第30話:六月と雨上がりの昔語り 後
そんなこんなで小五からずっと銀千代に付きまとわれているのだけど、小六の夏休みの一ヶ月間、彼女から解放されたことがある。
「ゆーくん……手紙書くね。電話するね。毎日お祈りするね。だから浮気しちゃだめだよ」
「……」
「I love you (アイ ラブ ユー)」
アメリカ式。
「……」
「我愛你(ウォ アイ ニー)」
中国式。
「사랑해요(サランヘヨ)、Ich liebe dich(イッヒ リーベ ディヒ)、Ti amo、Je t'aime、Я тебя люблю(ヤー ティビャー リュブリュー)」
韓国、ドイツ、イタリア、フランス、ロシア。
「Mahal kita」
どこ?
「愛してる」
日本式。
「それじゃあ、いってくるね」
「行ってらっしゃい」
世界の言葉で告白して、銀千代は去っていった。
夏休みの四十日を利用して、彼女は論文の総仕上げのために、カリフォルニアに短期留学することになったのだ。
まさに天の恵み。
毎日スカイプのテレビ電話がかかってきたが、時差を理由にまともに取り合うことはせず、伸び伸びと羽を伸ばした。ちょっと気になっていた女の子と二人きりで遊んだりもできた。これこそが夏休み。
青春を謳歌できたのは間違いないが、今にして思うと、それが不味かった。
帰国してから銀千代の行動は、反動のためか、エスカレートしてしまった。
頻繁に秋葉原のジャンクショップに通うようになり、盗聴と盗撮もこの辺りから始まった。
中一の春。
親からスマホを借り、留守中の自室の様子を撮影したことがある。
カメラを起動させ、コンビニに行き、戻ってきたら、ベッドの下に隠していた松崎くんから借りたエロ本が机の上に置いてあった。
親には部屋に入らないでと言っておいたので、犯人はべつにいるはずだ。
大体の目星はついていたが、一応動画をチェックする。
留守にして数分後、平然と銀千代が窓から侵入してきて、勝手に掃除を始め、発見されたエロ本の内容をなぜかメモを取ると机の上にわざわざ置き、隠しカメラを仕掛ける様子がバッチリと写し出されていた。この映像裁判所に持ってたら勝てるよな、と思いながら眺めていると、銀千代はカメラに一度ピースしてからクローゼットに入って行った。
「え」
そのあと、コンビニから戻ってきた俺がカメラを止めるところで映像は終わっていた。
コピペのホラーみたいな展開に背筋が凍った。
「まじでやめろ、お前!」
クローゼットを開けて、怒鳴り付ける。
涙目の銀千代が潤んだ瞳で呟いた、
「だって、ゆーくん、銀千代がいないと、ほかの女の子といちゃいちゃしようとするじゃん。だから銀千代のことを忘れないようにアピールしないとなの。ここにいるよって」
唇を尖らせて文句を言われたが、文句を言われる筋合いはない。付き合ってもないのだから!
「お前には関係ないだろ!」
恐怖体験で引いていた血の気がようやく頭にのぼって来た。
「関係あるよ。ここは日本だから一夫多妻は認められていないの。仮に認められてたとしても、銀千代は認められないけど」
「俺が誰と仲良くしようとお前にその縁を切る権利はないはずだろ!」
「たしかにそうかもだけど……、悪縁というものはあると思うの」
銀千代は少しだけ不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「例えばゆーくんの隣の席の女」
「桜井さん?」
夏休み二人きりで遊んだ女の子だ。
「ゆーくんに色目使ってた」
「べつにいいじゃん」
だとしたらめちゃくちゃ嬉しい。桜井さん美人だから。
「というより桜井さんはみんなに使ってる」
「……」
「あの子の目的は、自己顕示欲を満たすことなの。モテてる自分がかわいいって思ってる」
「そ、それは悪いことじゃないだろ。誰だって他人からは好かれたいって思うもんだし、そのために努力して可愛くなるのはいいことだろ」
「じゃあ、銀千代が他の人にモテてたら嬉しい? 銀千代はたった一人に愛されればそれでいいんだけど」
ぶっちゃけ、銀千代はモテる。顔しか見ないバカはわりと多いのだ。
「なんとも思わねぇよ。べつに好き同士でもないんだから」
「それじゃあ、他の人からモテて、誰が見ても可愛い! って、なったら好きになってくれる?」
「かもしれないけど」
「可愛くなるなら銀千代愛して!」
「お、おおう」
銀千代は真剣な瞳で俺を睨み付けた。
勢いに負けて、壊れたロボットみたいに頷いてしまう。
「ありがとう。絶対可愛くなるからね」
美醜だけで言うなれば、銀千代はすでに十分すぎるほどのレベルに達している。遺伝子には感謝した方がいい。
しかしながら、この不本意なやり取りによって、銀千代の人生は大きく狂い始めたといっても過言ではない。
この時、銀千代は秋葉原でモデル事務所にスカウトされていたらしいのだ。俺と別れたあともらった名刺に電話を掛け、数日後に芸能界デビューが決まったのだった。
「あとは、まあ、知っての通り」
そのあと銀千代は驚くほどスターダムに芸能界の階段を登っていった。翌年にはアイドルグループに所属するようになり、クイズバラエティーで地上波デビュー。握手会の炎上をきっかけにメディア露出も増え、いまやオリコンチャート常連のトップアイドルグループのリーダーだ。来年には端役とはいえ、銀幕デビューも控えている。
「昔から、パワフルな人だったんですね……」
俺の知る銀千代のヤバめエピソードを聞き終えた沼袋は、引き笑いしながら、「ありがとうございました」と小さく頭を下げた。
「銀千代さんについて、今日も少しだけわかったような気がします」
「……」
無駄話をし過ぎた。
雨もすっかり上がっている。
いま何時だろうと、スマホの電源を入れて画面を覗き込んで恐怖した。
着信34件、メッセージ数251件!
青くなった俺の顔を「先輩、どうしたんですか?」と見つめる沼袋。
恐る恐るメッセージを確認する。
『ゆーくん、なにしてるの?』
『帰らないの?』
『早く帰ろう』
『ゆーくん、新キラー配信されてるよ。バイオコラボだよ。早くおうち帰ろう』
『もしかして、浮気してる?』
『ゆーくんを寂しくさせちゃった銀千代のせいだね』
『まってて、今行く』
背筋が凍った。
慌てて周囲を警戒する。
随分と時間を潰し過ぎたらしい、人は疎らだ。
「先輩、どうしたんですか?」
沼袋が心配そうに聞いてきた。
「俺から離れろ」
「は?」
脳内にリングのテーマソングがヘビーローテーションする。
大丈夫だ。まだ慌てるような時間じゃない。あいつは今仕事で東京にいるはず。
どんなに高速を飛ばしても、ここまでは三十分以上はかかる。それにこの時間帯は渋滞も激しいし、逃げる時間はいくらでもあるはずだ。
鞄を掴む。慌てて図書室を後にしようと、きびすを返した瞬間だった。
「おっー!」
窓際の生徒の驚嘆の声が響いた。
「は?」
沼袋と一緒にそちらを向くと、窓ガラスが風でガタガタ揺れていた。まるで嵐のようだ、窓の向こうを見ると、コナン映画でしか見たことない至近距離でヘリコプターが飛んでいた。
「え?」
ヘリコプターに、知った顔があった。
「銀千代さん……?」
金守銀千代が笑顔で手を振っていた。
ガラスにバンとスケッチブックをかざした。
『お空デートしよ(ハート)』
ヒソカみたいなハートマークをつけて銀千代は狂気の極みのような笑みを浮かべた。
登下校がヘリコプターとか高須医院長でもしない。銀千代が校庭を指差し、笑顔で手を振ると、ヘリはゆっくり動き始めた。どうやら着陸するらしい。
部活動はやっていないし、雨上がりで空も晴れ始めてるので、着陸のタイミング的には絶好なのは間違いないけど……。
ホバリングしていたヘリコプターが無人の校庭にゆっくりと着陸していく。雨のお陰で屋外の部活動は中止になっていたらしい。
割れた雲から一筋の光が、天使のはしごとなってヘリに降り注いでいた。
俺は鎌首もたげる好奇心を必死に殺して、帰宅しようと心に決める。
「……」
と思ったけど、無理だった。ヘリは男の夢なのだ。ホイホイと銀千代の策略に乗ってしまった。運転手さんはいい人だった。
楽しかった。空の散歩はとっても綺麗だった。
ちなみに学校側にまったくなんの許可も取っていなかったらしくて、銀千代は一週間の停学処分となった。
そんくらいで済んでよかったな。