第32話:七月七日七夕七難
六月に予定していた修学旅行はご時世的に延期になったが、遊びたい盛りの高校二年生にはあまり関係なかったらしい。
『海行くぞー!』
クラスのラインにそんな投稿があったのは、テスト休み中、自宅でのんびりしている昼過ぎのことだった。
なんでもカースト上位の男子、雑司ヶ谷くんの叔父さんは、リゾート地で旅館を営んでいるらしく、泊まり込みの短期バイトを募集しているのだそうだ。当然自由時間は海で遊べるし、わりのいい二泊三日の旅行だと思ってくれればいい、とのこと。
へぇ、そんなギャルゲーみたいなシチュエーションあるんだねぇ、と思いながらブーブーとバイブがウザいので通知オフにし、プレステのコントローラーを握る。
俺は今ボンバーワンを目指して忙しいのだ。
「よっ」
突如として、テレビ画面が笹の葉で覆われた。
「……邪魔だ」
銀千代が窓から人の部屋に入ってきたのだ。
「七夕だから持ってきたよ。はい」
と言って、窓辺に立て掛ける。笹の葉がはらはらと散った。
「頼んでないよね」
「商店街の人からもらったんだ」
ちゃんと見えるようになったテレビ画面では、俺が操作していたシロボンが爆死していた。
「願い事、書いた?」
「書くわけねぇだろ」
「もう、無欲なんだから。しょうがないからゆーくんのぶんまでちゃんと短冊つけといたから」
銀千代が持ってきた笹にはたくさんの短冊が吊るされていた。筆跡はすべて同じで、内容は「ゆーくんと銀千代がいつも幸せでありますように」とか「ゆーくんと銀千代がこれからも相思相愛でありますように」とかそんなものばかりだった。燃やせ。
「ん?」
白い短冊があると思ったら婚姻届だった。ちぎって丸めてゴミ箱にぽい。
「ああ、市役所の人にお幸せにって言われたのに、酷いよゆーくん!」
「恥を知れ、恥を!」
怒鳴り付けてやったら、しゅんと肩を落とした。騙されてはいけない、銀千代の落ち込みは一瞬だけだ。
「残念だけど、今日は織姫様と彦星様は会えそうにないね」
サッシに手をつけ、銀千代は切なげに呟いた。
空は分厚い雲に覆われている。いまは昼だが、夜も変わらないだろう。
「まあ、毎年梅雨の時期だからな。でも七夕って正確には八月の行事なんだろ?」
「うん。旧暦の日付を新暦にそのまま持ってきたものだから、正確には八月の中旬のお盆のイベントってことを知ってるなんて、さすがゆーくん博識だね!」
そこまでは知らなかった。
「八月といえばゆーくんは海行く?」
立て掛けた笹に、パンパンと柏手を打ってから銀千代が聞いてきた。
先ほどのクラスラインの話をしているのだろう。たしか雑司ヶ谷くんの手伝いは八月の上旬だった。
「行くわけないだろ。なんでわざわざ人がいるところに行って、しかも働かないといけないんだよ」
「でも、銀千代の水着みたくない?」
見たくないと言えば嘘になるが、そこまでして見たいものではない気がする。
「俺は断る。行きたいなら誘いに乗れば?」
「うーん……、ゆーくんがいつも他の人とも仲良くしろって心配してくれてるから、こういうのに参加して交流したほうがいいのかな。でも、ゆーくんが来なきゃ意味ないし、ゆーくんを水着で悩殺したいし……」
「まあ、ご自由に」
と言って、ボンバーマンを開始する。
「雑司ヶ谷くんはどうでもいいけと、ゆーくんと海には行きたいなぁ」
独り言をぶつぶつ呟いているうちにどんどんと自分の感情に素直になった銀千代はゲームに興じる俺の背中でひたすらに「いっしょに海いこうよ!」とか「海で水かけあおうよ!」とか「誰もこない岩場でイチャイチャしようよ!」など絶えず叫んでいたが、しばらく無視していたら、いつのまにかいなくなっていた。商店街のイベントで芋洗坂の仕事の予定らしい。
何試合か終わって、ラインを見てみると、花ケ崎さんは参加を決めたらしい。くそ、俺も行けば良かったと若干後悔したが、そのすぐあとに銀千代が『参加します』と返していたので、ビックリした。
クラスラインは現役アイドルのまさかの参加表明に大盛り上がりで、我が我がと声が上がっていた。雑司ヶ谷くんは『募集人数四人までだから!』と困ったように返答していた。結局、最初に声をあげた四人が参加メンバーになった。
まあ、なんにせよ、俺には関係ない。
銀千代たち四人は発起人の雑司ヶ谷くんに連れられて、夏休みの二泊三日を海辺の町で過ごすことになったらしい。
参加者はもののみごとに美男美女である。夏をエンジョイできそうな面子で素晴らしいが、ミステリ小説なら半分くらいは死にそうな導入である。
お土産よろしく、と社交辞令的にラインを返そうと、スマホを持った瞬間ラインが届いた。
『夏休み、旅行しようぜ』
友だちの松崎くんからだった。
なんとなくきな臭い。
『どこに?』と尋ねると、予定調和的に『海』と返ってきた。
電話をかける。
「もしもし」
『おおー、やっぱ青春は海だぜ。ビーチでナオンをナンパしようぜぇい』
「できもしないことを言うな。銀千代にそそのかされたか?」
『……なんの話だ』
「とぼけるな。悪いけど他を当たってくれ」
『まて、切るな! 頼む! 一生のお願いだ! なにも考えなくていい! ともかく俺と海に行ってくれ!』
「銀千代からなんて言われたのかをまず教えてくれ」
『ぎ、銀ちゃんは関係ねぇ。俺が海に行きたいだけなんだ。お前だって浜辺のギャルとか海での出会いとか、そういうの憧れてるだろ』
「べつに憧れない。そんなことより夏休みは色々と忙しいんだ」
『どうせゲームだろ? 高校二年生の夏休みは一度きりだぞ。スマブラの参戦キャラで一喜一憂するより、俺は恋のドキドキで一喜一憂したいんだよ! お前もそうだろぉ!』
なるほどたしかに一理あるが、
「すまん。今年の夏はどうしてもはずせない用事があるんだ」
『なんだよ』
「オラ夏やらなきゃだから」
『結局ゲームじゃねぇか!』
そのあともグダグダ言われたが、断固拒否の姿勢を崩さず、松崎くんとの通話を切る。
「よっ」と体を上がらせて、再びコントローラーを握る。
負けると腹立つけど、なんか癖になるんだよなぁ、と思いながら、操作していると、玄関チャイムの音が響いた。親が出たらしい。誰だろうと思っていたら、ズンズンズンと階段を上がる音がして、自室のドアがいきなりガンと開かれた。
「うおっ!」
ビビって自爆してしまった。
「なんだよ! いきなり入ってくるな、銀千……」
振り返る。白いワンピースを着た銀千代が立っていたが、ふと違和感を覚える。銀千代なら窓から入ってくるはずだし、どことなく雰囲気が違う。
「金音……?」
こいつ、銀千代の従姉妹の銀野金音だ。
「な、なにしに来た?」
トラウマ量産機である銀野金音とはできれば絡みたくない。警戒心マックスで固まる俺を前にし、金音はその場に膝を折って正座した。
「お願いがございます」
「な、なんだよ」
尋常ならざる雰囲気に気圧されてします。
「海に行って下さい」
「はあ? お前も銀千代の差し金か?」
「はい。銀千代ちゃんから依頼を受けてゆーくん様を海に赴かせれば報酬を貰える手筈になっております」
素直に答えを貰えた。
「私の、いえ、銀千代ちゃんの青春のため、海に行っていただきたいのです。何卒……」
三つ指たてて、土下座された。
「な、なんでそこまで……」
「最近一眼レフを買ったんです。銀千代ちゃんの水着を私は撮りたい。よろしくお願いします」
「……いやだ」
なんだその糞みたいな理由。
「理解しかねます」
すん、と顔をあげて、つぶらな瞳で見つめられる。
「下卑た欲望に支配された高二男子が同級生女子の水着に欲情するのは必定。何も恥ずかしいことはございません。見たところ人一倍性欲強いタイプにみえるのに、見栄を張るのは逆に哀れ見えますよ」
「やかましいわ」
ため息をつく。
「泳げないんだよ、俺」
中高とプールが無い学校だったので、まともに泳いだのは小学生が最後なのだが、息継ぎかどうも苦手なのだ。
「その程度の些事、心配ご無用かと」
少しだけ微笑んで金音は続けた。
「海に遊びにいくと言うのは、泳ぎに行くということと同じではないのです」
「え、そうなの? じゃあ、なにしてんの?」
「いちゃいちゃするんです」
「いちゃ……」
「ゆーくん様、想像してみてください。このままあなたが海に行かなかったとしたら……」
「……」
オラナツはクリアして、ついでに積んであるニーアもクリアし
「銀千代ちゃんがナンパされまくります」
「まあ、そうなるだろうな」
「いくら一途とはいえ銀千代ちゃんもピチピチのJK2。一夏のアバンチュールに憧れてしまうのは致し方のないこと。相手にしてくれない男のことは一時忘れて、他のイケメンの胸に抱かれてしまうのは致し方のないことなのかもしれません」
「……」
「だけど、もしゆーくん様が海に行ったら、浮気される心配もないし、愛しいあの子の刺激的な水着姿にドキドキ! 一夏のメモリーは生涯素晴らしい思い出として胸に刻まれることとなりましょう」
なんかさっきからこいつ言い回しがオッサンくさいな。
「どちらが得かなんか火を見るよりも明らかでございましょう。さあ、ゆーくんさん、海に行きますよ!」
「行きません」
きっぱり断る。
「な、なぜ。ここまで言っているのに通じないとは、まさかあなたはネトラレ趣味か、もしくは男色!?」
「違う。銀千代がそこら辺の男に靡くわけないって、思ってるからだ」
「む、むぅ。それは、そうですけど」
唇を尖らせて、金音は不服そうに呟いた。
「だけど、心配にならないんですか? 自分がいないところで自分の好きな女の子が別の男子と一緒に過ごすなんて」
別に好きじゃない。というのは置いておいて。
「あいつの行動を縛る権利は俺にはないし、同様に俺の行動を縛る権利はあいつにもない」
「そういう理想論ではなく、私は感情論の話をしているのです」
建設的な議論はできそうにない。
「ゆーくんさん、モテないでしょう?」
「急になに言ってんの?」
「銀千代ちゃん以外の女の子からアプローチかけられたことあります?」
「あ、あるから。はぁ? 喧嘩売ってんの?」
「モテる男というのは独占欲が強いものなんですよ。もっと自分の感情に素直になってください。海で銀千代ちゃんが他の男と仲良くしてたらムカつくでしょう?」
「だから、別にムカつかないって。だってあいつがそんな事するはずないし 」
と若干イラつきながら返事をした瞬間だった。
バリーン! とガラスの砕け散る音がした。
反射的に音の方を向くと、窓ガラスが粉砕していた。破片が飛び散るフローリングの床に銀千代が立っていた。吹き込む風は生暖かく、ふわりと笹の葉が舞った。
「やってくれたな……」
人んチの窓ガラスを叩き割って侵入してきた銀千代はネジが切れかけた人形のような動きで俺の方を見つめ、
「信じてくれてありがとう!」
大音量で叫んで飛び付いてきた。
ガラスで切ったのだろうか、血だらけである。馬鹿かこいつ。
「信じてくれて嬉しいよ。二人の愛は誰にも引き裂けないよね!」
「……」
おもいっきり抱きつかれる。別に信じてたわけではない。単純に海にいきたくなかっただけである。
「窓どうしてくれんだよ」
「一生かけて償う!」
「いや、修理費だけくれればいいから……」
というかなんで俺と金音の会話がこいつに筒抜けになってんだよ。
ふと疑問が浮かんだが、ブンブンブンブンと体を揺さぶられてるうちにどうでもよくなってきた。自暴自棄というか、諦めの極致である。
「金音……」
首を動かして、呆気にとられている金音を呼び掛ける。「は、はい」と小さく頷いた彼女に、
「冷蔵庫の上に救急箱があるから取って来てくれ」
と、なんとか頼む。
ガラスの破片で血だらけになった銀千代が動く度に、 床に笹の葉と血痕が飛んでいく。俺の部屋がどんどん殺人現場みたいになっていく。
開放的になった窓からは、蝉の声が聞こえてきていた。もうすぐ夏なんだな、なんて思った。




