第33話:七月と空のオーケストラ
梅雨が明け、季節はすっかり夏である。
「おーい、カラオケ行こうぜぇ」
一学期最後の登校日。
ホームルーム終わりに友達の鈴木くんから声をかけられた。
本日一学期の打ち上げがあるらしい。
浮き足立つような雰囲気に、クラスメートの朗らかな笑顔。本日も夏日だが、みんなで「暑い暑い」と口にしながら駅前のカラオケボックスに行くのはなんだか青春っぽくて最高だった。
明日から夏休み、いやが上にもテンションが上がってくる。
「ゆーくん、何歌う?」
当然のように銀千代もついてきた。
まあ、別に構わない。なぜなら今回の打ち上げはクラスメートのほとんどが参加しているものだからだ。
ついに俺もこういうイベントに呼ばれるようになったのか、としみじみしていたら、リア充男子の雑司ヶ谷くんがジャニーズのよく知らない曲をいれてキャーキャー言われていた。雑司ヶ谷くんは普通にイケメンである。めっちゃモテるらしい。ちなみに同じクラスになってまともに絡んだことはない。
「ゆーくん、何歌う?」
こういうときって何歌えば良いのか、わからない。
場を盛り上げられるのがベストだが普段俺の聞くラインナップにそんなものはないし、家で音楽を聞くこともあまりしないので、カラオケの選曲はほんとうに悩ましい。
本日の参加人数は二十五人。この部屋には十四人いて、全員に認知されてる曲なんてないし、テキトーに手拍子してれば乗り切れるかな、と無難な対応を考えていたら、銀千代が所属しているアイドルグループの曲が予約登録された。
「ゆーくん、何歌う?」
「何歌うって……自分の曲、いれてんじゃん」
「? いれてないよ。ゆーくんと一緒に歌える曲じゃないと意味ないもん。船珠第二小の校歌とか入ってればよかったんだけど」
入ってたとしても絶対歌いたくないよ。
雑司ヶ谷くんの熱唱が終わり、芋荒坂39の『上から横から下から銀千代』のイントロが流れはじめる。ほんとうにキモい曲だ。
「いぇえぇえぇぇぇぇえい!」
マイクもって前に躍り出たのは花ケ崎さんだった。いつも以上にキラキラした笑顔である。
「うっえから、よっこから、しったから、ぎんちよー♪」
アルコールを過剰摂取したあとヤバイクスリを飲んでぐるぐるバッドやったときみたいな語彙力とテンションで花ケ崎さんは叫び、キレキレのダンスを踊る。ルーム内は大盛り上がりだ。コールアンドレスポンスも絶好調。サビで俺の隣でドリンクバーのメロンソーダを飲む銀千代に手招きしたが、銀千代はニコニコするばかりで動かなかった。
「おい、行けよ」
周りが若干しらけ始めてるのを感じそっと肘でつつく。
「どこに? ホテル? 抜け出す? 二人で」
キラキラと瞳を輝かせて訊いてくる。なんだその期待に満ち溢れた瞳は。
「ちげぇよ。花ケ崎さんと一緒に歌えって」
「なんで? 今日、プライベートだよ」
うわ、ドライだ。
「だとしても、歌えば絶対盛り上がるんだから、歌ってやればいいじゃん」
「絵を描いてる人がタダでは描きませんって言ってるように、銀千代もプライベートで自分達の曲は歌わないようにしてるの。じゃなきゃお金はらって見てくれてるファンの人が不平等だもの」
「ちょっとくらいいいだろ。見ろよ、花ケ崎のあの悲しそうな顔を」
BメロはAメロと比べて、少しテンション低い。クスリが抜けかかっているみたいだ。いい傾向ではある。
「んー、それなら、ゆーくんが銀千代とデュエットしてくれたらいいよ」
「……いや、おれ音痴だから、歌わ……」
「うえっから、よこっから、しったからぁ♪」
俺の返事を聞く前に銀千代はマイクをもって花ケ崎の元に駆け寄っていった。モノマネ番組で本物が登場したときのテンション。肩を組んで大合唱。
「うぉぉぉぉぉおおおお!」
ルームは割れんばかりの拍手と歓声。
苦情来る一歩手前の大騒ぎだった。
「ゆーくん、なに歌う?」
戻ってきた銀千代が本日何度目かわからない質問を再びしてきた。
鈴木くんが一部の男子しか知らないようなアニソンを歌って適度に場を冷やしているなか、銀千代はデンモクをこっちに寄せてきた。
「アナ雪の扉のやつとか、どうかな? とくに最後がいいよね。結婚しよう、そうしようってやつ」
そんな花いちもんめみたいな歌詞あったっけ?
「しないよ。デュエットなんて」
「そ、そんな、約束違うよ。ゆーくんの嘘つき」
「いや、そもそも約束してねぇよ」
「約束破るなんて酷いよ。頭にきた。ゆーくんの耳元で延々と愛を囁き続けてやるぅ」
ぷくぅと頬を膨らませる銀千代。あざとい動作だ。
「いつもと変わらなくないか?」
「ちゅ。大好き、ちゅぱ、んっ、ちゅきぃ。ゆーくん、だいちゅきぃ」
「や、やめろ、雑なASMRは」
ウィスパーボイスで性的アピールをしてきやがった。鈴木くんの熱唱が人目を集めていなかったら危ないところだった。
「雑音のなかでも銀千代の声だけクリアに聞こえるのは、カクテルパーティー効果ってやつだね。ちゅ。ゆーくんが銀千代の声を必要と思ってるからはっきり聞こえるんだよ」
「いや、物理的に距離が近いだけだと思う」
肩で銀千代を追いやりながらため息をつく。
雑音と断じられた鈴木くんの熱唱が終わり、次の曲が流れ始める。
「この曲……」
テンポのいいリズミカルな曲だ。
タイトルは忘れたが、一昔前に流行った邦楽である。
「どうした?」
「ゆーくん、覚えてないの? 八年前のあの日」
「……」
この曲……。
「ゆーくんと銀千代がはじめて一緒に駄菓子屋さんに買い物した時に店内に流れていたやつだよ」
「知らねぇよ」
呼び込みくんのほうがよっぽど耳馴染みがある。
「ゆーくんはうまい棒とたらたらしてんじゃねぇよとさくらんぼもち、それからよっちゃんいかを買って、銀千代に分けてくれたの。それを記念して、この日は「はじめての買い物記念日」として制定されてるんだよ」
「されてねぇよ」
武藤さんの選曲らしい。音程もとれていて、歌唱力も高い。かつての引っ込み思案な彼女はもういない。
「ちなみに今日はゆーくんと銀千代のはじめてのカラオケ記念日だね」
銀千代は鞄から革の手帳を取り出して、パラパラと捲った。ちらりと見たらズラリと異常な項目が並んでいた。仕事の予定書けよ、おい。
「あ、今日だと、お風呂記念日と被っちゃうや。このままカラオケオールして明日の記念日にしようよ」
「風呂……? なにそれ、いつのことだよ」
「なにって、一緒にお風呂はいっ……あ」
手に持ったペンをくるりと回してから、銀千代は続けた。
「ん、これは裏記念日だった。ごめん、忘れて」
「裏記念……?」
無言で見つめる。
「……」
「……」
「今日ははじめてのカラオケ記念日で決定だね」
手帳に書き付けてパタンと閉じる。
「ちょっとまてその裏記念日ってのはなんなんだ!」
「……」
「……おい」
無表情で頑なに口を開かない。俺の問いかけにたいしていつも素直な銀千代らしくない。
「銀千代、答……」
「言うと嫌われちゃう。だから言えない。銀千代がギリギリ言えるのはそれだけ」
「なにをふざけてやがる。お前と一緒にお風呂入ったことなんてないからな」
「……」
無言で微笑まれた、答えは沈黙ってか。
「おーい、曲いれたかー?」
気まずい空気を割くように雑司ヶくんが俺にデンモクを渡してきた。
「一人一曲だぜー」
くっ、陰の者には辛い要求だ。
「つぅ……」
なにいれようか。最近の流行り全然わからないし、いっそのこと銀千代とデュエットにして、ほとんどこいつに任せて乗り切ろうか、とちらりと銀千代を見る。きれいな瞳をしていた。
いや駄目だ、こいつに甘えたら俺の敗北だ。これぐらい自分で乗り切らないと。
「……」
とりあえず履歴から辛うじて歌える曲を見つけた俺はそれを予約に飛ばした。
声が何回も裏返った。恥ずかしい。
聞くのと歌うのとじゃ全然違うんだよな。
そりゃカラオケ来るのははじめてじゃないけど、両手の指で数えられるほどしかないから経験値が圧倒的に足りないのだ。
なんとか一曲を歌いきった俺はマイクを次の人に渡すと同時にリモコンの演奏中止ボタンを押した。顔が熱かった。
「ブラボー! おお、ブラボー!」
銀千代が跳び跳ねながら拍手をしている。煽っているのかと思ったが、あいつに限ってそれは無いだろう。
音程はずれてるし、拍手をもらうような歌唱ではなかった。
クラスメートが鼻で笑い、ニヤニヤしている。音痴の人の歌のあとは気まずくて、すぐに次の人の歌に移るもんだが、銀千代が下手に盛り上げるから滑稽さが際立った。勘弁してほしい、顔から火が出そうだ。
「なんで笑うの?」
銀千代が無表情で首を捻った。ピタリと静寂が訪れる。ルーム内が冷や水を浴びたみたいに静まり返った。間の悪いことに、次に登録されていた曲は、静かな前奏だった。
「ゆーくんのお歌は上手だったよ」
「そ、そうだね」
にやにや笑いながら雑司ヶ谷くん言う。
からかうような笑みだった。人の感情を読むのが苦手の銀千代も、バカにされていることに気づいたのだろう。
「もっかいゆーくんのことを笑ったら、殺す」
初期ルフィみたいな迫力で雑司ヶ谷くんを睨み付けた。もうやめてくれ、頼むから。
「あ、えっと……」
雑司ヶ谷くんが端正な顔を曇らせて、困ったように頬をかく。彼も悪気がある訳じゃないのだ。それは十二分に理解している。
悪いのは俺の音痴と無駄に盛り上げた銀千代である。
雑司ヶ谷くんは困ったように「んー」と唸ってから、
「思わず笑みがこぼれるくらい……感動的な歌だった、ってことだよ」
なんとか返事をした。
「……」
「……」
「なぁんだ、そういうことか。雑司ヶ谷くん、わかってるね!」
嘘だろおい。そんなんで納得すんのか。親指をグッと立てて、ウインクする銀千代。
一触即発な雰囲気を乗り切ったカラオケ大会は再び和やかな雰囲気に包まれる。
楽しげな空気のなか、俺は、ただただ死にたいと思った。
 




