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幼なじみがヤンデレ  作者: 上葵
最終章:金守銀千代は砕けない
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第35話:八月の海辺、凪の向こう 前


 夏休みも半分過ぎた。

 まだ半分と考えるか、もう半分と考えるべきか、それが問題だ。


 とはいえ、一番厄介なのは、机の上に放置された手付かずのサマーワークだろう。

 そろそろ本腰いれないと不味いことになる、と思っていた矢先に、不本意ながら、海に行くことになってしまった。そんなことしている暇はないはずなのに。


 宿の予約も交通手段の手配も、なにもかも銀千代がやってくれた。

 費用は一切かかっていない。男としてどうなんだろう、と若干思いつつ、俺は今、雑司ヶ谷くんのおじさんが経営する宿泊施設に向かっていた。


「……」


 タクシーである。


 室内は冷や汗が引っ込むくらい快適だ。揺れは少なく、エンジン音だけが静かに響いている。

 怖いのでメーターは見ないことにした。

 金額が上がれば上がるほど、銀千代に対する『貸し』も増えていくような気がするからだ。


「……」


 隣には金音がいた。

 今朝、家まで迎えに来たのだ。早い話が監視である。銀千代含む雑司ヶ谷くん御一行はゲストハウスでアルバイト中なのだ。


「……」


 金音との間に会話はない。

 話しかけても返事をもらえなかった。事務的な会話しか許可されていないらしい。


「……」


 気まずい。

 お盆前の高速は空いていて、目的地へは順調だからこそ、よけいに。


「……」


 窓の外でも見て、気を紛らせよう絵にかいたような青空に、わたあめのような入道雲が浮かんでいた。

 なんて美しい景色だろう、と思っていたのも数分。気付いたら俺は眠っていた。どこでも寝れるのが俺の長所だ。




「お客さん、つきましたよ」


「んお、おお……あ、ありがとうございます」


 何分、いや何時間寝ていたのだろうか。運転手さんの声で起こされた。

 寝ぼけ眼で周囲を見渡すと、車窓の風景が一変していた。


「会計しておくので、先に出ててください」


 金音の言葉に甘え、お礼を言ってから外に出る。

 従業員が息を切らせてこちらに駆け寄っていた。


「いらっしゃいませぇ! ようこそおいでくださいましたぁー。荷物運びますねー。運転手さん、トランクお願いしまぁす」


 高校の同級生の花ケ崎さんだった。

 Tシャツに短パンとラフな格好していたが、活発な彼女にはよく似合っていた。

 手荷物を預かった花ケ崎さんは俺と目を合わせてまた頭を下げた。


「……って、トワさんじゃん。なんだよぉー、挨拶して損したよぉー」


 晴れやかな笑顔を振り撒いて、花ケ崎は俺の荷物を背負った。

 寝起きに真夏の太陽が眩しい。手で庇を作りながら、周囲を見渡す。

 吸い込む空気すら熱気がこもっている。まるでサウナだ。今日も炎天下である。


「ってかさぁ、みんな来るならアタシもバイトじゃなくてフツーに遊びに来たかったんだけどぉ」


「まあ、バイト代貰えて海で遊べるならお得なんじゃない?」


「えーでも、働かないといけないからダルいよねぇー。みんな冷やかしにくるから、ちょっと恥ずいしさぁー」


 照れ笑いを浮かべる花ケ崎さんによるとクラスメートの半数近くが自費で遊びに来ているらしい。いやまぁ俺もそうなるんだけど。

 タクシー代金を払い終わった金音がサングラスをつけ、座席から降りてきた。立ち上がって顎をクイッとやって、先導して歩きはじめる。


「あっ、ちょっとまっ、……誰?」


 初対面ではないが、印象がガラリと変わっているので気づいていないのだろう。

 金音は花ケ崎さんを無視して、我が物顔で旅館のドアを開けた。


「いらっしゃいませ! ご主人様!」


 いつかのメイド服を着た銀千代が、玄関に立ち、恭しく頭を垂れた。


「銀千代ちゃん! お出迎えありがとうございます!」


 朗らかな笑みを浮かべ金音が両手を広げる。それを冷ややかな瞳で受けた銀千代が抑揚なく訊ねた。


「おはよう、金音。それで、ちゃんとゆーくんは来てくれた?」


「後ろにいますよ」


「……あ」


 銀千代と目があったが、彼女の視点は隣で俺の荷物を持つ花ケ崎さんにスライドした。


「なにしてるの、この泥棒猫……!」


「なにって、……お仕事だよん。荷物運び。でもそんな重くないね」


「今すぐゆーくんから離れて。まだ検温も手指消毒もすんでないでしょ」


「あー、そうだね。やんなきゃだ」


 宿に入る。

 花ケ崎さんはゆったりとしたペースで俺の荷物をエントランスに置き、検温器とアルコールスプレーを手に取った。


「はーい、体温はかりますねー」


「ゆーくん、銀千代に会いに来てくれたんだね! 嬉しいよ。お帰りなさいのチューする? それとも一緒にお風呂はい」


「おデコだしてくださーい」


 花ケ崎さんに言われて、金音は素直に前髪をかきあげた。ピッと音が鳴って、測定が終わる。


「はーい、平熱ですねー。つぎ、手出してぇー」


「はい」


「ところでゆーくんメイド服どうかな? やっぱり夏だからかなり暑いんだけどゆーくんのためだったらどんなコスでもできるって意味を込めて今日はメイ」


 金音の手のひらにアルコールスプレーをシュッとかけられる。


「よくのばしてくださいねー」


 まあ、最近はどこでもそんな感じだよな。とぼんやり眺めていたら、俺の番が回ってきた。


「はい、じゃあ、ゆーくん、まずおでこだして! 体温の測定するね! 一応そういうルールだから我慢してね」


 俺の測定は銀千代がするらしい。


「あいよ」


「ん」


 銀千代のおでこと、俺のおでこがピタリとくっついた。


「何すんだ、てめェ!」


「三十六度、五分。平熱より二度高いね。ここまで寝て来たのかな、体温が上がってるね」


「なんだその測定方法! 正確に測れよ!」


「はい、つぎ、手だして!」


「ちゃんとやれよ」


 大人しく手を広げて銀千代に差し出す。

 銀千代はまず自分の手にアルコールスプレーしてから、俺の手を包み込み、マッサージするように揉み広げた。


「はなせぇえぃいっ!」


「はい、消毒終わりました!」


「意味ないだろ! ばか!」


 そのあと花ケ崎さんにちゃんとやってもらった。恐ろしいことに体温は銀千代の測定通りだった。


「お部屋を案内するね!」


 スリッパにはきかえて、二階の予約してある部屋に移動する。荷物は銀千代が持ってくれた。


「ゆーくん、荷物なに持ってきたの? すごく軽いけど」


 階段を登りながら銀千代が鞄を上げ下げしながら、訊いてきた。


「着替えと宿題。あと水着か」


避妊具(コンドーム)は?」


「……笑えない冗談はやめろ」


「冗談じゃないよ。保健体育の授業、ちゃんと受けてた? いい? 本当に銀千代(カノジョ)のことを大切に思うなら、恥ずかしがったりせずに、はじめてでも……」


 鼓膜をシャットアウトした。

 こいつの下ネタは生々しくて嫌いだ。

 あてがわれた扉を開ける。


「おおー、すげぇ!」


 クラスメートの叔父さんの経営する宿なので程度が知れると思っていたが、想像よりもずっと綺麗な部屋だった。

 和室で、窓の向こうに海が広がっていた。


「でも、ゆーくんと銀千代の赤ちゃん、きっとかわいいんだろうな。あっ、勘違いしないで! 赤ちゃんできても銀千代の一番はゆーくんだからね。あー、でも、ゆーくんと銀千代の遺伝子持ってる子供だったら、うーん、同率一位とかななっちゃうのかな。こればかりは実物見ないとわからないな。うふふ、いくつになっても未知な未来ってのは楽し」


「こんないい部屋、雑司ヶ谷くんになんか悪いな」


 妄想にトリップしている銀千代を無視して、部屋の窓を開ける。爽やかな潮風が吹き込んだ。水平線の向こうに輝く太陽は、まさに夏! というのを象徴しているようだった。

 ついたばかりだが、早くもリラックスした気持ちになってきた。


「狭くて汚いところだけど、遠慮しないでくつろいでね」


「雇われの身のくせに、めちゃくちゃ言うね」


 銀千代は荷物を部屋の隅に置き、急須にティーパックをセットした。

 机の上にセットされた湯飲みは三つ。俺と金音と銀千代の分。


「なに寛ごうとしてんだ。はやく仕事に戻れよ」


「そうだね。次のお客さんが来るしね」


 と深く頷いてから、メイド服を脱ぎ始める。


「なんで脱ぐんだよ!」


「やっぱ働くときはそれなりの格好かなって思ってこれ着たんだけどちょっと浮いてるから。ゆーくんもあんまり喜んでくれなかったし……裸エプロンの方が良かった?」


「労働への意識がズレすぎだろ。だとしても、俺の部屋で脱ぐ必要はないよね。従業員の更衣室とかあるだろ、普通」


 ちなみに花ケ崎さんはほぼ私服だった。


「どじゃあーん」


 着替えが終わったかと思って視線を戻したら、水着姿になっていた。一瞬下着かと思ってドキッとしたが、もう、そんなものに戸惑う俺じゃないぞ。


「その格好で接客するつもりか? 場末の風俗店みたいになっちまうぞ」


「そんなバカなことしないよ。今日メイド服持ってきたのは、これと水着と通常バージョンで3(スリー)コスプレをゆーくんに楽しんでもらうためってのもあるんだ。夜は長いし、マンネリ防止のためにね」


「え、お前まさか俺の部屋に泊まるつもりなの?」


「え?」


「ん?」


「え?」


「……」


「じゃあ、銀千代、どこで寝るの?」


「いや、従業員用の寝室とか……」


「あるかないかと言われたらあるけど、使うか使わないか聞かれたら使わないよね。ゆーくんの部屋があるんだし」


「え、まじでこの部屋に泊まるつもりなの? てか、金音と俺とお前の三人でこの部屋に泊まるとしたらちょっと狭くないか?」


「金音は泊まらないよ」


「は……?」


 ちらりと金音の方をみると、「……!」今はじめて言われたって顔をしていた。


「夜は二人きり。若い二人、なにも起きないはずがなく……うぇへへへへ」


「じゃあ、金音(こいつ)はどこで寝泊まりするんだよ」


「従業員の宿直室かな」


「まさかとは思うが、お前、金音と入れ替わるつもりかよ」


「はいはい、先の話は先送りにして、若者らしく、今は目先のコトだけ楽しもうよ! 銀千代、ほら、水着だよ、ゆーくん! このままビーチまで直行しようかなぁー。えへへ、正面玄関から徒歩三分なんだよ」


「いや、俺はともかくお前は働けって。お客さん待ってんだろ、はやく着替えてこの部屋から出ていってくれ」


「じゃあ、ゆーくんも早く出かける準備してね。はい、金音これ」


 畳の上に置いてあったメイド服の脱け殻をむんずと掴んで、金音に差し出す。ソレを受け取った金音は「ありがとうございます」とお礼をいって、なぜか袖を通しはじめた。


「なにしてるんだ、お前ら」


「銀千代は一応雇われてる身だからね。抜け出して、イチャイチャパラダイスなんて、そうは問屋が卸さないんだ。賃金をもらうってことは責任が伴うことだから」


「……わかってんだったらちゃんと働けよ」


「うん。だからね、代わりに金音に働いてもらうんだ」


「……もしかして、替え玉ってコト!?」


「もちろんお給料は金音に渡すよ」


 いや、それは当たり前だけど……。

 こいつ、まさか、金音とここから先の役割を入れ替わるつもりか。


「金音はそれでいいのか?」


「私の喜びは銀千代ちゃんの喜びですから」


 爽やかなアルカイックスマイル。

 やっぱこの女が一番やべぇやつだ。

 凄まじいエゴイズムと凄まじい献身。今すぐここから逃げ出したい


 銀千代の身代わりに働くことになった金音はにこにこと「いってらっしゃいませ」と玄関まで俺たちを見送ってくれた。顔がそっくりだからってやっていいことと悪いことがある。というか普通にバレるだろ。

 驚くべく自己犠牲を目の当たりし、さすがの俺も腹をくくることにした。


 宿を出ると、波の音と潮の香りが鼻孔をくすぐった。遠くに来たんだと思うとワクワクする。

 少し歩くと、すぐにビーチについた。



 ビーチといっても、そこまで広くはない。近くに有名な海水浴場があるのでここら辺は穴場なのだと銀千代が教えてくれた。

 お盆には少し早い平日だ。ご時世も相まって、そこまで人はいなかった。それでも観光地だからか、砂浜には点々とテントがたてられ、近くのバーベキューエリアからは楽しそうな笑い声が溢れていた。


 砂浜自体は裸足で歩くとケガしそうなくらい貝殻や海草が転がっており、非常に歩き辛そうだったが、波は穏やかで海水は澄みきっていた。

 さすがに真夏の太陽の下、海岸線でマスクをしている人はいない。全員自粛しろ、と叫んだところで、同じ穴の狢な俺には説得力はないだろう。それにすれ違う人はみなキラキラとした陽キャたちで、自分の惨めさに嫌気がさしてくる。


 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、意気揚々とビーチパラソルを砂浜にさした銀千代は「この浜をゆーくんの縄張りとする!」と元気よく叫んだ。恥ずかしいからやめろ。


「さ、着替えよう」


 さすがに水着で移動するわけにはいかないので、Tシャツを羽織ってきた銀千代は、広げたシートの上でビキニ姿となった。前に着ていた水色のやつだ。あまりにも扇情的である。

 そっぽを向いて、俺も上着を脱いで、下にはいていた水着姿になる。


「ゆーくん」


「なんだよ」


「いつみても良い身体……」


「眼科にいけ」


 鍛えてもないし、夏休みは引きこもりまくったので、恥ずかしいくらいに白くて華奢な体である。シックスパックならぬワンパック。ジムで鍛えている銀千代の隣には絶対に立ちたくない。それにしてもこいつは、相変わらず、出るとこ出てて、括れがすごい。


「卑屈にならないで! 男の子はすこしお肉ある方が抱き心地いいんだよ!」


「……そ、そうか」


「ところで銀千代の水着はどうかな?」


 少し照れたようにこちらを見る。


「あ、あぁ。似合ってる……けど、ちょっと肌出過ぎじゃないか? それ」


「今年は攻めなの。特別な夏にしようね」


 バチんとウインクされる。最高に帰りたかった。


「さてと、はい、ゆーくん」


 銀千代は鞄から日焼け止めを差し出してきた。


「ぬって」


「ああ、ありがとう」


 日焼けはできればしたくない。赤くなって終わるタイプだが、ヒリヒリして痛いのがいやなのだ。お言葉に甘えて日焼け止めクリームを自分の体に塗ろうとしたら、


「ちがう」


 と銀千代がぶぅ垂れた。


「なにが?」


「銀千代に塗るの」


「……塗ればいいじゃん」


「ゆーくんが! 銀千代に! 日焼け止めを! 塗るの! 手で! 素手で! いろんなとこを触るの! 手で!」


 なんで片言になった?


「人目のあるところでそんな恥ずかしいことできるわけねぇだろ」


「照れ屋さん……人気のないとこ、いく?」


「行かないから、はやく塗れよ」


「む、むぅ」


 しぶしぶセルフで日焼け止めを塗りはじめる銀千代。


「いまは我慢するけど、お風呂は洗いっこだからね」


「は?」


「じゃあ、予行練習で海でお水の掛け合いっ子しよう。うぇへへへ」


 銀千代はにこにこと両手を広げた。


「日焼け止め落ちちゃわないの?」


 そこらへん、俺にはよくわからない。


「ほんとうはしばらく肌に浸透させなきゃだけど、銀千代は一刻もはやく海に行きたいんだ」


「そんなに泳ぎたいタイプだったのか」


「べつにそういうわけじゃないけど……」


「けど?」


「溺れたいの」


「は?」


「それで、ゆーくんに人工呼吸してもらうんだ」


「……俺泳げないから、ライフセイバーさんが頑張ってくれるよ……」


 こいつと話してるとすごい疲れる。



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