になにも。久しぶりに会ったから軽く会話しただけだよ、元気とか? そういうかんじ」
「……」
「近くないか?」
超絶至近距離に銀千代が立っていた。きめ細かい肌は近くで見てもきめ細かいし、大きな瞳が一層大きく見えた。
「……」
「なんか言えよ」
首を傾けて下から睨めつける、堕姫と同じ癖やめてもらっていいですか?
「ゆーくん、銀千代ね、その人が嘘ついてるかどうか顔の皮膚を見るとわかるんだ。汗とかでテカるでしょ? その感じで見分けるの。……「汗の味」をなめればもっと正確にわかるんだけど」
「……」
「汗をかかないね。よし、信じよう」
「!」
次こいつがなにするかわかったぞ!
肩を掴むが、間に合わず頬を嘗められた。
「ぐぁっ!」
気持ち悪い!
「この味はゆーくんの汗の味!」
「だろうな!」
きたねぇ!
銀千代を怒鳴り付けてから、机の上のティッシュで舐められたところを拭く。
「桜井さんとは普通に会話して別れたよ。お前が気にするようなことじゃない」
「ほんとう? ゆーくんのことは100%信じるよ。だけどあと『1%』信じたいの。桜井さんとどんな話したの? 教えてくれたら101%信じられる」
なんで言い訳してるんだろう、俺。やましいことしてない上に、しても別になにしてもいい立場のはずなのに。
「そういえばお前に真面目に生きてるって伝えておいてくれって言ってたな」
「……そっか」
「なにかあったのか?」
「それは言えない」
「……もう時効だから、聞いてみてって言ってたけど」
「そうなんだ」
銀千代は少しだけ考えるように上目遣いになって、唇を尖らせた。
「んー、七マタしてたんだよね、桜井さん」
「は?」
「ゆーくんで八マタ狙ってたから、撃墜したの」
「え、まじ?」
「うん」
彼女がコクりと頷いたとき、『まあ、がんばれよ』と銀千代のスマホから俺の声が響いた。なんだこれ。
「あ、電話だ」
俺の声を着メロにしてやがる、こいつ。
「いますぐ解除しろ!」
「誰だろ、あ、雑司ヶ谷くんだ。ゆーくん電話出ていい?」
「……どうぞ」
「なんだろ」
ビッとスマホを操作して耳に当てる。
「もしもし、雑司ヶ谷くん? どうしたの? え? 打ち上げ? 行かないよ。これから、お部屋でのんびりするの。ん? やだ。銀千代、もうのんびりモードだから外出たくないの。んー、しつこいなぁ。行かないって」
そうか。宿の前で会ったときに、雑司ヶ谷くんは銀千代に告白すると言っていた。おそらく呼び出しのための電話なのだろう。
「ええ、なに? え、やだ。無理」
銀千代は眉間にシワをよせながら受け答えしている。
「……うーん、雑司ヶ谷くんはかっこいいと思うよ。まあ、悪い人じゃないとも思うし、優しいんだろうなぁ、とは思ってたんだけど」
「……」
なんだろう。ちょっと。
舌打ちしそうになった。胸がモヤモヤする。
「だけど、それは好きになる理由じゃないの。だって、あなたはゆーくんじゃないもの」
銀千代はイライラしているのか、大きくため息をついた。
「申し訳ないけど、世の中の誰だろうと銀千代の好きな人に何一つして敵わない。
目も鼻も口も眉も顎も耳も手も足も髪も声も性格も何もかもが超素敵なの。だから、他の誰かにとやかく言われようと私の耳には届かない。話はそれだけ? ゆーくんの悪口を言いたいなら、今度は目の前で言って。殺してあげる」
目が、目が、怖い。
「貴方を好きになることはあり得ない。もう二度とかけてこないで」
銀千代はスマホを耳から外して、鼻から大きく息をはいた。
「電話、な、なんだったんだ?」
「ん? わかんない。所詮獣の戯言。銀千代の心には響かない」
禍々しいオーラを発しながら銀千代はその場に座り、机の上の湯飲みを持ち上げ、中に入ったお茶を一息で飲み干した。
いつも飄々としている銀千代にしては珍しく、少し苛立っているようにもみえた。
「なぁ、銀千代」
「ん?」
「お前なんで俺のこと好きなの?」
「なんでって」
ゆっくりと彼女は振り返り、静かに微笑んだ。
「理由なんてないよ」
「は?」
「人が人を好きになるのに理屈や論理は必要ないでしょ? あるのはたった一つ銀千代はゆーくんが好きっていう単純な答えだけ」
金音のうめき声だけが室内に響いていた。
「ゆーくんも銀千代が好き。それでいいじゃない」
「ちよっと異議ありだな」
そろそろ金音解放してあげないと死んじゃうんじゃないかな。




