第34話:七月の神はサイコロをふらない 前
夏休みに入って一週間。
好きな時間に起きて、母親が作ってくれた冷やし中華を食べて、クーラーを効かせたた部屋で、一日中ゲームをする。
外は炎天下だが、室内は快適だ。
夏休みの高校二年生の幸福度ランキングは、世界においても間違いなくトップランクだろう。
その日もいつものように、通話しながら松崎くんとゲームを楽しんでいたら、
「そういえば、芋洗ちゃんねる、ゲーム実況部って知ってるか?」
と尋ねられた。
「なにそれ」
不穏な予感がする。窓の外では蝉時雨がスコールのように降り注いでいた。
「ほら」
松崎くんがラインにURLを貼ってくれた。マッチング待ちの薪を眺めるのも飽きてきたところなので、タップして、動画を拝見する。
ちょうど今やっているゲームだった。
「下手くそだな。視点操作が絶望的だ」
鬼ごっこの鬼役のくせに、オブジェクトの出っ張りに引っ掛かっている。
「プレイしてるの銀ちゃんだしな」
「まじか。道理で」
何事もそつなくこなす銀千代だが、なぜかゲームだけは苦手だった。一面のクリボーに殺られるレベルである。ふと画面の逃げるキャラクターの動きに既視感を覚えた。
「あれ、これ」
「気づいたか」
アーカイブの投稿時間を確認する。昨日の九時。
ゾッとした。
「これ俺じゃねぇか!」
「そうなんだよ。まさか俺たちが配信されてるとはなぁ。ちなみに初実況にして同接一万だったらしいぜ」
嘘だろおい、ゲームでも追われてるのかよ!
画面の中の銀千代は「ひーん、逃げられちゃうよぉ」とわざとらしい涙声である。信者コメントが「がんばって!」とか「声めっちゃかわいい」とか「落ち着いて相手の動きを見てください。サバイバー側はキラーの視点の先のステイン(赤い光)を目印に次の行動を予測しています。チェイス中の駆け引きでは……」などのコメントで溢れている。
「どうすれば捕まえられるんだろ……」
銀千代のキャラが俺に板をぶつけられて大きく怯んだ。小さくなっていく俺のキャラを眺めながら銀千代が寂しげに呟く。
「がんばる!」とか「相手の動きをよくみて!」とか「回り道せずに最短距離をとるのがいいでしょう。あとはマップの把握と攻撃の特性を掴むのが上達のコツです。強く攻撃ボタンを押すと、範囲が延びるぶん硬直が大きくなり……」とか様々なアドバイスをもらっている。
「大して宣伝してなかったのに登録者数もう五万人いったんだって」
YouTubeに興味ないので、すごいのかどうかよくわからなかったが、一つ決めたことがある。
「松崎くん」
「ん? どうした?」
「しばらく俺オフゲーだけやるわ」
インターネットを介さないゲームのことだ。
「え、えー。何でだよ」
「察してくれ」
ゲームをするときはね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……。
だからこの至福の空間に銀千代が入ってくるのだけはなんとしても避けたかった。
そのあと松崎くんと二、三回ゲームをして、俺は一旦プレステの電源を落とした。
「ふぅ」
浅く息をつく。
昼過ぎから始めたが、気がつけばすっかり夕方である。ゲームをしているときはあっという間に時間は過ぎ去っていく。たしか冷凍庫に買いだめしておいたアイスがあるはずだ。夕飯前に軽く間食しようかな、と立ち上がったところ、
こんこんと窓をノックされた。
見ると隣の部屋から銀千代が手を振っていた。無視してもよかったが、また窓を割られると厄介なので素直に開ける。むあっとした熱気が室内に流れこんできた。
「ゆーくん、あのね、実はね、銀千代もね、ゆーくんがやってるピコピコのやつ、はじめたんだよ!」
伝えたい気持ちが溢れているのか、言語能力が著しく退行していた。
「ああ、知ってる」
「ええ、そうなの。さすがゆーくん、銀千代のことならなんでも知ってるね」
無駄に知ってるのは松崎くんだ。
「それでね、ゆーくん、銀千代にね、ピコピコ教えてほしいんだ。あのね、銀千代ね、うまくなりたいんだよ、だからね」
「悪い」
「え?」
「今年の夏は積んでたゲームをやるって決めてるんだ。まずは、おら夏、それからニーア、んでもってサクナヒメ」
「そうなんだ。それじゃあ、いっしょにやろうよ! 銀千代、ちょっと怖いやつやりたいな、えへへ」
「悪い。プレイヤー人数一人なんだ」
「え……あ、そうだ。それなら後ろから、見とくだけだから」
いままでと変わらなくないか?
「一人でやりたいから……」
銀千代の表情が曇った。
「酷いよ……。ゆーくんのため、苦手克服だと思って、事務所のよく分からない指示にしたがって、ピコピコ始めたのに」
知らねぇよ、と思ったが、あんまり言うと逆ギレされそうだから強く言うのはやめよう。
「ゆーくん、お願い。銀千代、ピコピコうまくなって、チャンネル盛り上げたいの。だからレクチャーして」
「下手な方が盛り上がると思うが……」
中途半端に上手いのが一番つまんないと思うよ。
「そんなことないよ! やっぱりゆーくんぐらいうまい方が絶対みんな見てて楽しいよ」
「俺そんなうまくないよ」
「またまたぁ。いつもゲームしてるからゆーくんはもはやプロだと思うな」
「いや、ほんと、まじで……」
よくて上の下レベルだ。
「だからゆーくん! いや、ゆー師匠、銀千代にピコピコ教えてよ! 芋洗チャンネルを盛り上げたいんだ!」
「やだ」
お前の瞳には邪念が宿っている。
「なんでなんでなんでなんで! ゆーくん、ピコピコ好きじゃん、銀千代も好きじゃん、じゃあピコピコしてる銀千代は物凄く好きじゃん!」
「いやその理屈はおかしい」
話通じないモード入ってきたな。
こういうときは理詰めは得策ではない。早々に話を打ち切るのが正解だ。
「ともかく俺は人に教えられるほどうまくないし、積んでたゲームをやらないといけないから暇ないんだ」
「う、うぅー! いっつもいっつもピコピコばっかり! ゆーくんは銀千代とピコピコどっちが好きなの!?」
「……ピコピコ」
「ゆーくんのバカァ!」
珍しく向こうから窓を閉めてきた。しめしめ。これでしばらくは自由に過ごすことができそうだな、と体を反転させた瞬間に、着信があった。
「もしもし」
「ゆーくん、バカっていってごめんなさい」
反省が早すぎる。
窓の方を再び向くと、銀千代が泣きながら電話をかけていた。
「ゆーくんが天の邪鬼なことちゃんとわかってるから、こんなんで嫌いにならないから、大丈夫だよ。だけどね、銀千代、ゆーくんといっしょに遊びたいだけなの」
いつも以上にメンヘラってるな、と冷静に俯瞰し始める反面、女の子を泣かせてしまい、若干戸惑うピュアな俺もいる。
「いや、悪い。まあ、普通に遊ぶ分には俺も全然構わないんだよ。人に教えられるほどの腕前じゃないから恥ずかしくてさ」
「ううん、ゆーくん、銀千代が悪いの。だからね。ゆーくん、一週間……ううん、三日後にね、よかったらまた銀千代とピコピコして」
なんで期間もうけてるのかわからんが、殊勝な態度になぜだか申し訳なくなってくる。
「あ、ああ。まあ、そんくらいなら全然いいよ」
「それでね。銀千代が勝ったら、えへへ、いっしょに海に行って欲しいな」
「あ、ああ。……ん?」
「それじゃあ銀千代特訓してくるね。またね!」
「い、いや、ちょっとまっ……」
通話が一方的に切られた。
俺は慌てて窓を明け、銀千代の部屋に手を伸ばす。
ヒグラシが鳴いている。夕暮れ時のオレンジの空の下。開け放たれた窓の向こうで銀千代がこれ見よがしに「がんばるぞい!」と気合いをいれていた。
「おい、乗らねーぞ、そんな賭け!」
窓を開けて叫ぶ。
「ゆーくんいつも、真っ直ぐ自分の言葉は曲げねぇ、それが俺の忍道だってばよ、って言ってたよね」
ジトっとした半目で睨まれる。
「言ったことねぇよ!」
「ゆーくんを愛しているからこそ、挑戦を叩きつけます。いっしょに海に行くために、銀千代は心を鬼にするのです」
「そんな挑戦乗らないぞ」
「じゃあ、告白します。好きです」
「なにいってんだ、お前……」
「ゆーくんをピコピコで負かします。銀千代の底力みせてあげる」
「く、この……っ!」
いや待て、落ち着いて考えるんだ。
銀千代がテレビゲームが苦手なのは事実。演技ではない、それは幼馴染みがゆえ知っている厳然たる真実。
「……いいだろう」
男に二言はない。
「そこまで言うなら乗ってやる。俺が負けたら一緒に海に行ってやる。もし俺が勝ったら二度とその話はするなよ」
「うん!」
「嘘つくなよ」
「ゆーくんに誓って嘘はつかないよ」
よくわからないこと言われた。
「吠え面かかせてやる」
「ゆーくんのためなら吠え面ぐらいいくらでもかくよ。メス犬ってよんで」
「少し黙ってろ」
陽炎たゆたうアスファルト、オレンジに染まる団地郡、遠くの鉄塔が骸骨みたいなシルエットを滲ませる。アブラゼミと子供らのはしゃく声がまざりあっていた。それらすべてを窓を閉めてシャットアウトし、俺は小さく伸びをした。
さ、おら夏しよっと。




